こんちゃんとは、出会って、もうかれこれ15年ほどでしょうか。



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カナダのバンクーバーにほどちかい、ノースデルタという場所にあるモールのペットショップで出会いました。

その当時の彼女と一緒にペットショップに行きましたが、こんちゃんはそのとき、すでに、売れ残りで(まだ子供でしたが)成長して体は大きくなっていました。

なぜ、こんちゃんだったかは、あんまり覚えてないけれど、種別は、あえて言うなら、アメリカンショートヘアー・・・かな・・・

ちなみに色はゴールドというか・・・うすい・・・ちゃいろ・・・?・・・でえもんがけみたいに胸にエプロンのような白い模様があり足先は仲居さんが足袋を履いているように白かった。

それから、どんどん大きくなり、一番重いときは、7キロ以上ある、わりと巨大な猫でした。

96年の、おそらく、9月ごろ・・・?に家にやってきました。





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そして、昨日3/8 11:00ごろ、亡くなりました。




3/5の土曜から急に元気がなくなり、月曜に病院に連れて行ったときにはすでに腎臓が機能しておらず、末期状態でした。

でもまだ一縷の望みで治療をしましょうということになり、その日は夕方まで治療をしましたが、芳しくなく、月曜の夜はお家で過ごさせてあげてくださいということで、家に連れて帰り、ほんとうに辛そうでしたが、腎臓の障害でおしっこがまったく作られないということでしたが、夜におしっこも出て、病院に電話したら、病状からこれ以上よくなることはないけど、悪い傾向ではないので明日もかんばって治療を続けましょうということでした。

次の日、3/8の火曜、自分は会社に行き、嫁さんにこんちゃんを病院に連れていってもらいました。

そして、11時ごろ、病院から電話があり、こんちゃんの息が弱くなり止まりそうということでした。

周りに迷惑をかけますが、会社は早退させてもらい、急いで病院に駆けつけました。

でもすでにこんちゃんは嫁さんが家に連れて帰って行き違いになったのですが、先生からこんちゃんの最後を聞いて、泣くもんか、できるだけ落ち着いた風を装おうと心に決めていましたが、涙が少しちょちょぎれました。

そして、家に歩いて帰り、ついにこんちゃんと対面しましたが、やっぱり涙が出てきました。

もう、悲しくて泣くことは、たぶん・・・10年以上というか、前回を覚えてないくらいでしたが、涙が出て悲しくて仕方なかった。

目をつぶっているこんちゃん、ある意味、自分の連れ子のこんちゃんを病院で引き取り、家に帰って1時間以上ずっと抱いて泣き続けていた嫁さんから、引き取り抱きましたが、どうしても涙が出てきた。




実は、こんちゃんのことは、自分に子供が生まれてから、ちゃんとかまってやることがなくなっていました。

でもこんちゃんは、なぜか、自分が異常に好きみたいで、とにかく、家に帰ると休ませてくれないほど自分にまとわりついてきました。

それを、ここ何年かは、自分は、とても疎ましく思い、遠ざけたりしていました。

そして、最近はいつにも増してまとわりついてきていたような・・・体の調子が悪いことをなんとなく自覚して、好きだった自分になんとかかまってもらおうとしていたのかもしれません。

そんな、こともあり、今は死ぬほど、後悔しています。

今になってみれば、こんちゃんは家族以外の何者でもなかった。

15年という日々はとても長かった。

いつのまにか、自分の一部になっていたことを、今は死ぬほど、実感します。

心に穴が空いたとよくいいますが、今やっと、その状態がわかったような気がします。

猫なので、人間より、喜怒哀楽の表現は乏しいですが、でも一緒にいると気持ちは、伝わります。

ただ、そんなことを言ってみても、ときすでにおそし、今頃、都合よく自分の気持ちを埋め合わせすることなんてできません。

ましてや、いまさら、こんちゃんの苦しみを軽くすることなんてできません。

今は、自分の自分勝手な振る舞いをひたすら反省して、二度とそういう振る舞いをしないことを自分自身反省するだけです。




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そして、今日の午後、こんちゃんを自宅の近くにあるペット霊園で花とこんちゃんの好きだったペットフードとマタタビとビニールの遊び紐と子供が書いたこんちゃんの絵と子供の幼稚園お友達が作ってくれた折り紙で作ってくれたちっちゃいハートと30枚くらいのこんちゃんと家族の写真と自分が書いたこんちゃんへの手紙と一緒に火葬してもらいました。

遺骨は納骨堂に安置してもらいました。

いつか、引越ししたとき、こんちゃんも一緒に引越しできるように、納骨堂でしばらく供養してもらい、最終的には自分と嫁さんの生まれ故郷でもある、愛媛の今治に墓を作ってやりたいと思っています。(ほんとうはこんちゃんはカナダ人ですが・・・)





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こんちゃん、ほんとうに、ありがとう。




これからも、一生、こんちゃんを忘れることはないでしょう。




そして、明日から気を取り直して、仕事をして、いつもの生活をして、前向きに進みつつがんばりたいと思います。








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本日のタイトルは「死について」どす。




ふざけた感じですみません・・・


正直、死を、自分は受け入れてないという前提で、語りたいと思います。




死ぬのは怖いです。


幾度か大切な人のお葬式に立ち合いましたが、本当に死ぬこととはどういうことかわかりません・・・


何故かというと、自分がほんとうに死ぬとは思っていないからです。


いつか死ぬでしょう・・・


でも、「そのいつか」はいつでしょう・・・?





今この瞬間かもしれないし、明日かもしれない・・・


でも・・・ほんとうは、自分が死ぬことなんて信じてないです。


いつか死ぬのに・・・






とにかく、普段の生活を送っていると、自分の死について身近に考えることはほとんどないです。


なぜか・・・・・・死ぬのがあまりにも恐ろしいから。


自分の人生の可能性から、「死」を取り除いています。






死んだらどうなるか・・・


もちろんわかりません。


わかるには、死ぬしかないです(笑)






もちろん、自分は死にたくない。

自殺願望やら、自分を傷つける意思も全くないです。というかドSです(笑)。








でも、どこかで、おぎゃあと生まれてきた時から、死は隣合わせという、恐ろしい現実に少しだけ気づいて、「今を生きる」ということの大切さを、またまた少しだけ、実感した出来事が、あったようななかったような・・・・・・うれしはずかし35歳です・・・






少なくとも、今、自分が出来ることを精一杯やっていきたいと思う今日この頃です。








ブログを一年前に始めて、最初の頃に終戦記念日について書きましたが、今日65回目の終戦記念日を迎えました。

戦争が終わって65年ということは、当時20歳くらいで終戦を迎えた人が今は85歳になるということです。

日本の平均寿命は80歳くらいですから、今ご健在で当時の戦争の事を語れる方はどんどん少なくなっていることになります。

以前のブログにも書きましたが、自分のばーちゃんも戦争当時20歳くらいで、その頃のことをよく聞きました。そして亡くなったじーちゃんは戦争へ行きましたので、明瞭には覚えてませんが、戦争で起こったことをよく聞かされました。

そのおかげで、戦争について(この歳なってやっとですが・・・)考えるようになりました。

考えるといっても、悲惨な戦争をもう二度と起こさないようにするという事だけではなく、戦争を通してこの国の歴史や文化をもっとよく知るために考えることが必要だと思います。

$完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・-靖国神社 - 拝殿

大げさなものの言い方かもしれませんが、この国は誇りや自信を失っていると個人的にずっと感じていました。

$完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・-靖国神社 - 慰霊の泉

最近不景気になって誇りや自信を失ったのではなく、戦争に負けて、自身の手であの戦争を振り返って検証したりすることが、タブー視されて、とにかく悪いことをしたと自分自身を責め続けているから誇りや自信を失ってしまったのではと思っています。

$完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・-靖国神社 - 大鳥居

あの戦争のことについて反省するなということが言いたいのではなくて、とにかく自分を責め続けていると自分が何を考えているか、本当は何を感じているかわからなくなって、結局はどん詰まり感というか閉そく感の中に常に居続けることになり最終的には全く前に進めなくなるので、責めることを止めて自分自身の手で、個人が戦争について調べて、どんな内容であれ、それぞれの意見を持っている環境ができれば、この国は変わると思っています。

$完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・-兵隊と犬

物心ついてから30代半ばのとりあえずの(笑)大人になるまであの戦争は自分には関係ないことだと思っていましたが、やはり関係ないということは無く、戦争後から今の近代日本というか、新しい国の形(憲法も含めて)は始っているので、私たちにとってはあの戦争が区切りになっていることは間違いないはずです。

なので、あの戦争は近代日本の中で生きている我々にはとても関係があります。

少なくとも、今日のこの終戦記念日は戦争について、戦争体験者の方達だけではなく、自分のように関係ないと思っている人も、考えたり、思い出したりすればいいと願って、ちょっとウザ重いかもしれませんが(笑)、ブログをアップしました。




西暦2010年、平成22年、皇紀2670年8月15日


追記:

皇紀2670年という暦(こよみ)は、自分が尊敬する青山繁晴さんが、外国の方と話をされていたときに(細かいシチュエーションは覚えてないのですが)「我々は我々の文化のカレンダー(暦)を持っているが、日本の暦はなんだ?」と言われて、はっとなり、我々には和暦や皇紀というカレンダー(暦)があるじゃないかと、改めて認識されという話を聞いてから自分も意識するようになりました。

一瞬、最初に皇紀何年と聞いたときは「右翼か?」と思いましたが、よく考えてみると西洋には西暦、イスラムの社会にもイスラム暦があり、その他の文化も同様にそれぞれの暦があり、日本にも遥か昔から(2670年)続く和暦がありますので、自分としてはこれからは和暦をもっと大事にしたいと思っている次第です。はい。




ひさしぶりに・・・というか夏が来ると、少し、感傷的というか何故かいろいろ考えさせられるため、涙そうそうをYoutubeで再生中のデスク写真をアップしたいと思います。

近日中に「死について」、稚拙ながら、じぶんなりの考えをアップしたいと思います。



完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・
お気に入りの「mockmoon chennel」から「Time Lapse of Winter Scene」です。


どうやって撮っとんかいな・・・今回は「Nikon D3」かいな・・・


ほんで「24mm ISO 800 F2 4sec WB 3560K」って・・・


とりあえず、「720p」で、ご覧ください。



人は真空状態に置かれるとどうなるか。

なかなか、自分でも体験できないし、体験した人の話を聞いたこともない。

シュワちゃんの映画みたいに目玉が飛び出してしまうんでしょうか?
完全に[独り言]と言いながら、やっぱり誰かに見てもらいたいブログ・・・





子供のころから、どうなるのか気になっておりました。

GIZMOOD の記事で、そんな疑問がやっと氷解したのでみなさんとシェアしたくコピペしましたのでご覧あれ。


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NASAの有人宇宙船センター(現ジョンソン宇宙センター)で'65年、真空室で宇宙服の空気漏れで被験者がひとり真空近い状態(1 psi未満)に晒された事故が発生した。

約14秒間意識はあった。これは肺から脳へのO2(酸素)の流れが止まるのにかかる時間にほぼ等しい。 宇宙服はおそらく完全な真空状態には達しなかったと思う。我々も15秒と置かず室内を再加圧し始めたので。高度1万5000フィート(4.6km)相当の気圧まで確保したところで彼の意識は戻った。

被験者は事後報告書で、空気が外に漏れる感触があり、音も聞こえた、最後に意識に残ったのは舌の上の水が沸騰する記憶だった、と書いている。
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今日は、自分のお気に入りブロガー「Danny Chooさんのブログ」からお気に入りの記事のスタイルをお借りして自分なりに自分が現在住んでいる神奈川や、仕事で訪れる東京の風景を皆さんとシェアしたく、「東京写景」という形で(神奈川のもときたまあるけど)写真をアップします。




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中央線の新型車両?とっさに「てっちゃん予備軍」の息子のために電車の写真を撮る・・・

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久しぶりに、神田へ。
これから、ちょくちょく、来ることになると思うけど、いつか神田で一番おいしいカレー屋を見つける。


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いきなり、青山通り。
最近青山に新しくオープン予定のフランフランのオープン前の写真。
ちなみに、神田からの帰り。


写真は今日はここまでだけど、この風景を収めたカメラは「SoftBank 930CA」・・・っていうか携帯です。

ほんとは、一眼レフとかで撮り収めたかったけど、この携帯のカメラも中々捨てたもんじゃございません。

一秒しないうちにカメラ起動します。

なので、撮りたいときにすぐ撮れます^^

画像サイズは「1M」(たまに違う^^;)、記録品質は「Fine」、その他デフォルト。

ほんとうは、この「東京写景」は写真だけをアップするブログではなく、自分が「大切に思うこと、感じること」を写真とからめつつ熱く、ある意味、赤裸々に書き込ませてもらうシリーズにするつもりですが、写真アップした時点で燃え尽きて、しかも、画像サイズ小さくアップしてしまったりで、また次回、気を取り直して撮り溜めた「東京写景」少しずつアップしていきます。


ではでは、ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。
AppleのCEO、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で講演した模様です。

テーマは「やりたいことを、やる。」

スティーブ・ジョブスが自身の人生を語りながら、人生に、自分のやってきたことに一つも無駄なことはない、それはいつか繋がって、将来の自分の糧になると言っています。

そして、「死は、必ず皆に訪れる。人生は限られている。だから、自分の人生を生きようっ!」と。

最後に、「ハングリーでいよ。バカになれ。」とアントニオ猪木と同じことを言っています。



自分は、本当に、その通りだと思いました。



ハングリーでいよ。バカになれ。



がんばって、そうなりたいと思います。



前篇、後編とあります。
少し、長いですが、時間のあるときにでもご覧あれ。


(沖縄の見学の旅、続きです。)


沖縄3日目は、平和祈念公園へ行ってきました。

平和祈念公園のことは、ほんとうに恥ずかしながら、あまり知りませんでした。

毎年6月に戦没者追悼式がありますので、ニュースなんかで平和祈念公園で追悼式典が行われるのを目にしてるはずなのに、その存在には注意が全く払われていませんでした。

正直、申し訳なかったな・・・と思いながら、那覇市内のホテルから車で30分ほどのこの平和祈念公園へ向かいました。

平和祈念公園は予想以上に広く綺麗で、戦没者を慰霊するためにこれだけの広い敷地(米軍の基地に比べればそこまで広くはないかもしれませんが)が確保され、ある意味観光スポットにもなってます。

「何気なく来て、そのまま帰る」というパターンが大半かもしれませんが、やっぱり沖縄で大規模な戦闘があったという事実を少なくとも知ることが出来ると思うし、本当に意味がある公園だなと思いながら、ガラガラの駐車場に車を停めて、そそり立つ平和祈念堂に圧倒されつつ、まずは公園案内所からエントランス広場へ向かって、その先の式典広場へ足を向けました。

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訪れた日は日曜でしたが、周りに人はほとんどいません。

ただ、閑散として少し寂しいと思いながらも、ゆっくり静かに見て回れるのはありがたいなぁ、と、しみじみしながら辺りを目に焼き付けるように見て回りました。

式典広場から平和の丘につき当たり、左手に海の方角へ進むと平和の礎があります。

平和の礎の手前に池があり、その脇で外国人の親子を見かけました。
お子さんは日本語を流暢にしゃべっていたので、お母さんは日本人なのでしょう。
そして、お父さんはおそらくアメリカ軍の関係者の方だろうと推測し、アメリカの人はこの公園をどのような思いで訪れるのだろう・・・と、とりとめなく思いながらその先の黒く磨き上げられた花崗岩が並ぶ礎の広場へ向かいました。

その花崗岩に国籍を問わず、沖縄戦で亡くなった方の名前が刻銘され、現在も新たな戦没者の名前が追加刻印されているそうです。

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礎が立ち並ぶ間の通路を抜けていくと平和の火が灯されている海に面した広場に出ます。

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平和の火の先には断崖絶壁の素晴らしい景色が見え、ここで65年ほど前に壮絶な戦いがあって、この自分が立っている足元や、目の前の絶壁から身を投げた方がいるのか・・・・・と思いつつ、ひっそりとご冥福を祈り、少し高い土地にある国立沖縄戦没者墓苑がある摩文仁の丘へ向かいました。

ここには各県の慰霊塔があり、周囲の慰霊塔に目を向けつつ、自分に特にゆかりのある愛媛之塔と神奈川の塔へ向かい、黙祷を捧げました。

そして、国立沖縄戦没者墓苑へ向かおうとしていると、墓苑近くの園路沿いに売店があり、おばちゃんが「おに~ちゃ~ん、沖縄で20万人死んだ。花たむけてあげて。」と。

なんとなく、観光者にとりあえず花を買わせとけというような感じを受けたんですが、商売ですから当たり前だし、むしろ花を手向けれることはありがたいとも思い、おばちゃんから花を買い墓苑へ。

そこには、巨大な納骨堂があり、その前には献花台がありましたが、その献花台の上には砂埃がうっすらついていました。
掃除をしてもすぐに砂埃が舞い上がり、献花台に砂埃がついてしまうのかもしれませんが、しばらく花が手向けられていないためのような気もしながら、じつは本当はそれが献花台かどうかわからず、しばらく辺りをうろうろし、恐る恐る花を置いて黙祷しました。

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後で、売店のおばちゃんに聞いたらやっぱりそれが献花台だとわかり、年も年であることから、このような場所で粗相をするわけにはいかんとドキドキしながら花を置いたためやけにホッとしてしまいました。
それにしても無知は怖いですな・・・(汗)


そんなこんなで、その次は、そろそろ空港へ向かう時間も迫ってきたので、(恐らく)この公園で一番の高台であろう場所にある展望台から、摩文仁の丘からの景色を目に焼き付けて帰ろうと、とぼとぼ展望台に向けて登っていくと、そこにはやっぱり素晴らしい景色が待っていました。

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今は辺りは静かで、この景色を見ると心も落ち着くけど、65年前はこの海の遠く先にかなりの数の戦艦が見えたり、すぐ近くで砲撃の爆音が鳴り響いたりと全く今と違う光景があったのかな・・・と思いながら少し下を見下ろすと、木の茂みの間を黒い南国風の蝶がひらひらと飛びながら茂みの中へ消えていくのを見て、ふと白梅の塔で見た黒い蝶を思い出しました。

なんという蝶かわからない(黒アゲハ?)ですが、またまたなんとも言えない物悲しい気持になりながら、展望台の高台の突き当りにある黎明の塔へ向かおうとしていると、その展望台の脇に下へ降りていける小道があり、誰かが下りて行くのが目に入りました。

ちょっと気になりましたが、そのまま黎明の塔へ行くと(と言っても展望台のすぐ隣ですが)突き当りの柵の上に深い青色の、これまた名前がわからない鳥がたたずんでいます。

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あまり、近づくと逃げて行くかなと思いましたが、こっちが割と近づいてもほとんど動かず、飾り物かいな?とも思いましたが、高台の先端で遠くを見るように柵の上で佇んでいる名も知らぬ鳥は、何やら人間のように思案しているようにも見えました。

それから、あぁ、もうそろそろ時間だなと思い、来た道を引き返そうと、展望台を通り抜けようとしましたが、さっき人が下りて行った脇道が少し気になり、ちょっとだけ行ってみようと小道の階段を少し下りると、沖縄戦の最高指揮官が自決した壕がありました。

壕の傍へ行き黙祷を捧げて、さすがにもう引き返すか・・・と思いましたが、階段は、まだまだ続いていた為、今度はどうしても気になりひたすら降りて行ってしまいました。

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時間が気になりながらも階段を降りて行くと、今度は沖縄師範学校男子部等の生徒の慰霊塔である健児の塔があります。

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こんな離れたところにも慰霊塔があるのかと思いつつ、本当に戻らないと、と思いながらも、足は反対方向に向き、健児の塔の先にまだまだ伸びる通路を進み、草に覆われた小道のその先にまるで(言い古された言葉ですが)映画のワンシーンのように、急に海岸が目の前に開けてきます。

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摩文仁の丘の下の砂浜に出たようでした。

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そして、そこは一種の秘密の場所のようでした。

展望台の方からは確かにこの海岸は良く見えなかったし、岩山にも周りを囲まれて、知る人ぞ知る場所を自力で探した達成感というか、とても稀少な発見をしたようで得した気分だったのに、時間がないため、来た道をすぐ引き返しました。

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ダッシュで坂道を駆け上ったおかげで、その後、飛行機の時間にも間に合い、今回の沖縄出張(半分旅行と化していましたが、一応仕事はきちんとやりました^^;)は、自分にとってはとても貴重な体験だったなぁ~と、しみじみしながらこの日記第一弾を書いてから、こんな短い記事と言うか日記なのに、続きを書き上げるのに2か月もかけてしまいました。

沖縄から帰ってきてから、なんとなく気が重く、普段の生活もぱっとせず、やる気がないというか、ちょっと無気力な毎日を過ごしていました。

何故かはわからないのですが、兎に角、書く気が起こりませんでした。

でも、拙文ながらなんとか自分の貴重な体験をブログにアップすることができたし、一人でも多くの人が、沖縄について知ってもらう、戦争について知ってもらう、ひいては日本について少しでも考えるようになればと思います。

もちろん、自分もまだまだというか、沖縄や戦争のことについて、そしてひょっとすると日本のことについても、ほとんど何も知らないので、これからも勉強して、そして出来るだけ現場を見に行けたらと思います。

最後に、こんな長文駄文につきあって頂いてありがとうございました。