思いつくままに話せなくなるとき | 心に浮かんでは消え 浮かんでは消え

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ネット記事や日々の暮らしで目にしたことから

 

どうする?OVER40より
 
「連想という記憶の旅」を、ひとり歩む。
 
 若いとき、あまり深く考えずに思いついたことを口に出してもいたため、一緒にいた相手が言った何かの一言に対し、電光石火の早技で3つ4つの連想を1秒かからないで済ませ、自分の中では筋道立っている論拠で「でもさぁ‥‥、○○って△△だよね」的なことを口走り、相手に「その『でもさぁ』っていうのは、私の話のどこの部分にかかる『でもさぁ』なわけ?」という質問をよく受けました。

『何が連想のスイッチを押し、別の記憶を呼び起こすのか、そこからさらにどんな記憶につながるのか…この旅ほど個人的なものはない』
まさしく、これですね。

『時代の記憶もそう。たくさんの人と共有していると信じていた『当時の出来事』が『ずいぶん昔のこと』として雑に流される瞬間に立ち会うと、あまり積極的に語ろうとしなくなる。』
聞いてくれる相手の、「その話、もう100回聞いた」と途中で遮られることも、これと同様ですね。

いやね、年取ってくると、この話を誰にして、誰にまだしていないか、そんなのも記憶が曖昧なわけで😅。
学校時代と違って、出かけていくところがここ一箇所、会う相手が固定メンバーということでもありませんしね。
ランダムに人に会って、その時々で話題になることもしょっちゅう変わっていると、連想によって思い出された話はもう伝達済みなのか、まだだったのか、そんなのもとっさには判断できないわけです。
そして、若い人は率直ですし、家族なんかはそれがさらに顕著ですから、遠慮なく「100回聞いた!」と遮ってくれるわけです。

そりゃ「雑に流され」て「積極的に語る」気になんてなりませんて😅。
ある意味、幾つになっても元気に喋り立てていられる人って心が丈夫なのかもしれません。