Back To マニラ
朝5時、マニラに到着。辺りはまだ真っ暗。
こんな時間にマニラ市内を歩くのは怖いので、明るくなるまでバスターミナルで待つ。
明るくなった。
目指す宿は前に使ったことがある駅の近く。
「バスターミナルからバクララン駅までどう行ったらいいの」と聞くと、歩ける距離とのこと。
ラッキー。
重い荷物を背負いながら長いこと歩くのはなかなかしんどいので、途中の屋台で朝ごはんを食べつつ、宿に向かう。
フィリピンの朝、って感じ。
朝食は炒めご飯に目玉焼きを乗せてもらった。15ペソ。
元気になった。
結局30分くらい歩いただろうか。今日の宿はこちら。
Town House。フィリピンで泊まったところの中では最安の160ペソ。
深夜バスであんまり寝れなかったわりに意外と元気なので、朝から街歩き。
まずはMall of Asiaというショッピングモールへ。
ここ、なにせ規模が尋常じゃない。
モールのWebsiteによると、フィリピンで最大、世界で第3位とのこと。東京ドーム8個分と書いている人もいた。
お昼、どうしようかと悩んだ結果、マックに決定。
しかし意外と高い。街中の食堂の定食が35~50ペソなのに対し、バリューセットが120~140ペソ。
それだけのバリューは見出せず、ケチって50ペソのマックセイバーをチョイス。十分おいしかった。
そのほかモール内には、デパート、巨大スーパー、贅沢品からアパレル、スポーツ、電化製品等々あらゆるブランドのテナント、ボーリング場、映画館、レストランにフードコートなどなど、様々なものが入り混じっており、極めつけはこれ。
アイスリンク。
あと、定番のキッズスペースもあり、中国かと見間違うようなキャラクターパクリも。
実は欲しい物があったんだけど、やはり街で買うよりもはるかに高く、手が出せなかった。
ということで何も買わずにモールを後に。
道路を歩いていると、くるまのディーラーを発見。
各自動車メーカーは国ごと地域ごとのニーズにあったくるまを供給しているので、日本では売ってない日本車が結構あります。
そんなのを見に行くのもおもしろそう。ということでディーラーに潜入。
まずはトヨタ。MPV、SUV、ピックアップなど、地域専用のくるまが並ぶ中、やっぱりかっこいいのはこれ。
FortunerというピックアップベースのSUV。
発売してから既に5年はたってるのに、いまだにALL NEWでいける。
トヨタの向かいには三菱。
これも日本にはないくるま、パジェロスポーツ(フィリピンでの名称はモンテロスポーツ)。
特にフィリピンで爆発的に売れているそうで、街でかなり見かけるし、このディーラーにも納車待ちの車両がたくさん。
それから今日絶対にやろうと思ってたこと。
それが散髪。
1日中美容院を探し続けようやく発見(あんまりない?)。
ビフォー&アフターをお見せしようと思ってたんだけど、アフターが猿のようなので笑、ビフォーだけでご勘弁ください。
昔の写真を見せて「これと同じにしてね」と伝えたのになぁ。
まぁすぐ伸びるからよしとします。
しかし驚くのはその料金。
シャンプー、ブロー込みでいくらだと思う?
答え、
40ペソ。
たったの80円。
バリューセットの1/3。
店内にはカラー、パーマ、ネイルのお客さんもたくさんいたので、そういうところで取ってるんだと思うけど、それにしても安すぎ。
こういうところで過ごしていると、次のシンガポール、そしてバリが本当に心配。
あ、いい機会なので、ここで当面の予定をご紹介。
あんまり先々のスケジュールを決めたくないんだけど、早めに予約した方が安いのと、飛行機のチケットがないと入国できなかったりする(前回ご報告の通り)ので、一応予定ということである程度決まってきました。
3月18日 マニラ→シンガポール
3月21日 シンガポール→バリ
4月11日 ジャカルタ→シンガポール
4月12日~ マレー半島北上開始
4月中旬 KL
4月末頃 バンコク
というような動向になりそう。
ただし、ジャカルタ→シンガポールは船ルートもありとのことなので、その可能性も。
GW頃はタイ・カンボジアあたりにいそうなので、GWでアジア旅行を計画/検討している方がいれば、ぜひご連絡ください♪
世界遺産#1 バロック様式教会群(フィリピン) 続
ビガン滞在最終日、前日のブログで「明日もう1度ゆっくり街歩きをしようと思います」と書いたけど、夜にろいろ調べた結果、心変わり。
午前中ぷらっと街を歩きがてら、PARTASバスターミナルに行き、ラワグという街に行くバスに乗り、バタックというところで下車。92ペソ。
チケットカウンターのおっちゃんによると2時間かかるという話だったのに、ほんの1時間少々で到着。
このへん適当です。あと運ちゃんがぶっ飛ばす人か否かにもよる。
バタックの街をぷらっと見てまわったあと、ジプニーに乗ってすぐ隣のパオアイへ。
パオアイ。なんだかかわいらしい響き。
ジプニーに揺られほんの10分足らずで見えてくるどでかい建築物。それがこちら。
サンアウグスティン教会。
マニラの世界遺産の教会を紹介した時に「マニラ他に散らばる4つの教会が、まとめて1つの世界遺産として登録されています」と書いたけど、そのうちの1つがここパオアイのサンアウグスティン教会。
マニラのものと同様、スペイン統治期の16世紀に建築されたものとのこと。
中に入ると、天井がトタン張りになっていてそれが少し残念だけど、でもきれい。
そして外観の迫力たるや尋常じゃない。
堂々として威厳があって、「でん」と構えてる感じがなんともかっこいい。
隣にある塔にも登ることが出来て、1番上には鐘が4つも吊るされている。
(しかしそこに行くまでの階段が今にも壊れそうで本当に怖かった)
塔の壁をよく見ると、そこには小さな貝殻。海か川から運んできた石で作られているよう。
ちなみに天井がトタンな理由は15年前のタイフーンで吹き飛ばされてしまったんだって。
観光スポットからも外れているせいか観光客はほとんどおらず、この美しい建築物を独り占め。
なかなか充実した1dayトリップだった。
塔のてっぺんからはパオアイの街が見渡せました。
世界遺産#3 ビガン歴史都市(フィリピン)
31日目。
今日はフィリピン ルソン島北部の都市ビガンから、世界遺産にも登録された美しい街並みをお届けします。
以前に紹介したマニラのサンアウグテスティン教会もスペイン統治期に建てられたものと書いたけど、ここビガンの街もフィリピンで最もスペイン情緒の残る街として知られています。
(観光パンフによると、建物はスペインに加え、メキシコ、中国文化の影響も受けているんだとか)
奇跡的に第二次大戦の戦火をまぬがれ、現在にその姿を残すこの街。
スペインに行ったことがないので、どこがスペイン情緒なのかは不明ながら、この街はとにかく美しい。
本当に小さな街なので、今日1日であらかた主要なところは歩いたけど、明日も丸1日時間があるので、もう1度同じ路をゆっくり歩こうと思っています。
そして夜がまた美しい。
これは最初の写真と同じところから撮ったものです。ぜひ見比べてみて下さい。
次がこの街のシンボル、セントポール・メトロポリタン大聖堂。
日曜日(昨日)の夕方に訪れた際には、それはそれはすごい数の人。
そしてこの奥行き。
ちなみに、戦火をまぬがれ云々と書いたけど、これには日本人が関係しているとのことなので外部HPの文章を引用させていただいて補足します。
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「世界遺産に秘められた愛の物語」
この町がどうやって第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けたのか?
それは、一人の日本人兵士の家族への愛をなくして語ることはできません。その話をビガン市の市長秘書であるアントニオ・フロレンティノさんからききました。
1943年、ビガンを占領した日本軍の司令官が、家族を連れ立って、ビガンの町に移り住んできました。司令官の名は、タカハシといいました。
彼の家族は妻と娘2人。しかし、戦時下にあって家族連れとはなぜ? 私は疑問に思い、フロレンティノさんにききました。
「おそらく、タカハシはフィリピンに来てから家族をもうけたのでしょう。なぜなら、タカハシの妻の名は、アデラといいましたから。彼女はフィリピン人でした。」
タカハシとアデラの間には2人の娘がいました。2人ともスペイン系の血を引く母親に似て、とても美しい顔立ちだったといいます。
ビガンの人々に対して、タカハシは常に友好的でした。時折、家族で暮らしていた家に町の人々を招待し、家族ぐるみで友情をはぐくんでいたそうです。それだけに町の人々にもタカハシは人気がありました。
しかし、家族と町の人々の平和な関係は長くは続きませんでした。
1945年、戦局が悪化。日本軍は、アメリカ軍の攻撃を受け、ビガンからも撤退しなければならなくなりました。フィリピンで日本軍は撤退するとき、きまって町を焼き払っていきました。ビガンも同じ運命をたどるはずでした・・・。
撤退の前の夜、タカハシは妻と娘たちを連れて、普段から親しくしてきた教会の神父のもとを訪ねました。そして・・・自分は日本のために命を賭けなければならないが、妻と娘たちをビガンの町の人の手で守ってほしいと頼みました。懇願するタカハシに神父は一つの条件を出しました。
「あなたの家族は必ず守ろう。しかし、約束してほしい。美しいビガンの町を決して焼いたりしないことを。」
神父と約束をしたタカハシは、翌日の朝、日本軍と共に町から姿を消しました。
ビガンの空にアメリカ軍の飛行機がやってきました。町の人々は、日本軍がいないことを知らせるために、大きな白旗を掲げ、爆撃を免れました。
タカハシの家族への愛、町の人々との友情がビガンの美しい町並みを今に残したのです。
その後、家族はどうなったか?
ルソン島北部山岳地帯に逃げ込んだタカハシの軍隊は全滅し、タカハシも死にました。妻のアデラと2人の娘は、約束通り、ビガンの人たちの手で守られました。
その後、マニラへと移り住んでからの彼女たちの足取りはフロレンティノさんも知らないそうです。
出展:linglo 協力:BSファン倶楽部
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今後
まず、今回の地震および津波により、被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げると共に、現時点で行方不明の方が、ひとりでも多く救出されることをお祈り致します。
また、今回の震災を受けて、わたしの家族や親戚、友人知人等の安否を気に掛けてくれたり、日本の様子を伝えるためなどに連絡を下さったみなさん、本当にありがとうございます。
悲報に接し、いまの自分に何が出来るのか(一旦中止し、被災地に参じること等も含め)考えてみたものの、現時点では素人の出る幕はないとのこと。
よって、当面はこれを続けながら、当地で出来ることをしたいと思います。
1. 海外の人たちに関心を持ってもらいます
現地人も他国からの旅行者も、日本で地震・津波が起こったことは知っています。
しかし残念ながら、彼等の多くはただその事実を知っているだけです。
一方、仲良くなった旅行者・現地人は、わたしの家族、親戚、友人知人の安否を心配してくれます。
この違いは何か。
それは、日本人(もしくは日本にいる外国人)の知り合いがいるか否かではないでしょうか。
ここで知り合った人たちに日本で起こったことを伝え、ひとりでの多くの人に関心を持ってもらうこと。それが当地で出来る最大のことではないかと思っています。
2. ブログを再開します
たいした内容ではありませんが、日本の皆様の励みに少しでもなればと思います。
3. その他
僅かではありますが、義援活動に協力させていただきます。
少々あつかましい表現かもしれませんが、物的人的被害の差こそあれ、日本自体が、日本にいる人全員が被災者と言えるのではないでしょうか。
であれば、同じ被災者として、被害の少なかったわたしたちが、大きな被害にあわれた方々に対して何が出来るのか。
それをこれからも考え、少しずつでも行動に移していきたいと思います。
いまも揺れが続いているようですし、今後更に大きな余震が発生する可能性も指摘されております。
身の回りの安全には、くれぐれもご注意下さい。
ママのレストラン
28日目。
お昼前にBatadからBanaueに戻ってきて、2日ぶりにママのレストランでランチ。
すっかり顔なじみになり、本当は「おかず1品にごはん」のところを「おかず2品ハーフ&ハーフにごはん」というスペシャルオーダーにもこたえてもらえる仲に。笑
昼からも特に遠出をするでもなく、近くの市場をふらっと覗いたり、
明日のバスチケットを予約しに行ったり、
路上バレーボールを見物してみたり、
書き物をしたりして過ごしました。
そして、Banaue最後の夜ももちろんママのレストラン。
今日がラストということで贅沢にもビールを注文。
(いつも外では我慢して、帰ってから飲むようにしています)
夜もハーフ&ハーフ。
最後は仲良くなったママ2人と握手をして、「また来てね」の言葉をもらい、いい気分で帰って来たのでした。
そして突然の地震のニュース。
フィリピンにも届いており、大きな衝撃を受けています。
うちの家族は無事とのことですが、各地にいる友達・先輩・後輩のみなさん、そしてそのご家族ご友人のみなさまもご無事でありますよう、当地より祈っています。
余震も続いているようなので、引き続き気を付けて。





















