【日本建国史の大真実】第5章 〜オオクニヌシの不断と出雲・日向の暗雲〜 | 螢源氏の言霊

【日本建国史の大真実】第5章 〜オオクニヌシの不断と出雲・日向の暗雲〜





目次

【日本建国史の大真実】第1章 〜アマ族の渡来とスサノオのオロチ退治〜

【日本建国史の大真実】第2章 〜スサノオの九州進攻とアマテラスとの和合〜

【日本建国史の大真実】第3章 〜裏天皇・タカミムスビの正体と忌部氏の呪い〜

【日本建国史の大真実】第4章 〜消された初代天皇・ニギハヤヒの日本建国〜




前回までのおさらい。



181年頃

ニギハヤヒ(30)、大和国で初代天皇として即位し、鳥見とみ三輪みわ山麓)に居を構える(日本の建国、第一次 出雲いずも日向ひむか連合王朝の成立)



・ニギハヤヒ、初代天皇への即位と日本建国、日向系のミカシキヤ姫との結婚=出雲と日向の和合により、アマ族としての使命を果たす。

・この当時の皇位継承の証は、三種の神器ではなく「十種神宝とくさのかんだから」であり、第10代・崇神すじん天皇の時代までは代々継承されていた。

・ニギハヤヒは「天照アマテル」(=太陽神)を冠した諡号を贈られるほど名君だったが、その威光は後にアマテラス(ヒミコ)にすり替えられる。

・ニギハヤヒの隠蔽、スサノオ誹謗、ヒミコの神格化などの歴史・祭祀改竄を実行したのは、タカミムスビの陰謀を継いだ藤原不比等ふじわらのふひと





ここから本日の日本建国史。


前回の時代からすこし遡る。



160年頃

オオクニヌシ、出雲国の飯石郷いいしごうで誕生。出自は不明。




オオクニヌシ

(大国主尊、大己貴尊)



彼が今日の主役である。



180年頃

オオクニヌシ(20)、スセリ姫に婿入りし、スサノオの婿養子となる。





彼は、今まで登場した人物とは違って、どうも凡人というか、スサノオやニギハヤヒのようなカリスマ性や武勇はなく、英傑ではない。


とはいえ、オオクニヌシという名はかなり有名であり、その性格は記紀神話で知られるようにナイーブな優男だったようだ。



当時、スサノオの連盟、ニギハヤヒの連合王朝というふたつの大国が日本にはあった。



スサノオとアマテラスの間には男児はおらず、また出雲側からは、ニギハヤヒが第一次連合で天皇になったため、継承者はいなかった。


そこで、スサノオ(出雲・日向連盟の盟主)の後継者として担ぎ上げられたのがオオクニヌシということだ。



彼は、スサノオの末娘であり、出雲族の相続者でもあるスセリ姫に婿入りした。


彼女がオオクニヌシの先妻であり本妻。



スセリ姫

(須世理姫、須勢理毘売命)




だが、巨星が墜ちた。



185年頃

スサノオ(63)、出雲国の八雲やくも熊野くまので死去。




日本の祖・スサノオ(肖像は若年期)



それまで散在していた数千の集落を国家としてまとめあげ、日本建国の礎となった偉大な王、それがスサノオであった。


日本人と日本の歴史を代表する人物は誰か?と聞かれたら、悩むまでもなく殿堂入りするのがスサノオだろう。



スサノオは、山陰・北陸地方にまでその範囲が及んだ出雲王朝の王ではあったが、後に九州も統一して出雲・日向連盟を樹立した。





だが、なぜスサノオはその広大な地域を自身の帝国にはせず、君主(天皇)にもならなかったのだろうか?


それは、九州の日向王朝が、スサノオの侵攻の前に、合戦になる寸前で和睦を申し出たため、完全に支配下に置けなかったからだ。



もしも、スサノオが率いる出雲王朝軍と戦っていれば、必ず日向王朝軍は負け、完全に出雲の支配下に置かれていただろう。





そうして、スサノオが山陰・北陸〜九州までの広大な地域に出雲・日向連合王朝を樹立して、自らが天皇となっていたに違いない。


だが、日向の策(おそらくタカミムスビ案)によって和睦がなされ、スサノオは日向に配慮をしなくてはならなくなった。





はじめは和合を拒絶したくせに、後から和睦を申し出ることにより、出雲との微妙な距離感を保った独りよがりな日向。


なので、連合王朝ではなく出雲・日向〝連盟〟という中途半端な共同体にせざるをえず、自ら天皇になることができなかったのだろう。



連盟という大きなくくりに含まれてはいたが、出雲王朝も日向王朝もそれぞれに主権を有した加盟国として残っていた。


スサノオは出雲・日向連盟の「盟主」であり、これは今でいう国連事務総長のような立場で、決して世界皇帝のような権限はない。



とはいえ、彼は偉大なカリスマ性により、その制約すらもカバーしていたのだろう。



185年頃

オオクニヌシ(25)、義父である故・スサノオの実質的な相続者となり、出雲・日向連盟の盟主に。




しかし、故・スサノオの後釜として据えられた盟主は、オオクニヌシという若者だった。


出雲・日向連盟の盟主の代替わりがあっただけだが、勢力図はこのように。





なぜ、スサノオと同じ出雲族の人間ではなく、(おそらく)日向族のオオクニヌシが後継者になったのか?


それは、あくまで出雲と日向の連盟であって、出雲大帝国ではないので、出雲の次は日向から盟主を輩出する決まりだったからだろう。



これはいわば両統迭立りょうとうてつりつであり、オオクニヌシの名前が「大国王」ではなく「大国主」なのは、大王ではなく連盟の盟主だった証拠だ。


ここでオオクニヌシの人物像について、恒例の中矢氏の本を参照して述べよう。



◉国主の器ではなかった〝虚飾の大王〟オオクニヌシ



スサノオは、ニギハヤヒを大和へ送り込んだ数年後、出雲の八雲村熊野で亡くなった。


そのあとを継いだのが、末娘のスセリヒメである。


オオクニヌシは、相続人であるこのスセリヒメの夫であった。

したがって、スサノオが没すると、自動的に出雲から九州にかけての広大な国の長となった。

「大国主」と呼ばれたのはそのためである。


つまり、オオクニヌシは、養子として迎えられたのであって、スサノオ家とは血縁関係はない。

この事情のために、のちに日向系によって出雲の国魂神に祀り上げられることになる。


養子に来る前のオオクニヌシの素性については、不明な点が多く、父母が誰であったかもよくわかっていない。


生まれたのは、西暦160年頃で、出生地は現在の島根県飯石郡三刀屋みとや町あたりであり、180年代の頃にスセリヒメの婿になっている。

スサノオが死亡した時、彼は24、5歳になっていたようだ。


性格的には、名前とは反対に、国主としての器ではなかったらしい。

武人というよりは学者肌であり、そのことは、大国主を祀る神社に、薬の神だとか医学の神として伝えられている場合が多いことからもわかる。


(後略)

中矢伸一『神々が明かす日本古代史の秘密―抹殺された国津神と封印された日本建国の謎を解く!』(1993年、日本文芸社)



185年頃

オオクニヌシ(25)、アマテラスの長女・タギリ姫と結婚。





オオクニヌシには、スサノオの末娘のスセリ姫という正妻がいたが、アマテラスとスサノオの娘である絶世の美女・タギリ姫とも結婚した。



タギリ姫(ミホツ姫、コノハナサクヤ姫)

(多紀理毘売命、木花咲耶姫、三穂津姫)


父はスサノオだが、家系的には日向族なので、オオクニヌシには出雲と日向の両方に妻がいるという状況だった。


当時は多夫多妻制だったので倫理的には問題はないが、これが後に厄介なトラブルを招く。



続き

(前略)



スサノオが亡くなったとき、オオクニヌシもまだ若かったために、実質的な国の運営は出雲の然るべき人材が行なっていた。

九州にも役人が置かれ、アマテラスの住む日向には、ときどき顔を見せる程度であったようだ。


後年、日向の都である西都さいとに滞在する期間が長くなるにしたがい、アマテラスは、おとなしく、気立ての優しいオオクニヌシのことをすっかり気に入ってしまったらしい。

そして、ちょうど自分がスサノオの日向における現地妻になったように、愛娘の多紀理タギリ姫を妻として与えた。


アマテラスにはスサノオとの間に3人の娘がいたが、そのうちの長女がタギリヒメである。


このタギリヒメは出雲名を三穂津ミホツ姫といった。

また、たいへんに美しい娘であったとみえて、木花咲耶コノハナサクヤ姫とも呼ばれた。

ふつう木花咲耶姫といえば、天孫・ニニギノミコトの妻神とされているが、実際は、このタギリヒメであったようである。


(中略)


オオクニヌシにとっては、出雲はあまり居心地のよい場所ではなかったようだ。


自分は養子であるし、昔から義兄たちにいじめられていたという伝承が残っている。


また、正妻であるスセリヒメは、父スサノオの相続人としての気位を持っていたらしく、またスサノオ譲りの血は、末子のタケミナカタに受け継がれ、オオクニヌシはどちらかというと、彼ら母子に圧倒されてしまいがちであったようだ。


一方、日向のほうには、スセリヒメよりおそらく15歳ほどは若く、美しい妻がいた。

可愛い子供たちもいた。

そして、賢くて慈愛に満ちた母・アマテラスがいた。


オオクニヌシの気持ちは次第に出雲から離れ、日向に滞在する期間が長くなっていく。


アマテラスが、政略的なことを考えて、自分の娘とオオクニヌシを結婚させたのかどうかはわからない。

しかし結果的に、オオクニヌシは出雲より日向と結びつくようになったのである。


オオクニヌシの時代は、約30年の長きにわたったといわれる。

アマテラスにとっても、この時期は孫たちにも恵まれ、最高に幸せな時期であったことだろう。

中矢伸一『神々が明かす日本古代史の秘密―抹殺された国津神と封印された日本建国の謎を解く!』(1993年、日本文芸社)



オオクニヌシは政治に無関心だったとはいえ、特に目立ったトラブルはなかったようなので、意外と名君だったのかもしれない。


出雲のことは人に任せっきりだったようだが、然るべき人材に任せるというのも政治である。





だが問題は、オオクニヌシが死んだ後のことであり、彼は自らの後継者である次期盟主に誰がなるかを決めていなかったのだ。


具体的にいえば、次期盟主候補として彼の子が二人おり、その子たちの戦いによって、出雲と日向は引き裂かれることになった。



オオクニヌシが優柔不断だったのは事実だが、タギリ姫と結婚した時点で、相続問題が生ずることを予測できなかったのだろうか。


悪くいえば、タギリ姫とオオクニヌシの結婚が結果、出雲族と日向族の間柄を引き裂くことになったのである。





オオクニヌシの甘さが、タギリ姫を傾国けいこくの女にしてしまった。


参照した本には、アマテラスがオオクニヌシにタギリ姫を与えたとあるが、私は実際のところタカミムスビが与えたのでは?と思っている。



何でもタカミムスビの陰謀にするのは汚名かも知れないが、現実的に彼にとって出雲と日向の不和は思う壺である。


また、記紀神話ではミホツ姫(=タギリ姫)はタカミムスビの娘ということになっているが、これが何よりものヒントではないか。



ライトノベルの主人公のような三角関係。



いずれにせよ、これから情勢はどんどん日向にとって有利な方向に進んでゆくのである。



本日までの系図。





つづく。