ヒマラヤの高峰 ギャチュンカンに挑んだ山野井泰史、妙子夫妻のノンフィクション。
いっしょに疑似体験をすることができた。
後半のクライムダウンでは、その過酷さに時間を忘れて呼吸するのが憚れるほどの緊張感を持って漁るように紙面を繰っていた。
「山があるからその頂に登る」。
登山家が数千メートルを超える危険な場所に挑む理由は何なのかをぼくは知りたかった。
あの異次元の世界には甘美な時間が流れている。
登り続けているときの高揚感があった。
過酷な体験をし感じた人にしかわからないものだ。
いわゆる麻薬のような一旦はじめるとなかなか止められない格別な感覚だった。
196P
それは頂上に登った瞬間の達成感を欲しているからだろう。いや、そうではない、と山野井は思う。頂上に登った瞬間ではない。頂上直下を登っている自分を想像するとたまらなくなるのだ。間近に頂上が見えている。そこにはまだ到達しない。しかし、もうしばらくすればたどり着くだろう。そうした中で、音を立てて吹き付けてくる強い風の中を、一歩一歩登り続けるときの昂揚感は何にも替え難いのだ。
358P 解説 最も自由なクライマー 池澤夏樹
この各段階がそれぞれどれほどの困難を伴ったか本文を見ていただきたい。人間の身体にはこれほどの力があるものか、手足の少なからぬ数の指をかつて凍傷で失い、加えて妙子は高所ではほとんど食事がとれない体質という悪条件の下で、必要なものはすべて二人で背負い、平地の3分の1という酸素濃度、氷点を下回る気温の中で、垂直に近い雪と氷と岩を登り、休み、吹雪に耐え、登り、雪崩に襲われ、落ち、離れ離れになってまた互いを見つけ、生きて帰る。人間の身体能力としては、これは驚嘆すべき偉業である。
<目次>
第1章 ギャチュンカン
第2章 谷の奥へ
第3章 彼らの山
第4章 壁
第5章 ダブルアックス
第6章 雪煙
第7章 クライムダウン下降
第8章 朝の光
第9章 橋を渡る
第10章 喪失と獲得
終章 ギャチュンカン、ふたたび
後記
解説 池澤夏樹
沢木耕太郎さん
1947(昭和22)年、東京生れ。横浜国大卒業。ほどなくルポライターとして出発し、鮮烈な感性と斬新な文体で注目を集める。『若き実力者たち』『敗れざる者たち』等を発表した後、’79年、『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、’82年には『一瞬の夏』で新田次郎文学賞を受賞









