世界遺産#3 ビガン歴史都市(フィリピン)
31日目。
今日はフィリピン ルソン島北部の都市ビガンから、世界遺産にも登録された美しい街並みをお届けします。
以前に紹介したマニラのサンアウグテスティン教会もスペイン統治期に建てられたものと書いたけど、ここビガンの街もフィリピンで最もスペイン情緒の残る街として知られています。
(観光パンフによると、建物はスペインに加え、メキシコ、中国文化の影響も受けているんだとか)
奇跡的に第二次大戦の戦火をまぬがれ、現在にその姿を残すこの街。
スペインに行ったことがないので、どこがスペイン情緒なのかは不明ながら、この街はとにかく美しい。
本当に小さな街なので、今日1日であらかた主要なところは歩いたけど、明日も丸1日時間があるので、もう1度同じ路をゆっくり歩こうと思っています。
そして夜がまた美しい。
これは最初の写真と同じところから撮ったものです。ぜひ見比べてみて下さい。
次がこの街のシンボル、セントポール・メトロポリタン大聖堂。
日曜日(昨日)の夕方に訪れた際には、それはそれはすごい数の人。
そしてこの奥行き。
ちなみに、戦火をまぬがれ云々と書いたけど、これには日本人が関係しているとのことなので外部HPの文章を引用させていただいて補足します。
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「世界遺産に秘められた愛の物語」
この町がどうやって第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けたのか?
それは、一人の日本人兵士の家族への愛をなくして語ることはできません。その話をビガン市の市長秘書であるアントニオ・フロレンティノさんからききました。
1943年、ビガンを占領した日本軍の司令官が、家族を連れ立って、ビガンの町に移り住んできました。司令官の名は、タカハシといいました。
彼の家族は妻と娘2人。しかし、戦時下にあって家族連れとはなぜ? 私は疑問に思い、フロレンティノさんにききました。
「おそらく、タカハシはフィリピンに来てから家族をもうけたのでしょう。なぜなら、タカハシの妻の名は、アデラといいましたから。彼女はフィリピン人でした。」
タカハシとアデラの間には2人の娘がいました。2人ともスペイン系の血を引く母親に似て、とても美しい顔立ちだったといいます。
ビガンの人々に対して、タカハシは常に友好的でした。時折、家族で暮らしていた家に町の人々を招待し、家族ぐるみで友情をはぐくんでいたそうです。それだけに町の人々にもタカハシは人気がありました。
しかし、家族と町の人々の平和な関係は長くは続きませんでした。
1945年、戦局が悪化。日本軍は、アメリカ軍の攻撃を受け、ビガンからも撤退しなければならなくなりました。フィリピンで日本軍は撤退するとき、きまって町を焼き払っていきました。ビガンも同じ運命をたどるはずでした・・・。
撤退の前の夜、タカハシは妻と娘たちを連れて、普段から親しくしてきた教会の神父のもとを訪ねました。そして・・・自分は日本のために命を賭けなければならないが、妻と娘たちをビガンの町の人の手で守ってほしいと頼みました。懇願するタカハシに神父は一つの条件を出しました。
「あなたの家族は必ず守ろう。しかし、約束してほしい。美しいビガンの町を決して焼いたりしないことを。」
神父と約束をしたタカハシは、翌日の朝、日本軍と共に町から姿を消しました。
ビガンの空にアメリカ軍の飛行機がやってきました。町の人々は、日本軍がいないことを知らせるために、大きな白旗を掲げ、爆撃を免れました。
タカハシの家族への愛、町の人々との友情がビガンの美しい町並みを今に残したのです。
その後、家族はどうなったか?
ルソン島北部山岳地帯に逃げ込んだタカハシの軍隊は全滅し、タカハシも死にました。妻のアデラと2人の娘は、約束通り、ビガンの人たちの手で守られました。
その後、マニラへと移り住んでからの彼女たちの足取りはフロレンティノさんも知らないそうです。
出展:linglo 協力:BSファン倶楽部
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