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【詩篇55篇】o19 指揮者のために。弦楽器に合わせて。ダビデのマスキール
psm55:1 神よ。私の祈りを耳に入れ、私の切なる願いから、身を隠さないでください。
psm55:2 私に御心を留め、私に答えてください。私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいています。
psm55:3 それは敵の叫びと、悪者の迫害のためです。彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています。
psm55:4 私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。
psm55:5 恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。
psm55:6 そこで私は言いました。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。
psm55:7 ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。セラ
psm55:8 あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい。」
psm55:9 主よ。どうか、彼らのことばを混乱させ、分裂させてください。私はこの町の中に暴虐と争い を見ています。
psm55:10 彼らは昼も夜も、町の城壁の上を歩き回り、町の真中には、罪悪と害毒があります。
psm55:11 破滅は町の真中にあり、虐待と詐欺とは、その市場から離れません。
psm55:12 まことに、私をそしる者 が敵ではありません。それなら私は忍べたでしょう。私に向かって高ぶる者が私を憎む者ではありません。それなら私は、彼から身を隠したでしょう。
psm55:13 そうではなくて、おまえが。私の同輩、私の友、私の親友のおまえが。
psm55:14 私たちは、いっしょに仲良く語り合い、神の家 に群れといっしょに歩いて行ったのに。
psm55:15 死が、彼らをつかめばよい。彼らが生きたまま、よみに下るがよい。悪が、彼らの住まいの中、彼らのただ中にあるから。
psm55:16 私が、神に呼ばわると、主は私を救ってくださる。
psm55:17 夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく 。すると、主は私の声を聞いてくださる。
psm55:18 主は、私のたましいを、敵の挑戦から、平和のうちに 贖い出してくださる。私と争う者が多いから。
psm55:19 神は聞き、彼らを悩まされる。昔から王座に着いている者をも。セラ 彼らは改めず、彼らは神を恐れない。
psm55:20 彼は、自分の親しい者にまで手を伸ばし、自分の誓約を破った。
psm55:21 彼の口は、バタよりもなめらかだが、その心には、戦いがある。彼のことばは、油よりも柔らかいが、それは抜き身の剣である。
psm55:22 ★ あなたの重荷 を主にゆだねよ 。主は、あなたのことを心配 してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
psm55:23 しかし、神よ。あなたは彼らを、滅びの穴 に落とされましょう。血を流す者と欺く者どもは、おのれの日数の半ばも生きながらえないでしょう。けれども、私は、あなたに拠り頼みます。
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おはようございます。
週の半ばを過ぎて、残りまた僅かですね。
連休もあるし、
今週は踏ん張りましょうね。
では早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まった言葉はコレ。
psm55:22 ★ あなたの重荷 を主にゆだねよ 。主は、あなたのことを心配 してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
重荷・・・自分で負うとシンドイ。。。
誰もが・・・シンドイものだ。
でも、誰かが傍にいて、その重荷を負ってることに心配してくれるだけで頑張れるときもある。
ここでの原義はどんなだろう?
「あなたの重荷を主にゆだねよ」と。「ゆだねる」と訳されたシャーラフשָׁלַך(shalakh)の原義は、「ころがす、投げかける」という意味です。高いところから石を転がせば、石はどこへ向かって転がっていくかわかりません。でも、主は「転がせ」と言われます。なぜなら、「主があなたのことを心配してくださる」からです。なんという心温かいことばでしょうか。
イエス・キリストも「すべて疲れた人、重荷を負った人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われましたが、この詩55篇22節の新約版と言えます。「休ませる」ということばは、単なる身体の休息というよりも、たましいの休息、心の安息、安心を意味し、究極的には神にある生存の保障を意味することばです。
人間の心配とは全く違いますね~。
だから、出来る力で転がすだけで良いんだね。
転がそう!
今出来る力でエイ!って。 ね。
大丈夫。
僕らはそれでOKなんだ。
優しい神様が僕らの全てを受け止めて保証してくれるんだから。
今日も一歩。
重荷を転がしながら、受け止めてくれる方を体験しましょうね。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩55篇「心配する」 כּוּל クール
〔カテゴリー育成〕
22 節「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる。主は決して正しい者がゆるがされるようなことはなさらない。」(新改訳)
Keyword; 「心配する、支える、迎え入れる」sustain, provide,
- 22節は三つの文節からなっています。後の二つの文節にある恩寵動詞―「心配する」と「ゆるがされるようにはなさらない」―がみられます。
- 後者の「ゆるがされるようにはなさらない」の直訳は「与えない、永遠に、つまずきを、義人に」です。「つまずきを与えない」という原文を様々に訳しています。「動揺しないようにはからってくださる。」(新共同訳)、「ゆるさない・・揺らぐのを」(岩波訳)、「ゆらぐのをとこしえに許されない」(フランシスコ会訳)
- 後の二つの文節の前者にある「心配してくださる」のクールכּוּל(kul)の原義は「養う、扶養する、老後を看取る」です。これは生存を保障する強い言葉です。岩波訳では「迎え入れる」と訳しています。旧約で38回、詩篇では2回(55:22/112:5)です。
- 私たちはそれぞれ様々な重荷を抱えています。自分に与えられた仕事、家族を扶養する責任、人として社会の中で果たすべき責任・・それらはみなある意味で重荷となります。そしてそれは明日への不安や恐れをもたらします。たとえ今良かったとしても、果たしてこれからもという安心の保障が得られない時、また自分の能力や健康に自信を失う時、生きること自体が重荷となります。人生の重荷のゆえに、生存が不安になるのです。
- そのような者に神は語られます。「あなたの重荷を主にゆだねよ」と。「ゆだねる」と訳されたシャーラフשָׁלַך(shalakh)の原義は、「ころがす、投げかける」という意味です。高いところから石を転がせば、石はどこへ向かって転がっていくかわかりません。でも、主は「転がせ」と言われます。なぜなら、「主があなたのことを心配してくださる」からです。なんという心温かいことばでしょうか。
- イエス・キリストも「すべて疲れた人、重荷を負った人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげよう」と言われましたが、この詩55篇22節の新約版と言えます。「休ませる」ということばは、単なる身体の休息というよりも、たましいの休息、心の安息、安心を意味し、究極的には神にある生存の保障を意味することばです。
- ちなみに、この詩55篇22節のことばは、落ち目を経験したダビデに対して、敵が皮肉をこめて言ったことばです。おそらくダビデはこのようなことをいつも言っていたのかもしれません。しかし、その告白はある出来事を通して、その真価が問われることとなったのです。私たちも、順境のときに告白した神への信仰のことばが、逆境のときにも同じように告白できるかどうか、必ず問われるときが来るのだというのが、この詩篇がマスキール(教訓)とされていることの所以かもしれません。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs55
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