。。。。。。。。。。
【詩篇49篇】o19 指揮者のために。コラの子たちの賛歌
psm49:1 すべての国々の民よ。これを聞け。世界に住むすべての者よ。耳を傾けよ。
psm49:2 低い者も、尊い者も、富む者も、貧しい者も、ともどもに。
psm49:3 私の口は知恵を語り、私の心は英知を告げる。
psm49:4 私はたとえに耳を傾け、立琴に合わせて私のなぞを解き明かそう。
psm49:5 どうして私は、わざわいの日に、恐れなければならないのか。私を取り囲んで中傷する者の悪意を。
psm49:6 おのれの財産に信頼する者どもや、豊かな富を誇る者どもを。
psm49:7 人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことはできない。
psm49:8 ――たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。――
psm49:9 人はとこしえまでも生きながらえるであろうか。墓を見ないであろうか。
psm49:10 彼は見る。知恵のある者たちが死に、愚か者もまぬけ者もひとしく滅び、自分の財産を他人に残すのを。
psm49:11 彼らは、心の中で、彼らの家は永遠に続き、その住まいは代々にまで及ぶと思い、自分たちの土地に、自分たちの名をつける。
psm49:12 しかし人は、その栄華のうちにとどまれない。人は滅びうせる獣に等しい。
psm49:13 これが愚か者どもの道、彼らに従い、彼らの言うことを受け入れる者どもの道である。セラ
psm49:14 彼らは羊のようによみに定められ、死が彼らの羊飼いとなる。朝は、直ぐな者が彼らを支配する。彼らのかたちはなくなり、よみがその住む所となる。
psm49:15 しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ
psm49:16 恐れるな 。人が富を得ても、その人の家の栄誉が増し加わっても。
psm49:17 人は、死ぬとき 、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ。
psm49:18 彼が生きている間、自分を祝福できても、また、あなたが幸いな暮らし をしているために、人々があなたをほめたたえても。
psm49:19 あなたは、自分の先祖の世代に行き、彼らは決して光を見ないであろう。
psm49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ 、滅びうせる獣に等しい。
。。。。。。。。。。
おはようございます。
昨日は出荷ギリギリまで、やはり身体は疲れるモンだ。
疲れていても新しい一日はやってくる。
でも、間違わないでいたいですね。
今日という日は昨日の延長ではなく、神様が与えられた新しい一日だってコト。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に最初に留まったのはこの言葉。
psm49:7 人は自分の兄弟をも買い戻すことはできない。自分の身のしろ金を神に払うことはできない。
psm49:8 ――たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。――
人は撒いた種は刈り取るモノだ。
しかし、
バイブルには「 罪(ズレ) 」の報酬は「死」としるされていて、人は其処から逃れることはできない。
(人は神の創造の基準からサタンの囁きに従ってズレた時に、サタンを滅ぼす為に用意された死を共に受けることになる。)
何故なら、その支払いは命をもって支払わなきゃならないから。
でも、 誰かが代わりに支払ってくれたら・・・。
psm49:15 しかし神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。セラ
僕らは、買い戻される。
サタンと共に滅ぼされたくない神様の僕らへの熱い思いによって・・。
買い戻す為の支払いは、自分の子であるジーザスの命によって。
だから、こう云ってる。
psm49:20 人はその栄華の中にあっても、悟りがなければ 、滅びうせる獣に等しい。
人には素敵な「成功」なんてイメージを憧れて
そんな枠に自らが入った時でも、もしこの事実を知っていなければ「 獣 」に等しいと語られる。
僕らは何を求めてるだろうか?
真実を求めてるのか?
それとも「 成功 」?
jhn8:32 そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。
glt5:13 兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。
僕らは自由を与えられる為に、今こうしてバイブルを通して神様の声を聞いてる。
実は成功といわれるものには、本当の自由・喜びは無いことを知っている。
でも其処にしか、人は生きる目的を見出すことが出来ない。
真理を知ることが本当の喜びに繋がるとしたら・・・
本当に素敵ですね。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
・・・・・・・・・・
詩49篇「買い戻す」 פָּדָה パーダー
〔カテゴリー救出〕
15節「しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻される。
神が受け入れてくださるからだ。」(新改訳)
15節「まことにヤハウェはわが魂を贖い、陰府の手からわたしを救われる。」(関根訳)
Keyword; 「買い戻す、贖う」 redeem, deliver, rescue, buy back,
25:22/26:11/31:5/34:22/44:26/49:7, 7, 15/55:18/69:18/71:23/78:42/119:134/130:8
- 詩49篇には「買い戻す、贖う」と訳されるパーダーפָּדָה(padah)という動詞が3回(7節に2回、15節に1回)使われています。旧約では60回、詩篇では14回使われています。
- 詩49篇の作者は4節で「私のなぞを解き明かそう」と述べています。「詩篇にはもうひとつ「昔からのなぞを物語ろう」(78:2)というのがあります。この「昔からのなぞ」とは、なんども繰り返して罪を犯す神の民に対して、見切りをつけることなく、神は彼らを赦し、滅ぼすことをされなかったという「なぞ」です。しかし、前者(49:4)の「なぞ」は、自分のたましいの身代金を払うことのできないゆえに、よみに定められている人間を神は身代金を払ってそこから買い戻されるという「なぞ」です。
- 人間の普遍的な問題である「死」―この詩篇では「死」を「よみ(陰府)の手」としていますー、どんな人にも百パーセント確実に訪れる死の問題に対して人間は全く無力なのです。医学の進歩は死を一時的に延期できます。しかし、死そのものを解決することができません。しかし神は、私のいのちをよみの手から買い戻すことのできる方です。「よみ」(シェオールשְׁאוֹל)とは、神との交わりが絶たれた場所です。
- イエスはこんな話をされました。「人はたとい全世界を手に入れたとしても、まことのいのちを損じたなら、何の益がありましょう。そのいのちを買い戻すためには、人々はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ16:26) いのちはあまりにも高価であるゆえに、それを損じたなら永久に取り戻すことをあきらめるしかありません。しかし神ならば、いのち(「たましい」ーネフェシュנֶפֶשׁ)を買い戻すことができます。これは神にしかできないことです。神はイエス・キリストの十字架と復活の出来事によってそれを実現してくださいました。その意味で、詩49篇は預言的な詩篇といえます。
- 「一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)人間を、よみの支配から買い戻す(贖う)その動機は、詩49篇15にあるように「神が受け入れてくださった(ラーカーלָקָח)から」です。死に対する神の備えを得ることが本当の悟りです。その「悟りがなければ」、人はどんな栄華の中にあっても、滅びうせる獣に等しいのです。そのような者に対してイエスは「愚か者」と一喝されました(ルカ12:16~21)。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs49
・・・・・・・・・・