これまでに3回会社を辞めた時のハナシ と机上を往復した退職願 | 「好き」を仕事に!47歳で脱サラ起業した元エンジニアのブログ

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サラリーマンにとって、会社を辞めるというのは大きな決断です。

 

私の場合、独立する前に2度の転職を経験、つまり3社で働いたので、3回退職した訳です。

 

それぞれ、今思えば苦笑いするような事もやりましたが、それを思い出しながら描いてみます。

 

最初に言っておきますが、今までの職場全て、たくさんの事を学ませてもらったので、本当に感謝しています。

 

若気の至りもあって(^_^;)、結果的に迷惑をかけたこともあったと思いますが、それについては申し訳ないと思っております。

ごめんなさい。

 

1社目、個人的バブル期

最初の会社は技術系の派遣会社としては当時(今もかな?)最大で社員数千人の大企業でした。大学まで北海道で育ち、初めて道外へ出たのですが、全国規模の派遣会社ゆえ勤務地はわかりません。

 

新入社員も何百人かいて、神奈川にある研修所で3ヶ月新入社員研修をやった後、派遣先が決まった順に各地(各社)へ送り込まれていきます。

 

まるで戦地が決まって送り出されてく兵隊のような気分で、ヌルい研修所で学生時代の延長、同期とワイワイやっている生活から順番に社会という戦場へ出ていきます。

 

そして私が最初に派遣になったのが浜松の某大企業の関連会社で、PC関連部品の生産設備を設計・製造している会社、同期で10人以上同時に行きました。
 
当時業界的にはバブルで、ライバル会社との激しい競争に勝つため、「値段はいくらでもいいから早く作ってこい!」みたいなノリで、新人の派遣社員3年目くらいで5000万円の見積とかバンバン作ってました。
 
同期の中でも私は優秀だったので(笑)、現場の仕事から最初に引き上げられて設計もやらせてもらって、社員と同じ様に扱ってもらって、最初の職場としては本当に良い会社と上司に恵まれました。
 
出張でマニラにしょっちゅう行ってたのもこの頃。
多い時で1年の半分くらい出張してました。
 
日本より先に本場マニラの夜のきらびやかな世界を体験したのもこの時です。
田舎育ちの若者にとっては刺激が強く、いろいろなエピソードもありますが、それはまた別の機会に。
 
給料も良かったですね。
ボーナスとか「半年に一度こんなにお金もらえる社会人ってなんてすばらしい!」と思いました。
 
それに加えて海外出張は日当も出るし、生活費は安いし、一番長いときで70日くらい行ってましたが、帰ってくると、給料そのままとボーナスで100万円以上口座に入ってて・・・個人的にもバブルな時代でした。
 
マニラのホテルで若手の出張者が集まってポーカーやブラックジャックやって、かけるのペソだから感覚麻痺してとんでもない金額のやりとりしたり(笑)
 
日本にいる時もほぼ毎日飲みに行ってたし、45万円のギターアンプも現金で買いました。
 
で、評価されて仕事任されて、お金も入ってきて、当然の如く天狗になった私は矢印を外に向けます。
「オレが一番仕事できて売上に貢献できているのになんでレート同じなんだ?」
 
派遣社員は会社同士のレート(時給)が個人ごとに決まっていて、それが給料のベースになっているので、レート同じだと基本は給料も同じです。
 
今思い出しましたが、営業所長のところに行って直談判もしましたね・・・(^_^;)
 
営業所長の立場としては、ちょっと評価されただけの若造が何言ってんだ、って感じだったでしょう。
よくわかりますよ、その気持ち(笑)
 
当然ひとりだけレート上がるはずもなく、私としては、「正当に評価される会社へ行く」という理由で次の会社をさっさと決めて派遣会社を辞めてしまいます。
 
営業所長とはかなり険悪なムードになった記憶がありますが、当然引き止められるはずもなく、すんなりと退職しました。
 
思い出すのは派遣先の方々の暖かい言葉。
派遣社員なのに送別会も開いてくれて、尊敬する上司も「近い内に引きぬこうと思っていたのに・・・」という言葉もかけてくれて嬉しかったです。
 
この最初の派遣先の仲間とは、今でも時々連絡取ったり、退職して約20年後に同窓会やったりもしました。
 
2社目、社長の息子を蹴り飛ばす
これはもう、社会人としての資質を疑うほどのダメなやつ(笑)。
恥を忍んで告白します・・・
 
2社目、地元の機械メーカーに転職したのがたしか29才の時。
70人くらいの会社で、ここなら個人として正当に評価されるだろう、と考えて。
 
機械設計者自体が少なかったこともあり、バリバリやっていたらやっぱり評価されました。
特に前職で現場での経験を積んでいたので、現場を知る設計者(コレ技術屋としてはかなり大事なんですけどね)として、それまでいた設計者と違ったことが結構衝撃的だったみたいです。
 
ここでも海外あちこち行かせてもらったし、すぐに主任の肩書をもらって重要な案件も任されるようになりました。
 
自分中心で仕事が回っていると完全に思い上がっていた頃です。
 
周囲とも衝突し、好き勝手やりながらも結果出していたので、自分が正しくて、周りに対しては「なんて仕事ができないんだ・・・」って感じの相当嫌なヤツだったと思います。
 
そしてある日、私のいる設計室、隣の隣の席に新人君が入ってきたんです。
当時の社長の息子でした。
 
それだけなら別に良いんですが、この社長の息子がまったく仕事しない。
就業時間の半分は席で寝ているというとんでもないヤツでした。
 
私と彼の間には技術部全体を統括している部長がいたんですが、この方も社長の親戚でした。
 
つまり安全地帯でのうのうと仕事をせずに寝ている・・・これ自体は誰が見ても問題あると思います。
けど、同族経営の会社ではあることなのかもしれません。
 
当然、私としては日に日に怒りが蓄積されて、ある日ついに行動に出てしまいます。
 
机に突っ伏して寝ていた彼の椅子を後ろから思い切り蹴飛ばしました(笑)。
 
設計室ってすごく静かなんですが、かなり大きな音がして、全員がビクッとしてましたね。
技術部長も隣にいて、たしか「おい!何だ!」と言いましたが当然ガン無視です。
 
その後何らかの処分、すくなくとも事情聴取くらいはあると思ってました。
辞めさせられるのも覚悟してましたし。
 
でも不思議と何のお咎めも無し、どころか翌日からまた何もなかったかのような日常・・・
 
もうすでにやる気を完全に失っていた私はすぐに次の転職先を探して、上司に退職願を提出。
 
「君のことだからもう次も決まってるんだよね。」
「はい。」
 
ってことで結果的には円満退社しました(笑)。
 
この職場でも一緒に難しい仕事をした仲間とはその後もつきあいが続きますが、会うたびにこの話をされて恥ずかしい・・・
 
でもまあ、あそこでストレスに耐えて残っても良いことは無かったと思うので。
やり方は他にあったと思いますが(^_^;)
 
3社目、机上を往復する退職願い
そして、先日までお世話になっていた3社目、ここは20人ほどの会社、つまりだんだん小さな会社に移ってきたってことになります。
 
そこで会社としての成長と個人的に技術者としての成長を共に歩んだ16年間はとても充実していました。
 
真剣にやっていたがゆえに仕事を通した悩みや苦しみもたくさんありましたが、それがあったからこそ、勉強し、自己投資をし、技術以外の部分でも成長できました。
 
それが結果的に会社を出るという決断に繋がりますが、人と関わることや人を育てることの難しさとやりがいもここで得られた大きな財産です。
 
技術の会社で技術部長としての立場ですから、当然辞めることの影響は新人とは違う訳で、それなりにすったもんだもありました。
 
詳細は書きませんが、やはり会社は経営者次第、ということも痛感しながら。
 
 
「その会社にいる理由」ってありますよね。
給料や就業条件、好きな仕事であるとか、やりがいとか、技術的な面白さとか・・・
でも、一番大切なのは、もっと本質的な部分で、
 
「何のために今ここでこの会社でこの仲間と仕事をしているのか」
 
を明確に共有することが一番大切だと思います。
 
ここが一番意見が合わなかったところですね。
 
過去の2回の退職時と違って私も成長したので(笑)、いろいろな考え方・やり方があり、私が正しくて会社が間違っている、なんて思いませんでしたよ。
 
ただ、意見が違うという事実と、それを踏まえて自分がどう行動するかという主体的な選択、があるだけです。
 
ここの部分は以前のブログに書いた通り。
辞めるために必要だったことはコレコレ
 
で、まずは社長との面談で自分の考えと、近いうちに辞めるつもりであることを伝えます。
 
3回目の退職にして初めて(笑)、慰留の言葉をかけられます。
次に転職するわけでもなく、やることが明確に決まってもいないので当然ですね。
 
しかも、要職ですから、突然辞められても困るというのもよく分かります。
 
そしてその後しばらくして正式に退職願を提出しました。
 
その時は机の上を退職願の封筒が5往復くらいしましたね(笑)。
 
それだけ引き止めてくれるのはもちろん嬉しかったですが、もう私の気持ちは固まっていたので、受け取ってもらいました。
 
その後も色々ありましたが、最終的には労働者の権利を行使する形で、個人的なわがままを通させてもらいました。
 
正直、円満退社とは言えない形で、当然送別会などあるはずもなく、最終日に一言だけ挨拶して16年勤めた会社を後にしました。
 
そして今思うこと
人生にキャリアプランなんて必要ないし、老後の心配(蓄え)をするくらいなら、年をとっても収入を得られる様に今の自分に投資するべきです。
 
私もこうしてキャリアを振り返ってみたら、その時にやりたいこと、正しいと思ったことを全力でやってきた、ということは言えます。
衝突もしたし反感も買いました。
正直、後悔したり悩み苦しんだりした時期もたくさんありました。
 
社会人として周囲と協調して生きていくためには、時には我慢や妥協も必要です。
 
でも自分の中で大切なもの、ある一線を超えた時には敵を作ってでも自分を貫く勇気も必要、そして失敗して落ち込んでもその分だけ経験として次に生かせます。
 
人生に失敗などない。
もしあるとすれば「失敗を恐れて挑戦しない人生」である。
 
こんな言葉、ちょっと名言で検索すればすぐに出てきますね。
これに異を唱える人もいないでしょう。
 
でも、知っているだけではなく、本当に胸を張って
「やりたいことに挑戦している」
って言える人生を送りたいですね。
 
自分をごまかしたり、都合の悪い事は見ないようにしたり、できない理由を探し続ける、そんな風になっていたら、まずは勉強すること。
本を読むでも、人に会いに行くでも、セミナーや講演会に行くでも、きっかけは何でも良いです。
 
人生はいつでも変えられる。
 
このことを私に教えてくれた人生の師匠、ひとりではなくたくさんいます。
 
私の大切な師匠たちのこと、次は書きたいと思います。
 
最後まで読んで頂きありがとうございました!
 

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