(^O^)/こんにちは。
昨日からの子供のリクエストで、今日も教会から帰って
家のプールをしようと考えていたけど・・・。
素晴らしい。。。雨で予定をまたパスする事に。
僕としては雨でもどうせ濡れるんだし・・約束だし・・
子供はそれで満足するんだし・・
でも、
何処の家庭もそうかもしれませんが、
嫁が今日はなしと云えば誰が何を云ってもダメなのです。
では、早速今日も勝手にワーシップタイムおおくりしますね。
今日のテーマは
「 神の福音とはなにか?」
今日の箇所はローマ人の手紙をパウロさんが記された箇所。
パウロさんは以前からローマにいきたいと願っていた。
パウロさんはローマに行く事になる。
それは、捕らえられ、
裁判を受ける為に。
神様は不思議な事をされる。
今日語られる福音
これまた、不思議な事なのかもしれない。
福音とは神様からのプレゼント。
人は、サタンに支配された世の中で、
知らず知らずにズレてサタンに従い汚れていく。
サタンの囁きによってズレる事を「罪」と呼ばれている。
実は罪の報酬は「 死 」だとバイブルには記されている。
サタンを滅ぼす為の「 死 」で人が滅ぼされることの無い様に
ジーザスは生まれた。
ジーザスは全ての人の罪を帳消しにするために、
全ての罪を背負って十字架で死なれた。
ジーザスを信じるモノは全て自らが犯した罪を帳消しにされる。
これはただ一方的な神様の愛による。
jhn3:16 神は、実に、そのひとり子
をお与えになったほどに、世を
愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのち
を持つためである。
コレが福音。
この福音は頑張って・・・善行をするから、
受け取れるというモンじゃない。
ただ信じるコトで与えられる。全ての人が受け取る為の神様からのプレゼント。
では
信じるとはどういう事なんだろう。
ここで一つたとえ話。
ナイアガラで張られたロープを一輪車で渡る話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聞いた事あります?
かなり長い距離・・・
谷でどんな風が吹くか分からない。当然、落ちれば命を必ず落としてしまう。
ドキドキしながら、
観衆はその一輪車乗りを見つめ続けた。
・・普通にわたるだけでも難しい綱渡りを
なんと一輪車で渡る事ができました!
観衆は、拍手喝采で成功を祝った。
そこで、一輪車乗りの方が一言。
「では、私は肩に人を乗せて同じ様に一輪車で渡る事ができると思いますか?」
観衆は「出来る!出来る!!」はやしたてます。
一輪車乗りは、目の前の人に
「ならば、あなたが肩に乗って貰えますか 」と尋ねた。
返事は「・・・・・。」
尋ねられる人
尋ねられる人、皆が言葉を失い、断っていくなか、ある一人の子供が応答した。
「僕が乗るよ。」
一輪車乗りは、その子供を肩に乗せてロープを始めから終わりまで渡り切った。
肩に乗った子供は
一輪車乗りの子供だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話の中に信じる事はどんなモノか知る事が出来る。
信じる事とは
①知る事
②信頼する事
③委ねる事
だというコトも出来る。
一輪車乗りの子供は
お父さんが渡るコトを知っており
僕を乗せても渡り切るコトを信頼しており
そのお父さんに命も委ねた。
信じるとは
知る事に留まらない。
僕らには
命を預ける事の出来る人は居るだろうか?
問題がある時にしか気付けないことがある。
自分の弱さ・貧しさを問題を通して知る時に
僕らはそういった本当に必要な問題を直視することになる。
じっくり静かに考える時が出来ますように。
今週も問題はいろいろあるでしょうが、
信頼できる人はいつでも直ぐ傍に居てるから大丈夫。
今週も見える世界だけでなく
見えない真理にも意識を向けて過ごしたいモノですね。
では。
此処からが今回の箇所。
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rom1:8
まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
rom1:9 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
rom1:10 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
rom1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
rom1:12 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
rom1:13
兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
rom1:14 私は、ギリシヤ人にも未開人にも、知識のある人にも知識のない人にも、返さなければならない負債を負っています。
rom1:15 ですから、私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
rom1:16 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
rom1:17
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。(→ハバクク2:4★)
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