へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -20ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇46篇】o19  指揮者のために。コラの子たちによる。アラモテに合わせて。歌。


psm46:1 神はわれらの避け所 、また力。苦しむとき 、そこにある助け

psm46:2  それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。

psm46:3  たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、その水かさが増して山々が揺れ動いても。セラ

psm46:4  川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都 を喜ばせる。

psm46:5  神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。神は夜明け前にこれを助けられる。

psm46:6  国々は立ち騒ぎ、諸方の王国は揺らいだ。神が御声を発せられると、地は溶けた。

psm46:7  万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

psm46:8  来て、主のみわざを見よ。主は地に 荒廃をもたらされた。

psm46:9  主は地の果てまでも戦いをやめさせ 、弓をへし折り、槍を断ち切り、戦車を火で焼かれた。

psm46:10  「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間で あがめられ、地の上であがめられる。」

psm46:11  万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。セラ

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日から子供は学校が始まる。朝からバタバタ久しぶりにしてる。


では早速今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm46:1 神はわれらの避け所 、また力。苦しむとき 、そこにある助け

psm46:2  それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。





どんな事があっても

神はわれらの避け所 であり、また力。苦しむとき 、そこにある助け なんです。

なんです。

どんな事があっても・・・・。



だから、大丈夫なんです。




でも

なんで大丈夫と云えるんでしょうか?

・・・解りません。

ただ、神様がそういわれているから・・だけなんです。





今見える世界がどんなに失望を誘おうとも

僕らは失望を受け取ることは要らない。


見える世界から真実が見えるわけではないから。






だから

psm46:2  それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。


と、見える世界と逆らっても、こう叫ぶ事が出来る。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.


・・・・・・・・・・

詩46篇「まなかにいます」 קֶרֶב ケレヴ

〔カテゴリー統治〕

5節「神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。」(新改訳)
5節 God is within her, she will not fail. (NIV)

Keyword; 「真中」 among , within, in the midst of, inner part

  • 「まなかにいます」と訳れたことばの原文には、動詞はなく、前置詞のべ(בְּ)と名詞のケレブקֶרֶב(qerev)とが結びついた語彙です。「真中」「ただ中」「最中」「心」「心の中」「(私の)うち」を表わします。詩110篇22節では「私の心は、私のうちで傷ついています」とあり、「心」と「うち」を別のものとしています。詩74篇11節では「ふところ」(新改訳)と訳しています。このように、ケレヴקֶרֶב(qerev)は、より中心的な部分、その人全体を支えている最も重要な部分を指し示しているようです。そうした深いところに神がおられるならば、決してゆるがされないと言えます。そんなシークレットなかかわりをもっていたモデルは御子イエス・キリストです。彼は御父の「ふところにおられた」方でした。
  • 最も深い、内なる真中にあるものは、私たちの目には見えないものです。詩46篇4節の「川がある」(正確には、「一つの川がある」)とありますが、この川はおそらく、ヒゼキヤがエルサレムの町を守るために籠城用に造ったものであり、その源泉はギホンの泉でした。そこから555mものトンネルを掘って水路にしたのです。敵はそんなこととはつゆ知らず、エルサレムを包囲している最中に疫病でほとんどの兵士が死んだのでした。
  • 「川がある。その流れは、いと高き方の聖なる住まい、神の都を喜ばせる。神はそのまなかにいまし、その都はゆるがない。」(4, 5節)ここにある「川とその流れ」は、新約における聖霊のたとえと考えることができます。神は聖霊を通して、私たちの「まなかにおられる」のです。その聖なる住まいは私たちの身体であり、それは決してゆるがされることがないのです。
  • もし反対に、私たちの心のうちに、神ではなく、思い煩いや恐れがあるとすれば、必ずや、ゆるがされて倒れるときが来るということになります。なぜなら、「恐れ」があるなら、力が与えられるどころか無力になるからです。良い知恵が与えられるどころか、愚かな決断を下してしまいやすいからです。さらに、神の臨在さえ感じなくさせてしまうからです。「愛」と「恐れ」は相入れません。むしろ、「愛は恐れを締め出し」ます。
  • 神が私とともにおられるだけでなく、わたしの内に、その真中におられることを信じなければなりません。そうするなら、詩46篇の作者とともに、「われらは恐れない」と言えます。使徒パウロはその奥義を次のように語りました。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs46

・・・・・・・・・・

(^O^)/こんにちは。


昨日からの子供のリクエストで、今日も教会から帰って

家のプールをしようと考えていたけど・・・。


素晴らしい。。。雨で予定をまたパスする事に。


僕としては雨でもどうせ濡れるんだし・・約束だし・・

子供はそれで満足するんだし・・

でも、

何処の家庭もそうかもしれませんが、

嫁が今日はなしと云えば誰が何を云ってもダメなのです。





では、早速今日も勝手にワーシップタイムおおくりしますね。





今日のテーマは
「 神の福音とはなにか?」



今日の箇所はローマ人の手紙をパウロさんが記された箇所。


パウロさんは以前からローマにいきたいと願っていた。

パウロさんはローマに行く事になる。

それは、捕らえられ、

裁判を受ける為に。



神様は不思議な事をされる。





今日語られる福音
これまた、不思議な事なのかもしれない。





福音とは神様からのプレゼント。

人は、サタンに支配された世の中で、

知らず知らずにズレてサタンに従い汚れていく。

サタンの囁きによってズレる事を「罪」と呼ばれている。


実は罪の報酬は「 死 」だとバイブルには記されている。

サタンを滅ぼす為の「 死 」で人が滅ぼされることの無い様に

ジーザスは生まれた。

ジーザスは全ての人の罪を帳消しにするために、

全ての罪を背負って十字架で死なれた。



ジーザスを信じるモノは全て自らが犯した罪を帳消しにされる。

これはただ一方的な神様の愛による。



jhn3:16 神は、実に、そのひとり子
をお与えになったほどに、世を
愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち
を持つためである。




コレが福音。








この福音は頑張って・・・善行をするから、

受け取れるというモンじゃない。

ただ信じるコトで与えられる。全ての人が受け取る為の神様からのプレゼント。



では

信じるとはどういう事なんだろう。




ここで一つたとえ話。
ナイアガラで張られたロープを一輪車で渡る話。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聞いた事あります?




かなり長い距離・・・
谷でどんな風が吹くか分からない。当然、落ちれば命を必ず落としてしまう。


ドキドキしながら、

観衆はその一輪車乗りを見つめ続けた。




・・普通にわたるだけでも難しい綱渡りを

なんと一輪車で渡る事ができました!


観衆は、拍手喝采で成功を祝った。

そこで、一輪車乗りの方が一言。

「では、私は肩に人を乗せて同じ様に一輪車で渡る事ができると思いますか?」
観衆は「出来る!出来る!!」はやしたてます。




一輪車乗りは、目の前の人に
「ならば、あなたが肩に乗って貰えますか 」と尋ねた。


返事は「・・・・・。」




尋ねられる人
尋ねられる人、皆が言葉を失い、断っていくなか、ある一人の子供が応答した。


「僕が乗るよ。」


一輪車乗りは、その子供を肩に乗せてロープを始めから終わりまで渡り切った。




肩に乗った子供は
一輪車乗りの子供だった。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


この話の中に信じる事はどんなモノか知る事が出来る。




信じる事とは
①知る事
②信頼する事
③委ねる事
だというコトも出来る。



一輪車乗りの子供は
お父さんが渡るコトを知っており
僕を乗せても渡り切るコトを信頼しており
そのお父さんに命も委ねた。




信じるとは
知る事に留まらない。



僕らには

命を預ける事の出来る人は居るだろうか?




問題がある時にしか気付けないことがある。


自分の弱さ・貧しさを問題を通して知る時に

僕らはそういった本当に必要な問題を直視することになる。




じっくり静かに考える時が出来ますように。


今週も問題はいろいろあるでしょうが、

信頼できる人はいつでも直ぐ傍に居てるから大丈夫。





今週も見える世界だけでなく
見えない真理にも意識を向けて過ごしたいモノですね。




では。

此処からが今回の箇所。
。。。。。。。。。。


rom1:8
まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

rom1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、

rom1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。

rom1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。

rom1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。

rom1:13
兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。

rom1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。

rom1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。

rom1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

rom1:17
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。(→ハバクク2:4★)
。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇45篇】o19  指揮者のために。「ゆりの花《の調べに合わせて。コラの子たちのマスキール。愛の歌


psm45:1  私の心はすばらしいことばでわき立っている。私は王に私の作ったものを語ろう。私の舌は巧みな書記の筆。

psm45:2  あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福し ておられるからだ。

psm45:3  雄々しい方よ。あなたの剣を腰に帯びよ。あなたの尊厳と威光を。

psm45:4  あなたの威光は、真理と柔和と義のために、勝利のうちに乗り進め。あなたの右の手は、恐ろしいことをあなたに教えよ。

psm45:5  あなたの矢は鋭い。国々の民はあなたのもとに倒れ、王の敵は気を失う。

psm45:6  神よ。あなたの王座は世々限りなく、あなたの王国の杖は公正の杖。

psm45:7  あなたは義を愛し 、悪を憎んだ。それゆえ、神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたにそそがれた。

psm45:8  あなたの着物はみな、没薬、アロエ、肉桂のかおりを放ち、象牙のやかたから聞こえる緒琴はあなたを喜ばせた。

psm45:9  王たちの娘があなたの愛する女たちの中にいる。王妃はオフィルの金を身に着けて、あなたの右に立つ。

psm45:10  娘よ。聞け。心して、耳を傾けよ。あなたの民と、あなたの父の家を忘れよ。

psm45:11  そうすれば王は、あなたの美を慕おう。彼はあなたの夫であるから、彼の前にひれ伏せ。

psm45:12  ツロの娘は贈り物を携えて来、民のうちの富んだ者はあなたの好意を求めよう。

psm45:13  王の娘は奥にいて栄華を窮め、その衣には黄金が織り合わされている。

psm45:14  彼女は綾織物を着て、王の前に導かれ、彼女に付き添うおとめらもあなたのもとに連れて来られよう。

psm45:15  喜びと楽しみをもって彼らは導かれ、王の宮殿にはいって行く。

psm45:16  あなたの息子らがあなたの父祖に代わろう。あなたは彼らを全地の君主に任じよう。

psm45:17  わたしはあなたの名を代々にわたって覚えさせよう。それゆえ、国々の民は世々限りなく、あなたをほめたたえよう。


。。。。。。。。。。


おはおうございます。

昨日は休日だったので、ヨッシャ子供達をプールにと浜寺公園へ車を向かわせたのですが・・・

スコール。

残念。



断念。



Uターン。



ま。

色々ありますね。近くの子供服の古着屋で買い物をして帰りました~。

では今日も早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm45:2  あなたは人の子らにまさって麗しい。あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福し ておられるからだ。







神様からの祝福。

唇からの優しさを味わったことありますか~?

ここでは、確かにそのように記されてますね。



僕らは直ぐに、それを受けた・受けないと判断を感覚で判断しようとする。

でも、もしかしたら

感覚がそう捉えていなくても、僕らは祝福されていると知ることが出来るのかもしれない。


神様が語られている言葉によって。






神様は僕らに語り続けた。

僕はあなたを愛しているよ。って。いつでも。昔から。


でも、言葉だけじゃ、みんな信じることが出来なかった。

そして言葉だけじゃ、神様もサタンに従って汚れる人たちの汚れを除くことが出来なかった。

だから、言葉として

ジーザスがこのチッチャな地に、しょうもない人を愛するが故に生まれてくださった。

 

jhn1:1 初めに 、ことばがあった 。ことばは神とともにあった。ことば 神であった

jhn1:2  この方は、初めに 神とともにおられた。

jhn1:3  すべてのものは、この方によって造られた 。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

jhn1:4   この方に いのちがあった。このいのちは人の光 であった。

jhn1:5  光はやみ の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった



僕らはサタンの支配下におかれ

日々空しさのなかで生活を強いられている。

しかし、ジーザスを信じるものは、誰もがこれを体験することになっていく。

 

jhn1:5  光はやみ の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった







あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。神がとこしえにあなたを祝福し ておられるからだ。


解ってきますね。


不思議です。








今、僕らは感覚的に神様の愛を感じられないかもしれない。

でも、イイんです。


何故か?

それは、神様のくちから出るのは約束だから。



感覚で受けたから、受けたのではなく

既に約束が与えられているから、僕らは祝福されている・・・という事ですもんね。





大丈夫。

だって。

jhn1:5  光はやみ の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった なんだもん。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.


・・・・・・・・・・

詩45篇(1)「流れ出る」 יָצַק ヤーツァク

〔カテゴリー賦与〕

2節「・・あなたのくちびるからは優しさが流れ出る。
神がとこしえに祝福しておられるからだ。」
(新改訳)
2節「・・あなたのことばは優しさにあふれている。永遠にあなたは神様の祝福に
包まれる人。」(LB訳)
2節 ・・Grace is poured upon Thy lips; Therefore God has blessed Thee forever.(NASB)

Keyword; 「流れ出る」 pour out, cast, be anointd, 41:8/45:2

  • この詩45篇は王をたたえる歌ですが、この王は、「あなた」とも「雄々しい方」とも、「神よ」とも呼ばれています。ヘブル人への手紙では6~7節を引用して、はっきりとこの「王」とは御子イエス・キリストのことであると述べています。つまり、この詩45篇は神の御子をたたえる預言的詩篇と言えます。
  • この王をたたえる賛美は、作者の心の沸き立っているものが筆を通してあふれ出たものです。その最初の賛辞は「あなたは人の子らにまさって麗しい(beauty,ヤーファー''יָפֶה)。あなたのくちびるからは優しさ(grace, חֶן)が流れ出る。神がとこしえに祝福しておられる(バーラフבָרַך)からだ。」としています。
  • 「流れ出る」(関根訳「湧き流れる」、岩波訳「あふれる」、バルバロ訳「(唇に)ただよう」と訳された動詞はヤーツァクיָצַק(yatsaq)です。旧約で51回ですが、、詩篇では2回しか使われていません。ヤーツァクיָצַק(yatsaq)の意味は、
  • ①「金属を溶かして鋳造する」(出25:12, 38:27)、
  • ②「記念セレモニーとして油を注ぐ」(創28:18, 35:14)、
  • ③終末論的な意味でイスラエルの回復のために、聖霊の注ぎを象徴する意味で「水を注ぐ」(イザヤ44:3)という意味があります。これはやがて使徒の働き2章に記されている聖霊降臨の出来事によって実現されました。
  • しかし詩45篇2節のそれは、神に祝福されたくちびるを通して流れ出てくることばによって人々を祝福するといったイメージです。
  • 確かに、御子イエスのくちびるを通して流れ出た優しさは、神の恵みに満ちたものでした。彼は「いたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない」お方として、人々にかかわりました(マタイ12:20)。また、イエスの口から出る言葉を聞いた人々は、「その口から出て来る恵みのことばに驚いた」(ルカ4:21)とあります。私たちも日々、神が遣われた方のくちびるを通して語られた恵みのことばに養われる必要があります。なぜなら、主の恵みのことばこそ、私たちを力づけ、励まし、希望の光を与えてくれるものはないからです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs45%281%29

・・・・・・・・・・

詩45篇(2)「(油を)注ぐ」 מָשַׁח マーシャフ

〔カテゴリー賦与〕

7節「神よ。あなたの神は喜びの油をあなたのともがらにまして、あなたに注がれた。」
(新改訳)

Keyword; 「(油を)注ぐ」 anoint, 45:7/89:20

  • 油を「注ぐ」と訳されたマーシャフמָשַׁח(mashach)は、旧約で70回、詩篇には45:7と89:20の2回です。89:20には「わたしは、わたしはのしもべダビデを見出し、わたしの聖なる油を彼に注いだ」とあります。この出来事は、サムエル記第一16:13に記されています。イスラエルの最初の王サウルは、神から王となるための油を、サムエルを通して注がれましたが、神への不従順のために、次の王となるダビデに油を注がれました。
  • 旧約では、王、祭司、そして預言者たちがその働きを神のみこころにそって務めることができるために、神からの任職の油が注がれました。この「油を注がれた者」は、マシーアッハמָשִׁיחַ(mashiach)、すなわち、「メシア」と呼ばれます。
  • マシーアッハמָשִׁיחַ(mashiach)は旧約では39回、詩篇では10回この名詞が使われています(2:2/10:50/20:6/28:8/84:/89:38/89:51/105:15/132:10/132:17参照)。しかし、この三つ(王、祭司、預言者)の油注ぎを兼ね備えた者こそ真のメシアであり、御父が遣わされた御子イエス・キリストです。「イエス・キリスト」とは、「イエス」は「キリスト」(ギリシャ語でクリストス)という意味であり、「キリスト」は「マシーアッハ」(ヘ)、すなわち「メシア」のことなのです。
  • 詩45篇に登場する「王」は、やがて来臨される御子イエスを預言していますが、その王であるイエス・キリストに、御父は他の王たちや祭司たち、および預言者たちにまさって注がれたとしています。しかもその任職の油を「喜びの油」と言っています。「喜びの油」とはなにを意味するのでしょうか。「喜びの油」―それはなによりも「神に愛された者、そしてその神に喜んで仕える霊」のことです。単に、神に仕えるというのではなく、神に選ばれ、神との深い愛のかかわりをもった権威ある存在としての油注ぎです。真の預言者としてのイエス、真の大祭司としてのイエス、真の王としてのイエスは救いのみわざを完全に実現するために、再びこの世に来られます。
  • キリストにある者はすでにみなひとしく聖なる方の油注ぎにあずかっています(ヨハネの手紙第一、2:20参照)。ですから、使徒ヨハネはこう述べています。「・・キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。それで、だれからも教えを受ける必要がありません。彼の油がすべてのことについてあなたがたを教えるように、・・また、その油があなたがた教えたとおりに、あなたがたはキリストのうちにとどまるのです。」(ヨハネの手紙第一、2:27)。ヨハネはここで「キリストのうちにとどまることと油注ぎの関係」を教えています。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9E%E6%83%B3Ps45%282%29

・・・・・・・・・・

。。。。。。。。。。

 

【詩篇44篇】o19  指揮者のために。コラの子たちのマスキール


psm44:1  神よ。私たちはこの耳で、先祖たちが語ってくれたことを聞きました。あなたが昔、彼らの時代になさったみわざを。

psm44:2  あなたは御手をもって、国々を追い払い、そこに彼らを植え、国民にわざわいを与え、そこに彼らを送り込まれました。

psm44:3  彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただあなたの右の手、あなたの腕、あなたの御顔の光 が、そうしたのです。あなたが彼らを愛されたからです。

psm44:4  神よ。あなたこそ私の王です。ヤコブの勝利を命じてください。

psm44:5  あなたによって私たちは、敵を押し返し、御名によって私たちに立ち向かう者どもを踏みつけましょう。

psm44:6  私は私の弓にたよりません。私の剣も私を救いません。

psm44:7  しかしあなたは、敵から私たちを救い、私たちを憎む者らをはずかしめなさいました。

psm44:8  私たちはいつも神によって誇りました 。また、あなたの御名をとこしえにほめたたえます。セラ

psm44:9  それなのに、あなたは私たちを拒み、卑しめました。あなたはもはや、私たちの軍勢とともに出陣なさいません。

psm44:10  あなたは私たちを敵から退かせ、私たちを憎む者らは思うままにかすめ奪いました。

psm44:11  あなたは私たちを食用の羊のようにし、国々の中に私たちを散らされました。

psm44:12  あなたはご自分の民を安値で売り、その代価で何の得もなさいませんでした。

psm44:13  あなたは私たちを、隣人のそしり とし、回りの者のあざけりとし、笑いぐさ とされます。

psm44:14  あなたは私たちを国々の中で物笑いの種 とし、民の中で笑い者 とされるのです。

psm44:15  私の前には、一日中、はずかしめがあって、私の顔の恥が私をおおってしまいました。

psm44:16  それはそしる者 とののしる者の声のため、敵と復讐者のためでした。

psm44:17  これらのことすべてが私たちを襲いました。しかし私たちはあなたを忘れませんでした。また、あなたの契約を無にしませんでした。

psm44:18  私たちの心はたじろがず、私たちの歩みはあなたの道からそれませんでした。

psm44:19  しかも、あなたはジャッカルの住む所で私たちを砕き、死の陰で私たちをおおわれたのです。

psm44:20  もし、私たちが私たちの神の名 を忘れ、ほかの神に私たちの手を差し伸ばしたなら、

psm44:21  神はこれを探り出されないでしょうか。神は心の秘密 を知っておられるからです。

psm44:22  だが、あなたのために、私たちは一日中、殺されています。私たちは、ほふられる羊とみなされています。

psm44:23  起きてください。主よ。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください 。いつまでも拒まないでください。

psm44:24  なぜ御顔を お隠しになるのですか。私たちの悩みとしいたげをお忘れになるのですか。

psm44:25  私たちのたましいはちりに伏し、私たちの腹は地にへばりついています。

psm44:26  立ち上がって私たちをお助けください。あなたの恵みのために私たちを贖い出してください。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今日は仕事お休み・・・。ゆっくりしてしまった。



さて、遅くなりましたが今日も早速詩篇を共に。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm44:17  これらのことすべてが私たちを襲いました。しかし私たちはあなたを忘れませんでした。また、あなたの契約を無にしませんでした。






最悪だ!って思うことが僕らにやってくる。

今までに経験したことの無い問題が現れると僕らは恐れる。

将来を予測できなくなるからかもしれない。



僕らは意識するモノに囚われるモノ。

問題に意識を向けると、問題に囚われる。


ダビデさんは何に意識をむけたのだろうか?



「 あなた(神様) 」

 あなた(神様)の契約 」




神様は僕らを独りにはしない。

問題があっても、必ずそのまま放っておくわけが無い。


何故だろう?

神様は僕らを大切な友として創られたんだから。

真剣に愛してくれてる。





僕らが思おうが、思わなかろうが・・・

神様の愛を感じようが、感じなかろうが・・・

僕らがソレを信じようが、信じなかろうが 一切変わらない。





真実は変わるモンじゃない。

神様の愛、そして神様の約束は絶対変わることが無い。



heb13:5  ・・・・・ 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない 。」






僕らの目の前に問題があっても

問題を解決される方に目をむけていたいですね。


僕らを真剣に愛し共に歩んでくださる方に。





どうせ囚われるなら・・・

問題なんかじゃなくて、解決される共に居られる方に。



だって

神様に囚われると、愛を感じながら解決を待つことが出来るから。





問題は誰にでもやってくる。

最悪だ!って思うことがあっても、きっと大丈夫。。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.


・・・・・・・・・・

詩44篇「愛する」 רָצָה ラーツァー

〔カテゴリー愛顧〕

3節「彼らは、自分の剣によって地を得たのでもなく、自分の腕が彼らを救ったのでもありません。ただ、・・・あなたが彼らを愛されたからです。」 (新改訳)

Keyword; 「愛する、受け入れる、好む、喜ぶ、好意を示す」 love, accept, delight, pleased with enjoy
40:13/44:3/49:13/50:18/51:16/62:4/77:7/85:1/102:14/119:108/147:10, 11/149:4

  • 詩44篇の全体を眺めてみると、最初の8節までは自分たちの先祖から聞かされた神の一方的な恩寵によって地とが賦与されてきたことを思い起こし、その根拠として、主が「愛されたから」だと告白しています。ところが、9節以降では「それなのに、あなたは私たちを拒み、卑しめました。」(9節)、「これらのことすべてが私たちを襲いました。」(17節)としています。ところが、作者は「しかし、私たちはあなたを忘れませんでした。・・契約を無にしませんでした。・・・しませんでした。」とたたみかけるように訴えています。
  • 詩42, 43篇で見られた「なおも神をほめたたえる」」という信仰の姿勢が (言葉こそありませんが)、ここにも流れているように思えます。しかし、依然として事態は変わらず、作者は「なぜ」と問いかけ、最後の節では「あなたの恵みのために、私たちを贖い出してください」(26節)と嘆願しています。
  • 「愛された」と訳されたラーツァーרָצָה(ratsah)は、旧約全体で52回、詩篇では13回使われています。「愛されたから」(新改訳、バルバロ訳)、「愛しておられる」(典礼訳)、「受け入れられたから」(関根訳)、「恵まれたから」(口語訳)、「顧みたから」(岩波訳)、「おこころにかけてくださったから」(LB訳)、「お望みでした」(新共同訳)とさまざまに訳されています。
  • このことばのもつニュアンスは神の愛顧です。神の愛顧は、人間の生育史でいうならば、母親の赤子に対するかかわりにおいて「基本的信頼」を培う愛にたとえることができます。「基本的信頼」は赤子のごく初期の期間(生後8ケ月)にほぼ決定づけられ、その子の生涯におけるあらゆるかかわりを左右するほどの大切な土台だと言われています。
  • 旧約聖書には個人が集団を代表するという「ヘブル人の集合人格概念」が存在します。つまり、作者と3節の「あなたは彼らを愛された」の「彼ら」とは実は同義です。神が先祖たちを愛されたということの中に、自分の存在の基本的信頼が包含されていると考えることができます。詩44篇の作者が、周囲からの侮辱と恥にさらされながらも、なおも神を求め続けていけるのは、神との基本的信頼のいのちが流れているからに他なりません。
  • 基本的信頼のいのちは賜物です。努力で得られるものではありません。神がアブラハムを愛し、その子孫に対して常にねんごろに親しくかかわってくださったというラーツァーרָצָה(ratsah)こそ、まさに神の民(あるいはユダヤ民族)全体としての財産なのです。それを土台とし、作者をしてなおも「なぜ」と問わせるのは、より深い絆を形成するためです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs44

・・・・・・・・・・

。。。。。。。。。。

 

【詩篇43篇】o19


psm43:1  神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、神を恐れない民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から私を助け出してください。

psm43:2  あなたは私の力の神であられるからです。なぜあなたは私を拒まれたのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。

psm43:3  どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山 、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。

psm43:4  こうして、私は神の祭壇 、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。

psm43:5 わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

今週もあと僅かですね。問題は目の前に多いですけど・・・

問題を解決される方と共にいてる事を忘れないようにしましょうね。



では、今日も早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm43:3  どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山 、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。






どんな問題があっても

問題を解決される方が僕らを離れて独りにすることは無い。



僕らは導かれ、神様の支配の中に連れて行かれる存在。

なら、何故?

僕らは孤独を感じ、将来が空しいものに見えるのか?



こんな言葉を知ってるだろうか?

1pet5:8  身を慎み、目をさましていなさい 。あなたがたの敵である悪魔 が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。





心の目をさまさなきゃ、解らないみたい。

でも、やっぱり原因はサタンだね。



僕らの将来は神様と共に築くことができる。

サタンは神様と共に人が将来を築くことを邪魔をする。


だから、神様が人に与えてくれた約束は絶対違うよ~、そんなんなる訳ないで~。と

僕らの心に否定的なイメージと共に訴え続ける。




僕らはそんなイメージ

サタンのささやきなんかに耳を傾ける必要はない。



目を覚まして、

サタンの働きを意識すれば、どんだけショウモナイ騙くらかしで僕らに失望を与えてるかが解ってくる。



そして

神様の約束に立つコトで、僕らはいつのまにか神様の領域に連れて行かれるものだ。





忘れないで・・。

サタンの否定的なイメージ、しょうもない囁きで心を揺さぶられないように。


でも揺さぶられたら

すぐダビデさんの詩篇の言葉を発してみよう。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.

・・・・・・・・・・

詩43篇「送る」 שָׁלַח シャーラフ

〔カテゴリー救出〕

  • 3節「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。」 (新改訳)

Keyword; 「送る、遣わす」send, send forth 18:14, 16/20:2/43:3/44:2/57:3/78:25/104:10, 30/105:17, 26/107:20/111:9/135:9/147:15, 18

  • 「送る」と訳されたシャーラフשָׁלַח(shalach)は、神の先行的恩寵を示す派遣行為です。旧約で847回、詩篇では33回ですが、神の恩寵を表わす箇所は16回です。詩43篇では、神が「光とまことを送る(遣わす)」ことによって、それらがエルサレムにおける神の臨在あふれるところへと私を連れて行ってくれると確信しています。
  • 詩篇だけに限って言うならば、神の恩寵としてのシャーラフשָׁלַח(shalach)は以下の恩寵的内容を含んでいます。
  • 「主は、いと高きところから御手を伸べて、私をえ・・」(18:16)
  • 「主が聖所からあなたに助けを送り」(20:2)
  • 「神は(天の戸を開いて)、飽きるほどの食物を送らた。」(78:25)
  • 「あなたの御霊を送られると、彼らは造られます。」(104:30)
  • 「主はそのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。」(105:26)
  • 「主はみことばを送って彼らをいやし、・・」(107:20)
  • 「主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。」(111:9)
  • 神が送られる「光とまこと」(オールאֹר とエメス''אֶמֶת)という表現は、聖書ではここ1箇所だけです。ふつうは「恵みとまこと」(ヘセドחֶסֶדとエメスאֶמֶת)がワンセットで用いられます。たとえば、詩57篇3節の「神は恵みとまことを送られる」、詩23篇6節の「いつくしみと恵み」(トーヴטוֹבとヘセドחֶסֶד)といった組み合わせもあります。最終的には、神(御父)が私たちのために遣われた御子イエス・キリストは「恵みとまことに満ちておられた」とヨハネは紹介しています(ヨハネの福音書1:14, 17)。
  • なぜ、詩43篇だけが「光とまこと」なのかは「謎」です。ただ、詩42篇と詩43篇には他の詩篇にはない強烈な個性があります。そのひとつは、「慕いあえぐ」(アーラグעָרַג)というここにしかない生死を分けるあえぎです。虚無の深淵に引きづり込まれようとするデーモン的な勢力との葛藤の中で、作者はその背後にある霊的事実を知らなければ、この戦いに立ち向かうことができないと感じていたのではないかと推察します。そのために作者は、神の「光」をことさらに必要と感じていたのかも知れません。神の恵みを明かす啓示の光、いのちをもたらす光を神が送ってくださらなければ、渇きという実体を正しく理解し、それに対処することはできないと考えていたのかも知れません。この「光とまこと」は、後にキリストによって私たちにもたらされることなります。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs43

・・・・・・・・・・