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シルクロードのブログ

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概念の設計
この企画書はこの小説がいかに面白く且つ、売れるものであるかという根拠をA氏に示すものである。
 読者の多くは中高生であり、多くの中高生は就職を含む将来について不安を抱いている。そのため、仕事に生きるというテーマ設定を行なったうことで読者の多くの共感を得られる作品である事を示す。また、世界観においては、テーマである仕事への共感を、最終的に強調するため、頽廃さを現実世界より多少大げさに設定をした事を示す。更に読者は男女ともにいる。主人公に男性と女性それぞれを設定する。そうすることで読者が主人公に感情移入しやすくする。また、キャラクターが葛藤することで読者の共感を得る事を示すため話の流れを明確に示する。

実体の設計
1:タイトル
2:対象
3:テーマ
4:小説のギミック
 a:世界観
 b:キャラ設定
 c:話の流れを示すもの
  ① 要約
  ② 起承転結
  ③ プロット
 裸一貫で攻めて行くとは、自分の意見にしっかり軸をすえ、引用するときに他者の意見に流されるなという意味である。他者の意見は捨てなければならない。
 書く事と話すことは根本的に機能が違う。話し言葉は周りの状況や相手の心情に助けられるものである。天才でさえ周到に準備する。実はむやみやたらに話すことははばかられるとゲーテでさえ言っている。文章には個人的な価値と普遍的な価値が混在する。そのため、誰しも不安になるだろう。自分がどのような話し手であるか、文章を修行する上で、確かめるべき事項である。そのための留意点は二つある。色々な学説があり様々な立場がある。自分の立場が社会のどの辺りにあるのかきちんと理解しておく必要がある。社会の一部となるべく論文を書いているのだから、社会で注目されている事項について、前提としての知識として知っておいたほうがよい。文章を書けばその評価を受けなければならない。一方で守っているだけではいけない。正直に所有権を主張しなければならない。マニアックなものは自分のものにコッソリしてしまうという選択肢はあるが逆に自分の権威につなげることが出来るのである。天才は、文章そのものが生命であるように語るが、書き手が手を加えないと文章は生きて来ない。一度手に入れた知識を一切放下しなければ、新しい論点が見えて来ない。先駆者は完成されたものとして論文を書いている。自分の述べたいこときちんと腰を据えてその上で、型破りにならなければならないのである。つまりは引用は自分の意見を飾り立てる小骨なのである。
経験と抽象の世界には連続性がある。抽象的な語ばかりを並べ立てたり、経験しか語られていなかったりと言うことを防がねばならない。欧米諸国では、幼いときから慣れ親しんだ言葉を使用して学問の世界に自然と入り込む。論文で使用されている語は、西洋ではよく日常で扱われるありふれた語なのである。それに対して、日本は元来日本語は抽象的な語彙が希薄であり、日本語に存在しなかった、西洋由来の意味を表す語を定義して使用する必要があった。それを日本語の中で高い地位を占められしまっている中国起源の漢語で訳語を作成した。そのため、学問を行うための言語が難解になっている。そのため、日本語では観念と言語の両面で使いにくい語ばかりになった。日本語は大人にとって、また、抽象的な言葉において不利な言語となったのである。それはあたかも、溝のようである。学生は自分だけがその溝を越えることができると優越に浸って抽象的な言語を振り回してるものが多い。日本語の抽象語は経験との結びつきが弱い語であるから経験と結び付けなければならない。経験は抽象観念の助けを借り自ら組織化することができ、自ら高度化することができる。他方で観念が経験のテストを経て豊かになり、成長する。戦後の日本人の教育は、高校教育で論文といっても遜色ない事象を教えているが、書くことをしないため生徒の内部に定着しないだろう。これを解決するために二つの問題を最低限クリアしなければならない。まずは図書館の完備、そして、日本語を西洋諸国語のように日常の用語に定義を与えることである。