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psm43:1 神よ。私のためにさばいてください。私の訴えを取り上げ、神を恐れない民の言い分を退けてください。欺きと不正の人から私を助け出してください。
psm43:2 あなたは私の力の神であられるからです。なぜあなたは私を拒まれたのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか。
psm43:3 どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山 、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。
psm43:4 こうして、私は神の祭壇 、私の最も喜びとする神のみもとに行き、立琴に合わせて、あなたをほめたたえましょう。神よ。私の神よ。
psm43:5 ★ わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。
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おはようございます。
今週もあと僅かですね。問題は目の前に多いですけど・・・
問題を解決される方と共にいてる事を忘れないようにしましょうね。
では、今日も早速共に詩篇を。
今日僕の心に留まったのはこんな言葉。
psm43:3 どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山 、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。
どんな問題があっても
問題を解決される方が僕らを離れて独りにすることは無い。
僕らは導かれ、神様の支配の中に連れて行かれる存在。
なら、何故?
僕らは孤独を感じ、将来が空しいものに見えるのか?
こんな言葉を知ってるだろうか?
1pet5:8 身を慎み、目をさましていなさい 。あなたがたの敵である悪魔 が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。
心の目をさまさなきゃ、解らないみたい。
でも、やっぱり原因はサタンだね。
僕らの将来は神様と共に築くことができる。
サタンは神様と共に人が将来を築くことを邪魔をする。
だから、神様が人に与えてくれた約束は絶対違うよ~、そんなんなる訳ないで~。と
僕らの心に否定的なイメージと共に訴え続ける。
僕らはそんなイメージ
サタンのささやきなんかに耳を傾ける必要はない。
目を覚まして、
サタンの働きを意識すれば、どんだけショウモナイ騙くらかしで僕らに失望を与えてるかが解ってくる。
そして
神様の約束に立つコトで、僕らはいつのまにか神様の領域に連れて行かれるものだ。
忘れないで・・。
サタンの否定的なイメージ、しょうもない囁きで心を揺さぶられないように。
でも揺さぶられたら
すぐダビデさんの詩篇の言葉を発してみよう。
心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?
僕らは今日も大丈夫!!
神様・・
eps1:17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、私に与えてくださいますように。
eps1:18 また、私の心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
eps1:19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、私が知ることができますように。
ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.
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詩43篇「送る」 שָׁלַח シャーラフ
〔カテゴリー救出〕
- 3節「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。」 (新改訳)
Keyword; 「送る、遣わす」send, send forth 18:14, 16/20:2/43:3/44:2/57:3/78:25/104:10, 30/105:17, 26/107:20/111:9/135:9/147:15, 18
- 「送る」と訳されたシャーラフשָׁלַח(shalach)は、神の先行的恩寵を示す派遣行為です。旧約で847回、詩篇では33回ですが、神の恩寵を表わす箇所は16回です。詩43篇では、神が「光とまことを送る(遣わす)」ことによって、それらがエルサレムにおける神の臨在あふれるところへと私を連れて行ってくれると確信しています。
- 詩篇だけに限って言うならば、神の恩寵としてのシャーラフשָׁלַח(shalach)は以下の恩寵的内容を含んでいます。
- 「主は、いと高きところから御手を伸べて、私をえ・・」(18:16)
- 「主が聖所からあなたに助けを送り」(20:2)
- 「神は(天の戸を開いて)、飽きるほどの食物を送らた。」(78:25)
- 「あなたの御霊を送られると、彼らは造られます。」(104:30)
- 「主はそのしもべモーセと、主が選んだアロンを遣わされた。」(105:26)
- 「主はみことばを送って彼らをいやし、・・」(107:20)
- 「主は、御民に贖いを送り、ご自分の契約をとこしえに定められた。」(111:9)
- 神が送られる「光とまこと」(オールאֹר とエメス''אֶמֶת)という表現は、聖書ではここ1箇所だけです。ふつうは「恵みとまこと」(ヘセドחֶסֶדとエメスאֶמֶת)がワンセットで用いられます。たとえば、詩57篇3節の「神は恵みとまことを送られる」、詩23篇6節の「いつくしみと恵み」(トーヴטוֹבとヘセドחֶסֶד)といった組み合わせもあります。最終的には、神(御父)が私たちのために遣われた御子イエス・キリストは「恵みとまことに満ちておられた」とヨハネは紹介しています(ヨハネの福音書1:14, 17)。
- なぜ、詩43篇だけが「光とまこと」なのかは「謎」です。ただ、詩42篇と詩43篇には他の詩篇にはない強烈な個性があります。そのひとつは、「慕いあえぐ」(アーラグעָרַג)というここにしかない生死を分けるあえぎです。虚無の深淵に引きづり込まれようとするデーモン的な勢力との葛藤の中で、作者はその背後にある霊的事実を知らなければ、この戦いに立ち向かうことができないと感じていたのではないかと推察します。そのために作者は、神の「光」をことさらに必要と感じていたのかも知れません。神の恵みを明かす啓示の光、いのちをもたらす光を神が送ってくださらなければ、渇きという実体を正しく理解し、それに対処することはできないと考えていたのかも知れません。この「光とまこと」は、後にキリストによって私たちにもたらされることなります。
http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs43
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