へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy -21ページ目

へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇42篇】o19  指揮者のために。コラの子たちのマスキール


psm42:1  鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。

psm42:2  私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いて います。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。

psm42:3   私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中「おまえの神は どこにいるのか。」と私に言う間。

psm42:4   私はあの事などを思い起こし、御前に私の心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群集とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。

psm42:5 わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。

psm42:6  私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。

psm42:7  あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて 行きました。

psm42:8  昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。

psm42:9  私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」

psm42:10  私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるか。」と私に言っています。

psm42:11 わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

エアコンなしだとやはり中々練れないよね。

扇風機だけだと暑すぎる。甘かった。



今日もなんとか踏ん張ってガンバりやしょう。

では、今日も共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm42:5 わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。


psm42:11 わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。







たましいは絶望します。

思い乱れもします。




どーしようもないんです。





今朝数年前からの友人のブログでもう無理・・・って書かれていた。

なんとか、踏ん張って欲しい。

祈るしか出来ない。


辛い中で、踏ん張ること自体一番シンドイのは知ってるつもり。

生きてるほうが辛いと思える状況なんだから。



そんな思いから開放されることは人には出来ないのかもしれない。



サタンはこの世を、また僕らの身体を支配しているがゆえ

圧倒的なネガティブなイメージを僕らの頭の中に送り込み

イメージを通して心と身体をコントロールしようとする。



今までの負のイメージで

これからの将来を汚染し続ける。




でも、

間違っちゃダメだ。



ソレは、真実とはまた異なる。




サタンは過去の経験や、メディアで入れた情報を駆使して訴え続ける。

きっと・・・こうなる。

今更アカンぞ。

手遅れや。



アホ!!って怒鳴ってやって下さい。

サタンはそんな事しかできない。

しょうもない奴だ。






真実は神様にあるんだから。


だから

ダビデさんはたましいに訴えかける。

わがたましいよ!騙されちゃダメだ。って。

わがたましいよ 。なぜ、おまえは絶望しているのか。なぜ、御前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い、私の神を。




今は見えないかもしれない。

今は想像できないかも知れない。


でも、神様はあなたを愛してサタンが働いている中でも必ずあなたを救う計画で助けられるんだから。



絶対大丈夫。



絶対大丈夫なんだ。




神様は裏切ることは無い。

人は裏切り、僕もさんざんと失望を繰り返してきた。


でも、神様は絶対僕を独りにはしなかった。

孤独でどうしようもない時も振り返ると、僕を包んで守ってくれた事が解ってくる。





身体にはたましいが宿っており

たましいだけで、判断すると間違いが起こる。

それは、

身体が自分の経験と、その小さな頭に入った情報だけでしか今・そして将来を計れないんだから。



ダビデさんも同じように苦しんでる。

どう考えても神様が助けてくれないのかも・・・なんて疑いもあったに違いない。

僕らと同じだね。



でも、最終的にはその選択権は僕らにある。


感情がどれだけ反対しても

僕らにどれだけ将来が暗く・そして辛く映ったとしても

僕らは神様が必ず将来必要を満たされるという事を選ぶことが出来る。





どんなに苦しく、辛くても

サタンの送ってくるイメージを「そうだ」と受け取らないで下さい。


神様の約束を踏ん張って受け取りましょう。

踏ん張る力も、その後の生きる力も必ず神様が与えてくれるんだから。



大丈夫。



一緒に神様の愛を信じましょう。

絶対大丈夫だからね。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.




・・・・・・・・・・

詩42篇「(恵みを)施す」 צָוָה ツァーワー 

〔カテゴリー賦与〕

  • 8節「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。」(新改訳)
  • 8節「昼、主は命じて慈しみをわたしに送り、夜、主の歌がわたしと共にある。」(共同訳)

Keyword; 「施す、送る」 direct, command, order,
7:6/33:9/42:8/44:4/68:28/71:3/78:5, 23/91:11/105:8/111:9/119:4, 138/133:3/148:5

  • 「施す」「送る」と訳されたツァーワーצָוָה(tsawah)は、旧約で502回、詩篇では15回使われています。ツァーワーצָוָה(tsawah)は、本来、「命じる」command 「定める」「任命する」を意味することばです。特に、モーセ五書、ヨシュア記、エレミヤの特愛用語です。しかし、詩42篇では、主が私たちに何かを「向ける」「注ぐ」という意味合いで訳しています(NIV訳ではdirectと訳しています)。その「何か」とは、ここでは「主の恵みחֶסֶד(ヘセド)」です。
  • 異国の地にあることを余儀なくされた作者が、神を知らない者から絶えず「おまえの神はどこにいるのか」(42:3)という問いかけを契機にはじまった霊的葛藤、そしてその霊的渇望は他の詩篇にも勝って強烈です。ちなみに、「慕いあえぐ」(新共同訳、関根訳、岩波訳では「あえぐ」、典礼訳では「あえぎさまよう」)と訳されたアーラグעָרַג(`arag)という動詞は、この詩42篇にしか見られない珍しい動詞です。
  • こうした状況の中で、作者は自分のたましいに対しても呼びかけています。「わがたましいよ。なぜ。おまえは絶望しているのか。思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。」(5節) 自分のたましに向かって呼びかけるこの作者の霊性はすばらしいものがあります。こうした呼びかけが私たちの信仰生活にはとても大切な気がします。なぜなら、失望落胆している自分のたましいを客観的な視点から呼びかけることで、見失っている神に目を向けさせているからです。「私のたましいよ、目をさませ。」と言わんばかりです。そうした文脈の中で、8節を受け止めることが必要だと思います。
  • 「昼には、主が恵みを施す。」「昼、主は命じて慈しみをわたしに送られる」・・主が命じられるならば、だれもそれを阻むことはできません。「まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じると、それは堅く立つ。」(詩33篇9節)からです。詩133篇3節にも、「兄弟たちが共に住む祝福」を「主がとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」としています。主の命令はそのいつくしみから、かつ権威をもって発せられます。この神の恩寵をどんなときでも信じられるかどうかか問われています。主が恵みを私に向け、注ぎ、施されていることを信じて、「主の恵みは、いつも、あるのだ。」(52:1)と確信できるならば、「夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。」(42:8後半)と告白できるはずです。これは神の恩寵によるかかわりのいのちのです。

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【詩篇41篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌


psm41:1  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。

psm41:2  主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。

psm41:3  主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

psm41:4  私は言った。「主よ、あわれんでください 。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」

psm41:5  私の敵は、私の悪口を言います。「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」

psm41:6  たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、その心のうちでは、悪意をたくわえ、外に出ては、それを言いふらす。

psm41:7  私を憎む者はみな、私について共にささやき、私に対して、悪をたくらむ。

psm41:8  「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい。」

psm41:9  私が信頼し、私のパンを食べた親しい友まで が、私にそむいて、かかとを上げた。

psm41:10  しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください 。私を立ち上がらせてください。そうすれば私は、彼らに仕返しができます。

psm41:11  このことによって、あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。

psm41:12  誠実を尽くし ている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前 に立たせてください。

psm41:13  ほむべきかな。イスラエルの神 、主。とこしえから、とこしえまで。アーメン。アーメン。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

最近少し疲れが取れない日が続いて・・・正直ダルくなってしまって・・・。

でも、コレは気持ちしだいなんだろうなと思いながら過ごしてます。


今日は気合を入れなおし

イッチョやってやりま~す。。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm41:1  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。




バイブルには弱い人こそ幸いだとされてる言葉が色んなところに散りばめられている。

今日はそんな弱っている者に心を配る人が幸いだって。。


神様がいつも支えたいされてる弱い人へ心を配る人は

神様は特別に取り扱われるみたい。






弱い人へ心を配れる人は

人の弱さを感じられた人。。。





弱さを感じれる僕らは素敵なポジションにいるのかも。。

今日も、神様の言葉に耳を傾けてみたいですね。









心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.






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詩41篇「全くいやされる」 הָפַך ハーファフ

〔カテゴリー救出〕

3b節「病む時にどうか彼を全くいやしてくださるように。」 (新改訳)
3b節「あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。」(口語訳)

Keyword; 「全くいやす、ことごとくいやす」turn over, change, 30:11/41:3/66:6/78:44/

  • 新改訳では3節後半を「全くいやしてくださるように」という願望形で訳していますが、口語訳では「ことごとくいやされる」という確信的な表現になっています。新改訳、新共同訳では願望的に、他の訳(関根訳、岩波訳、典礼訳、バルバロ訳)では確信的に「(主は)…してくださる」と訳しています。この訳の違いは、底本となっている写本が異なっていることによるものです。
  • 私としては、内容的な面から1~3節に見られる恩寵用語をすべて確信的な意味に受け取りたいと思います。主は「弱っている者に心を配る人」に対する多くの恩寵の確信が告白されているのを見ることができます。その恩寵とは、「わざわいの日に助け出す」こと(1節)、「見守り」「生きながらえさせ」「地上でしあわせな者とする」こと、「敵の意のままにされない」こと(2節)、「病の床で支えること」「全くいやしてくださる」こと(3節)です。本稿では最後の「全くいやしてくださる」と訳されたハーファフהָפַך(haphak)という恩寵用語に注目したいと思います。
  • ハーファフהָפַך(haphak)の原義は「ひっくり返す、翻す」です。つまり、ある状況を一変させることです。聖書の中では良い意味でも、悪い意味でも使われます。悪い意味では、神がソドムとゴモラに対して、彼らの罪のゆえに、緑豊かな肥沃な土地を一変させて、草木一本生えることのない地にされました。良い意味では、神の民をエジプトから救い出す御業の中で、水を血に変えたり、海を乾いた地にしたりしました。あるいは、「嘆きを踊りに変えてくださった」(詩30篇11節)というのもハーファフהָפַךが使われています。
  • 主は、私たちの状況を一変させることのできる方です。詩41篇では、直訳では「病の時に、床をひっくり返す」というのを、「全くいやされる」(新改訳)、「ことごとくいやされる」(口語訳)、「病気の床をたたまれる」(バルバロ訳)、と訳しています。
  • ここで重要なことは、このような祝福が約束されている者とは、1節にあるように「弱っている者に心を配る人」のことです。そのような人とは、4節以降に述べられているように、病気を通して経験した事が背景にあって、そこからある種の「気づき」「悟り」を与えられた人のことです。「心配る人」の原語はマスキールמַשְׂכִּיל(maskil)です。これは動詞サーハルשָׂכַל
    (sakhal)の分詞です。病気という経験を契機に、はじめて作者は「弱っている者に心を配る」ことができるようになる「気づき、悟り」が与えられたようです。
  • 私たちの神こそ、最も「弱っている者に心を配る」ことのでき方であり、その方と共感できるようにされたことが、最も幸いな人だと言えます。そしてそれは「自分と同じように隣人を愛せよ」という主の命令を生きることができるようされた恩寵なのです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs41

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【詩篇40篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌


psm40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け 、私の叫びをお聞きになり、

psm40:2  私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。

psm40:3  主は、私の口に、新しい歌 、われらの神への賛美を授けられた。多くの者は見、そして恐れ、主に信頼しよう。

psm40:4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。

psm40:5  わが神、主よ。あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは、数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。

psm40:6  あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました。あなたは、全焼のいけにえ も、罪のためのいけにえ も、お求めになりませんでした。

psm40:7  そのとき私は申しました。「今、私はここに来ております。巻き物の書に私のことが書いてあります。

psm40:8 わが神。私はみこころを行なうこと を喜びとします。あなたのおしえは私の心のうちにあります。」

psm40:9  私は大きな会衆の中で、義の良い知らせを告げました。ご覧ください。私は私のくちびるを押えません。主よ。あなたはご存じです。

psm40:10  私は、あなたの義を心の中に隠しませんでした。あなたの真実とあなたの救いを告げました。私は、あなたの恵みとあなたのまことを大いなる会衆に隠しませんでした。

psm40:11  あなたは、主よ。私にあわれみを惜しまないでください。あなたの恵みと、あなたのまことが、絶えず私を見守るようにしてください。

psm40:12  数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついたので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました。

psm40:13  主よ。どうかみこころによって私を救い出してください。主よ。急いで、私を助けてください。

psm40:14  私のいのちを求め、滅ぼそうとする者どもが、みな恥を見、はずかしめを受けますように。私のわざわいを喜ぶ者どもが退き、卑しめられますように。

psm40:15  私を「あはは。」とあざ笑う者どもが、おのれの恥のために、色を失いますように。

psm40:16  あなたを慕い求める人がみな、あなたにあって楽しみ、喜びますように。あなたの救いを愛する人たちが、「主をあがめよう。」と、いつも言いますように。

psm40:17  私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。あなたは私の助け 、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

疲れが取れない老いたからだと共に今日も頑張ります。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まった言葉はコレ。

psm40:1 私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け 、私の叫びをお聞きになり、

psm40:2  私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。





問題があることで、

自分に力が無いことで

頼ろうとする人も居ないことで


僕らは初めて神様~!!って叫ぶことになる。

そして直ぐに解決がないコトで、待ち望むという経験をする事になる。




その時は、ホンマ辛い。

誰にも言われんくらい辛い経験をする。



でも、神様は本当に居られて

私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。 という経験をすることが出来る。



僕らは大丈夫。


弱さも力の無さも、それは大きな神様の愛の御手を体験する時となるんだから。





心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.





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詩40篇(1) 「引き上げる」 עָלָה アーラー

〔カテゴリー救出〕

2節「(主は) 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして、私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」

Keyword; 「引き上げる」 lift, bring up, 30:3/71:20/81:10

  • 詩40篇の1~3節前半までに、なんと6個の恩寵用語が登場します。
    ①「身を傾ける」のナーターנָטָה(natah)、
    ②「(叫びを)聞く」のシャーマーשָׁמַע(shama`)、
    ③「引き上げる」アーラーעָלָה(`alah)、
    ④「(巌の上に)置く」のクームקום(kum)、
    ⑤「確かにする」のクーンכּוּן(qun)、
    ⑥「(賛美を)授けられる」のナータンנָתַן(natan)・・これが神の恩寵の事実です。この神の事実こそ、私たちをして、神の聖なる民として生きさせる基いです。
  • この中から、主の「引き上げに」にフォーカスしたいと思います。「引き上げる」と訳されたアーラーעָלָה(`alah)は、旧約で892回、詩篇では23回です。人にも神にも使われていますが、神が私たちにかかわる意味で使われているのは、詩編では、30:3、40:2、71:20、81:10に見ることができます。しかも、それぞれ「よみから」「滅びの穴から、泥沼から」「地の深みから」「エジプトから」の引き上げという、いずれも、自分の力では這い出すことのできない現実からの神の救いを意味しています。
  • 神の恩寵は、そうした現実から私たちを引き上げてくださっただけでなく、私たちを確かな場所に置き、その歩みを確かなものとしてくださり、さらに、私たちの口に新しい賛美を与えてくださる方です。
  • 聖歌(472)に「人生の海の嵐にもまれ来しこの身」「すさまじき罪の嵐のもてあそぶまにまに」という歌詞があります。この世はまさに「海の嵐」「すさまじき罪の嵐」です。多くの人はそのような霊的現実の中に生きていることすら知らずに生きているのですが、キリストに出会って初めて自分がそうした霊的現実の中に生きていたことを知るのです。まさに、心の底から湧き出てくる「新しい歌」、救われた者にふさわしい感謝の歌、救いの喜びの歌、勝利の歌、愛の歌なのです。
  • 神の民イスラエルの歴史を見るとき、神の「引き上げ」の恩寵を忘れたことで、神の道から逸脱し、破局へと向かって行きました。私たちも同じくその危うさを持っています。今、一度、自分がどこから「引き上げられた」かを思い起こし、主の恩寵の中にひたすら身を隠すことを通して、はじめて、海の嵐にあっても、すさまじき罪の嵐の世にあっても、それらに翻弄されることなく、呑み込まれることなく、生きることができると信じます。
  • アーラーעָלָה(`alah)の類義語にダーラーדָּלָה(dalah)が詩30篇1節にあります。珍しい動詞で、本来、「水を汲む」という意味です。旧約ではわずかに4回、詩篇では30:1のみ使われているだけです。「主よ。私はあたなをあがめます。あなたが私を引き上げ(דָּלָה)られたからです。」「あがめる」は「引き上げる」のルームרוּם(rum)が使われていて、私が神を「引き上げる」(あがめる)のは、私が神によって「引き上げられた」からだとしているのは興味深いところです。

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詩40篇(2) 「(耳を)開く」 כָּרָה カーラー

〔カテゴリー愛顧〕

6節「あなたは私の耳を開いてくださいました。」(新改訳)
6節「あなたは私の耳たぶに穴を掘られた。」(バルバロ訳)
6節「あなたは私に耳の穴をうがった。」(岩波訳)

Keyword;「耳を開く、穴を掘る、突き通す」dig, pierce 7:15/22:16/40:6/57:6/94:13/119:85

  • 「耳を開く」と訳されたカーラーכָּרָה(karah)は、旧約では15回、詩篇では6回使用されています。本来、「穴を掘る」という意味です。井戸や墓を掘る(創世記26:25, 50:5, 民数21:18)、人を捕えるために穴を掘ったり、逆に、墓穴を掘ったりという風に使われています。しかし、詩40篇6節の「耳の穴を掘る」「耳を開く」と訳されているのは比喩的な用法です。
  • 詩40篇6節の用法は、出エジプト記21章1~6節にある奴隷が自ら主人に仕えたいと願うあかしとしての「耳をきりで刺し通す」ことと同様です。奴隷が規定の期間を主人に仕えた後に、さらに自発的に主人のもとで仕えたいと願うならば、神のもとに行き、戸の柱のところで、耳をきりで刺し通さなければならないことが記されています。そうすることで、奴隷は強制的ではなく自発的な奴隷として、いつまでも主人に仕えることができました。余程、すばらしい主人でなければ、その主人のもとにとどまろうとは思わないないはずです。きりで刺し通された耳の穴は、自ら喜んで仕える決意をしたあかしなのです。
  • 詩40篇6節もそのように考えることができます。いみじくも、そのことが8節に記されています。「わが神、私はみこころを行うことを喜びとします。あなたの教えは私の心のうちにあります」とは、「耳を開かれた」ことと同義です。
  • さて、詩40篇6節は新約のヘブル人への手紙10章5節でキリストに当てはめられて引用されています。ただし、「あなたは私の耳を開いてくださいました」という部分が、「あなたは、・・わたしのために、からだを造ってくださいました。」なっています。おそらく70人訳聖書からの引用だと思われますが、いったいこれはどういう意味でしょうか。キリストは神のみこころを行うために来られたわけですから、この「からだ」も当然「神のみこころを行うためのからだ」であることは言うまでもありません。
  • ヘブル2章14節にはこうあります。「そこで、子たちはみな血と肉を持っているので、主もまた同じように。これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」と。このようにキリストのからだが神のみこころを行うためにささげられた(しかも一度だけ)ことにより、私たちは贖われ、聖なるものとされているのです。御父の御子に対するゆるぎない愛は御子をして「耳を開かせた」のでした。同様に、神の愛と恵みは私たちの耳をも開かせるに十分なのではないでしょうか。

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・・・・・・・・・・・

( ̄_ ̄ i)夜分すんません。
おはよーございますかな?


暑い日が続き、疲れが取れない日々が続きますが、みなさん如何お過ごしですか?

今回の箇所もかなり祈らされて、聞いたメッセージと少し変ってこんなに遅くなってゴメンなさい。


では早速。今回のテーマは
『貴方の魂の値打ち』だって。




前々回の続き。
前々回は、ジーザスが「私は誰か」と聞いた時、ペテロが「神の御子キリストです。」と100%正解の返答をされた後の話。



ペテロさんは
ジーザスの事を知っていた。正確に言うと「御霊によって教えられていた。」

そんなに理解させられていたペテロさんにジーザスはほんの数行の後に「下がれ。サタン!」と怒鳴られている。


今日は

不思議な箇所すよねぇ。





先ずは今回のテーマのこんな箇所から。

。。。。。。。。。。


mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
。。。。。。。。。。


いのち・・
命を損じるとは、どんな事だろうか?



バイブルには
人は3つによって成り立っていると言われる。それは、肉体、魂、そして霊だ。
この地では、肉体に宿る魂を命と呼び、それを損じる事は死を意味している。

それは、地上の事である。



神様は霊。
見える世界だけではなく、僕らが気付こうとしてないだけで、見えない世界をも創られている。神様は初め、人に息を吹きかけ霊の命を与えられた。


僕らは魂だけでなく、永遠の命である霊も与えられていた。にも関わらず、人は神様が命を失うと言われた事に耳を傾けずサタンの言葉を信じて従った事により、命(霊)を失う事になった。


魂を損じる時
僕らは霊を得ていなければサタンを滅ぼす為に設けられた永遠の死を受ける事になる。



しかし、魂を損じた時でも
霊を得ているならば、僕らは永遠の命を与えて下さる神様の支配(天国)で永遠を味わうことになる。




僕らはこの命をどう考えて、この命と向き合うのだろうか?



魂だけを命だとして過ごしますか?



始めの話に戻りますが
ペテロは、御霊によって生きている神様の御子であり、(永遠の命である御霊を与える)救い主であるジーザスを知りながら、
「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とジーザスに言われたんでしょ?・・・ね?




キーとなるのは


神の事

人の事。





人の事とは、
命を魂とした立場。


神の事とは、
命を霊(永遠の命)とした立場と言い換える事が出来るかもしれない。



ペテロは、地上の立場に立って、その命である魂を守ろうとした時、
神様が愛する人に、永遠の命を与える計画をジーザスに選択させないようにいさめた。



だからなんだよね。
下がれサタン!って言われたのは。



サタンは僕らの心を支配する事が出来る。そして、僕らも知らぬ間に支配されちゃったりする事もある。



ペテロがそうだった様にね。


ジーザスは何によってペテロが支配されてる事を知ってたから、わざわざ周りを見渡して言ったんやね。



それから
群衆にこう語られた。
。。。。。。。。。。


「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。


mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを じたら、何の得がありましょう。


mar8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
。。。。。。。。。。



何が言いたいのか?

『 自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 』


自分を捨てる事
自分の十字架を負う事を理解する事で見えてくるのかも。



十字架を負うってのは何だろう?やはり死刑の道具だけあって、死ぬって事かな?
これが自分を捨てるって事かな。


ならば、死ぬとはどういう意味があるのか?生きてるのに死ななきゃならんのはイランよね。


魂を失う時に、
霊を受けていなければサタンの為に備えられた地獄にいかなきゃナランのじゃなかった?尚更死ぬのは困るわー。




でも、最後の言葉
「わたしについて来なさい。」ってのに期待してみない?



絶対に
知らなきゃならない事がある。

それは、ジーザスが先に十字架で死なれている事実。



そして
ジーザスが死なれたのは
僕らがサタンに従ってズレた罪の代価を全て帳消しにする為。


僕らは
先に死なれたジーザスの死により、死ぬ必要がなくなった。新しい命(霊)を受け取って生きる事ができる。

だから

自分の十字架(ジーザスが代わりに死なれた僕の十字架)を負い、わたしについて来なさいって言われたんだよね。





コレって凄いよね~!!


マジで!





ジーザスが伝えたかったのは
あなた方は
自分の罪の代価を
自分で払う必要がないよって事。

僕が身代わりに先にその代価を死ぬ事によって終わらせたんだから。って事。



永遠の命(霊)は
ジーザスの十字架の死により
誰でも受ける事が出来るんだからね。って事。




ジーザスが十字架で死なれたのは、
実は、永遠の命を与える為。僕ら一人一人の罪の代価を終わらせる為。



本来
僕らが持つべき命を
取り戻しませんか?




真理は人を自由にするってのはホンマですね。




今週も見える世界だけでなく
見えない真理にも意識を向けて過ごしたいモノですね。


では。

此処からが今回の箇所。

。。。。。。。。。。


mar8:27 それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」


mar8:28 彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」


mar8:29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」

《マタイ16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」》


mar8:30 するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。


mar8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。


mar8:32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。


mar8:33 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」


mar8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。


mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。


mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを じたら、何の得がありましょう。


mar8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。


mar8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
。。。。。。。。。。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇39篇】o19  指揮者エドトンのために。ダビデの賛歌


psm39:1  私は言った。私は自分の道に気をつけよう。私が舌で罪を犯さないために。私の口に口輪をはめておこう。悪者が私の前にいる間は。

psm39:2  私はひたすら沈黙を守った 。よいことにさえ、黙っていた。それで私の痛みは激しくなった。

psm39:3  私の心は私のうちで熱くなり、私がうめく 間に、火は燃え上がった。そこで私は自分の舌で、こう言った。

psm39:4  主よ。お知らせください。私の終わり、私の齢が、どれだけなのか。私が、どんなに、はかないかを知ることができるように。

psm39:5  ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいもの です。セラ

psm39:6  まことに、人は幻のように歩き回り、まことに、彼らはむなしく立ち騒ぎます。人は、積みたくわえるが、だれがそれを集めるのかを知りません。

psm39:7 主よ。今、私は何を待ち望みましょう。私の望み 、それはあなたです。

psm39:8  私のすべてのそむきの罪 から私を助け出してください。私を愚か者のそしりとしないでください。

psm39:9  私は黙し、口を開きません。あなたが、そうなさったからです。

psm39:10  どうか、あなたのむちを私から取り除いてください。あなたの手に打たれて、私は衰え果てました。

psm39:11  あなたは、不義を責めて人を懲らしめ、その人の望むものを、しみが食うように、なくしてしまわれます。まことに、人はみな、むなしいもの です。セラ

psm39:12  私の祈りを聞いてください。主よ。私の叫びを耳に入れてください。私の涙に、黙っていないでください。私はあなたとともにいる旅人 で、私のすべての先祖たちのように、寄留の者なのです。

psm39:13  私を見つめないでください。私が去って、いなくなる前に、私がほがらかになれるように。

。。。。。。。。。。


おはようございます。

またまた1週間始まりますね~。

色んな事がイメージで迫ってきますが、それは真実かどうか??

神様だけが真実なので、大丈夫ですからね。


では

早速共に詩篇を。

今日僕の出会ったのはこんな箇所。

psm39:5  ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、盛んなときでも、全くむなしいもの です。セラ





あれだけ有名なダビデさんでも

神様はこんなにもコテンパンにされてます。


何故なんでしょ。



バイブルにはこんな箇所もある。

prv25:4  銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる。




練られて良い器にしたい?

神様は練られて素敵な存在に僕らをしたいと願っている。



練られるのは何の為?

本来神様だけが創られた世界は完全だったんだけど

何か混じってきたよね・・・。



そうなんだよね。

やっぱりサタン。


僕らが神様そのままの存在になる事で、本来の素敵な器になる。




僕らは本来の素晴らしさを知っていない。

僕らは練られることで少しづつ少しづつかなかす(不純物サタン)が取り除かれていく。

熱せられ

叩かれて

純金も出来てくるように

僕らも熱せられ、叩かれることが必要なのかもしれない。



コテンパン。。

それもとても必要な時なのかもしれませんね。




ダビデさんもそんな時を過ごし

今日の詩篇を残された。


僕らは

どんな道を通されるのでしょうね。




練られるという事は

より素敵な器にしようと神様が考えて居られることなのかもですね。



熱いほど・・・

痛いほど・・・

僕らは期待されているんだよね。



なってやろうじゃないか。。

弱い僕らも、それを超える力も神様からもらえるんだから。。




大丈夫。





絶対大丈夫だよ~。

ダビデさんと同じように僕らは乗り越えられる。






心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.