へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -17ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。。

 

【詩篇61篇】o19  指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデによる


psm61:1  神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。

psm61:2  私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ

psm61:5  まことに、神よ。あなたは私の誓いを聞き入れ、御名を恐れる者の受け継ぐ地を私に下さいました。

psm61:6  どうか王のいのちを延ばし、その齢を代々に至らせてください。

psm61:7  彼が、神の御前で 、いつまでも王座に着いているようにしてください。恵みとまこととを彼に授け、彼を保つようにしてください。

psm61:8  こうして、私は、あなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、私の誓いを日ごとに果たしましょう。

。。。。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は子供を寝かしつけるのに・・自分もそのまま寝てしまった。。

残念。。



では、早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ






もし、ダビデさんの様に僕らの敵が迫ってきた時

僕らを助けてくれる人が居なかったら、僕らは命を守る為に逃げ回らなければならない。

寝ても覚めても、心には不安が溢れ、涙もかれるほどの状況に違いない。


絶対の打ち破られる事の無い砦があったなら、どれだけ安心だろうか?

僕らはそこに入って、何も考えずに休む事が出来るに違いない。





ダビデさんはその(やぐら)砦を見つけられた。

それは、神様の住まれる所(幕屋)であり、御翼の温もりを感じられる場所。



ダビデさんが見つけられたって事は、それは僕らのモノでもあるのだろうか?



そう。

神様はダビデさんと同様に愛してる僕らにも其処に留まって欲しいと願っている。



この世はサタンが支配し、心も身体も絶えず攻撃される領域だから。

神様は大きな御翼を広げて、『 早く戻っておいで・・ 』って僕らを待っておられる。


僕らは実はそんな神様によって創られたんだから。

大切な友。大切な子供として。。




だから、今日も神様って見えないし・・・って自分の肉体による判断で選択しないで

バイブルを通して実際に存在し愛している神様がいると信じてみませんか?


不安の中をいつまでもさまよう事なんてない。

神様は、僕ら一人一人を待っているんだから。




ダビデさんにかけられた声は、同時に僕らにかけられている。




こんなお前なんか・・・

こんな状態でエエ訳ないやん・・・


サタンが支配する世の中だから、絶えずこんな囁きを僕らは聞いているだろうけど。

サタンの声に知らず知らずに選び、汚れてみすぼらしい自分自身を見るかもしれない。



でも

神様の愛を侮らないでね。



そんな状態をも一瞬の内に清くする事が出来るんだから。


だから、サタンの囁きに耳を傾けないで

ダビデさんと一緒に言葉を発してみませんか?

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ



大丈夫。

僕らがそれを選択して言葉を発する事が僕らを御翼に導くから。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.






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詩61篇「導く」 נָחָה ナーハー

〔カテゴリー賦与〕

2b節「どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」

Keyword; 「導く」 lead, guide, 5:8/23:3/27:11/31:3/43:3/60:9/61:2/67:4/73:24/77:20/78:14, 53, 72/107:30/108:10/139:10, 24/143:10

  • 「導いてください」と嘆願している「導く」というナーハーנָחָה(nachah)は詩篇特愛用語の一つです。旧約で39回、そのうち18回が詩篇で用いられています。その多くは「導いてください」という嘆願の祈りの中で使われていますが、23篇3節、および、詩78篇14節と53節には、2度、肯定的に神の恩寵としての導きが述べられています。
  • 私たちは、日毎に、神の導きを経験しているかどうか、神が自分の生涯に備えられた道を歩みそこなっていないかどうかを点検する必要があります。なぜなら、「主は、…御名のために、私を義の道に導かれます。」(23:3)とあるとおり、主の導きは神の子どもに与えられた特権であり、実り多い生涯を送れるようにと神が愛のうちに備えてくださったものだからです。「御名のために」とは、「神ご自身が、ご自分の名にかけて」という強い責任を表わすことばです。
  • また、イザヤ58:11には「主は常にあなたを導き」とあります。「常に」とは「継続的に」と言う意味です。私たちが意識してもしなくても、神の導きは継続的です。父である神は、本質的に与えることを喜びとする神であり、子である私たちの益のために、つまり、ご自分のきよさにあずからせようとして懲らしめることをする方です (ヘブル12:10)。大切なことは、神ご自身が私たちを導きたいと切に望んでおられるということです。
  • 詩61篇では、まさにダビデが「心が衰え果てた」(2節)危機的な状況の中で、「どうか、私の及びがたい高い岩の上に、私を導いてください」と神の導きを求めて祈っています。「及びがたいほど高い岩の上」とは、ある確かな地位と立場を意味します。つまり支配、力、権威、権力、主権が与えられる地位と立場です。この地位と立場を一度失えば、復権は困難です。しかしダビデはこの状況の中から、いわばあり得ない復権への導きを祈っているのです。
  • 聖書の中には、感動的な神の導きの実例があふれています。しかしそれは決して特別なことではなく、正常なこと、当然のことなのです。私たちが神の子どもとしてふさわしく整えられていくためのあらゆる導き、霊的な成長、選択、決断、経済やセキュリティも含めた日々の生活のすべてにおいて神は当然のごとく導いておられます。それは神の子どもに対する御父の愛なのです。
  • ナーハーנָחָה(nachah)の類義語にナーハグנָהַג(nahag)があります。ほとんど同義語で神の先取的行為としての「導き」を意味しています。ナーハグנָהַג(nahag)は旧約で30回、詩篇には4回だけ使われています。48:14/78:26, 52/80:1/を参照。特に詩78篇でこれらの二つのことばが使われているのはとても興味深いところです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs61

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【詩篇60篇】o19  指揮者のために。

「さとしは、ゆりの花。」の調べに合わせて。教えのためのダビデのミクタム。

ダビデがアラム・ナハライムやアラム・ツォバと戦っていたとき、ヨアブが帰って来て、塩の谷でエドムを一万二千人打ち殺したときに


psm60:1  神よ。あなたは私たちを拒み、私たちを破り、怒って、私たちから顔をそむけられました。

psm60:2  あなたは地をゆるがせ、それを引き裂かれました。その裂け目を、いやしてください。地がぐらついているのです。

psm60:3  あなたは、御民に苦難をなめさせられました。よろめかす酒を、私たちに飲ませられました。

psm60:4  あなたは、あなたを恐れる者のために旗を授けられました。それは、弓にかえて、これをひらめかせるためです。セラ

psm60:5  あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください 。そして私に答えてください。

psm60:6  神は聖所から告げられた。「わたしは、喜び勇んで、シェケムを分割し、スコテの谷を配分しよう。

psm60:7  ギルアデはわたしのもの。マナセもわたしのもの。エフライムもまた、わたしの頭のかぶと。ユダはわたしの杖。

psm60:8  モアブはわたしの足を洗うたらい。エドムの上に、わたしのはきものを投げつけよう。ペリシテよ。わたしのゆえに大声で叫べ。」

psm60:9  だれが私を防備の町に連れて行くでしょう。だれが私をエドムまで導くでしょう。

psm60:10  神よ。あなたご自身が私たちを拒まれたのではありませんか。神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なさらないのですか。

psm60:11  どうか、敵から私たちを助けてください。まことに、人の救いはむなしいもの です。

psm60:12  神によって、私たちは力ある働きをし ます。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。

。。。。。。。。


おはようございます。

昨日は雨も降らず夕方に突入しました。昼間はホンマに暑くマダマダ夏だなあと感じる日でした。

そんな中、昔なくしていた息子のDSが車の隅からでてきた。

今まで何度も捜して見えなかったモノが昨日急に見えて見つかった。

息子にはコレも神様が見させてくれたから・・解ったことやなと何度も言ってしまった。

何度も僕が体験してきた事を意識して過ごして欲しいと思ったひと時でした。



では、今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はこんな言葉。

psm60:12  神によって、私たちは力ある働きをし ます。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。









神様によって・・・

当たり前として過ごしているけれども

僕らは神様によって生かされている。


神様の創造による身体の機能に支えられ、勝手に動く心臓によって血液を循環させられ・・・

僕らは当たり前とされる神様のサポートによって生かされている。




余りにも当たり前のものだから、気付きにくいかもしれない。



今回僕の息子のDSを見つけてくれたのも・・・

こういた小さな神様の働きを認める事が僕らに凄い力を気付かせて下さる。


神様から、こんなメッセージも。

 

1tsl5:16 いつも喜んでいなさい

1tsl5:17 絶えず祈りなさい

1tsl5:18  すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。




ナンダよ!いつもいつも命令ばかりしやがって。

アホな僕はそう思った時代も長かった。。


でも、結局この命令は

僕がいつも傍に居るから、どんな問題があっても大丈夫だからね~。と気付かせる為に必要な事かも。

日頃に当たり前のようにある、その小さな出来事を感謝する事で

僕らはそんな些細な出来事にも最善の知恵を持って全力で支えてくれる神様を知る事で

ダビデさんの様に

神によって、私たちは力ある働きをし ます。神こそ、私たちの敵を踏みつけられる方です。

と言葉を発することが出来るようになる。





まずは、当たり前に日頃から行われている小さな神様の働きの発見を喜ぶこと、そして感謝する事からなのかもしれないですね~。


んで、

今日の雨も。


僕らにとっては通勤に不具合も感じられるけど。。

きっと、この雨で喜んでる農家の方も、自然の木々もあるに違いないから。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩60篇「神によって」 בֵּאלֹהִים ベ・エロヒーム

〔カテゴリーその他〕

12節「神によって、私たちは力ある働きをします。」 (新改訳)

Keyword; 「神によって」 in God  18:29/44:8/60:12/108:10

  • 「神によって」は動詞ではありませんが、きわめて大切な恩寵の表現です。前置詞の「ベ」בְּ (be)と神を表わす名詞エロヒームאֱלֹהִים(’elohim)が結びついています。前置詞の「べ」בְּ (be)をどのように訳すかによって翻訳も変わってきます。新改訳以外では次のように訳されています。
    • 「神とともに、我らは力を振るいます。」(新共同訳)
    • 「神にあって、われらは力を振るい」(岩波訳)
    • 「ヤハウェにあってわれらは勇ましく戦おう。」(関根訳)
    • 「われらは神のもとに、勇ましく戦おう。」(フランシスコ会訳)
    • 「神のうちにあって、雄々しく戦おう。」(典礼訳)
  • 旧約では「神によって」が「御名によって」、あるいは「あなたによって」、「恵みによって」という言い方もありますが、いずれにしても、神の民のアイデンティティを表現するものです。自分たちの存在の根拠、土台となっているものがなにかを明確に意識づけている表現と言えます。
  • ダビデと言えば連戦連勝のイメージがありますが、エドムの戦いでは、詩60篇10節のように「神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なされないのですか。」という神の拒絶を感じさせられていました。そうした祈りの中から出てきた告白が、「神によって、私たちは力ある働きをします」というものでした。この告白は偉大です。
  • Boys be ambitious in Christ.という有名な言葉があります。「キリストにあって、大志を抱く少年たちよ」という意味ですが、in Christ, すなわち、「キリストにあって」という言葉があるかないかで、Boys be ambitiousの意味合いは全く変わってきます。
  • 使徒パウロという人は、「キリストにあって」(ギリシャ語では「エン・クリストウ」)という言葉を多用した人です。パウロの特愛用語です。彼が書いたエペソ人ヘの手紙では6章全体で28回も使われています。1章3~20節だけでも11回使われています。これは彼がキリストなしには存在しえない者、キリストなしには何もできない者、逆に言えば、キリストにあってどんなことでもできるということを徹底的に強調した人でした。「キリストにあって」という信仰のリアリティは、まさに、神秘そのものです。
  • 「キリストにあって」―創造され、選ばれ、あがなわれ、神の子どもとして定められたこと。「キリストにあって」―罪を赦され、きよめられて、神の前に近づくことができること。「キリストにあって」―天にあるすべての霊的祝福にあずかることができること。「キリストにあって」―神の救いのヴィジョンを実現するように召されていること。「キリストにあって」―新しく造られた神の作品であること。「キリストにあって」―大能の力で強められること。これらはすべて神秘そのものです。イエスが「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」と弟子たちに語られた同じ真理が隠されています。この真理が私たちの内に生きているかがどうかが問われています。

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【詩篇59篇】o19  指揮者のために。「滅ぼすな。」の調べに合わせて。ダビデのミクタム。

ダビデを殺そうと、サウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに


psm59:1  わが神。私を敵から救い出してください。私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。

psm59:2  不法を行なう者どもから、私を救い出してください。血を流す者どもから、私を救ってください

psm59:3  今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。主よ。それは私のそむきの罪 のためでもなく、私の罪のためでもありません。

psm59:4  私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。どうか目をさまして 、私を助けてください。どうか、見てください。

psm59:5  あなたは万軍の神、主。イスラエルの神 。どうか目をさまして 、すべての国々を罰してください。悪い裏切り者は、だれをもあわれまないでください。セラ

psm59:6  彼らは、夕べには帰って来て、犬のようにほえ、町をうろつき回る。

psm59:7  見よ。彼らは自分の口で放言し、彼らのくちびるには、剣がある。そして、「だれが聞くものか。」と言っている。

psm59:8  しかし主よ。あなたは、彼らを笑い 、すべての国々を、あざけられます。

psm59:9  私の力、あなたを私は、見守ります。神は私のとりでです。

psm59:10  私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北 を見せてくださる。

psm59:11  彼らを殺してしまわないでください。私の民が、忘れることのないためです。御力によって、彼らを放浪させてください。彼らを打ち倒してください。主よ。私たちの盾よ。

psm59:12  彼らの口の罪は、彼らのくちびるのことばです。彼らは高慢に取りつかれるがよい。彼らの述べる、のろいとへつらいのために。

psm59:13  激しい憤り をもって滅ぼし尽くしてください 。滅ぼし尽くして、彼らをなくしてください。そうして、神が地の果て果て までもヤコブを治められることを、彼らが知るようにしてください。セラ

psm59:14  こうして、彼らは夕べには帰って来て、犬のようにほえ、町をうろつき回る。

psm59:15  彼らは、食を求めて、うろつき回り、満ち足りなければ、うなる。

psm59:16  しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

psm59:17  私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今朝はまだ雨降る兆しも無い。


さあ、どうしようかな?



さて、今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm59:16  しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。

psm59:17  私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。







問題の中で何が出来るのか?



僕らはダビデさんのように神様の実際を発することで、問題を打破する事が出来る。

問題の打破とは神様により頼む事から始まる。


神様の支配がおよぶと、、サタンの支配は一掃される。。




ん・・・何だろう。

・・・・・・・・・・・・・・

宇宙戦艦ヤマトで、地球人と宇宙人の戦いが繰り広げられてたのを思い出す。


地球人は酸素で生かされている。

しかし、ここに出てきた宇宙人は、地球人には猛毒である気体で生活していた。

ヤマトはある時、宇宙人の戦艦に体当たりされた時があった。

敵である宇宙人がヤマトに乗り込んできた時、その猛毒の気体をヤマトに流し込み乗り込んできた。


猛毒の気体では地球人は死んでしまうので、逃げ惑っていたが

体制を建て直し、猛毒の気体を除去し酸素でヤマトが完全に満ちていった時

敵である宇宙人は自分の戦艦に逃げていった。

・・・・・・・・・・・・・

僕は

何が言いたいのだろう?


結局、

過ごす為の気体の領域を満たすという行為が、問題解決のカギだ!という事。



僕らはどう考えても猛毒のエリアでは生きていくことが出来ない。

しかし、実際僕らはサタンの支配しているエリアで過ごしている。


実は、過ごすのに問題が出るのは当然なんです。




ダビデさんは何をしたのか?

自分の生きることの出来るエリアの拡大をしていったんだね。

それが賛美であって、神の領域の拡大だ。




神様の領域の拡大をすることで、

サタンは自動的に住むことが出来なくなってくる。


賛美が神様の住まいだから。




問題に立ち向かうのではなく

ただ、神様の領域を意識し、それを拡大する事で問題の解決となる。




コレは目で見る事が出来ない霊の領域。

この状況も知る事が出来るのは、霊に拠らなければ知りえない。


ダビデさんにならって

神様の領域を拡大する為に賛美してみませんか?




今まで知る事のできなかった実際に気付く筈ですよ。。。







心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




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詩59篇 「迎えに来る」 קָדַם カーダム

〔カテゴリー愛顧〕

10節「私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。・・・」(新改訳)
同 「神はわたしに慈しみ深く、先立って進まれます。・・」(新共同訳)

Keyword; 「先に立つ」 go before, precede 17:13/21:3/79:8/119:147,148

  • 語幹のקדמには二つの基本的な概念があります。一つは、「意図して誰かの前に立つ」という意味、あとの一つは、「位置的に先行する」という意味です。新改訳の「迎えに来てくださる」という訳は前者の意味で、新共同訳の「先立って進まれます」という訳は後者の意味で訳されているようです。いずれも、この言葉が神の先行的・先取的恩寵を表わす動詞であることには変わりません。ちなみに、カーダムקָדַם(qadam)は、旧約で26回、詩篇は12回と、これも詩篇特愛用語と言えます。
  • 「神が・・迎えに来てくださる」(新改訳)、あるいは「神が・・先立って進まれる」(新共同訳)と訳されたとしても、「神は、私の敵の敗北を見せてくださる」(新改訳)、「わたしを陥れようとする者を神は、わたしに支配させてくださる」(新共同訳)という結果をもたらします。その意味するところは、神が敵に対して先行的に戦ってくださったので、勝利の刈り取りをすることができたという意味です。
  • カーダムקָדַם(qadam)が礼拝用語として使われている箇所としては、119篇147, 148節があります。「私は夜明け前に起きて叫び求めます。私はあなたのことばを待ち望んでいます。私の目は夜明け前の見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。」とあるように、夜明け前に、誰よりも早く目覚めて神のみことばを待ち望み、みことばを瞑想するという生活は、まさに、先手志向のライフ・スタイルです。後手後手のライフ・スタイルでは得るものは多くありません。世の中で有益な働きをしている人の多くは「朝型人間」だと言われています。詩篇の作者は常に先手志向のライフ・スタイルをもっていたことが分かります。イエス・キリストご自身も超朝型人間でした。
  • カーダムקָדַם(qadam)が恩寵用語として使われている箇所は、59篇10節の他には21篇3節があります。詩21篇では「あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます。」とあり、王に対する神の恩寵をたたえています。神は私たちに対しても、「恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、あなたの一生を良いもので満たされる」方です(詩103篇4, 5節)。
  • ルカの福音書15章のたとえに登場する父は、放蕩息子に対して、まさに先行的恩寵の歓迎をしています。「(放蕩息子は)立ち上がって、自分の父のもとに行った、ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。」(20節) 息子を先に見つけ、走り寄ったのは父の方でした。私たちが神に選ばれ、召され、救われたのも、すべて神の先行的恩寵によるのです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs59

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【詩篇58篇】o19  指揮者のために。「滅ぼすな。」の調べに合わせて。ダビデのミクタム


psm58:1  力ある者よ。ほんとうに、おまえたちは義を語り、人の子らを公正にさばくのか。

psm58:2  いや、心では不正を働き、地上では、おまえたちの手の暴虐 を、はびこらせている。

psm58:3  悪者どもは、母の胎を出たときから、踏み迷い、偽りを言う者どもは生まれたときからさまよっている。

psm58:4  彼らは、蛇の毒のような毒を持ち、その耳をふさぐ耳しいのコブラのようだ。

psm58:5  これは、蛇使いの声も、巧みに呪文を唱える者の声も、聞こうとしない。

psm58:6  神よ。彼らの歯を、その口の中で折ってください。主よ。若獅子のきばを、打ち砕いてください。

psm58:7  彼らを、流れて行く水のように消え去らせてください。彼が矢を放つときは、それを折れた矢のようにしてください。

psm58:8  彼らを、溶けて、消えていくかたつむりのように、また、日の目を見ない、死産の子のようにしてください。

psm58:9  おまえたちの釜が、いばらの火を感じる前に、神は、生のものも、燃えているものも、ひとしくつむじ風で吹き払われる。

psm58:10  正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の血で洗おう。

psm58:11  こうして人々は言おう。「まことに、正しい者には報いがある。まことに、さばく神が、地におられる。」

。。。。。。。。。。。



おはようございます。

連休はどうでしょう?今大阪は天気なんですが・・・雨の予報なんだよね。


晴れてる間に思いっきり遊んでやる~!!



ってな事で、今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm58:3  悪者どもは、母の胎を出たときから、踏み迷い、偽りを言う者どもは生まれたときからさまよっている。

・・・・・

psm58:10  正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の血で洗おう。





悪者ども・・・

それは、僕は対象を人に目がけて言ってるんではないんだと思う。


何故か?

人はサタンを主人と選択する事で、サタンによって心を汚染され悪者という存在と呼ばれる。

しかし、その悪者も一瞬の内に汚れが清められる。



僕らは一瞬の内に汚れる事も出来るし

一瞬の内に清められ、正しい者として生きることも出来る存在。



それは選択による。

今、僕らは何を選び、何に従おうと心に決めるかどうかってだけ。



僕らは「今」何を選んでいる?





サタンはこの世を支配し、僕らの身体を支配し

小さな僕ら自身の声のように囁き、過去の悪いイメージを将来に当てはめながら

僕らの心を支配して


・・・サタンの用意した答えを選ぶように導いていく。





例えば、

今の問題を心に一杯にし、将来を今の延長線上にイメージさせ

『 問題は絶対解決されない・・・このまま行けば心労で倒れちゃう。 』 なんてね。



コレに対抗できるのは何処に立つのか?という選択しかない。

それは、サタンに支配されてても唯一大丈夫なポジション。


神様の大庭。

psm100:1  全地よ。主に向かって喜びの声をあげよ。

psm100:2  喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。

psm100:3  知れ。主こそ神。主が、私たちを造られた。私たちは主のもの、主の民、その牧場の羊である。 

psm100:4  感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。

psm100:5  主はいつくしみ深くその恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。




この世はサタンに支配されてるから

身体もその内に在る魂もどうしてもサタンに支配されがちに違いない。

幾ら頑張ってもそこからいつも正しい選択が出来る人は少ない。


神様は身体も魂にも自由を与えたくて、神様の領域に入る方法を用意されている。

それが

感謝であり、賛美だ。


感謝は、神様を信じていない人も出来る。

様々な宗教や成功哲学が教えているように

感謝は僕らの心と身体に、神様って方の香りを味あわせてくれる。



皆そこで満足しちゃうんだけど

でも、本当はその先がある。神様が味あわせたいのは・・・真の自由であり、真の喜びだ。


僕らには賛美を通して本当に神様の領域を知って欲しいと願っているように思えてならない。





この神様の領域に入ると

神様の用意される実際に導かれていくから。

 

mat7:9  あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。

mat7:10  また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。

mat7:11 してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いもの を下さらないことがありましょう。



神様はホンマに愛なんだ。

本気で僕らを大切に思ってくれてる方。



だから、心配しないで大胆に祈ってみませんか?

サタンの領域に居ると

・・・きっと僕の祈りなんか聞いてくれない。

こんな生活しながら、神様に祈りを聞いてもらうなんて自分勝手すぎるしアカンよね。なんてね。



大丈夫。

神様は本当に愛の方なんだから。



この世がサタンに支配され感情を利用して神様の約束をとらせないようにしようとするけど

ホンマに大丈夫。



どーせ選ぶなら

僕らを大切にし、愛してくれる神様を選べますように!!






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



。。。。。。。。。。

 

【詩篇57篇】o19  指揮者のために。「滅ぼすな。」の調べに合わせて。

ダビデのミクタム。ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに


psm57:1  神よ。私をあわれんでください私をあわれんでください 。私のたましいはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。

psm57:2 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神 に。

psm57:3  神は、天からの送りで、私を救われます。神は私を踏みつける者どもを、責めておられます。セラ 神は恵みとまことを送られるのです。

psm57:4  私は、獅子の中にいます。私は、人の子らをむさぼり食う者の中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。

psm57:5  神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

psm57:6  彼らは私の足をねらって網を仕掛けました。私のたましいは、うなだれています。彼らは私の前に穴を掘りました。そして自分で、その中に落ちました。セラ

psm57:7  神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。

psm57:8  私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。

psm57:9  主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。

psm57:10  あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。

psm57:11  神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。

。。。。。。。。。。


おはよございます。

今日はお休みなのです。・・・本当に休みなのでどうしようと。。。

折角なのでゆっくり考えま~す。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm57:2 私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神 に。


 





私のために・・・?

神様が個人的に・・・私なんかのために??


立派な人の祈りは聞けても・・・私の祈りなんか、丸めて捨てるくらいの僕の思いなんか・・・。

なんて思ったりしませんか?



でも

バイブルの僕らの神様は一人一人を本気で大切に大切にしてくれる。

本当に。

僕らの呼ばわる声に耳を傾けてくれる方と出会えたら、

そっりゃ~!!嬉しいよね。



初めは嘘やん・・そんな神様。なんて思ってても

もしかしたら、

もしかしたら・・・って考えて、呼ばわってみたら。。。

結構解ってくるものだ。



だって

ジーザスはこう語ってる。


jhn10:9  わたしは門です 。だれでも、わたしを通ってはいるなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。

jhn10:10  盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。

jhn10:11  わたしは、良い牧者 です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。





僕ら羊がいのちを得、それを豊かに持つためなんだって。

僕らが豊かだと思えないのなら

呼ばわってみませんか?




でも、ダビデさんも感情では豊かさを体感できていなかったようですね。

psm57:8  私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。私は暁を呼びさましたい。





肉体に制限された僕ら人間は解らない時が多い。

だから、ダビデさんは真理の目が開かれて、

神様がされる実際を疑わずに信じて言葉を発する事を求めている。




僕らは真理への目が開かれて無いだけで

神様の実際によって事実へと導かれていく。。


僕らはその事実を受け取っているだろうか?

その事実を受け取る為には

信じる事が必要。


神様が用意されている実際を。




僕らはもしかしてサタンの囁きの方を信じてるのかも。


『 神様は忙しいし

  チッポケで何もしてない僕らになんか目を向ける事なんかないぞ・・・。 』 


なんてサタンの声を聞いてるとね、こんな言葉で身体をごと洗脳されていく。


 ・・やっぱり、得られない。。

 ・・どうしようもない。

 ・・神さまに祈ったけど・・・聞いてくれなかった・・・。





僕らは誰の声を聞く?

いつもの様に サタンの声??


それとも神様の変わらない実際を信じて言葉として発しますか?

ダビデさんの様に。




それは

僕らにいのちを得て、豊かに過ごして欲しいという神様の声を信じる事だね。





問題を通して将来が見えなくても

神様が僕らの声を聞いて備えられている将来は絶対に変わらない。

私のたましいよ。目をさませ。



ダビデさんと共にたましいに命令しながら共に豊かさを求めていきましょうね。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.



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詩57篇「すべてを成し遂げる」 גָּמַר ガーマル

〔カテゴリー統治〕

2節「私はいと高き方、神に呼ばわります。私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。」(新改訳)

Keyword; 「すべてを成し遂げる」 fulfill, 7:9/12:1/57:2/77:8/138:8

  • 作者が神をどのように信じていたかを表わす信仰告白をこの詩篇では「すべてを成し遂げる神」と表現しています。「すべてを成し遂げる」と訳されたガーマルגָּמַר (garmar)は、旧約で5回、すべて、詩篇で使われている言葉です。詩篇特愛用語です。
  • ガーマルגָּמַר(garmar)の原義は、終わる、終わらせる、あとがない、永久に絶つという意味ですが、恩寵的な意味で用いられている場合には、神がひとたび約束されことは必ず実現してくださるという意味で使われています。詩篇の57:2と138:8は、いずれも神の個人に対する恩寵として使われています。
    「私のために、すべてを成し遂げてくださる神に」(57:2)
    「主は私にかかわるすべてのことを、成し遂げてくださいます。」(138:8)
  • 神は約束の実現者であり、遂行者であるという告白であり、確信です。同義語としてはシャーレムשָׁלֵם(shalem)「報いる、誓いを果たす」があります。
  • 信仰の父と言われたアブラハムの生涯は、ただ神の約束にだけ基づいて生きる生涯でした。彼は神の約束の言葉に生涯を賭けて、故郷を捨て、まだ見ぬ未知の土地に向かって旅立ちました。また、彼はカナンの地を与えるとの約束を信じ、またそれを受け継ぐべき子孫が、空の星のようになると言う神の約束を信じました。さらには、約束を受け継ぐイサクを捧げよとの命令を受けた時にも、神の約束は死によっても廃ることはないと信じました。こうして、アブラハムはすべて神を信じる者たちの父となったのです。彼のように神の約束に自分の全存在を賭けて生きること、これが信仰であり、神と人とのかかわりの基本といえます。
  • アブラハムに対する神の約束はいまだ完全には実現していません。しかし、歴史は着実にその実現に向けて進んでいます。その約束の保証はイエス・キリストの十字架と復活の出来事です。その出来事は、アブラハム(あるいはダビデ、イスラエル)に対してなされた神の約束の成就のしるしであり、また同時に、キリスト再臨時における完全な成就の保証といえます。
  • 旧約聖書には「約束する」という固有の動詞はありません。それに相当するへブル語はアーマルאָמַר(’amar)です。「言う、語る」という意味です。神がひとたび語られたことは必ずそのとおりになるという意味のガーマルגָּמַר(garmar)、この二つのヘブル語の語幹を見ると、頭の文字がアーレフ(א)とギメル(ג)の違いこそありますが、とても近似しています。語源的に何か密接な関係があるのかもしれません。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs57

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