※ 特別機動捜査隊 まえがき

捜査担当班の詳細については、wiki特捜隊-キャストを参照、また、(本放送)とはNETでの放送、(再放送)とは東映chでの放送を指します。出演者については配役名を略していますが、本文で書くこともあります。なお、出演者をもっと知りたいときは、リスト特捜隊で検索。

また(出演者)は、エンディングで、一列~三列で表示された男優・女優に限定しました。

1963年公開の、映画版・特別機動捜査隊全2作とは趣が異なることに注意。

 

【#623  ある夜の 出来ごと】

 

(本放送)1973年10月10日

(再放送)2016年11月10日

(脚本)横山保朗

(監督)天野利彦

(協力)無し

(協賛)無し

(捜査担当)三船班

関根部長刑事(伊沢一郎)、倉岡刑事(倉岡伸太朗)、石原刑事(吉田豊明)、

松木部長刑事(早川雄三)、畑野刑事(宗方勝巳)、三船主任(青木義朗)

 

(出演者)

高野ひろみ、桐原文雄、中野文吾、花島泰雄、遠藤孝子、内田嵐、小倉雄三、

田中淳也、大阪憲、榎本英一、宗田千恵子、七海わたる、金森清二郎、新田祐子、

大原百代、川上一男、守屋俊志、加藤土代子、二瓶秀雄、中島元、加藤春哉、

江幡高志

 

(あらすじ・予告篇から) 

※当時のナレーションをそのまま聞き写しています

 

・・・・・・・・・(夜間走行の路線バス内の場面)

学生服の男2人組、

1人は酒を瓶ごとあおり、1人は酔った勢いでマイクを握る。

「我々はハイジャッカーならぬ、バスジャッカーである。

反抗する者は命の保障はしない、わかったか!」

・・・・・・・・・(以下、ナレーション)

最終バスに、酒に酔った2人の学生が乗りこみ、

乗客たちに嫌がらせの限りを尽くすのであった。

そして、殺人犯を追って乗り合わせた畑野刑事も学生たちに・・・。

次回、特別機動捜査隊、「ある夜の 出来ごと」に御期待ください。

 

 

(備考)

・検証本353-356頁、

その引用「映画秘宝vol4. 男泣きTVランド」114頁(1996年、文筆・丸田祥三)、

「特捜隊掲示板 6」の>>757->>777あたり、

「映画秘宝. 夕焼けTV番長」(1996年)、

に当作のことが書かれています。

・下記の登場人物の人名の多くは、後半の三船班の捜査や、ラストの島宇志夫のナレーションなどにより明らかになりますが、便宜上、下記本文で表記します。

・劇中のつつじヶ丘団地は、神代団地(調布市・狛江市)かと推察も未確認。

・ラストのネタバレを一部公開しているので、気になる人は読まないほうがいいと思われます。

 

 

(視聴録)

 

妻殺しの松浦(守屋俊志)の行方を捜査中の三船班。畑野刑事、石原刑事は、松浦に協力しているとみられる、あつみ涼子(高野ひろみ)を尾行、京王線・つつじヶ丘駅のホームベンチに座る涼子を張込んでいた、時は22時45分。畑野刑事は、三船主任に連絡を入れ改札口を見張るべく、ホームを石原刑事に任せるが足元がおぼつかない。風邪のせいか、高熱で本来の動きがとれない状態で、三船主任への連絡も途中で気を失うことになってしまった。

 

その最中、ホームの涼子は石原刑事の尾行を巻き、改札から出て東多摩町行きの西南バスに乗車する。電話boxで気を失っていた畑野刑事は目を覚まし、涼子の乗車を目撃、タクシーでバスを追いかけ2つ先の天神橋停留所で乗車、涼子に面が割れていないこともあり、尾行に成功する。その後、つつじヶ丘団地入口停留所でかなりの人数が降りるが、畑野刑事は涼子の落ち着かない態度を監視していた。この時点での、西南バス社員・清水あきお(中島元)が運転するバスの主な乗客は、畑野刑事、涼子のほか、OL風・のむら奈美子(遠藤孝子)、奈美子の連れ・かつお(江幡高志)、会社員風・阿部まさる(加藤春哉)、学生風・飯田みつお(花島泰雄)、主婦風・ばば房子(加藤土代子)、房子の友人・時子(大原百代)、教師風・田代ゆういちろう(二瓶秀雄)であった。

 

そして、団地事務所前停留所に近づいたあたりで、学生服を着た2人の男が道端に飛び出してきた。1人は運転窓から清水へ乗車させるよう絡むスポーツ刈りの男、1人はドアを酒瓶で叩き開けるよう要求する髭剃り残しの男。房子、田代は乗車させず早く出発させるよう清水を急かすも、阿部、かつお、奈美子は事なかれ的に乗車させようと提案、2人を乗車させることになる。しかし、2人は乗車後に乗客をからかい、暴言の数々。停留所(団地事務所前?)に到着、何人か降りるが、乗車拒否の態度をとった田代は降車させず、そのまま出発させる。

 

時子をはじめ降りた乗客は、口々に、こうこく大学の学生だ、空手部のバッジをつけていたと言い合うが、後にスポーツ刈りの男は丸山みつる(桐原文雄)、髭剃り残しの男は大庭おさむ(中野文吾)と明らかになり、出発後から2人は車内で暴力を振るうようになる。

 

そのころ、つつじ台公園では、松浦と息子・登(田中淳也)が涼子と合流しようと待機、バスが見えたので追いかける。車内の涼子も気づき手を振り、つつじ台公園前停留所で降りようと降車ボタンを押し立ち上がり、畑野刑事もそれに続こうとする。しかし、丸山、大庭は涼子の降車を妨害、田代にも悪戯を続ける。たまりかねた清水は停留所到着前に急停車、降車ドアを開け乗客全員に逃げるよう指示するが、丸山は清水に暴行、血だるまに、大庭は降車を妨害する。それを遮り畑野刑事は降車しようとするが、体調不良のうえ多勢に無勢、重傷を負う。

 

追いついた松浦、登は開いた降車ドアから惨状を目撃、涼子を助けようと松浦が乗りこむも羽交い絞めにされ、登を車外に残したまま、丸山の指示でバスは発車させられる。その後、バスは停留所に停まることなく暴走を続ける。

 

一方、三船班主力は、つつじヶ丘駅にようやく到着、時は23時55分を指し、畑野刑事が消息不明となって1時間が過ぎていた・・・。

 

 

上記は開始後19分過ぎまでのストーリーで、このあとラストまで26分弱、三船班の車外での捜査、車内での乗客の心理状況、そして思わぬ事件の発生など、興味津々に展開します。また、当作の三船主任の登場場面は、序盤にあった後つつじヶ丘駅到着の場面まで、16分間ありません。三船主任が先頭に立つ、いつものパターンではなく、完全に畑野刑事の物語となっています。そういった意味でも、非常に面白い作品といえましょう。

 

また、映像的な表現に秀でた作品とみることもできます。、上記で「石原刑事の尾行を巻き」と書きましたが、涼子が無表情なこと、石原刑事の面が割れていることが前提のため、涼子がさほど悪女っぽくみえません。これが、バス後部から松浦と子供に叫ぶ場面、畑野刑事に接する車内や河原の場面を効果的にしています。

美奈子とかつおの繋がりにしても、バスの前席・後席の位置取り、ライターを持ちながらの手の位置、さらには意見の同調などで、上手く表現させています。

さらには、電話boxや乗車拒否の場面で、単におせっかい焼きのおばさんと見えた房子も、格闘している畑野刑事の落とし物を回収、後に渡す場面で内面の違いを垣間見せるなどなかなか考えた作りにしています。

 

そして、勧善懲悪的な流れも見落とすことができません。ラストの格闘で、車内、河原と2つあるのですが、丸山、大庭の運命はどうなったのか。車内から河原での出来事が丸見えだったのがラストで明らかにされます。ある人物の泣く姿は、これを目にしていたからゆえの恐怖でもあり、このような状態にさせた畑野刑事のアクションもまたみどころであります。

丸山、大庭を乗車させることになった、美奈子、かつお、阿部の態度に対しても、結末はシビアに展開させています。初見時は、美奈子、かつおだけでは片手落ちと思っていたのですが、再見すると阿部にもそれ相当なことになっていると感じました。

ナレーションで

>この朝、妻・けいこ、男子を無事出産

と触れているのが、なんとも皮肉です。

 

さて、当作は、先にも触れた畑野刑事の物語。三船主任を食った主演作であり、過去にもあった「#522 想い出の女」「#546 四匹の牝猫」を超えた、俳優・宗方勝巳の熱演です。

非常に印象に残る場面は、ネタバレを承知で書きますと、

 

河原の現場で、正座してうなだれる畑野刑事のもとへ駆けつける三船班。

散らばる、関根部長刑事、松木部長刑事、石原刑事、倉岡刑事。

残された畑野刑事、右横に立つ三船主任を、左横から映し出す

(畑野刑事の右腕は映らず)。

三船主任がそっと畑野刑事の右腕を掴み挙げると、きれいな石塊を握る畑野刑事。

三船主任が、その石塊をとって地面に落とすと、畑野刑事のかすれた声、

「・・・誰よりも、この私が、一番殺したかった・・・(涙)」

畑野刑事から一歩離れて、見守る三船主任。

 

そして、ナレーションのあと

畑野刑事、三船主任のアップから、畑野刑事の慟哭の声とともに、カメラが引いていき、乗客たちと歩く特捜隊、西南バス、特捜隊車両、河原全体が映りエンディングとなります。

 

これは、巷間いわれているような(備考の引用文献の論評)、戦中派云々の臭いは無く、国家を小馬鹿にしたような描写もありません。「年刊テレビドラマ代表選集・1974年度版」には横山保朗の当作脚本が載せられているようですが、恥ずかしながら自分は未見です。ただ、これが事実だとしたら、コンテ、現場、編集で、天野利彦監督が、中井義プロデューサーが、改変、削除などを行なったものだと考えられます。

確かに、脚本をそのまま演出する小津安二郎のやり方もあるでしょうが、脚本を現場の雰囲気によって改変演出するマキノ雅弘のやり方もあるのも事実です。ここで、自分は、女優・山田五十鈴が「出来上がった作品は監督さんのものです」という言葉を思い出します。人により解釈は違うでしょうが、どんな脚本でも、監督は俳優、カメラ、音響、照明、道具、あるいは政治力を駆使して、プロデューサーの意に沿った作品を演出、完成させるものだと、個人的には考えています。

 

それからすると、横山保朗脚本のままでは一般受けが良くないと考えた中井義プロデューサー、「#503 純愛の海」で中道的立場をとりながら本質は「#551 群衆の中のひとり」で保守的立場を表明した天野利彦監督からすれば、改変、削除やむなしと考えたことが想像されます。

予告篇での丸山、大庭の台詞「反抗する者は命の保障はしない、わかったか!」の部分が、本篇ではバッサリ省かれていることは、脚本が、演出時に天野利彦監督により、編集時に中井義プロデューサーの意向により、削除となったのかもしれません。

また、紙飛行機を飛ばす場面で、不自然にジェット機の音が流れますが、これとて零戦のプロペラ音、君が代が流れているのを、編集で入替したのかもしれません。

まあ、「年刊テレビドラマ代表選集・1974年度版」を未見なので、あくまでも想像で語っているにすぎませんが・・・。

 

ただ、まとめますと、脚本がどうであろうと、当作は面白いアクションもの、刑事ドラマに仕上がったと思われ、傑作のひとつに数えてもおかしくないと思われます。

かつて触れた、成長した畑野刑事の姿・・・。確かに刑事としてはどうかという台詞を三船主任につぶやきながらも、惨劇の直前に叫んだ「やめろ!」という言葉は、かつて極限状況に追い込まれた三船主任の「#496 闇の中」での刑事魂に通じるものがあり、救いになっています。

畑野刑事の成長は、2作後の「#625  生と死の詩」での、水木刑事(水木襄)との対比で、三船主任を刮目させるほどになっています。

 

(追加)

あと、ラスト前の河原の場面で、誰が手錠を掛けられ、誰が手錠を掛けられていないかの描写も秀逸。惨劇の当事者に対し、特捜隊、そして演出の天野利彦監督がどう考えているか垣間見ることもでき、興味深いです。そして、このような描写が、横山保朗脚本にあったかどうか、その点も気になります。