巫(かんなぎ) の林紗妃です。

ただいま連載中です。


これまでの記事

①「できたこと」を記録する

②思いがけないラッキーをメモする

③不安でも小さなことからやってみる

④過去を捉え直す

⑤現実的豊かさを具現化させるのに必要なもの

⑥「自分のために」動機の180度の方向転換。



とうとう6月に入っちゃったよ…!

今回の神さまの後押し、相当長い。

この仕事始めてから、初じゃない?


それも全ては、私が「人のため」「状況がこうだから」とかいう外付けの理由・他者軸が長かったせいなんだけど。



誤魔化し続けてきたことが無効になると、本気で自分の内面と取り組まなきゃいけなくなるし、これまでの「動機」では自分がそっぽ向くから、これまでの方法がぜーんぶ機能しなくなる。



私、相当ガマンしてた。

コドモの頃に、とかく現実に対処することを優先して、自分の気持ちを度外視してきたところがあって、そのまま時間が止まっていた。


もちろん、大人として成長しているところもあるんだけれど、都合の悪い領域を封印して、一部だけで生きてきたんだよね。


じゃあ、その領域を解放したらどうなるか。


ウソがつけなくなるから


何もかも、うまくいかなくなる。


そりゃあ、変化を恐れるわけだよねえ。

目を背け続けていたとしても、表向きの理由をつけてりゃ、そこそこうまくいくんだから。



でも、こうなったのって、そもそも自分に「本当はこのままじゃイヤだ」って気持ちがあったからだ。

人は本能的に変化を避けるけれど、潜在意識や魂の領域は、その影響を受けない。


その潜在意識とつなぐのが感覚や感情なんだけど、思考を優位にさせていたら、気づくことすらできない。

アタマとココロが不一致になるの、まぁまぁ辛いよ。

抑えてきた恐怖心が先立って、今そうじゃないと「わかっていても」動けないんだから。


これまでずっと、何してきたかって言うと、その恐れをずっと受け止め続けていた。

抑えてなかったことにしてきたことのフタを開いて、周りがどうあろうが状況を度外視して、自分を優先させていた。


もちろん、自己責任でしかないし、正しさなんて、どこにもない。

ともすれば、そんなの通用するはずがないなんてことも理解しながら、それでも自分に踏み留まることになる。


自分でも「どうして」と歯噛みしながら、それでもこうするしかない、という奥底の気持ちに従って、一歩ずつ、いや3ミリでも前に進むような毎日は、相当にタフな時間だった。


うまくいかない自分を責めて、殴りたくなったこともあるし、極端な話「もう終わらせようかな」と思ったこともある。


なんだけど、こちとら忍耐強くて生きる執着も人一倍激しいもんだから、「ンなわけあるかい」っつって、生きることにだけ縋りついていた。

忍耐強さと粘り強さが、ガマンと固執になっていたとしても、弱点が強みに変わっていくような日々でもあった。


「役立たずで無価値な自分」という自己非難は、コドモの頃からのクセだった。

そうして、恐怖心や罪悪感から免れてもいて、必死に走り続ける原動力ともなっていたけど、まあ追い込み過ぎだよな。

自分のために生きることが、自分のせいで生きられないという矛盾を抱えたまま、大人になっていた。



ところで、こうして書くと神さまの気配、どこにもないじゃんって気がするけど、ちゃんとここにいるんだよね。

今でも相変わらず、繋がっている。


話すことがないんだよ。だって、私が気づかなきゃどうしようもないんだから。

ただ、そばにいる。一人にさせない。

その「見守られている」という安心感の中で、一人で取り組むしかないことに取り組んでいた。

あとは、心の奥底の本音を汲み出して、「気づき」として促すくらいかな。


全ては、自分の魂の願いのため。

何も強制はされていない。誰もしていない。

どんな状況にあっても、自らすすんで選択できる。



…と、まあこんなことを書くことすら「役立たずで無意味」と勝手に決め付けて、ガマンしていたわけです。

いいじゃんね、これだって後押しを受け取った結果、確かに起きていることなんだから。

ああ、恥じる気持ちも強かったんだっけか。

私はつくづく、人にとって都合のいいようにしか、自分を出さずにいることを選択して、抑えてきたんだなって思うよ。


かなぐり捨てりゃ、どうってことないと思えることでも、くよくよ考えたりしていたんだな。


そうそう。

ごく最近、私は神さまの後押しにすら条件を付けていたことに気づいた。

よほど、無条件が怖かったんだろうね。

自分のすることと取り引きして…って、ホント不敬だな、これ。

よくぞ神さま、長らく付き合ってくれていたな。

むしろ神さまじゃなかったら、とうに見限られていたかもしれない。

これだって、気づくまで待っていてくれていたんだ。

たぶん、私が取り引きとしていたことは、大らかに受け止めてくださっていただけに過ぎないよ。



そこに気づいたら、今の唱え言葉はコレになった。


豊かさは無条件で受け取ることができる


資格がない、価値がない、無条件じゃないはずだ、なんて内側で喚いているのを「うっせーな」で終わらせるための呪文。


これはまた、真実でしかない。

勝手に自分で条件を付けているだけ。



それにしても、ガマンする方がラクだったんだなあ。

そうすりゃ「見逃して」もらえたんだよ、過去にはね。

でも、今ここの自分でも現実でもない。

「コワイオトナ」なんて、どこにもいやしないのだ。

なんなら、今の私がオトナだよ。もう四十路だよ。


ココロだけが、コドモのまま置き去りにされていた。

時を回して、今に追いつこうとしているけれど、もう少し時間かかりそうだな、こりゃ。




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