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心に浮かんでは消え 浮かんでは消え

ネット記事や日々の暮らしで目にしたことから


 

 このブログの最後の日付を見て驚愕びっくり、ずいぶんご無沙汰していました。
 
 3ヶ月ほども前になりますか、ついにあの、噂のインスタントポットを買いました。

いやぁ〜‥‥、もっと早く買うべきだった!!

特にあの、気温が40℃を超えたあの夏!
そこへ近所の山火事のせいでとんでもない空気の悪さで、エアコンもない家だというのに窓も開けられなかったあの夏!!
こ、こ、このインスタントポットさえあれば、部屋がサウナになることなく料理ができたのに‥‥!!!

 なにせコロナで出かけることもままなりませんからね。
レストランはいちおう開いていますが、夫の無職状態も5年めとなると、そうそう頻繁に店で買ってくるわけにもいきません。
どうにか開いているスーパーで食材を買って家で作るのが、身体的にも金銭的にも一番安全ってことです。
 
 実は我が家には、小さいけれどもヨーグルトメーカーもスロークッカーもあるんです。
もちろん、鍋釜フライパンもひととおり揃っています。
そんなわけで、「すごくいいんだってよ」と聞いても、我が家には贅沢品なんじゃないのか?買ったはいいけど死蔵品になるんじゃないのか?と思っていたわけです。

なんたって私、新しもん好きで飽きっぽいですからね〜。

‥‥が、いやもう、圧力機能の素晴らしさたるや、ホント素晴らしい!!
この圧力機能のおかげで、段取りの悪い私でも「あぁ、もう!時間がない!」と作るのを諦めるメニューがぐっと減りました。
 
 何がすごいって、やっぱり威力を発揮するのは納豆の大豆を蒸すときでしょう。
今まで5時間、下手すると6時間、鍋で蒸していたあの暑さと時間とガス代の無駄なことを考えると、マジで豆腐の角に頭ぶつけて死にたくなりました。
だって大粒の大豆でも2時間、新しくて小粒の大豆なら1時間半ですよ。
ヨーグルトメーカーはこちらで買ったものなので、日本製のような温度調整機能がなく、ほぼ24時間かかっていた発酵が、インスタントポットで温度と時間を調整して18時間でちゃんと糸を引きます。

ポテトサラダのじゃがいもを茹でずに蒸すといも味が濃いし、1時間は弱火で煮込むようなスープやカレーやおでんの大根も高圧力で20分「えぇ〜〜、こんなに早くできちゃっていいの?」という感じ。
 
 『8つの機能』という謳い文句でしたが、やはり一番使うのは圧力機能。
その他で使っているのは、今のところヨーグルトメーカー機能とスロークック機能ですね。
炊飯機能もありますが、ミニマリストでもあるまいに「インスタントポット買ったら炊飯器いらない」なんて絶対言いません。
だってご飯炊いてる間におかず作れなくなっちゃうじゃないですか。
 
 買う前には「こんな大きなもの買って、邪魔じゃないの?」という懸念もありましたが、毎日使う時もありますし、間が空いても3日に1度は必ず使っているので、もうカウンターに出しっぱなしです。

インテリア的にはちょっとどーよ、と思いますが、しまい込んだら使わないどころか、便利なのでしまい込めません。

というわけで、しばらく夢中になりそうなインスタントポットです。

 

 

本日のブログは愚痴です。

苦手な方はお読みになりませんように。

 

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東洋経済オンラインより

50代妻が夫の家事手伝いで逆に不機嫌になる訳

 よく聞きますね。
「家で働くのも、なかなかいいもんだなぁ」なんて言っているのは男性だけだ、という話。

 我が家では、夫はもう10年以上在宅です。
そしてここ4年は退職して、次の職へのステップアップに向けての勉強中です。
ずっと専業主婦だった私が在宅と出勤との混合で仕事をし始めたのが4年半ほど前。
その間に、娘は日本の大学に進学し、卒業してこちらに帰国、仕事のため家を離れていましたが、このコロナ禍で失職して自宅に戻ってきました。

ということで、我が家で家事を担当できる大人が1人 ⇒ 2人 ⇒ 3人‥‥と変遷を経たわけです。
‥‥が!
 
家事が「やれと言われれば仕方なしでも何とかできる」「満足にできる」の差の、何と大きなことよ‥‥!!


『長年の経験と感覚で職人のように仕事をしている女性ほど、そのマニュアル化は精神的に負担です。』

 私は別に長年の経験と感覚で職人のように家事をしてきたわけではありませんし、誇りを持って家事をしてきたわけでもない、どちらかというとダメ主婦、ズボラ主婦な方ではありますが、それでも私なりのやり方、こだわりはあるんですね。

やりたい時にやりたいことをパッとできないとイライラする性格なので、それこそ鍋釜・調理道具・調味料の置き場はガサガサ探し回らなくても良いように厳守したいし、夫婦2人きりだった時と娘もいる3人になってからの鍋釜の大きさ別の使用頻度や洗濯の頻度ややり方も少し変わります。
私の感じた「使用頻度」と「アクセスのしやすさ」という論理で、物の置き場所が決まっているわけです。

それを、若干アスペルガーの気配のある夫は、1つのものに1ルールを適用するので、いちいち説明しなければならない。

基本的に夫がする家事と言ったって、洗い終わった鍋釜食器を拭いてしまう程度のことなので、覚えてほしいのですが、何とかの一つ覚えのように夫婦2人時代の置き場所になっていたりして、さらには言うに事欠いて私が気まぐれだから的な批判までされる。

 布巾は麻100%のものを使っていますが、これはめちゃくちゃシワになりやすい。
使って湿っているうちに、きちんと一度折りたたんで、力強くバンバン!と両手で挟めばそれなりにシワが取れて、布巾掛けに下がっていても見苦しくない。

それを夫も娘もしわくちゃでも気にならない、テーブルに物がぎっしりあっても床に物を置いても気にならない性格なので、「さっき引き出しから出したばっかりなのに‥‥」というピンピンだった布巾が、しわくちゃで端も合わずに斜めにデレリンと下がっている。

 食器洗い機に入れられない鍋釜や調理道具などを手洗いするのでも、1分でも早く終えたい。
だから自然とどうしたら効率的に終えられるか工夫するようにはなります。
だってそうしないと自分の時間がどんどん目減りするわけですから。
しかし食器洗いを夫に頼むと、なぜか1時間以上もかけて調理道具やフライパンを洗っているわけですな。

 娘は夫より若干マシで食事作りを手伝ってくれることも多いのですが、オーブンミットでも野菜洗い用の洗剤でも包丁にまな板でも、すべてカウンターのその辺にポンと置きっぱなし。

 大人が3人もいるというのに私1人で(しかも現在、仕事があるのは私だけだ!)家事をするのもストレス、でも手伝ってもらうとまた別の種類のストレス、という、何とも形容し難い精神状態になっております。

 こんな女性、多いんじゃないのかな。

お手伝いはいらないから、私がもう1人ほしいよ、ホント。
 


 コロナ禍で生活様式が一変しましたね。
その煽りを受けて、まぁロックダウン後の仕事の忙しかったことと言ったら。

そして最もクソ忙しかった時期を脱してひと段落したら、今度は魂が抜けたようになってしまって、完全回復するのに1ヶ月以上もかかってしまいました。
聞くところによると、バカンスは最低でも2週間は必要とのこと。
なぜなら「最初の1週めは仕事を忘れるため、2週めにようやく夏休みを満喫できるようになるから」だとか。
いやぁマジで仕事に関する夢を見なくなったのは、最繁忙期が完全に終わって2週めも後半、下手するとまもなく3週めに入るんだけど?って頃だったんで、3週間は最低必要でしょう、って感じでしたが。

 さて、そんなこんなで通常の日常を取り戻しまして、ゆったりとネットサーフィンも楽しめるようになりました。
そこで見つけたこの記事。

東洋経済オンラインより

令和でも「虚礼」をやめられない人間の悲しい性
 
 最後のページの『令和には卒業したいもの一覧』、なかなか興味深いです。

でも年越し蕎麦とお節料理は、個人の好みの問題なのでねぇ〜‥‥。
一斉に廃止したらいいとも言い切れないのでは。
特に海外に住んで5年にもなろうかというときは、積極的におせち料理を食したいと思い、料理の苦手な私が自分で作るに至りました。
そのくらいしか季節の行事をしなかった、っていうのもありますしね。
年に一度くらい、けじめをつけるのも良いもんです。

 このリストにある『英語が喋れない英語教師』、べつに文法解釈やリーディングの授業での専門教師ならいてもかまわないとは思いますね。
会話の先生なのに喋れない、ってのは大問題ですけど、文法解釈やリーディグはそもそも会話とは、学習の目指す方向や特性が違いますから。

ただ教師によっては帰国子女の英語を(その帰国子女の滞在地により)なまっているとバカにするようなのがいますから、英語だけの問題じゃなくて、そういう歪んだパワハラをする教師には、英語教師に限らず辞めてほしいですね。

 私は比較的に校則の厳しい中高一貫校の女子校で過ごしたのですが、生徒手帳に書いてある明文化した校則以外にも、お洒落ものや流行ものは一切禁止、という不文律までありました。

そんな校則下で、男性の美術教師や書道教師が、お洒落品を没収するときによく口にしていた「色気付きやがって」という言葉、本当に気持ちが悪くてイヤでしたね。
これ、今ならセクハラですし。
それから風紀担当の女性教師が、私の持っていたキティちゃんのトートバッグを没収した後に自分で使っていましたが、これ、立派な窃盗ですから。
没収品は下校時、最悪でも卒業時には持ち主に返却するのが筋でしょう。

 昔は教師の力って強かったんで、こんなのが普通にまかり通っていましたよね。
さらに聖職だと思われていましたから、子供が親に何を訴えたところで「校則違反をしたお前が悪い」で片付けられました。

ここシリコンバレーにいると何だか遠い過去の話に感じますが、今も何処かにはそんな学校や教師や親が存在しているんだろうなぁ。
だって職場の飲み会に、いまだに女性がお酌をさせられる国ですからね〜‥‥(ちょっと絶望)。

 ‥‥ということで、文化を変えるのは容易じゃない、って結論。
私だってたまたま海外で暮らすチャンスがあったから気がついたけど、国内でずっと暮らしていたら、気がつくこともなく当然だと思っていたことって、きっといっぱいあるだろうなぁ、って思いますから。

お殿様



YAHOO!ニュースJAPANより

コロナで我を失う愚か者たちのバカすぎる行動
  
 いやいやいやいや、こういう未経験のことによる状態では、誰にでもバカになる可能性はあるでしょ、とまず思いました。
今回はたまたま自分がトイレットペーパーを買い溜めに走らなかったからって(走りたくても走れなかった人もいるだろうし)、マスコミに登場する人間がメディア上で猛批判ってのも何だかな ‥‥ と思います。
 
 そもそも日本って普段から同調圧力強めですからね。
もともと「我も我も」になりやすい国民性ではあると思うんです。
あまりに強い批判って、「分かってる俺、カッコいい」的な、拗らせちゃった中二病に見えるんですけど、いかがですか。
 
『知らない人に独り善がりの正義感を燃やして言葉をかけても効果は薄く』
って、著者もご自身で書いてるじゃないですか😅。
 
『こうした便乗値上げや高額転売は、あまりに「バカ」「愚か者」であるため、政府やオークションサイトなどが規制に動いていますが、「もっと早く対策を講じておくべきだった」のは間違いないでしょう。』
いや、だからね、既に出た結果に対し、後から文句言うのは簡単ですよね、ってことですよ。
今、安倍政権がバカだアホだ先見の明がないだの言われていますが、じゃあ誰が代わりに立てますか、って。

今言われているように「中国からの観光客をさっさと規制していれば」って、あの時規制していたら倒産した観光業者からどんだけの罵詈雑言があったかわかりませんしね。

色々と考えてのことだったろうし、苦渋の決断だったろうし、何もかも未知だったわけですから。
 
それに阪神淡路大震災や東日本大震災での社会党、民主党の対応を見ていましたが、今回のコロナ、あの政党だったらどんなことになっていたかなぁ、とも思うわけです。
 
『「もはや日本人特有の性善説は、自由で便利な生活を送る現代人には通用しない」』
そもそも日本人は性善説、というわけでもないと思います。
たまたまこれまでの日本では、そこいら辺を普通に歩いていて殺されたり金を毟り取られたりすることが統計的に少なかった、だからみんな油断していた、というだけのことであって、本気で性善説を唱えている人が多いとは個人的には到底思えません。
性善説が基調であれば、誰でもが見られる掲示板で一面識もない人を悪し様に罵ったり、Twitterを「バカッター」とか「バカ発見器」などと言って揶揄する風潮は生まれなかったでしょう。
 
 この記事で紹介してもらって良かったのは、X JAPANのYOSHIKIさんのメッセージですね。
著者も一段上に立って「バ〜カ、バ〜カ」「こいつもバカ、あいつもバカ」とバカの例を挙げるのではなくて、「こういう行動が正しいと思います。みんな、気をつけましょう」というのが、著者が一番伝えたかったことなのではないでしょうか。

 

どうする?OVER40より
 
「連想という記憶の旅」を、ひとり歩む。
 
 若いとき、あまり深く考えずに思いついたことを口に出してもいたため、一緒にいた相手が言った何かの一言に対し、電光石火の早技で3つ4つの連想を1秒かからないで済ませ、自分の中では筋道立っている論拠で「でもさぁ‥‥、○○って△△だよね」的なことを口走り、相手に「その『でもさぁ』っていうのは、私の話のどこの部分にかかる『でもさぁ』なわけ?」という質問をよく受けました。

『何が連想のスイッチを押し、別の記憶を呼び起こすのか、そこからさらにどんな記憶につながるのか…この旅ほど個人的なものはない』
まさしく、これですね。

『時代の記憶もそう。たくさんの人と共有していると信じていた『当時の出来事』が『ずいぶん昔のこと』として雑に流される瞬間に立ち会うと、あまり積極的に語ろうとしなくなる。』
聞いてくれる相手の、「その話、もう100回聞いた」と途中で遮られることも、これと同様ですね。

いやね、年取ってくると、この話を誰にして、誰にまだしていないか、そんなのも記憶が曖昧なわけで😅。
学校時代と違って、出かけていくところがここ一箇所、会う相手が固定メンバーということでもありませんしね。
ランダムに人に会って、その時々で話題になることもしょっちゅう変わっていると、連想によって思い出された話はもう伝達済みなのか、まだだったのか、そんなのもとっさには判断できないわけです。
そして、若い人は率直ですし、家族なんかはそれがさらに顕著ですから、遠慮なく「100回聞いた!」と遮ってくれるわけです。

そりゃ「雑に流され」て「積極的に語る」気になんてなりませんて😅。
ある意味、幾つになっても元気に喋り立てていられる人って心が丈夫なのかもしれません。