御翼の温もりを感じる事ができますか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

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【詩篇61篇】o19  指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデによる


psm61:1  神よ。私の叫びを聞き、私の祈りを心に留めてください。

psm61:2  私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ

psm61:5  まことに、神よ。あなたは私の誓いを聞き入れ、御名を恐れる者の受け継ぐ地を私に下さいました。

psm61:6  どうか王のいのちを延ばし、その齢を代々に至らせてください。

psm61:7  彼が、神の御前で 、いつまでも王座に着いているようにしてください。恵みとまこととを彼に授け、彼を保つようにしてください。

psm61:8  こうして、私は、あなたの御名を、とこしえまでもほめ歌い、私の誓いを日ごとに果たしましょう。

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おはようございます。

昨日は子供を寝かしつけるのに・・自分もそのまま寝てしまった。。

残念。。



では、早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ






もし、ダビデさんの様に僕らの敵が迫ってきた時

僕らを助けてくれる人が居なかったら、僕らは命を守る為に逃げ回らなければならない。

寝ても覚めても、心には不安が溢れ、涙もかれるほどの状況に違いない。


絶対の打ち破られる事の無い砦があったなら、どれだけ安心だろうか?

僕らはそこに入って、何も考えずに休む事が出来るに違いない。





ダビデさんはその(やぐら)砦を見つけられた。

それは、神様の住まれる所(幕屋)であり、御翼の温もりを感じられる場所。



ダビデさんが見つけられたって事は、それは僕らのモノでもあるのだろうか?



そう。

神様はダビデさんと同様に愛してる僕らにも其処に留まって欲しいと願っている。



この世はサタンが支配し、心も身体も絶えず攻撃される領域だから。

神様は大きな御翼を広げて、『 早く戻っておいで・・ 』って僕らを待っておられる。


僕らは実はそんな神様によって創られたんだから。

大切な友。大切な子供として。。




だから、今日も神様って見えないし・・・って自分の肉体による判断で選択しないで

バイブルを通して実際に存在し愛している神様がいると信じてみませんか?


不安の中をいつまでもさまよう事なんてない。

神様は、僕ら一人一人を待っているんだから。




ダビデさんにかけられた声は、同時に僕らにかけられている。




こんなお前なんか・・・

こんな状態でエエ訳ないやん・・・


サタンが支配する世の中だから、絶えずこんな囁きを僕らは聞いているだろうけど。

サタンの声に知らず知らずに選び、汚れてみすぼらしい自分自身を見るかもしれない。



でも

神様の愛を侮らないでね。



そんな状態をも一瞬の内に清くする事が出来るんだから。


だから、サタンの囁きに耳を傾けないで

ダビデさんと一緒に言葉を発してみませんか?

psm61:3  まことに、あなたは私の 避け所 、敵に対して強いやぐらです。

psm61:4  私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいのです。セラ



大丈夫。

僕らがそれを選択して言葉を発する事が僕らを御翼に導くから。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.






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詩61篇「導く」 נָחָה ナーハー

〔カテゴリー賦与〕

2b節「どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」

Keyword; 「導く」 lead, guide, 5:8/23:3/27:11/31:3/43:3/60:9/61:2/67:4/73:24/77:20/78:14, 53, 72/107:30/108:10/139:10, 24/143:10

  • 「導いてください」と嘆願している「導く」というナーハーנָחָה(nachah)は詩篇特愛用語の一つです。旧約で39回、そのうち18回が詩篇で用いられています。その多くは「導いてください」という嘆願の祈りの中で使われていますが、23篇3節、および、詩78篇14節と53節には、2度、肯定的に神の恩寵としての導きが述べられています。
  • 私たちは、日毎に、神の導きを経験しているかどうか、神が自分の生涯に備えられた道を歩みそこなっていないかどうかを点検する必要があります。なぜなら、「主は、…御名のために、私を義の道に導かれます。」(23:3)とあるとおり、主の導きは神の子どもに与えられた特権であり、実り多い生涯を送れるようにと神が愛のうちに備えてくださったものだからです。「御名のために」とは、「神ご自身が、ご自分の名にかけて」という強い責任を表わすことばです。
  • また、イザヤ58:11には「主は常にあなたを導き」とあります。「常に」とは「継続的に」と言う意味です。私たちが意識してもしなくても、神の導きは継続的です。父である神は、本質的に与えることを喜びとする神であり、子である私たちの益のために、つまり、ご自分のきよさにあずからせようとして懲らしめることをする方です (ヘブル12:10)。大切なことは、神ご自身が私たちを導きたいと切に望んでおられるということです。
  • 詩61篇では、まさにダビデが「心が衰え果てた」(2節)危機的な状況の中で、「どうか、私の及びがたい高い岩の上に、私を導いてください」と神の導きを求めて祈っています。「及びがたいほど高い岩の上」とは、ある確かな地位と立場を意味します。つまり支配、力、権威、権力、主権が与えられる地位と立場です。この地位と立場を一度失えば、復権は困難です。しかしダビデはこの状況の中から、いわばあり得ない復権への導きを祈っているのです。
  • 聖書の中には、感動的な神の導きの実例があふれています。しかしそれは決して特別なことではなく、正常なこと、当然のことなのです。私たちが神の子どもとしてふさわしく整えられていくためのあらゆる導き、霊的な成長、選択、決断、経済やセキュリティも含めた日々の生活のすべてにおいて神は当然のごとく導いておられます。それは神の子どもに対する御父の愛なのです。
  • ナーハーנָחָה(nachah)の類義語にナーハグנָהַג(nahag)があります。ほとんど同義語で神の先取的行為としての「導き」を意味しています。ナーハグנָהַג(nahag)は旧約で30回、詩篇には4回だけ使われています。48:14/78:26, 52/80:1/を参照。特に詩78篇でこれらの二つのことばが使われているのはとても興味深いところです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs61

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