【反逆のロックスター「ミカボシ」の謎】総集編 〜日本建国の精神と世界天皇の予型〜
これを読み終えている頃には、あなたの世界はまったく変わってしまう。
しかも、もう前の世界には戻れないだろうし、戻りたいとさえ思わない。
だが、以前よりもなんだか心地が良いし、誇り高く胸を張って生きていることに気がつく。
これは、あなたの〝世界〟が出来た時の話だ。
あなたにとっての世界とは、おそらくこの日本という国のなかでの日常だ。
私は、あなたが日本国籍で、日本国に住んで、日本語を話す、いわば〝日本人〟であることを前提としてこれを書いている。
「日本」とは、どんな国だろうか。
制度疲労した政府、愛想の良い皇族、ノーとは言えない国民性、いい国だと分かっているが、なんだかパッとしない国。
これもある側面では事実かもしれない。
しかし、ほとんどの日本人は、日本がどんな国なのか、あるいは日本が建国された時のことを知らないし、知らされていない。
そして、このシリーズを読み終わった頃には、私は今までの〝日本〟という世界観を根底から覆すことをあなたに約束しよう。
あなたはきっと、この日本国にいること自体に爽快感を覚えるだろうし、自分が聖地に住んでいることに気づき、日常が観光気分になる。
愛国心という卑小な意識ではない。
ただ「日本建国史の真実」に目が醒めるのだ。
日本建国ものがたり
このシリーズは、アマツミカボシ(天津甕星)という人物のことを書いてきた。
彼は、日本建国史の謎という、壮大なパズルの最後の1ピースのような存在だからだ。
ミカボシの謎の究明でわかった、日本建国史の真実をストーリー形式で語りたい。
この約1年間におよぶ研究結果は、歴史マニアだけでなく、スピリチュアルに造詣が深い人にとっても興味のあるところだと思う。
もちろん、全ての日本人に読んでほしいので、子どもにもわかるように、童話のような文体のストーリーにしてみた。
これがまた逆に骨が折れたが、呼称はなるべく当時のものにして、便利な用語は排したので、かえって真に迫れたのではないかと思う。
トミの国
むかしむかし——。
あるところに、トミという里がありました。
トミの里は豊かで、人々はけものを狩ったり、漁をしてくらしていました。
この里を治めているのは、ナガスネヒコといういさましく義理がたい男です。
ある日、遠くの国から王子がやってきました。
その王子はニギハヤヒという名前で、西にあるイズモという王国からやってきたのだとか。
ニギハヤヒは、けだかさとやさしさをそなえた人物で、強い兵士たちをひきいていながらも、けっして偉ぶることはありませんでした。
ナガスネヒコは、このニギハヤヒのすばらしい人がらに胸をうたれました。
ニギハヤヒは、ある宝ものを持っていました。
それは十種類の宝もので、王のなかの王である「スメラ」だけが持つことができます。
それが、本物であると知ったナガスネヒコは、ニギハヤヒにつかえ、おたがい助けあいながら国をつくることを誓います。
こうしてニギハヤヒは、ナガスネヒコの妹とも結婚して、スメラになりました。
日本のたんじょう
ニギハヤヒはよい政治をおこなって、里はより大きく豊かになり、あらそいのないしあわせな国としてさかえました。
これこそが今、わたくしたちが住んでいる国、「日本」のはじまりだったのです。
これによって、みんなと助けあいながら日本をおさめるという、ニギハヤヒの一族のつとめは果たされたのでした。
この日本という国は、ほかの国とはちがって、たたかいではなく、話しあいによってできた、きせきの国なのです。
また、スメラとは天皇のことですが、いちばんはじめの天皇こそがニギハヤヒです。
さいしょの天皇、ニギハヤヒこそが日本の国をつくった人と言ってよいでしょう。
ミカボシのたんじょう
やがて、何十年もの時がすぎて、ニギハヤヒもナガスネヒコもおじいさんになっていました。
すでに三人のすぐれた子がいたニギハヤヒに、はじめての孫が生まれました。
孫は、けだかくかがやく男の子という意味で、カガセオと名づけられます。
カガセオは、やがてミカボシと呼ばれました。
あとに生まれた子が、家をつぐというおきてによって、ミカボシがつぎのスメラになることがきまったのです。
ミカボシは、生まれながらにしてスメラになることがやくそくされた人物であり、またそれにふさわしい才能と力をそなえていました。
ヒムカのたくらみ
ある年、ニギハヤヒがなくなりました。
そして、ミカボシはわずか6さいでトミの国の長になり、政治はおじがおこないました。
この年、ニギハヤヒが生まれ育ったふるさとのイズモの国が、ほかの国とのたたかいに負けてほろんでしまいます。
イズモをほろぼしたのは、ヒムカという国で、強い力をもって、西のはてにうかぶ大きな島をおさめていました。
ヒムカは、豊かなトミの国を手にいれるため、トミの国をせめることをたくらんでいます。
しかし、イズモの王子がはるか遠くのところに逃げていたことがわかり、ヒムカはその王子を追いかけることに気をとられてしまいます。
疲れきったヒムカは、トミの国をせめることをやめて、ほかの方法をかんがえました。
その方法が、イワレヒコというヒムカの女王の孫と、ニギハヤヒのむすめが結婚するという、おどろくべきものでした。
うばわれたトミの国
もしこのふたりが結婚したなら、イワレヒコがスメラをつぐことになり、トミの国はヒムカに乗っとられてしまいます。
でも、もし結婚をことわれば、トミとヒムカのあいだで、たたかいがはじまります。
そうなれば、たくさんの人が死ぬでしょう。
そして、トミの国の人々は、国をまもるため、しかたなく結婚をうけいれました。
これによってミカボシは、スメラをつぐことがもうできなくなってしまったのです。
イワレヒコは、結婚をするためにヒムカの国をしゅっぱつして、トミの国にむかいました。
しかし、トミの国のちかくにやってきたとき、なに者かにおそわれてしまいます。
なんと、このときイワレヒコをおそったのは、ナガスネヒコだったのです。
ナガスネヒコは、ずっと結婚に反対していて、ミカボシがスメラになれないことをおこって、イワレヒコをおそったのでした。
ながいあいだ、トミの国づくりにつくしてきたナガスネヒコにとっては、なきニギハヤヒの孫であるミカボシこそが、生きがいでした。
だからこそ、ミカボシがもうスメラになれないということが、ゆるせなかったのです。
でも、これはしてはいけないことだったので、ナガスネヒコは国をおいだされました。
イワレヒコは、おそわれて逃げたあと、まわり道をして、ようやくトミの国につきました。
そして、結婚式がおこなわれて、イワレヒコはスメラになりました。
ミカボシのついほう
国をおさめるのがヒムカのイワレヒコなので、ヒムカの人がたくさんトミの国にやってきて、もともといた人々よりも力を持ちました。
こうやってヒムカの人々は、たたかうことなくトミの国をうばったのです。
ヒムカの人々により、トミの国は「ヤマト」に名前を変えられました。
ミカボシは、父やおじといっしょに、ヤマトをおいだされました。
いまのヤマトの人々にとって、もうミカボシはじゃまになっていたのです。
ミカボシは、父やおじとわかれ、オワリというところに住むことになりました。
そこでは、畑をたがやしたり、お米をそだてるために土地をきりひらいたりしていましたが、ミカボシはよくなやむようにもなりました。
「あぁ、わたしはなんのために生まれてきたのだろうか。なにをするべきなのか。」
ミカボシはもう大人になっていたので、本当は2だいめのスメラになっているころです。
おじいさんであるニギハヤヒのように、人々がしあわせにくらせるように国づくりをしていたはずなのに、今はとてもむなしいのです。
人々のねがい
ある日、ミカボシのところに、知らない人々がやってきて、こう言いました。
「ミカボシさま。どうか、わたしたちを助けてくれませんか。あなたには、わたしたちの国の王さまになってほしいのです。」
ミカボシはそう言われて、おどろきました。
この人々は、東のはてにあるヒタチという国をみんなで助けあっておさめているそうです。
ヒタチの人々は、つづけて言います。
「ヒタチの国は、自分たちでおさめています。なのに、ヤマトの国が〝おれたちにしたがえ〟と言ってきて、とても困っているのです。」
このときヤマトの国は、ほかの国にせめこんでしたがわせるなど、たたかいによってすべての国を手にいれようとたくらんでいました。
そして、つぎにねらわれたのがヒタチの国で、人々はヤマトにしはいされることをおそれて、ミカボシのところにやったきたのです。
「でも、なぜ王がわたしなのですか?」
そうミカボシは言ったので、人々はこのようにかえしました。
「あなたは、国をおいだされて、人のいたみを知りました。それに、こころやさしいあなたのような方が、人々をみちびくべきなのです。」
ヒタチの人々は、ヤマトに立ちむかうために、ミカボシを王にむかえ、国をひとつにしたいとかんがえていたのです。
「ありがとう。あなた方のおかげで、わたしのやるべきことがわかりました。」
ミカボシは、ほほえみながらそう言いました。
こうして、人々のねがいをきいたミカボシは、ヒタチの国へとむかいました。
ヒタチの王
そこで、トミの国にいたころのちえをいかし、ミカボシは田んぼをたくさんつくって、人々のくらしを楽にしてゆきます。
ヒタチの国は、ぬまや池がおおく、それまではあまり米づくりはうまくいかなったのです。
また、港や船をつくってぼうえきをかっぱつにしたことで、商いもさかんになりました。
今までまずしかったヒタチの国は、ミカボシのおかげでおどろくほど豊かになったのです。
こうやってミカボシは、もちまえのかしこさや人をひきつける力をはっきさせて、みんなからしたわれ、そんけいされるようになります。
だんだん国がひとつにまとまってゆき、ついにミカボシはヒタチの国の王になりました。
人々のために働いて、人々をたすけたい。
それがミカボシの生きがいになって、スメラの孫として生まれてきた意味がわかりました。
ヤマトとのたたかい
ミカボシがヒタチの王になり、国を大きくしたことに、ヤマトはとてもおどろきました。
ほんとうは、ミカボシのほうが正しいスメラのあとつぎなので、もしヒタチのほうが強い国になってしまえば、ヤマトはおしまいです。
それをおそれたヤマトが、ヒタチにせめこんだことで、たたかいがはじまりました。
ヤマトは大軍勢でしたが、ミカボシはたくみにすきをついて、みごとにしりぞけました。
あの強い強いヤマトに勝ったことで、ヒタチの人々はおおいによろこびました。
でも、またヤマトがせめてくるかもしれないとかんがえたミカボシは、いくつかの城をつくることでまもりをかためました。
そして、やはりまたヤマトがせめてきました。
まえよりもずっとヤマトの軍はおおく、それにハヅチという強くかしこい武将がいます。
ハヅチは、ミカボシがつくった城をひそやかにせめて、やがてすべておとしました。
ヤマトの軍はあまりに数がおおいこと、そしてハヅチのさくせんがうまくいったことで、もうヒタチはどうしようもなくなりました。
そして、ついにヒタチの都もおとされたので、ミカボシは人々をひきつれてにげました。
これで、ヒタチの国はほろんでしまいました。
ミカボシという星
このあと、ミカボシがどうなったかは、だれも知りませんが、ミカボシはもっともっと人々をしあわせにしたかったはずです。
やがて、ヤマトが日本をおさめ、イワレヒコの子孫がスメラをついでいきました。
そして、ヤマトがつくった神話で、ミカボシは「悪い神」にされてしまい、やりとげたことも悪いことだったと思われてしまいました。
さらには、ニギハヤヒが日本をつくったこと、ミカボシがスメラになるはずの人物だったことまでもが、すべてかくされたのです。
でも、ミカボシがいなくなったあと、ヒタチをおさめたハヅチは、人々をすくって豊かにするという、ミカボシのこころざしをつぎました。
ハヅチは、ミカボシとおなじように、ヒタチの人々をたいせつにしたので、人々は敵であったハヅチをうけいれるようになりました。
人々のこころのなかには、ミカボシという星がずっとかがやいていたのです。
ミカボシは、金星のようにふと世にあらわれ、まばゆいばかりのひかりをはなって、それからすぐにさっていきました。
今、この日本は世界でいちばん古い国になり、イワレヒコの子孫がついだスメラ(天皇)は、世界でもそんけいされています。
ほかの国は、生まれてはすぐにきえましたが、日本だけはずっと日本で、世界でもまれにみる豊かで平和な国です。
日本もスメラも今でもありますが、ミカボシのことはみんな忘れてしまっています。
もしも、あなたが空をみあげたときに、そこに金星かがやいていたのなら、ミカボシのことを思いだしてみてください。
記事一覧
●日本神話で唯一の〝星の神〟〝悪神〟にして実在した人物、アマツミカボシの謎を究明することで、日本建国史の謎を解くことができる。
●在野の歴史研究家、故・
●『日本書紀』とは、大和朝廷のプロパガンダ歴史書だが、記述①と記述②には、ミカボシの謎を解くための手がかりが多い。
●ミカボシは、高貴な出自だが、謂れなく命を狙われ、王朝を去ってからは地方勢力の指導者となり、第二次連合に抵抗した人物である。
●ハヅチは
●第二次連合の成立後、ハヅチは武将としても活躍し、その武勇と知略をもって、ミカボシの勢力を攻略した。
●ミカボシは中央を去った後、
●第二次連合は、常陸王朝の影響力を警戒し、フツヌシとタケミカヅチを派遣するも、敗退を余儀なくされた(常陸の戦い)。
●次に派遣されたハヅチは、難攻不落の首都・大甕を攻め落とすことで、常陸王朝を滅亡させ(
●戦いの後、ミカボシは行方不明になったが、死んでいなかったと考えられる。
●本家の出雲族より、初代天皇のニギハヤヒが祖となった分家の大和出雲族のほうが、むしろ本流であり、また真の天皇家といえる。
●ニギハヤヒの崩御後、大和出雲族の相続者・族長を継いだのは、原田説のいうように末子のイスケヨリ姫ではなく、実はミカボシである。
●ミカボシの別名である、カガセオこそが本名であり、名前の意味からして将来を待望された貴公子であったことがわかる。
●隠された神話の『
●ミカボシの子孫は、尾張大國霊神社の神主をつとめた
●ミカボシは、初代天皇・ニギハヤヒの次男、タカクラジの子であり、214年頃に生まれた。
●タカクラジを祖とする尾張氏は、ミカボシを祖とする中島尾張氏(中島連)と、ムラクモを祖とする大和尾張氏の二つの系統に分かれた。
●中島尾張氏は、尾張国中島郡が発祥である。
●大和尾張氏は、大和国
●ミカボシは、大和出雲族の皇位継承者として第2代天皇に即位して、大和を再興することを期待された人物だった。
●
●大和のイスケヨリ姫と、日向のイワレヒコが結婚して、ミカボシの即位は取り消す、という「第二次連合条約」を日向は大和に提示。
●連合は事実上の乗っ取り策だが、全面戦争の回避のために、やむをえず大和は連合に同意。軍事力を背景とした日向の圧力に屈する。
●重臣・ナガスネヒコは、大和出雲族の皇統を護持して、廃太子・ミカボシを擁立するべく、イワレヒコを襲撃するも、後に処分される。
●第二次連合の成立直後、諸国の平定と開拓を名目に、ミカボシ、タカクラジ、ウマシマジは大和国から追放された(
●尾張の別れで、三皇子が別々になった後も、ミカボシの子やその子孫たちは尾張国に残り、中島尾張氏(中島連)となった可能性あり。
●247年頃、常陸の戦いが起こり、フツヌシとタケミカヅチが常陸国に遠征していたことで、九州王朝から有力武将が不在に。
●同年、女王・アマテラスの死をきっかけに、後継者争いである九州内乱が勃発、有力武将の不在も重なり、
●248年頃、ハヅチの加勢により大甕の戦いで勝利、フツヌシとタケミカヅチは九州に戻って球磨族を撃退、トヨウケ姫の即位を迎える。
●三国志の「
●ミカボシは尾張国にいたが、常陸国の有力者たちから、高貴な血筋と開拓能力を見込まれ、指導者として迎え入れられた。
●第二次連合の東国平定に抵抗していた人々の望みにより、246年頃、ミカボシは常陸王朝を樹立し、東国独立と救民を理念とした。
●第二次連合は、神武天皇よりも出自が正統な傑物・ミカボシが、東国の覇者となったことを脅威とみなし、常陸王朝に侵攻する。
●常陸の戦い(247年頃)では、常陸王朝軍の地の利を活かした奇襲により、第二次連合軍の侵攻は阻止された。
●大甕の戦い(248年頃)で、第二次連合軍は圧倒的な将兵増員で、大甕の陥落と常陸王朝の滅亡に成功するも、ミカボシの討伐には失敗。
●ミカボシの東北亡命の後、ハヅチは常陸国の領主となるが、ミカボシの救民政策を踏襲するという形で善政を敷いた。
●ミカボシの存在自体が、第二次連合を脅かすものだったことが、彼が〝悪神〟と断じられ、歴史上から封殺された理由である。
●
●キリスト教における堕天使・ルシファーと、ミカボシには「支配者に追放され、悪の烙印を押された救世の英雄」などの共通点がある。
ミカボシと日本建国の精神
日本が建国されたのは、神話にもとづく史観、そして原田説でも、イワレヒコ(神武天皇)が即位した時とされている。
また原田氏は、イワレヒコの即位があったのは西暦241年頃であり、それは平和的な大連合によってもたらされたと述べている。
しかし、研究結果のとおり、イワレヒコの即位(第二次連合の成立)は、日向(九州王朝)の軍事的圧力と政治的陰謀によって成立した。
その犠牲になったのが、第2代天皇になるはずだったミカボシである。
もし、この時点を日本の建国にしてしまえば、日本は平和とはほど遠い経緯によって成立した国だということになってしまう。
そんなことで良いのだろうか。
日本は平和的に建国された
だが、心配することはなく、真の日本の建国は初代天皇・ニギハヤヒが即位した181年頃だ。
このニギハヤヒの即位、つまり日本の建国は、世界史上稀にみるほど、平和的な経緯によってもたらされた。
それが、大和国の豪族であるナガスネヒコが、ニギハヤヒの人徳と皇位継承の証・十種神宝に感服し、国を捧げたという史実である。
そこには戦いはなく、ただただ素朴かつ荘厳な奇跡があるのみであった。
この181年のニギハヤヒの即位を日本の建国と定めて、顕彰することによって、日本は本当の歴史と共に生きることができるのである。
そして、真の日本建国の精神の正統継承者こそミカボシで、彼が歴史上から消されたことで、真の日本建国史も闇に葬られた。
とはいっても、イワレヒコの即位も、諸外国と比べればかなり穏便に行われている。
そのころ、同時代の中国では血みどろの戦いで王朝を潰しては打ち立てるを繰り返していた。
日本も、大橋川の戦いや常陸・大甕の戦いなど大きな戦はあったが、三国志で知られる中国の殺し合いに比べたら全然マシである。
当時の中国はすでに寒冷期にあり、まだ日本はそうではなかったという相違点はあるものの、やはり全然レベルが違う。
タケミナカタとは別人
よく、タケミナカタとミカボシは、その実績が似ていることから、同一視されることがある。
確かに、日向の日本制覇(葦原中国平定)に、最後まで抵抗して、自らの王朝を築いたという共通点はあるが、逆に言えばそれしかない。
ミカボシは常陸王朝、タケミナカタは信濃王朝という明確な違いがあるし、シャクシャインとコシャマインも似ているが、確実に別人だ。
どうも世の日本神話マニアは、神を同一視して解明しようとする趣味があるが、私はそういう態度とは一線を画していきたい。
だが、おそらく、ミカボシが特に尊敬していた人物こそ、タケミナカタかもしれない。
最後まで平定に抵抗して、開拓によって人々の崇敬を集めたという、タケミナカタの生き様に影響を受けていたということも有り得る。
それと、出雲王朝が滅んだ時、タケミナカタが信濃まで亡命したことで、九州王朝は疲弊し、結果的に大和侵攻計画が中止された。
すなわち、ミカボシにとってタケミナカタは、命の恩人でもあった訳だ。
この両者に関連があったことは間違いないが、無理やり同一視する必要はまったくない。
ミカボシとタケミナカタ、別人だから呼び名も実績も別なのであり、このことは彼らに限ったことではない。
太陽と金星
はじめは、ミカボシに対してもっとヤンチャなイメージがあり、まるで反政府ゲリラのような印象を抱いていた。
しかし、謎が解けるにつれて、彼が実に優美で聡明、そして神秘的な貴公子・指導者であったことがわかってきた。
最後まで抵抗を続けていたレジスタンスというよりも、民のことを慮った名君という人物像のほうが、的確に彼を言い表している。
救民の英雄だということも、ミカボシの側面のひとつだが、実はその存在にはもっと重要かつ深い意味が隠されている。
前回、ミカボシが悪神として封殺されたことの理由として「ミカボシの存在が、日向にとって邪魔だったから」と述べた。
ここでいう日向とは、日向族による政権である第二次連合や九州王朝、後の時代の大和朝廷や現在に至る皇室のことである。
厳密には、日向族の祭祀を牛耳る忌部氏、その意志を継いだ、日本書紀の黒幕・
夜明け前、金星はあたかも太陽を邪魔するかのようにまばゆい光を放つが、やがてその輝きも太陽の光によって覆われる。
真の日本の象徴
当シリーズの最初の記事を書いた時に、以下のような疑問を呈した。
ミカボシが隠されていることに、どんな意味があるのか?
ミカボシの存在は我々、日本人にとってどんな意味を持つのか?
私は、以下のように結論づけた。
●ミカボシは、日本の発展のため、大和朝廷と天皇家(日向族・忌部氏)による陰謀と欺瞞の犠牲になった人物である。
●ミカボシが隠されていることは、未だ陰謀が明かされていないことを意味する。
●ミカボシは、真の日本と天皇の
●ミカボシの存在が、ニギハヤヒの即位こそが真の日本の建国であったことと、イワレヒコの即位は陰謀に満ちていたことを教えてくれる。
●日本人にとってミカボシとは、本来の日本のあるべき姿を投影した存在である。
なぜ、未だにミカボシが歴史上から封殺され、存在自体が隠されているのか。
それは「日本国と天皇が今も続いているから」という、極めて皮肉な結果にほかならない。
謀略を尽くしてミカボシを封印した当事者は、第二次連合と日向族(を操った忌部氏)だが、これは今の日本国と天皇と同義である。
今も昔も、ミカボシが皇位継承者だったこと、ニギハヤヒが建国者だという事実そのものが、日本の国家機密なのだ。
もしそれが明らかとなってしまえば、日本国=皇室の正統性が危ぶまれるからだ。
私は現皇室が不当なものだと考えていないし、イワレヒコ(神武天皇)の君主としての器量は申し分ないと思う。
だが、イワレヒコとミカボシのどちらが正統な皇位継承者であるかといえば、それについてはもはや言うまでもない。
イワレヒコを初代天皇と考えれば、紛れもなく正統かもしれないが、ニギハヤヒという原点を鑑みれば、ミカボシに敵うはずもない。
出雲族と日向族の和合
これからという時だった。
もし、常陸・大甕の戦いで負けていなかれば、もっと常陸国の開拓を進め、東国を独立させ、もうひとつの朝廷を作っていたかもしれない。
ミカボシとその残党は東北に亡命したが、いつ死んだのかということはわからない。
しかし、もしかしたら後の時代の東北の蝦夷の大和朝廷への抵抗は、ミカボシの意思を継いだものだったのかもしれない。
日本はいつ歪んだのかと問われたなら、それはミカボシの皇位継承権が廃された瞬間であると私は答えるだろう。
それ以降、出雲族(と大和出雲族)は中央から排斥され、歴史の表舞台から姿を消した。
もし、ミカボシが第2代天皇になっていたら、日向族の女子を皇后に迎え、出雲族と日向族の和合を成就させていたかもしれない。
出雲族と日向族の和合によって、人類の調和と繁栄をはかるという、ニギハヤヒの日本建国の精神は、ミカボシと共に引き裂かれた。
出雲族の出身にして、大和出雲族の祖でもあるニギハヤヒは、日向族系のナガスネヒコの妹と結婚して、出雲族と日向族の和合を成した。
出雲族と日向族、この二本の柱で営まれる国家こそが文字通り、日本である。
当時の天皇には、政治的な権限がなかったはずなので、ミカボシの追放と抹殺を指示したのは神武天皇というより、忌部氏の連中だろう。
真の闇帝王・タカミムスビか、その後継者だと思うが、以後彼らが日本を牛耳り、出雲排斥・日向先制を断行して、現在に至る。
ミカボシを祀れ
ミカボシを完全解明し、その研究結果のことを便宜上〝真相〟や〝真実〟と表現しているが、本心ではそうは言い切れない。
本当のことなど、誰にもわからない。
もし、私がミカボシと同時代に生きていても、現代の有名人の動向と同じように、さまざまな解釈の仕方があるに違いない。
とてもじゃないが、歴史学な見地に基づく検証とはいえないし、そもそも史料が少なすぎて、状況証拠からでしか推測できない。
今までの解釈が真実であると主張するならば、私は新興宗教の教祖か傲慢の極みである。
私にできることは、ただただ天地人から貰った情報で考察し、もっともらしい結論を導いて、説得力をもってそれを世に知らしめることだ。
言うまでもないが、ミカボシは悪神ではなく、日本の発展に身を捧げ、また日本の象徴となるはずだった英雄である。
ミカボシが天皇になるはずの人物だったことがわかったことで、彼が日本史上きわめて重要な人物であることが確信できた。
出雲族と日向族の真の和合が成就する暁には、天皇は「世界天皇」となって、ミカボシがその〝予型〟であったことを人々は知るだろう。
私は神棚にミカボシの名を掲げている。
以上、私の至誠を尽くしたタワゴトであった。
まだまだミカボシへの好奇心は続く。
最後に、私が2017年に制作した楽曲がある。
これは封印された出雲族を題材としているが、思えばミカボシのテーマソングとも言える。
作詞曲:鬼将軍
完。