弱さを体感できてるコトは幸せか? | へなちょこ ユテコ の Don't Worry, Be Happy

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僕らは地上では「旅人」
                                          ここでは 感じるまま、気ままに、思ったままを「音楽」と共に・・・。

。。。。。。。。。。

 

【詩篇41篇】o19  指揮者のために。ダビデの賛歌


psm41:1  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。

psm41:2  主は彼を見守り、彼を生きながらえさせ、地上でしあわせな者とされる。どうか彼を敵の意のままにさせないでください。

psm41:3  主は病の床で彼をささえられる。病むときにどうか彼を全くいやしてくださるように。

psm41:4  私は言った。「主よ、あわれんでください 。私のたましいをいやしてください。私はあなたに罪を犯したからです。」

psm41:5  私の敵は、私の悪口を言います。「いつ、彼は死に、その名は滅びるのだろうか。」

psm41:6  たとい、人が見舞いに来ても、その人はうそを言い、その心のうちでは、悪意をたくわえ、外に出ては、それを言いふらす。

psm41:7  私を憎む者はみな、私について共にささやき、私に対して、悪をたくらむ。

psm41:8  「邪悪なものが、彼に取りついている。彼が床に着いたからには、もう二度と起き上がれまい。」

psm41:9  私が信頼し、私のパンを食べた親しい友まで が、私にそむいて、かかとを上げた。

psm41:10  しかし、主よ。あなたは私をあわれんでください 。私を立ち上がらせてください。そうすれば私は、彼らに仕返しができます。

psm41:11  このことによって、あなたは私を喜んでおられるのが、わかります。私の敵が私に勝ちどきをあげないからです。

psm41:12  誠実を尽くし ている私を強くささえ、いつまでも、あなたの御顔の前 に立たせてください。

psm41:13  ほむべきかな。イスラエルの神 、主。とこしえから、とこしえまで。アーメン。アーメン。

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おはようございます。

最近少し疲れが取れない日が続いて・・・正直ダルくなってしまって・・・。

でも、コレは気持ちしだいなんだろうなと思いながら過ごしてます。


今日は気合を入れなおし

イッチョやってやりま~す。。



では早速共に詩篇を。

今日僕の心に留まったのはこんな言葉。

psm41:1  幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。




バイブルには弱い人こそ幸いだとされてる言葉が色んなところに散りばめられている。

今日はそんな弱っている者に心を配る人が幸いだって。。


神様がいつも支えたいされてる弱い人へ心を配る人は

神様は特別に取り扱われるみたい。






弱い人へ心を配れる人は

人の弱さを感じられた人。。。





弱さを感じれる僕らは素敵なポジションにいるのかも。。

今日も、神様の言葉に耳を傾けてみたいですね。









心が否定しても、バイブル(神様)の言葉を選んで過ごせたらいいですね。
だから、大丈夫だ!と言葉を発してみませんか?




僕らは今日も大丈夫!!


神様・・

eps1:17  どうか、私たちの主イエス・キリストの神 、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、に与えてくださいますように。

eps1:18  また、心の目 がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、

eps1:19  また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、が知ることができますように。


ジーザス(イェス様)の名前で
a-men.






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詩41篇「全くいやされる」 הָפַך ハーファフ

〔カテゴリー救出〕

3b節「病む時にどうか彼を全くいやしてくださるように。」 (新改訳)
3b節「あなたは彼の病む時、その病をことごとくいやされる。」(口語訳)

Keyword; 「全くいやす、ことごとくいやす」turn over, change, 30:11/41:3/66:6/78:44/

  • 新改訳では3節後半を「全くいやしてくださるように」という願望形で訳していますが、口語訳では「ことごとくいやされる」という確信的な表現になっています。新改訳、新共同訳では願望的に、他の訳(関根訳、岩波訳、典礼訳、バルバロ訳)では確信的に「(主は)…してくださる」と訳しています。この訳の違いは、底本となっている写本が異なっていることによるものです。
  • 私としては、内容的な面から1~3節に見られる恩寵用語をすべて確信的な意味に受け取りたいと思います。主は「弱っている者に心を配る人」に対する多くの恩寵の確信が告白されているのを見ることができます。その恩寵とは、「わざわいの日に助け出す」こと(1節)、「見守り」「生きながらえさせ」「地上でしあわせな者とする」こと、「敵の意のままにされない」こと(2節)、「病の床で支えること」「全くいやしてくださる」こと(3節)です。本稿では最後の「全くいやしてくださる」と訳されたハーファフהָפַך(haphak)という恩寵用語に注目したいと思います。
  • ハーファフהָפַך(haphak)の原義は「ひっくり返す、翻す」です。つまり、ある状況を一変させることです。聖書の中では良い意味でも、悪い意味でも使われます。悪い意味では、神がソドムとゴモラに対して、彼らの罪のゆえに、緑豊かな肥沃な土地を一変させて、草木一本生えることのない地にされました。良い意味では、神の民をエジプトから救い出す御業の中で、水を血に変えたり、海を乾いた地にしたりしました。あるいは、「嘆きを踊りに変えてくださった」(詩30篇11節)というのもハーファフהָפַךが使われています。
  • 主は、私たちの状況を一変させることのできる方です。詩41篇では、直訳では「病の時に、床をひっくり返す」というのを、「全くいやされる」(新改訳)、「ことごとくいやされる」(口語訳)、「病気の床をたたまれる」(バルバロ訳)、と訳しています。
  • ここで重要なことは、このような祝福が約束されている者とは、1節にあるように「弱っている者に心を配る人」のことです。そのような人とは、4節以降に述べられているように、病気を通して経験した事が背景にあって、そこからある種の「気づき」「悟り」を与えられた人のことです。「心配る人」の原語はマスキールמַשְׂכִּיל(maskil)です。これは動詞サーハルשָׂכַל
    (sakhal)の分詞です。病気という経験を契機に、はじめて作者は「弱っている者に心を配る」ことができるようになる「気づき、悟り」が与えられたようです。
  • 私たちの神こそ、最も「弱っている者に心を配る」ことのでき方であり、その方と共感できるようにされたことが、最も幸いな人だと言えます。そしてそれは「自分と同じように隣人を愛せよ」という主の命令を生きることができるようされた恩寵なのです。

http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E6%81%A9%E5%AF%B5%E7%94%A8%E8%AA%9EPs41

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