( ̄_ ̄ i)夜分すんません。
おはよーございますかな?
暑い日が続き、疲れが取れない日々が続きますが、みなさん如何お過ごしですか?
今回の箇所もかなり祈らされて、聞いたメッセージと少し変ってこんなに遅くなってゴメンなさい。
では早速。今回のテーマは
『貴方の魂の値打ち』だって。
前々回の続き。
前々回は、ジーザスが「私は誰か」と聞いた時、ペテロが「神の御子キリストです。」と100%正解の返答をされた後の話。
ペテロさんは
ジーザスの事を知っていた。正確に言うと「御霊によって教えられていた。」
そんなに理解させられていたペテロさんにジーザスはほんの数行の後に「下がれ。サタン!」と怒鳴られている。
今日は
不思議な箇所すよねぇ。
先ずは今回のテーマのこんな箇所から。
。。。。。。。。。。
mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。
。。。。。。。。。。
いのち・・
命を損じるとは、どんな事だろうか?
バイブルには
人は3つによって成り立っていると言われる。それは、肉体、魂、そして霊だ。
この地では、肉体に宿る魂を命と呼び、それを損じる事は死を意味している。
それは、地上の事である。
神様は霊。
見える世界だけではなく、僕らが気付こうとしてないだけで、見えない世界をも創られている。神様は初め、人に息を吹きかけ霊の命を与えられた。
僕らは魂だけでなく、永遠の命である霊も与えられていた。にも関わらず、人は神様が命を失うと言われた事に耳を傾けずサタンの言葉を信じて従った事により、命(霊)を失う事になった。
魂を損じる時
僕らは霊を得ていなければサタンを滅ぼす為に設けられた永遠の死を受ける事になる。
しかし、魂を損じた時でも
霊を得ているならば、僕らは永遠の命を与えて下さる神様の支配(天国)で永遠を味わうことになる。
僕らはこの命をどう考えて、この命と向き合うのだろうか?
魂だけを命だとして過ごしますか?
始めの話に戻りますが
ペテロは、御霊によって生きている神様の御子であり、(永遠の命である御霊を与える)救い主であるジーザスを知りながら、
「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」とジーザスに言われたんでしょ?・・・ね?
キーとなるのは
神の事
人の事。
人の事とは、
命を魂とした立場。
神の事とは、
命を霊(永遠の命)とした立場と言い換える事が出来るかもしれない。
ペテロは、地上の立場に立って、その命である魂を守ろうとした時、
神様が愛する人に、永遠の命を与える計画をジーザスに選択させないようにいさめた。
だからなんだよね。
下がれサタン!って言われたのは。
サタンは僕らの心を支配する事が出来る。そして、僕らも知らぬ間に支配されちゃったりする事もある。
ペテロがそうだった様にね。
ジーザスは何によってペテロが支配されてる事を知ってたから、わざわざ周りを見渡して言ったんやね。
それから
群衆にこう語られた。
。。。。。。。。。。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを じたら、何の得がありましょう。
mar8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
。。。。。。。。。。
何が言いたいのか?
『 自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。 』
自分を捨てる事
自分の十字架を負う事を理解する事で見えてくるのかも。
十字架を負うってのは何だろう?やはり死刑の道具だけあって、死ぬって事かな?
これが自分を捨てるって事かな。
ならば、死ぬとはどういう意味があるのか?生きてるのに死ななきゃならんのはイランよね。
魂を失う時に、
霊を受けていなければサタンの為に備えられた地獄にいかなきゃナランのじゃなかった?尚更死ぬのは困るわー。
でも、最後の言葉
「わたしについて来なさい。」ってのに期待してみない?
絶対に
知らなきゃならない事がある。
それは、ジーザスが先に十字架で死なれている事実。
そして
ジーザスが死なれたのは
僕らがサタンに従ってズレた罪の代価を全て帳消しにする為。
僕らは
先に死なれたジーザスの死により、死ぬ必要がなくなった。新しい命(霊)を受け取って生きる事ができる。
だから
自分の十字架(ジーザスが代わりに死なれた僕の十字架)を負い、わたしについて来なさいって言われたんだよね。
コレって凄いよね~!!
マジで!
ジーザスが伝えたかったのは
あなた方は
自分の罪の代価を
自分で払う必要がないよって事。
僕が身代わりに先にその代価を死ぬ事によって終わらせたんだから。って事。
永遠の命(霊)は
ジーザスの十字架の死により
誰でも受ける事が出来るんだからね。って事。
ジーザスが十字架で死なれたのは、
実は、永遠の命を与える為。僕ら一人一人の罪の代価を終わらせる為。
本来
僕らが持つべき命を
取り戻しませんか?
真理は人を自由にするってのはホンマですね。
今週も見える世界だけでなく
見えない真理にも意識を向けて過ごしたいモノですね。
では。
此処からが今回の箇所。
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mar8:27 それから、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた。その途中、イエスは弟子たちに尋ねて言われた。「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
mar8:28 彼らは答えて言った。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます。」
mar8:29 するとイエスは、彼らに尋ねられた。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」ペテロが答えてイエスに言った。「あなたは、キリストです。」
《マタイ16:16 シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」》
mar8:30 するとイエスは、自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められた。
mar8:31 それから、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日の後によみがえらなければならないと、弟子たちに教え始められた。
mar8:32 しかも、はっきりとこの事がらを話された。するとペテロは、イエスをわきにお連れして、いさめ始めた。
mar8:33 しかし、イエスは振り向いて、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた。「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
mar8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
mar8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。
mar8:36 人は、たとい全世界を得ても、いのちを じたら、何の得がありましょう。
mar8:37 自分のいのちを買い戻すために、人はいったい何を差し出すことができるでしょう。
mar8:38 このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るときには、そのような人のことを恥じます。」
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