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【詩篇52篇】o19 指揮者のために。ダビデのマスキール。
エドム人ドエグがサウルのもとに来て、彼に告げて「ダビデがアヒメレクの家に来た。」と言ったときに
psm52:1 なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは 、いつも、あるのだ。
psm52:2 欺く者よ。おまえの舌は破滅を図っている。さながら鋭い刃物のようだ。
psm52:3 おまえは、善よりも悪を、義を語るよりも偽りを愛している。セラ
psm52:4 欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している。
psm52:5 それゆえ、神はおまえを全く打ち砕き、打ち倒し、おまえを幕屋から引き抜かれる。こうして、生ける者の地から、おまえを根こぎにされる。セラ
psm52:6 正しい者らは見て、恐れ、彼を笑う。
psm52:7 「見よ。彼こそは、神を力とせず、おのれの豊かな富にたより、おのれの悪に強がる。」
psm52:8 ★ しかし、この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵み に拠り頼む。
psm52:9 私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。私はあなたの聖徒たちの 前で、いつくしみ深いあなたの御名を待ち望みます。
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おはようございます。
今日は流石におやすみです。
早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm52:1 なぜ、おまえは悪を誇るのか。勇士よ。神の恵みは 、いつも、あるのだ。
どーしても
悪をする事で安心したりすることもある。
嘘も方便・・・ねんてね。
小さな悪も
その時ラッキーな気分になる事がある。
悪(サタン)は僕らにいい顔をして擦り寄ってくる。
サタンの用意したものを選ぶ時
僕らは次第にサタンに支配されていく。
最初はその時はいい思いをするかもしれない。
しかし、その先サタンが導くのは 「 死 」 だ。
サタンは神様から永遠の地獄を約束されているから、神さまがこよなく愛する僕ら人間を道連れにしようと小さな悪を通して一人一人を捕らえ続ける。
僕らは捕らわれ続けるのだろうか?
否だ。 神の恵みは 、いつも、あるのだ。 って あるとおり。
神様の恵みは僕らの近くに用意されている。
それも「 いつも 」だ。
でも、余り・・・あると感じたことが無いこともあるかも。
サタンがそれを受け損ねるよう僕らに囁き続けてるから・・・・・ある訳ないぞ。なんてね。
でも忘れちゃダメな事がある。
ecc3:11 神のなさること は、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思い を与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。
用意されたモノはいつでも
僕らに見えないかもしれない。
用意されたモノは
自分の思うタイミングで得られる事がない事も多々ある。
でも
神様の恵みは僕らに必要なタイミングで僕らが受け取れるよう用意されている。
全ての時を知ってる神様を信じてみたいですね。
だって、神様は僕らの幸せの為に最善をし続けているんだから。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩52篇「いつも(ある)」 כּל הַיּוֹם カル・ハッヨーム
〔カテゴリー育成〕
1節「・・・神の恵みは、いつも、あるのだ。」(新改訳)
「・・・神の慈しみの絶えることはないが」(新共同訳)
The goodness of God endures continually. (NKJV)
God's faithfulness is eternal. (TEV)
Keyword; 「いつも、一日中、絶えることなく」 endure continually, be eternal
- 「神の恵みは、いつも、あるのだ」とは何というすばらしい宣言でしょうか。何度もこのことばを口にするだけで、力が湧いてきます。原文には「ある」という動詞はありませんが、神の恵みは「いつも」と訳されたカル・ハッヨームכּל הַיּוֹם(kal hayyom)は、まさに恩寵そのものです。
- 「途切れることなく続く」(endures continually)神の恵みを、「永遠に」神の恵みがあることを知ることは、どんな危機や状況に置かれることがあっても、ゆるがされずに生きる希望を神を信ずる者たちに与えてくれます。
- 「恵み」と訳されたヘセドחֶסֶד(chesed)は、「慈しみ、いつくしみ」(新共同訳、関根訳)とも訳され、英語では、goodness(NKJV)、faithfulness(TEV)とも訳されます。
- この詩篇にある背景は表題が示すように、エドム人ドエグがサウルのもとに来て、「ダビデがアヒメレクの家に来た」と告げたとき、とあります。このところをLB訳では「ダビデが、その敵ドエグに抗議して書いたもの」となっていて、表題の状況をわかりやすく説明しています。つまり、詩52篇は「ダビデのドエグに対する抗議」をその内容としていることが分かります。
- サウル王の嫉みによって殺害の意を知ったダビデは、身一つでサウルのもとを去り、放浪の旅に出ます。その最初に立ち寄った祭司アヒメレクのところで、ダビデはそのいきさつを隠してパンと武器を手にしますが、たまたまそこに居合わせたサウル王の側近ドエグによって、その情報がサウル王に伝えました。逃亡者ダビデをかくまった祭司アヒメレクをダビデの共謀者とみなしたためか、ダビデとかかわることへのみせしめのためか、祭司アヒメレクの一族は一人を除いてみな虐殺されます。この惨劇にダビデは心痛め、ドエグに対して怒りをあらわにして書かれたのがこの詩篇です。
- 私たちも、自分したこと、語ったことが人に正しく受留められるとは限りません。むしろ、誤解されたり、挙げ足を取られたり、相手の都合のいいように利用されるかもしれません。悪の現実に対してダビデの取った態度に私たちは学ぶべきです。そのひとつは、悪に対しては神のさばきにゆだねること、そしてもうひとつは、自分は常に神の恵みにより頼むことです。ダビデはこう告白しています。「神の恵みはいつもあるのだ」(1節)、「この私は、神の家にあるおい茂るオリーブの木のようだ。私は、世々限りなく、神の恵みに拠り頼む」(8節)。 悪の渦巻く不条理の現実の中で生きるダビデの霊性が見えてきます。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs52
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