巫(かんなぎ) の林紗妃です。

 

最近は、人と神さまをつなぐご縁を「お預かりしている」のだな、と思うようになりました。


今ご縁をいただいているオオクニヌシとコトシロヌシの後押しも、ただ受け取るだけでなく、そこで何が起きたか、どう捉えているかをお伝えするのも、自分の大切な役割だと改めて感じます。

 

 

私としては正直、泥臭いところを見せるのは躊躇しますが、それを乗り越えるプロセスや、心境の変化に至るプロセスをお見せすることで、神さまの後押しを垣間見る一助になればいいや、と考え直しました。

 

 

長らく後押しが続いていますが、神さまの後押しは、じっくり長い目で見て落とし込むもの。

そういう意味では、本来の形に戻りつつあるようです。

 

 

これまでの記事

①「できたこと」を記録する

②思いがけないラッキーをメモする

③不安でも小さなことからやってみる

④過去を捉え直す

⑤現実的豊かさを具現化させるのに必要なもの

⑥「自分のために」動機の180度の方向転換。

⑦相当ガマンしていた私。

⑧思うこと・感じることをジャッジしない

 

 

 

そんな中、神さまから与えられた課題は「自分を大切にすること」でした。

そこに正解はありません。

誰かのためではなく、役立つかどうかも関係なしに、自分が心地よく過ごすには、どうすればいいか。

見直すのは、ただそれのみです。

 

 

しかし、「人に合わせなければならない」という思いに囚われている私にとって、それはとても勇気のいることでした。


「これがなんの役に立つんだ」という考えや、具体的で形あるものだけを成果とする捉え方も、修正せざるを得なくなるため、心理的な抵抗感がありました。

 

 

自分を尊重することは枠組みを超えることにもなると知ったのは、つい今朝のことです。

 

あまり眠れずに迎えた午前5時。

無性にお腹が空いて、朝ご飯を食べました。

それも、チキンカツというガッツリなご飯(笑)

 

それで気が済むかと思いきや、今度は板チョコが食べたくなりました。

 

「一枚、食べたい」

 

そのときはわけがわからず、こんな時間に買いに行くの?・・・と躊躇しましたが、6時には、板チョコを買って帰宅した自分がいました。

一枚だけのはずが、イチゴチョコが気になって、つい3枚。

 

 

2枚目の板チョコを割って食べながら、「人や社会の然るべき枠組みからはみ出るって、こういうことか…」と思いました(笑)

そういえば、いつもご飯のお供に本を読むのですが、このときは一度も開きませんでした。

 

コドモの頃、板チョコを皆で分け合わなくてはいけなかったことを思い出しました。

本当は、独り占めしたかったのをガマンしていたのかもしれません。

また、人に合わせることでいつの間にか、自分に使う時間や、その使い方にも制限をかけていたのでしょう。

だからこそ、いつもと違う時間でも、スナオな欲求に従って、自分のためだけに味わうひとときが欲しかったのかもしれません。

 

 

子供の頃の小さな衝動、願いを叶えることで「自分を丁寧に扱う」ことの意味を少しわかりかけてきます。

また、それは私にとって、自分の中にある「こうあるべき」という枠組みを超えていくことでもありました。

 

 

時間すらヒョイと超える自分の欲求に従えばいい。

だって、チョコは1枚ほしいし、なんなら好きなだけ食べたいし、本だって好きなだけ好きなときに読みたいのです。

それが早朝だろうが真夜中だろうが、構いません。

誰かと一緒にしなきゃいけないとか、時間の制限とか、本来は死ぬほどイヤなのに、「それじゃいけない」と、頑張って人に合わせていたのです。

 

もうあの時と同じではないし、私はもうオトナです。

自分を満たす方法は、誰よりも自分が知っていて、与えてもらうより遥かに豊かに自分を満たせます。

それができるのも、オトナである証拠。

 
 
ちなみに、このあと。
「仕事しようか」とする気持ちも出てきましたが、これも「無条件で満たされてはいけない」という思い込みでした。
 
満たされていいに決まってるわ。そのまま寝ろよ。
素晴らしい時間に、ケチをつけるんじゃないったら。

 

 

そう自分に言い含めてから、昼過ぎまで寝て、こうしてブログを書いています。

 

 

「自分に優しくする」とは、自分を尊重する、敬意を払うこと。

それは何も、形あるものや「ご褒美」をあげることだけではありません。


たとえ今、叶えることができないとしても、「したい」「欲しい」という自分の気持ちは尊重できます。


人に与えてもらうことを期待するよりも「自分で選択する」という主体性を持つと、満たされる度合いも大きく変わります。



豊かさを得ることは、自分を大切にすること。

ひいては既存の枠組みを超えて、「自分のために生きる」ことなのだと、神さまから教わった気がしました。




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巫(かんなぎ)の林 紗妃です。

コロナ禍で有名になった「蘇」。
元は飛鳥時代からあった牛乳を煮詰めた食べ物です。

「薬」として扱われていたり、平安時代はお正月に大臣が開催する宴会で、天皇が差し入れるものでした。
(その使いがやってくることそのものがイベントでもあったようです)


作ってみたいとずっと思ったものの、牛乳を買い忘れたり、めんどくさかったり、先延ばしにして、とうとう今になりました。

時代が時代なら、きっと冬に仕込まれていたと思われるので、だいぶ季節外れにはなりますが、季節がもっと暑くならないうち、今のうち、ということで。


今回は、JAさんのレシピを参考にしました。
まずは1リットルの牛乳の半分を使って、鍋で煮詰めていきます。

10分経過。

え、まだ泡しか見えない…
これでホントに蘇になるん???

心配になって時おり木べらでかき混ぜてみるも、膜が貼りつくだけで、まだまだ液状。
心配だなあ…。


20分経過。

水分量は減ったけど、なんかまだ固まらないな…。
と、鍋を覗き込み、木べらでかき回すうちに、徐々に固まってきました。

ちなみに火が弱いのかと調節もしてみましたが、中火よりちょい弱めくらいが、泡が出ずに水分が飛んでいくようです。


あとはひたすら、底にこびりつかないようにかき集めるだけ。
腕がびみょうに痛くなるけど、やめるとすぐ貼り付くので、ここは頑張りどきです。


開始から45分ほどで、固形状になりました。
思ったより早かったな…。

テフロン加工のフライパンがなかったので、鍋を使いましたが、フライパンならもう少し早かったかも?
(煮詰め加減、時間によって味が若干違うかもです)


最初の沸騰時に火の調整をしそびれて吹きこぼれましたものの、水分を飛ばす量を考えると500mlの牛乳でおよそ85gの蘇が作れるようです。

このまま、冷蔵庫に入れて一晩寝かせます。


翌日。


濃厚な牛乳の風味を楽しめる「蘇」のできあがり☆
ほんのり甘みもあって美味しいです。
はちみつをかけてもいいかも?

ただ、ノドが乾きます(笑)
昔の再現ならこれでいいかもしれないけど、もうちょっと水分を残しておいてもよかったかな。
(昔は冷蔵庫がないから、カラカラにしてたはず)
牛乳があと半分あるから、リベンジしよっかな。



感性と感覚を引き出して、自分ならではの豊かさで生きてみませんか?

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(単発のメッセージと継続のレッスン形式、両方あります) 



今のあなたに必要なサポートをしてくれる神さまを派遣して、二人三脚で運気を後押しします。
半年分の厄落とし☆ククリヒメと水神さんにエネルギーを整えてもらいます。



 
巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 

昨日は木星がかに座に入り、今日は射手座で満月を迎えました。
満月タイムは明日の11時前まで続きます。
 
この一年の集大成を得たり、結実を感じる人もいるのではないでしょうか。
少なくとも「問題はこれだ!」とわかって、取り組む意欲を取り戻した人もいそうです。
 
 
私たちは、自分ひとりでは生きていけません。
そばに知っている誰かがいなくても、一人で生きているわけではないのです。
 
見えないから、いないから、なかったことにしている、いないことにしているのは、自分の足元にしか目を向けていないから、なのかもしれません。
 
 
そんな自分、ひいては自分の持っているものをあの手この手を引っ張り出しながら、使えるものを整理して、今から活かせるものを知る。
 
この数ヶ月、停滞を感じていた人ほど急に動き出して忙しくなっていきます。
「隠れた敵」を発見する人も、いるかもしれません。
それは、実は「目を背けていたい自分」だったりするかも?
 
隠したい自分だって、自分なのです。
そして、隠すほどに他者からは意外と見えていたりするもの(笑)
自分にも身に覚えがあって、書きながら「ちょっと恥ずかしいなあ」と思っていたりします。
 
 
けれども、それだけが「本当の私」じゃありません。
自分だけが知っていること、人から見えているもの、欠点も長所も含めて、全てが自分でしかなく、不完全で伸びしろだらけでも、今なお与えられているもの、受け取っているもの、そこに「ある」ものがある。
 
「自分には全く、何もない」と思い込んでいるのは、自分の「思う通り」という枠組みに囚われているからなのかもしれません。
視点を変えれば、すぐにでもその豊かさを享受することができるはずです。
 

6月は、そんな視点の転換から停滞したエネルギーを解放できます。
それらしく取り繕った自分でいることへのガマンは、既に限界が来ているはずです。
それよりも、どんな自分でも自分なのだと受け入れて、過去を含めて許す方が、ずっとラクで自由に生きられます。
 
もちろん、既成概念にしがみついたまま生きるのも、またよしです。
この世は「自由意志」によって、いくらでも選択が許されている世界。
変えられることを変えないまま、死ぬまで生きるのもまた自由です。
 
ですが、それだとせっかく与えられた人生がもったいないなあと思います。
過去がどうであれ、人がどうであれ、あなたは他の誰でもない、たった一人の自分だから、その自分でその生を存分に謳歌したらいいと思うのです。
 
 
・・・と、ここまで偉そうに書いていてなんですが、私もまた過去に囚われ、他人の目線を気にしていた一人だったりもします。
 
できないこと、確証のないことなんて
何一つ引き受けたくない、挑戦したくない!
 
そんな気持ちをひた隠しにして、ここまで突っ走ってきました。
つまり、私にとっての隠れた敵は「自分の気持ちを抑えている自分」だった、ということになります。

道理で目に見える結果や成果を出すことで、仮初めの充足感を得ても、結局は自分の気持ちから目を背けていたら、何をしても手から零れていくわけです。
 
もちろん、それもまた私の自由ですが、さて今の自分がその生き方を続けていきたいかというと・・・?
 
いかんせん、染みつきすぎて「手放す方が怖い」なんて恐れが出てきますので、完全に「No」とは言えないまでも、「都合悪かろうが自分の真実を引き受けて生きた方が、圧倒的にラクだよなあ」なんて思っていたりします。
 
それに、私は今なおオオクニヌシとえべっさん、二柱の神さまから「豊かさを受け取る後押し」をされているのです。

「できる」と信頼されているからこその提示にも関わらず、都合のいいところだけに目を向けて、隠したものから目を背けっぱなしっていうのは、信頼を裏切ることになりますし、何よりそんな自分になりたくないっていう気持ちが勝ちます。
 
 
おっと、また「隙あらば自語り」が出てきたので話を戻すとして。
そんなわけで、今から来週にかけては、とくに「飛躍の芽」を発見する出来事が起きやすいようです。

自己充足感は、自尊心と大きく関わります。 
どれだけ自分を信頼できるか。
できないことがあっても、思い通りに行かなくても、存在価値はまるで揺らがないと、腹の底から確信できているかどうか。
 
「飛躍する」のも、結局はその自己信頼をいかに回復するか、で始まるように思います。
 
でもね、大丈夫。
あなたには、神さまがついている。
あ、別にコレ宗教でもなんでもなくって(笑)
見えない手がいつでも差し伸べられているし、それはヒトの願いではなく、神さまだって「望んでいるってコト知ってほしいな」
・・・って、コレ今オオクニヌシ入ったな?
 
だって、そうでしょう?
ボクたち、いつでも人の幸せを願うし、幸せになるのはワガママでも卑怯でもない。
自分の幸せは、人のためになること、役立つこと。
ひいては人を幸せにすることだからね。
 
おっと・・・目に見える形で、相手の期待や要求通りに返すことが「役立つこと」と囚われていた私にとって、この言葉はとてもよく刺さります(笑)
 
細かいこと、気にしない。
人のために役立つ、と自分が信じていれば、「役に立とう」としなくても自ずと求められていくよ。
 
お次はえべっさん。
求められていく、は「求められている」にも聞こえるし、「存在するだけで求められている」と言ってるようにみえました。
 
とにかくね、6月は必ず動き出せるから。
自分が目を背けて芽を摘まない限り、やがて大きく育っていく。
したくない、できない気持ちをガマンしてする必要はないけど、その気持ちを改めて受け止めることができたら、心持ちから変えられて、前に進むことができるんじゃないかな。

えべっさんの力強い目線で断言されると、そうかもな、とやる気が出てきます。
…あら?コレ運気予報の記事じゃなかったっけ。
冒頭で星のことを書いたけど、全く触れてないな。
まあ、いっか…。
 
豊かさを引き受けると決めたときから、繋ぐものがあるよ。
欲しいと思う気持ちを受け止めたら、それは必ず手に入るようになっているよ。

そうそう。なんたってボク、縁を司る神だからね!
なんだって、手に入るのさ。
手に入らないのは、今必要ないか、全く必要のないものだけさ。

ねえオオクニィ、自分で「神」って言ったら胡散臭く…うん、いいよ。神だもんね。間違いなく神だもんね。

別に細かいことは気にしなくていいよ。
受け取ると決めたときから、幸せはもう始まっているから。
滞りなく、前に進んでいけるよ。

だね。ただ、人には現実とか物質的なプロセスとかがあるから、なかなか見えにくいだけで、取り組めばちゃあんと進めるからね。
ホラ、僕たちと縁を結べば後押しだって受け取れるわけだし(笑)

あ、宣伝入った(笑)
誤解のないように言っておきますと、「神社に行ってお願いする』とかでもいいんですよ、コレ。

あとは今、これから「えべっさん(コトシロヌシ)とオオクニヌシさまとご縁をつなぎます」と心のなかで宣言するだけでもいいです。
なんたって、神さまの後押しはタダですからね!

巫が繋ぐメリットは「繋ぐ」ことを確認しながら、潜在意識に届けるように調整して、神さまの言葉を直接その人に向けて降ろすからです。

神さまの後押しを受け取りやすいようにスキマを作るのは、とってもお腹が空きますんでね!
ご自分でスキマを作れるのなら、それに越したことはありません。お金もかかるしね…。

ただ、言葉があると認識しやすくて自覚が進むためか、後押しに気づきやすくなるようです。
内面に目を向けやすくなるというかね。

それと、しっかりスキマを作ってるんで、当然後押しが入りやすくなりますし、現実で目に見えて変わることもある、といった変化も捉えやすくなります。


「自分と向き合う」こと一つとっても、自分の感性や感覚がモノを言うので、そういう意味では神さまの力を借り受けるのは、そういった目に見えない自分の力を最大限に引き出すことでもあります。

6月はとくに、停滞から抜け出して自分自身の力を引き出しながら、飛躍まで進めるのにちょうどいい流れといったところでしょうか。

疲れも取れやすいので、休息とメリハリをつけるのもオススメです。
新たなエネルギー循環を作っていけます。



自分で取り組むもよし、神さまの力を借りるのもよし!
いずれにせよ、挑戦は大いに支持されていますし、始めたことは無駄にはならない、とても充実した一ヶ月です。
早い人は夏至辺りで「目の当たりにする」ことがあるかも…?


なお、今後の方向性を定めたい人や、内面に取り組むにしても、どこから手を付けていいかわからない人は、ぜひ身近にいる守護さんのサポートや、神さまの後押しも大いに利用してみてくださいね!

感性と感覚を引き出して、自分ならではの豊かさで生きてみませんか?

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巫(かんなぎ)の林 紗妃です。
 
 
自分で生き方を変えると決めたとき、必要なことは必然的に起きます。
 
「自分にスナオに生きよう」
 
「正直になろう」
 
内側から湧き出る、そんな欲求は魂の自分で生きる入り口です。
 
 
これまで、あなたは人のために生きようとしていたのかもしれません。
あるいは、傷ついた気持ちを取り返そうとしてきたのかもしません。
もしかすると「自分のことはガマンするしかない」と、諦めていたのかもしれません。
 
そのときは、その方法で前を向き、進むしかなかったのだと思います。
今までのあなたを支える原動力になっていたに違いありません。
そこで積まれた経験値は、絶対にムダになることはないはずです。
 
 
一方、そのままでいることに、そろそろ限界に近づきつつあるのだと思います。
 
小さな違和感が出てきたり、今までの興味を失ったり、立ち止まったりすることが増えるのは、魂の自分による「生き方を変えたい」という合図です。
 
むしろ、これまでの経験値をめいっぱい、今度は「自分のために活かせる」時期が来たのです。
 
 
物事には順番やタイミングがあります。
今、課題が浮き彫りになったり、壁にぶち当たっている人は、逆に言うと「解決策にも光が当たっている」と言えます。

また、こうも言えます。

魂の自分が知っていることに目を向けることができる

得られる情報が多くなったところで、何を選ぶかは自分次第でしかありません。

「風の時代」ともてはやされる今だって、しっかり自分の足で立って、振り回されないように前を向くには、いつだって私が私でいることを確立するのは必須です。


これまで囚われていた既成概念や常識、固定観念を解放した、その先に「魂の自分」がいます。

それは現実を度外視して自己中心的に振る舞うことではなく、直面する事実があってなお、自分を見失わずに自分と世界を行き来する自由を得ることです。


そんな魂の自分の自分の中にある豊かさに目を向けたとき、現実もまた豊かさにあふれていることに気づけます。

ちっぽけだと思っていた、無力だったはずの自分が大きく輝いて見えます。
もとい、「ちっぽけに見える」のも「無力だった」のも、自分の思う自分に囚われているに過ぎません。


私は、人を無力だとは思わない。
いつだって立ち直る機会は必ず来るし、掴んで立て直す力は備わっている。

「これしかない」から「他にあるはず」という可能性に目を向けたとき、他からの後押しやサポートも必ず入ってきます。


自分にできることがある。

自分にしかできないことがある。

その確信を持って、自分の人生を歩むことができるのだと思います。
 

 


あなたの中で眠る魂の力を引き出し、豊かさの中で自由に生きるステージへと誘います。

ただいまお申し込み受付中です。



 

 

巫(かんなぎ) の林紗妃です。

ただいま連載中です。

 

これまでの記事

①「できたこと」を記録する

②思いがけないラッキーをメモする

③不安でも小さなことからやってみる

④過去を捉え直す

⑤現実的豊かさを具現化させるのに必要なもの

⑥「自分のために」動機の180度の方向転換。

⑦相当ガマンしていた私。

 

 

自分の感情や感覚は、内側から自然と湧き出るもの。

どんな感情も感じていいし、そこに必ずしも理由はいりません。

「自分は今こう感じているんだな」と受けとめるのに、評価する必要もないのです。

 

でも、自分にとって都合の悪い感情や感覚を抑え込むと、「自分の思うこと・感じることはムダ・無価値」と諦めるようになります。

 

とくに人目を気にしていたり、支配やコントロールを受けた経験があると、相手にとって都合のいい自分でいるが優先なので、なおさらその傾向が強まります。

(それがたとえ「過去」であっても、意識や行動パターンが残り続けている場合があります)



神さまの後押しによって、自分のそんな「不都合な領域」が広がったとき、出てくるものに対して素直に「そうなんだな」というだけでいいのに、いちいちジャッジしている自分に気付きました。


まるで、モグラ叩きのように出てくるたびに批判して潰そうとするパターンに陥っていたのです。

 


そうなると、湧き出る感情そのものだけでなく、それに対する反応も全て受け止めなければいけません。


当初のうちは、批判に対して反論したりもしていましたが、それも含めて「そう思っているんだな」と受けとめることで、感じること全てを許していました。

 

 

「現実的豊かさを得る」ための後押しを受けているはずが、なぜ感情を受けとめることに?

 


「感じる自由」も豊かさの経験の1つだよ。

 

コトシロヌシさんの声が降ってきます。

そこで、はたと自分の感じることも「現実」だな、と気付きました。


それが果たして事実であるかとか、正解かどうかはまるで関係がなく「そう思った・感じた」という、自分の心の中で起きたこともまた、現実なのです。

 

 

たぶん、神さまの言う「現実」と私の思う「現実」って違うんじゃないかな、という気がしてきました。

 

私にとって、現実とはこういう定義でした。

 

目に見えるもの・形あるもの・共有できるもの・説明できるもの

 

 

でも、よく考えたら

 

目に見えないもの・形なきもの・自分にしかわからないもの・説明できないもの

 

だって「現実」です。

 

自分の感じ方や捉え方、信じることもそうですし、神さまの後押しなんて最たるものです。

 

 

「それは違う」と勝手に、それこそジャッジすることが自分の「現実的豊かさ」を見えづらくしている。

それなら、いつまで経っても「無条件で豊かさを受け取る」ことはできないな、と思いました。

 

 

そう気付くこともまた神さまの後押しによるものですし、自分にしかわからないもの。

あるいは、「自分だけが知っていればいい」ものとも言えます。


目に見えない感情も自由に解放するからこそ、また形ある現実的豊かさも手に入れることができる、ということなんですね。


また捉え方や視点を変えてみると、自分の中に眠る「宝物」もまた、見えてきます。




そんなあなたの中で眠る豊かさ、そして受け取る自由を広げていきませんか?

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