自信を持って「YES!」といえる人には、この記事はたぶん「何言ってんの?」となるので読まなくて良いです(^_^;)。
でも何となく日々やっていることに違和感やモヤモヤを抱えている人がいたら、もしかして私の経験が役に立つかも知れません。
と思って書きます。
1,私がこれまでの人生を振り返って気がついたこと
プロフィール欄にも詳しく書きましたが、子供の頃からものづくりが好きで、迷わず理系、工学部、機械科、そしてエンジニア、という道を進んできました。
自分で言うのも何ですが、25年のキャリアを積んで機械設計エンジニアとしては一流になりました。
自動車業界の開発最前線での仕事でしたが、どの大企業の開発エンジニアとも対等以上に話ができましたし、頼られることも多かったので、自信もあります。
そして47才でまったく違う仕事をして生きていくことを決めた訳ですが、その前に、なぜ自分はこの仕事をしているんだろう?ということを深く深く考えた訳です。
そしてある時、「好きなこと」「やりたいこと」が実は「好きだと思い込んでいたこと」「やりたいと思い込んでいたこと」だったら?
と仮定して考えました。
仮説と検証を繰り返す、これは開発エンジニアとして仕事をしていく基本ですね(笑)。
そして、あることに気がついて愕然とします。
オレは親父の生きたかった人生を生きているのではないか?
いや、別に後悔するとか、親父を恨むとか、そんなんじゃ全然無くてですね、ただビックリしたんです。
色々な事を積み重ねて自分で選んできた人生なので何の後悔も無いんですけど。
2,私の父のハナシ
私の父は昭和18年生まれ、北海道で生まれ育ちます。
弟がいて二人兄弟。
車が好きで、工業高校に進みますが、家には兄弟二人を大学に行かせる余裕が無いと判断し、大学進学を弟に譲って自分は就職する道を選んだそうです。
そして最終的には機械系のメーカーの商社マンとして、札幌営業所の所長としてずっと営業の仕事をしていました。
そんな父の口癖は、
「営業なんて人間のする仕事じゃねえ」
営業の仕事をしている人がいたらすみません(笑)。
いや、いつも言っていた訳じゃなくて、いろいろなストレスがあって、嫌なことがあったときに時々言っていただけだと思いますが、言葉のインパクトが強すぎて記憶の中で増幅されている部分もあると思います。
毎日飲んでいて、時々ひどい二日酔いの日は仕事行くふりして家で寝ていた事もありました。「電話かかってきてもいないと言え」って。
こうして書くとなんかダメな人みたいですが、仕事はできたと思います。
同僚や部下からも慕われていて、家に突然人を連れてきて宴会が始まる、みたいな事もありましたし、何より葬式の時に何百人もの人が来てくれてビックリしたのをよく憶えています。
(私が社会人になって3年目にくも膜下出血で急逝しました)
周囲に気を使う人だったので、本社から偉い人が来たり、お客さんを接待したり、ということが相当ストレスだったんだと思います。
そして何より、本当は技術屋になりたかったのに、営業の仕事をしているということが、いつも心のどこかにあったのでしょう。
「お前は営業ではなく、技術屋になれ」
というような事も言われていた様な気がします。
ちなみに私と顔はそっくりです。頭も(笑)。
だから嫌いだったのかもしれません。こんな風になりたくないって。頭も(笑)。
冗談はさておき、父は戦中生まれのいわゆる「焼け跡世代」ですから、今と違って自由に自分がやりたいことをやれる、という時代では無く、その中で精一杯生きていた事、そして自分を含む3人の子供を育ててくれたことは尊敬し、感謝しています。
親父が生きていた頃はそんな事考えもせず、中学生になったくらいからはほとんど話しもしませんでしたが・・・
3、そして私が選んできた道とこれからの道
そんな訳で、つまり私がこれまで生きてきた道は、親父が生きたかった人生そのものだなあ。
ということに思い至った訳です。
少なくとも仕事の部分では。
そして、あんなに嫌いだったはずの親父がやりたかったことをやってみせたここまでの自分の人生とは何か、そしてこれからの人生をどうするべきか、ということを考えます。
もちろん、親父の影響だけでは無いですよ。
機械も好きだったし、ものづくりは間違いなく自分の根底にあるもので、図面描いている時も、現場で油にまみれている時も、充実していた時間は本当にたくさんありました。
技術だけではない様々なスキルも人脈も、エンジニアとしての仕事を通して得たものがあるから、今の自分がいることは間違いないのです。
で、何が言いたいかと言うと、
これまでは親父が生きたかった人生を生きてきた。
そしてこれから先は本当の自分の人生を生きよう。
いろいろ納得した上でこういう選択をした。
ってこと。
これまで積み重ねてきた事があるから、本当にやりたいことも見つかった。
やれる環境も技術も手に入れた。
応援してくれる人もいる。
完璧じゃないでしょうか(笑)。
この話が参考になる人がいるのかどうかわかりませんが、自分の人生を振り返って、これからの人生を選ぶ時、こんな考え方もある、って思って頂けたら幸いです。
4、最後にもうひとつ
先日「那覇に打ち合わせにおいで」とチャンスをもらって即答で「行きます!」って言った約束の日、8月26日は親父の命日なんです。
何か応援してくれている様な気がして心強かったです。
今までエンジニアとして頑張ってこられたのは親父に恩返ししたかったからかもしません。
今度札幌の実家に帰ったら墓参りして、ちゃんと報告します。
「親父がなりたかった一流の技術屋になったよ。そしてこれからは本当に自分がやりたいことやってそっちでも一流になるよ。」
って。
最後まで読んで頂きありがとうございました!
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