へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -18ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇56篇】o19  指揮者のために。「遠くの人の、もの言わぬ鳩」の調べに合わせて。

ダビデのミクタム。ペリシテ人が、ガテでダビデを捕えたときに


psm56:1  神よ。私をあわれんでください 。人が私を踏みつけ、一日中、戦って、私をしいたげます。

psm56:2  私の敵は、一日中、私を踏みつけています。誇らしげに私に戦いをいどんでいる者が、多くいます。

psm56:3 恐れのある日 に、私は、あなたに信頼します

psm56:4  神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者 が、私に何をなしえましょう。

psm56:5  一日中、彼らは私のことばを痛めつけています。彼らの思い計ることはみな、私にわざわいを加えることです。

psm56:6  彼らは襲い、彼らは待ち伏せ、私のあとをつけています。私のいのちをねらっているように。

psm56:7  神よ。彼らの不法のゆえに、彼らを投げつけてください。御怒りをもって、国々の民を打ち倒してください。

psm56:8  あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか私の涙を、あなたの皮袋にたくわえてください。それはあなたの書には、ないのでしょうか。

psm56:9  それで、私が呼ばわる日に、私の敵は退きます。神が 私の味方 であることを私は知っています。

psm56:10  神にあって、私はみことばをほめたたえます。主にあって、私はみことばをほめたたえます。

psm56:11  私は、神に信頼しています。それゆえ、恐れません。人が、私に何をなしえましょう。

psm56:12  神よ。あなたへの誓いは、私の上にあります。私は、感謝のいけにえを、あなたにささげます。

psm56:13  あなたは、私のいのちを死から、まことに私の足を、つまずきから、救い出してくださいました。それは、私が、いのちの光のうちに、神の御前を歩むためでした。

。。。。。。。。。。



連休前の最終日。

おはようございます。


朝晩が大分涼しくなりましたね。



では、今日も早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm56:3 恐れのある日 に、私は、あなたに信頼します

psm56:4  神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者 が、私に何をなしえましょう。







ダビデさんが敵に捕らえられた時の歌。




そりゃ・・・それるでしょ。

殺される事も当然あり得る。


そんな中で、ようこんな言葉を発する事できますよね~。






凄い。。


でも、僕の個人的な推測ですが、

これは本当に心から溢れて発してる言葉とは思えないのです。



ダビデさんは何を選ぶ事が必要かを知っていただけだったのでは・・・と思うのです。




人は窮地に陥ると、心の視野が狭められて

それどころでは無くなる様に思えるのです。


どうでしょ。





僕とダビデさんは雲泥の差があるから、そうでも無いかもしれないんだけどね。



でも、

僕らはそんな窮地の問題になった時にも、

選ぶべき事が解っているなら、ダビデさんの様に選択する事が出来ると思われる。





ダビデさんが選んで発した言葉は、

神様の約束。

神様の実際。





僕らの心が恐れで満たされ、視野が狭められたとしても

神様の約束・・・神様の実際は変わる事が無い。


この地上が大嵐に見舞われ、真っ黒の雲によって光が留められてても

この雲を超える事が出来れば

太陽はサンサンと輝いている実際は変わらないのと一緒。





言葉は本当に大切。

僕らは信じるものに従う事になるんだから。


ダビデさんはこの事を知っていた。

サタンが神様の約束を受け取らせないように、僕らに暗闇の内に沈ませるのが目的。

僕らはダビデさんを見習う事によって神様を選ぶ事の恵みを体感する事になる。


ダビデさんのように

僕らは神様の約束、神様の実際を選ぶ事が出来る。




僕らには選ぶ事が出来る。


だって、

神様の僕らへの約束と、神様の実際はどんな事があろうとも変わる事が無いから。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



・・・・・・・・・・

詩56篇「しるす」 סָפַר サーファル

〔カテゴリー育成〕

8 節「あなたは、私のさすらいをしるしておられます。どうか、私の涙をあなたの革袋にたくわえてください。それは、あなたの書にはないのでしょうか。」 (新改訳)

Keyword; 「しるす、数える、書き留める、言う」 record, count, tell, declare,

  • 「しるしておられる」と訳された動詞はサーファルסָפַר(saphar)で、旧約で105回、詩篇では36回で詩篇特愛の動詞と言えます。原義は「伝える、告げる」です。そのためは、正確に数えられ、書きとめられる必要があることから、「数える、書き留める、しるす」という意味が派生します。詩篇では圧倒的に「伝える、告げる」という意味で使われています。ですから、8節の「しるしておられます」という意味は、ここにしかないきわめて特別な恩寵を意味することばです。
  • 後半にある「(あなたの)書」はサーファルの名詞形セフェルסֶפֵר(sepher)が使われていますが、名詞形になると書き記された書物(羊皮紙)を意味します。名詞形は詩篇では3回しか使われていませんが(ちなみに、旧約では185回)。その一つの箇所である詩139篇16節は有名です。「あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物סֶפֵרにすべてが、書き記されました。私のために作られた日々が、しかもその一日もないうちに。」
  • 8節で神が「しるしておられるサーファルסָפַר(saphar)」の中身は、「私のさすらい」(新改訳、関根訳)、「わが放浪」(岩波訳)、「わたしの嘆き」(新共同訳、フランシスコ会訳)です。つまり、神が自分の苦難の人生を余すところなく覚えていてくださるということです。LB訳はその意を汲んで次のように訳しています。
  • 「神様は、私が夜通し寝返りを打っているのをご存じです。神様は、私の涙の一滴残さずびんにすくい集めてくださいました。その一滴一滴は余すところなく神様の文書に記録されています。」
  • 自分がだれからも理解されていないと思う孤独感はそれだけで苦しみです。しかし逆に、だれかひとりでも自分のことを理解してくれていると知るだけで救いになります。
  • 現代の日本では、毎年3万人の人が自ら命を絶っています。だれにも相談することができず、だれからの助けや理解も得られず、一人寂しくこの世を去っていく現実に唖然とさせられます。
  • 自分のすべてが神の記憶の中にしっかりとどめられている、もしそれが自分の犯した罪であるならば私たちは耐えることはできないでしょう。しかし、神は、私たちの罪にしたがって私たちを扱おうとせず、私たちの咎に従って私たちに報いることもありません。実に、あわれみに満ちた神です。私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる方です。この方こそ私の人生を贖い、償ってくださる唯一の方であることをあらためて感謝したいと思います。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs56

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【詩篇55篇】o19  指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール


psm55:1  神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。

psm55:2  私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。

psm55:3  それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。

psm55:4  私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。

psm55:5  恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。

psm55:6  そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。

psm55:7  ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。セラ

psm55:8  あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」

psm55:9  主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。私はこの町の中に暴虐と争い を見ています。

psm55:10  彼らは昼も夜も、町の城壁の上を歩き回り、町の真中には、罪悪と害毒があります。

psm55:11  破滅は町の真中にあり、虐待と詐欺とは、その市場から離れません。

psm55:12  まことに、私をそしる者 が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。

psm55:13  そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。

psm55:14  私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家 に群れといっしょに歩いて行ったのに。

psm55:15  死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。

psm55:16  私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。

psm55:17  夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく 。すると、主は私の声を聞いてくださる。

psm55:18  主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに 贖い出してくださる。私と争う者が多いから。

psm55:19  神は聞き、彼らを悩まされる。昔から王座に着いている者をも。セラ 彼らは改めず、彼らは神を恐れない。

psm55:20  彼は、自分の親しい者にまで手を伸ばし、自分の誓約を破った。

psm55:21  彼の口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。彼のことばは、油よりも柔らかいが、それは抜き身の剣である。

psm55:22 あなたの重荷 主にゆだねよ 。主は、あなたのことを心配 してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。

psm55:23  しかし、神よ。あなたは彼らを、滅びの穴 に落とされましょう。血を流す者と欺く者どもは、おのれの日数の半ばも生きながらえないでしょう。けれども、私は、あなたに拠り頼みます。


。。。。。。。。。。


おはようございます。

週の半ばを過ぎて、残りまた僅かですね。

連休もあるし、

今週は踏ん張りましょうね。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm55:22 あなたの重荷 主にゆだねよ 。主は、あなたのことを心配 してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。






重荷・・・自分で負うとシンドイ。。。

誰もが・・・シンドイものだ。


でも、誰かが傍にいて、その重荷を負ってることに心配してくれるだけで頑張れるときもある。



ここでの原義はどんなだろう?

「あなたの重荷を主にゆだねよ」と。「ゆだねる」と訳されたシャーラフשָׁלַך(shalakh)の原義は、「ころがす、投げかける」という意味です。高いところから石を転がせば、石はどこへ向かって転がっていくかわかりません。でも、主は「転がせ」と言われます。なぜなら、「主があなたのことを心配してくださる」からです。なんという心温かいことばでしょうか。


イエス・キリストも「すべて疲れた人、重荷を負った人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われましたが、この詩55篇22節の新約版と言えます。「休ませる」ということばは、単なる身体の休息というよりも、たましいの休息、心の安息、安心を意味し、究極的には神にある生存の保障を意味することばです。





人間の心配とは全く違いますね~。

だから、出来る力で転がすだけで良いんだね。




転がそう!

今出来る力でエイ!って。 ね。




大丈夫。

僕らはそれでOKなんだ。

優しい神様が僕らの全てを受け止めて保証してくれるんだから。




今日も一歩。

重荷を転がしながら、受け止めてくれる方を体験しましょうね。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.






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詩55篇「心配する」 כּוּל クール

〔カテゴリー育成〕

22 節「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる。主は決して正しい者がゆるがされるようなことはなさらない。」(新改訳)

Keyword; 「心配する、支える、迎え入れる」sustain, provide,

  • 22節は三つの文節からなっています。後の二つの文節にある恩寵動詞―「心配する」と「ゆるがされるようにはなさらない」―がみられます。
  • 後者の「ゆるがされるようにはなさらない」の直訳は「与えない、永遠に、つまずきを、義人に」です。「つまずきを与えない」という原文を様々に訳しています。「動揺しないようにはからってくださる。」(新共同訳)、「ゆるさない・・揺らぐのを」(岩波訳)、「ゆらぐのをとこしえに許されない」(フランシスコ会訳)
  • 後の二つの文節の前者にある「心配してくださる」のクールכּוּל(kul)の原義は「養う、扶養する、老後を看取る」です。これは生存を保障する強い言葉です。岩波訳では「迎え入れる」と訳しています。旧約で38回、詩篇では2回(55:22/112:5)です。
  • 私たちはそれぞれ様々な重荷を抱えています。自分に与えられた仕事、家族を扶養する責任、人として社会の中で果たすべき責任・・それらはみなある意味で重荷となります。そしてそれは明日への不安や恐れをもたらします。たとえ今良かったとしても、果たしてこれからもという安心の保障が得られない時、また自分の能力や健康に自信を失う時、生きること自体が重荷となります。人生の重荷のゆえに、生存が不安になるのです。
  • そのような者に神は語られます。「あなたの重荷を主にゆだねよ」と。「ゆだねる」と訳されたシャーラフשָׁלַך(shalakh)の原義は、「ころがす、投げかける」という意味です。高いところから石を転がせば、石はどこへ向かって転がっていくかわかりません。でも、主は「転がせ」と言われます。なぜなら、「主があなたのことを心配してくださる」からです。なんという心温かいことばでしょうか。
  • イエス・キリストも「すべて疲れた人、重荷を負った人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われましたが、この詩55篇22節の新約版と言えます。「休ませる」ということばは、単なる身体の休息というよりも、たましいの休息、心の安息、安心を意味し、究極的には神にある生存の保障を意味することばです。
  • ちなみに、この詩55篇22節のことばは、落ち目を経験したダビデに対して、敵が皮肉をこめて言ったことばです。おそらくダビデはこのようなことをいつも言っていたのかもしれません。しかし、その告白はある出来事を通して、その真価が問われることとなったのです。私たちも、順境のときに告白した神への信仰のことばが、逆境のときにも同じように告白できるかどうか、必ず問われるときが来るのだというのが、この詩篇がマスキール(教訓)とされていることの所以かもしれません。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs55

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【詩篇54篇】o19  指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール。ジフの人たちが来て、「ダビデはわれらの所に隠れているではないか。」とサウルに言ったとき


psm54:1  神よ。御名によって、私をお救いください。あなたの権威によって、私を弁護してください。

psm54:2  神よ。私の祈りを聞いてください。私の口のことばに、耳を傾けてください。

psm54:3  見知らぬ者たちが、私に立ち向かい、横暴な者たちが私のいのちを求めます。彼らは自分の前に神を置いていないからです。セラ

psm54:4  まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。

psm54:5  神は、私を待ち伏せている者どもにわざわいを報いられます。あなたの真実をもって、彼らを滅ぼしてください。

psm54:6  私は、進んでささげるささげ物をもって、あなたにいけにえをささげます。主よ。いつくしみ深いあなたの御名に、感謝します。

psm54:7  神は、すべての苦難から私を救い出し、私の目が私の敵をながめるようになったからです。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日の天気予報は晴れ。

週始めから少し崩れてたんだけど運動会の練習もあるからいいね。




では、早速共に詩篇を。

今日ぼくの心に留まったのはこんな言葉。

psm54:4  まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。







今日の箇所はダビデさんにとって絶対絶命ピンチの時。

(ジフの人たちが来て、「ダビデはわれらの所に隠れているではないか。」とサウルに言ったとき )



サウルさんとは、イスラエルの王さま。

ダビデさんはサウル王のお気に入りとして身近に居てたが、余りにもダビデさんの方が戦いでもサウル王よりも強くて段々と町中からダビデの方が凄い!!なんて声が出始めた。

サウル王は妬んでダビデを殺そうと考えるようになり、実行し始めた。

今日の箇所は逃げていく最中で、サウル王に「だびでは此処に居るで~」ってバラサレタ時の箇所。



も~大変。

ピンチ!ピンチ!


その最中で言った言葉なんだよね。

psm54:4  まことに、神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方です。



でも、問題解決される前なんだよね。ホラ・・こう言ってる。

psm54:1  神よ。御名によって、私をお救いください。あなたの権威によって、私を弁護してください。

psm54:2  神よ。私の祈りを聞いてください。私の口のことばに、耳を傾けてください。




助けて~!!って声が聞こえてきそうだね。




ダビデは助けて~って時に同時に

助けられる神様が今傍に居て支えて下さっていると語られている。





知ってて得する事。

それは、神様は時をも越えてるという事実。


神様は時を創られた方だから、今と同時に過去未来も同時に過ごされてるって事かな。

不思議だけど、時に神様は囚われてないんだから。




だから、助けてくださいと同時に

神は私を助ける方、主は私のいのちをささえる方だっていう事が出来る。






僕らもそう。

僕らの問題を祈ると同時に、僕らは解決を将来与えられた事を知る事が出来る。

だって、祈った時点で既に叶えられたと思えって神様が言ってるんだもん。





だから

問題の前にして、神様に助けて~!って祈ったなら

その時点でダビデさんの様に助ける方が支えてくれてると言葉を発してみませんか?





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




。。。。。。。。。。

 

【詩篇53篇】o19  指揮者のために。「マハラテ《の調べに合わせて。ダビデのマスキール


psm53:1  愚か者は心の中で「神はいない 。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい不正を行なっている。善を行なう者はいない。

psm53:2  神は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。

psm53:3  彼らはみな、そむき去り、だれもかれも腐り果てている。善を行なう者はいない。ひとりもいない

psm53:4  不法を行なう者らは知らないのか。彼らはパンを食らうように、わたしの民を食らい、神を呼び求めようとはしない。

psm53:5  見よ。彼らが恐れのないところで、いかに恐れたかを。それは神が、あなたに対して陣を張る者の骨をまき散らされたからだ。あなたは彼らをはずかしめた。それは神が彼らを捨てられたからだ。

psm53:6  ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神がとりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。

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おはようございます。

今週は雨から始まるみたい。


雨も大切なんだよね。



では、早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm53:6  ああ、イスラエルの救いが、シオンから来るように。神がとりこになった御民を返されるとき、ヤコブは楽しめ。イスラエルは喜べ。







神は居ないという人は多い。

だからか・・・不正がはびこる。


不正をしても裁く事などできないから・・・なんだろうね。




僕らの良心は誰が記したモノだろう?

僕らを創られた神様は、僕らに基準を心に記して下さった。


だから、今、神様は居ないと感じるような時でも、しっかり良心に従いたいモノですね。

でも、良心もブレる時はある。

だから、バイブルを通して神様の声を聞く事も必要なのかもしれない。



神様の裁きが遅い~!って感じる事もある。

ちょっと、不正を野放しにし過ぎやで~!って思える事も多くある。



でも、遅く感じるだけで

神様は居なくなるわけではない。




遅く感じるのは、神様は居ないというメッセージを信じ込ませたい奴の仕業かもしれない。

ほうら・・・みてみろ。。

こんな不正を野放しにするのは神は居ない証拠だ!

なんてね。





僕らの心に良心を記されたのは誰なんだろう?




良心を刻んだのは、僕らを愛してくれる方。

大丈夫。

僕らを愛してくれている方は、僕らを創られた方。




心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩53篇「元どおりにする」 שׁוּב シューヴ

〔カテゴリー救出〕

6 節b「神が御民の繁栄を元どおりにされるとき、ヤコブは楽しめ・・」(新改訳)
6 節b「彼が御自分の民、捕われ人を連れ帰られるとき、ヤコブは喜び踊り・」(新共同訳)   
(※原文では「繁栄」はなく、「神がその民、捕われ人(シェブートשְׁבוּת)を返す時」とあります。)

Keyword; 「元どおりにする、回復する、連れ帰る、償う」bring back, restore, make again,
14:7/18:20, 24/19:7/23:3/28:4/51:12/54:5/68:22/71:20/78:38/80:3, 7, 14, 19/85:1, 3, 4, 6, 8/90:3, 13/・・etc.

  • 詩19篇でもヘブル語のシューヴשׁוּב(shuv)は取り上げましたが、そこでは魂の回復がテーマでした。しかし、ここではバビロンの地に捕囚となっているイスラエルの民に対して、シオンにおられる神が、やがてバビロンの地からご自分の民を連れ帰って、元通りにするときが来たならば、「喜び踊れ」と民に呼びかけている希望の詩篇です。
  • そして、それは実現しました。「主がシオンの捕われ人を帰された(שׁוּב)とき、私たちは夢を見ている者のようであった。そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。・・主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。」(126:1~3)
  • これは神の救いー解放と回復(again)のみわざーのひとつの型です。イスラエルの民がエジプトの地から解放されたことを初めとして、バビロンの捕囚の地からの解放、イエス・キリストの十字架と復活による罪と死からの解放、そしてキリストの再臨による敵からの完全な解放へとらせん状的に向かっていきます。
  • シューヴשׁוּב(shuv)は、主語が人であるときには、悔い改めて、神に立ち返ることを意味しますが、シューヴの主語が神である場合には、人間では到底なし得ない奇跡的なことが起こることを意味しています。それはまさに解放と回復(again)のみわざです。
  • 個人のたましいの領域においても、あるいは民族的な領域においても、解放と回復のみわざはすべて神の独占的行為であり、一方的恩寵です。神のシューヴשׁוּבの恩寵に対して人間ができることは、そのことを神に感謝し、それを楽しみ、喜ぶことしかありません。
  • ちなみに、詩53篇はほとんど詩14篇と同じですが、どこが違うのかというならば、神名のアドナイ(本当はヤーウェですが、ユダヤ人たちはアドナイと読みます)יהוהがエロヒームאֱלֹהִיםに変わっている点です。詩篇の第二巻が「エロヒーム詩篇」だと言われる所以がここにあります。しかし、その違いはいったい何を意味しているのでしょうか。そのひとつの答えとして、捕囚期が三世代に渡った民は、「主」(יהוה)というお方を現実に体験していなかったからかもしれません。愚か者は「神はいない」と言っている異教の世界の中で、その「神」がかつてイスラエルをエジプトから解放させた同じ「神」(אֱלֹהִים)であることを教える教訓(マスキール)的な詩篇とするためかもしれません。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs53

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【詩篇52篇】o19  指揮者のために。ダビデのマスキール。

エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た。」と言ったときに

psm52:1  なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは 、いつも、あるのだ。

psm52:2  欺く者よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。

psm52:3  おまえは、善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している。セラ

psm52:4  欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。

psm52:5  それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、おまえを幕屋から引き抜かれる。こうして、生ける者の地から、おまえを根こぎにされる。セラ

psm52:6  正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。

psm52:7  「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」

psm52:8 しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵み に拠り頼む。

psm52:9  私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの 前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は流石におやすみです。


早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm52:1  なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは 、いつも、あるのだ。









どーしても

悪をする事で安心したりすることもある。


嘘も方便・・・ねんてね。



小さな悪も

その時ラッキーな気分になる事がある。

悪(サタン)は僕らにいい顔をして擦り寄ってくる。





サタンの用意したものを選ぶ時

僕らは次第にサタンに支配されていく。


最初はその時はいい思いをするかもしれない。

しかし、その先サタンが導くのは 「 死 」 だ。

サタンは神様から永遠の地獄を約束されているから、神さまがこよなく愛する僕ら人間を道連れにしようと小さな悪を通して一人一人を捕らえ続ける。



僕らは捕らわれ続けるのだろうか?





否だ。 神の恵みは 、いつも、あるのだ。 って あるとおり。

神様の恵みは僕らの近くに用意されている。


それも「 いつも 」だ。



でも、余り・・・あると感じたことが無いこともあるかも。

サタンがそれを受け損ねるよう僕らに囁き続けてるから・・・・・ある訳ないぞ。なんてね。




でも忘れちゃダメな事がある。

ecc3:11  神のなさること は、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思い を与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。



用意されたモノはいつでも

僕らに見えないかもしれない。

用意されたモノは

自分の思うタイミングで得られる事がない事も多々ある。



でも

神様の恵みは僕らに必要なタイミングで僕らが受け取れるよう用意されている。




全ての時を知ってる神様を信じてみたいですね。

だって、神様は僕らの幸せの為に最善をし続けているんだから。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.

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詩52篇「いつも(ある)」 כּל הַיּוֹם カル・ハッヨーム

〔カテゴリー育成〕

1節「・・・神の恵みは、いつも、あるのだ。」(新改訳)
「・・・神の慈しみの絶えることはないが」(新共同訳)
The goodness of God endures continually. (NKJV)
God's faithfulness is eternal. (TEV)

Keyword; 「いつも、一日中、絶えることなく」 endure continually, be eternal

  • 「神の恵みは、いつも、あるのだ」とは何というすばらしい宣言でしょうか。何度もこのことばを口にするだけで、力が湧いてきます。原文には「ある」という動詞はありませんが、神の恵みは「いつも」と訳されたカル・ハッヨームכּל הַיּוֹם(kal hayyom)は、まさに恩寵そのものです。
  • 「途切れることなく続く」(endures continually)神の恵みを、「永遠に」神の恵みがあることを知ることは、どんな危機や状況に置かれることがあっても、ゆるがされずに生きる希望を神を信ずる者たちに与えてくれます。
  • 「恵み」と訳されたヘセドחֶסֶד(chesed)は、「慈しみ、いつくしみ」(新共同訳、関根訳)とも訳され、英語では、goodness(NKJV)、faithfulness(TEV)とも訳されます。
  • この詩篇にある背景は表題が示すように、エドム人ドエグがサウルのもとに来て、「ダビデがアヒメレクの家に来た」と告げたとき、とあります。このところをLB訳では「ダビデが、その敵ドエグに抗議して書いたもの」となっていて、表題の状況をわかりやすく説明しています。つまり、詩52篇は「ダビデのドエグに対する抗議」をその内容としていることが分かります。
  • サウル王の嫉みによって殺害の意を知ったダビデは、身一つでサウルのもとを去り、放浪の旅に出ます。その最初に立ち寄った祭司アヒメレクのところで、ダビデはそのいきさつを隠してパンと武器を手にしますが、たまたまそこに居合わせたサウル王の側近ドエグによって、その情報がサウル王に伝えました。逃亡者ダビデをかくまった祭司アヒメレクをダビデの共謀者とみなしたためか、ダビデとかかわることへのみせしめのためか、祭司アヒメレクの一族は一人を除いてみな虐殺されます。この惨劇にダビデは心痛め、ドエグに対して怒りをあらわにして書かれたのがこの詩篇です。
  • 私たちも、自分したこと、語ったことが人に正しく受留められるとは限りません。むしろ、誤解されたり、挙げ足を取られたり、相手の都合のいいように利用されるかもしれません。悪の現実に対してダビデの取った態度に私たちは学ぶべきです。そのひとつは、悪に対しては神のさばきにゆだねること、そしてもうひとつは、自分は常に神の恵みにより頼むことです。ダビデはこう告白しています。「神の恵みはいつもあるのだ」(1節)、「この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む」(8節)。 悪の渦巻く不条理の現実の中で生きるダビデの霊性が見えてきます。

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