生きたように天に召される・生老病死のナチュラル医療推進考! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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無投薬・無医療で、この人生を

「貫徹していく」

大上段になってしまいますが、これが私自身の生き方になります。

医者にもクスリにも頼ることなく、この人生を全うしていく。その実現のためには、日々の努力が不可欠なものとなる。

肺にはなるべく自然の空気を送り込もうと努力をするし、若干メンドクサイと思いつつも、山の水を汲みにいくことだってルーティンのひとつにしている。

もちろん日々の食材にも徹底してこだわる。間食もしないし、パンや乳製品などもほとんど口にしない。

食器洗いにも体洗いにも歯磨きにも、石鹸や合成洗剤は使わない。もちろん、サプリなども飲むことがない。

今の時期は雪で難しいのですが、春になれば農作業の開始で五体を太陽の下に晒しつつ、鍬と鎌とを奮って筋骨を動かし続ける。

自らに備わる内なる力。この力を最大限に引き上げていくことこそが、日々の課題。

いま現在は昼夜勤という反自然かつ反人間的な賃金労働に従事せざるを得ない。

 

こうした止むに止まれぬ事情があるため、慢性的な睡眠不足に悩まされ続けている。

でもそうであるからこそ、その他の要素に対しては全力を注いでいるのが私の現在の状況。

「新鮮な空気・自然な食事・降り注ぐ陽光」

日本国憲法で言うところの「不断の努力」とは、"普段の努力"

このことを三本柱に日々を過ごしているのです。

無投薬・無医療でこの人生を生き抜いてみせる。こんな極端なことを実行しようと思う背景には、私の長くて苦しい闘病体験があります。

現代医療はもとより、漢方をはじめとした各種の民間療法。これらを散々なまでに繰り返してみたところで、私の症状は悪化の一途を辿っていくばかり・・・。

どこにも希望を見い出すことができないまま、クスリまみれの毎日。いつか必ず破綻の時を迎えてしまう。

 

このことに危機感を覚えつつも、漫然と病院通いを続けていたのが経緯です。

元気になりたい!このことだけをただひたすらに願い、模索を続けていく中で私は無肥料・無農薬の「自然栽培」

 

このコンセプトに辿り着くことができました。

野菜も人も同じ生きもの。無農薬・無肥料で、野菜たちは元気に逞しく育つことができている。そうであるなら、この私にだってできるはず。

こうして20年にも及んだ無投薬・無医療の闘病を経て、いま現在の私は昼夜勤や農作業をこなせるまでに回復できているのです。

※参考スグに削除されてしまうためリンクが飛ばなかったらスイマセン。

 

・『無投薬無医療での30年の病気治療①
・『無投薬無医療での30年の病気治療➁

・『無投薬無医療での30年の病気治療➂


それは私だけではなく、妻も猫も同じ。妻はヘルニアからの腰痛に悩まされ、その挙句、脊柱管狭窄症を発症するに至りました。

ツライ日々が続いていましたが、冷やすことで血流を抑制し、痛みをマヒさせるだけの現代医療はすべて拒否。

信頼する鍼灸の先生のもとに通い続けること約2年。今ではかなり改善しました。重たい雪もなんのその。

雪かきに奮闘する妻の姿を見るにつけ、元気になったんだな。そんな言葉が思わず漏れ出てしまうのです。

我が家には今年で9歳になるメス猫のフクがいるのですが、昨年の今ごろのフクは股関節を痛めてしまい、四肢の自由を奪われていました。

トイレに行くのもヨロヨロで、ようやく辿り着いた猫トイレ。そこで用を足している間にも。転倒を繰り返す。

足を痛めたペットは長くない。そんなことが言われていることからも、覚悟だけは固めておりました。

フクはといえば冬の間はコタツの中で過ごしていましたが、春になるとより積極的に、日向ぼっこを繰り返していました。

獣医などには決して連れて行くことがありませんでした。車の乗るのが大キライな猫だし、獣医にかかったところでX線やMRIで散々なまでに検査をされ、投薬などの対症療法。

ただひたすらにこれを繰り返されるだけ。世に生れ出た以上は致死率100%なわけだから、自然の経過に全てを任せてみることにしたのです。

すると夏場の熱中症騒動を切り抜け回復すると同時に、足までもが完治していました。
※参考:『家族を襲った真夏の出来事・生死の境で垣間見た!生き物としての尊厳

今では家中を走り回れるくらいに元気になっています。我が家は飼い猫も含め、無投薬・無医療。

これを家訓にしているのです。

 



■生きたように死に逝く
先日、実の父親のケアマネージャーから電話がありました。

私の父親は施設に入居しているのですが、39℃の熱が出たため近くの総合病院に緊急搬送されたとのことでした。

夜勤明けだった私は、入院手続きが必要なことから高速道路で約1時間ほどの病院に赴くことになったのです。

スグに対面できたのですが、約10か月ぶりにみる父親の姿は以前よりもずっと小さくなっていました。

それでもすでに入院中の義理の父親に比べれば、すこぶる元気に見えました。

私の義理の父親は、昨年9月にコロナにかかったとのことで病院に即入院。その後、解熱剤や抗生物質をはじめとした様々な薬剤、さらには点滴と認知症薬。

これらによってクスリ漬けにされてしまい、いまだ退院できないままでいるのです。

皮下からの点滴を入れられ続け、もう針を刺せる血管がない。医者からはこのように告げられてしまいました。

 

仕方がないので、首からの静脈注射。もはや自分で食べものを咀嚼できないため、首からの点滴。

これのみで、どうにか命を繋いでいる状態なのが私の義理の父親。

普段からその姿を目の当たりにしているため、実の父親の方は元気そのもの!私の目には、そのようにしか映らなかった次第です。

高熱を発するのは元気な証拠。体温が1℃上がれば、免疫部隊・お掃除部隊の白血球などの活動は、400~600倍にも活性化してく。

 

発熱は体の浄化作用の証でもあり、気力体力、充実の証なのだから、イチイチ入院なんかさせるなよ。だから医療はキライなんだ。

心の中でそう思っている自分がいたのです。

実の父親は、20年にも及んだ無投薬・無医療での苦しい闘病。これを続ける私に対して、罵詈雑言を浴びせ続けてきました。

「いつになったら治るんだ!」
「バカなことをしないで名医を探してこい!」
「クスリを使って、今すぐカネを稼いで来い!」


身も心もギリギリの状態の私に、こんな言葉を浴びせかけるばかりだったのです。

あれから時間は経ってはいるものの、そんな父に対しては同情心も憐みの気持ちも、正直あまり出てこない。

"復讐するは我にあり"、以前はこうした気持ちも心のどこかに残ってはいたものの、今はそんなこともあまり思わない。

小さくなった目の前の父親は自分の症状を必死に訴えかけ、私に憐みの情をかけてもらいたい。

 

そんな様子なのですが、どうにも心が動かない。

「オレはこの病院がキライなんだ」

昨年の同じ時期にこの病院に入院したことを思い出し、そんなことを必死に訴えてくるのです。

医者にかかる以上は、医者の言うことを聞きなさいよ。私はこのように返答して、あとは黙り込んだ次第です。

しばらくすると担当の医師が現れ、父と私に対して検査結果を報告し、今後の治療方針についての説明を始めました。

ウイルス性の高熱ではないこと。内臓由来の発熱でもない模様。残る可能性は、「誤嚥性の肺炎」

これは食べたものが食道を通って胃に至らず、通常ルートを誤り肺に入り込んでしまうことによって引き起こされる肺の炎症。

 

食べたものには肺炎球菌などの病原菌が付着していることが理由で、肺炎を引き起こしてしまったとのこと。

 

医師はこのように説明しました。

治療方針としては、抗生物質を使って肺の中の菌を殺すことで、炎症を抑え込む旨が告げられた次第です。

 

いつだって悪いのは、菌やウイルス。これは150年くらい前の病原感染説の開祖であるルイ・パスツール。

 

パスツールの時代から微塵も動くことがない現代医療の流儀。

 

私からしてみれば"悪しき伝統"にしか思えないのですが、とにかくすべての責任を菌やウイルスに押しつけてばかりなのが現代医療の実像です。

 

人間サマはどこまでも清く正しく美しく、それでいて、か弱き存在。凶悪な菌たちこそが諸悪の根源。

 

だから魔法の弾丸こと、抗生物質をただひたすらに乱射することで悪を撃退することばかりに血道を挙げている。

 

医療って本当にどうしようもない体系だな、そんな思いが漏れ出てしまうのです。

 

私たちの祖先を辿ればどうしたって菌に行き着くワケだし、何より私たちの体には150兆匹もの人体常在菌。

 

この菌たちがそこかしこにコロニーを作り、私たちと共栄共存の関係を結び続けているのです。

 

人体の細胞は60兆といわれていますが、数で言えば常在菌の方が圧倒的に多い。

 

その菌たちを悪に仕立てあげ、ただひたすらに攻撃し、殲滅を繰り返す行為はあまりに愚かであるとしか言いようがない。

 

父の場合は肺炎球菌がターゲットなのかもしれませんが、抗生物質を使えばそこは無差別

 

人体にとって欠かせない常在菌たちまでをも攻撃してしまい、弱体化されていく結果を招いてしまいやすいのです。

 

さらに人体を構成する60兆もの細胞には細胞壁が存在していません。

 

菌には細胞壁という城壁が備わっているのですが、人体細胞にはその壁が存在せず、薄っぺらい細胞膜。

 

これ一枚、いわばノーガードのような状態で細胞内と細胞外とを隔てているのみ。

 

抗生物質などの強力な薬剤が人体細胞に与えてしまう影響は軽くはないはず。私としてはそんなことを思ってしまうのです。

 

現代医療は本当にどうにもならないものだなと思いつつも、父は今日に至るまでその現代医療を信奉し続け、83年もの人生を歩み続けてきた。

 

その歩みを突然ココで変えることはできないだろうし、私の心にもそれを説得するだけの思いも何も存在していない。

 

父は父が歩んだように余生を送ればそれで良い。

 

私は医師に、分かりました。父をお願いします。そのように答えた次第です。

医師も、お父さんはお元気そうだからまず大丈夫でしょう。そう述べて、医師との面会は終わりとなりました。

 

 

■実は肺にも⁉

コロナウイルス騒動で、

"消毒!消毒!消毒!"

とあらゆる生活シーンで、消毒剤まみれにされてしまった私たち。

ドラッグストアにおいても、消毒剤の棚がすっからかんになるほど、消毒薬は売れに売れたわけなのです。

今でもどの商業施設に行っても、消毒薬のニオイが空間を漂ってしまっている。

密閉された室内で、消毒薬や殺菌剤を濫用してしまうと、成分が空間に揮発し、それを私たちは吸い込むハメになる。

それがさまざまなキケンな事態を引き起こしてしまうのです。

以前このブログで、ハーバード大学とフランス国立衛生研究所が共同で行った過去30年にも亘る長期の大規模調査の結果をお伝えしました。

調査の発端は、アメリカで看護師の職業病として、

「肺疾患」

にかかるケースがあまりにも多い。この原因を明らかにする目的で、調査は始められたのが経緯です。

そこで分かったことは、たとえ週一回の室内空間における消毒剤や殺菌剤の使用であっても、定期的に消毒剤を吸い込むことで、

『慢性閉塞性肺疾患(COPD)』

この症状を発症する確率が22~32%も引き上がってしまう。

そして消毒薬の定期的吸入は、あらゆる肺疾患の確率を引き上げてしまう。研究ではこのように報告されているのです

私たちが考える以上に、消毒薬や殺菌剤の揮発による肺への影響は甚大なものがある。


この点を決して忘れてはならないと思うのです。

従来、慢性閉塞性肺疾患は"タバコ病"といわれていました。

 

このこともあって、受動喫煙の有害性も盛んにいわれているのですが、調査において分かったことは、本当の原因は

「タバコはない」

タバコを吸う人はアメリカでは減少の一途を辿っているのに、発症者数は増加の一途を辿っている。

実際にタバコを吸う人・吸わない人の間の発症確率に大差がないことが分かったそうなのです。

消毒に使用する消毒薬こそが真の原因。
 

看護師は病院において絶えざる消毒を行うことが職務となりますが、その業務の遂行こそが肺を蝕む原因だったと報告されているのです。

受動喫煙の害が声高に叫ばれているのですが、それと同じくらいのトーンで私たちは消毒薬の使用に

「注意と警戒」

 

を払わなければならない、研究結果はこのことを明らかにしたのです。

さらにこれまで肺の疾患は、無菌状態の肺に病原菌やウイルスなどが侵入することで発症する、突発的な症状であると思われてきた経緯があるのです。

皮膚や腸と違って、肺に常在菌は存在しない。医療においては、このことをいまだ前提にし続けているのです。

でも、ミネソタ大学の研究チームが権威ある医学誌「ランセット」に発表した研究論文において、これまで存在しないと思われていた肺の中に

"常在菌叢"

があることが判明しました。そして

「ぜんそく(喘息)、肺線維症、慢性閉塞性肺疾患(COPD)」

これらの病気は、肺の中の常在菌の破壊によって引き起こされている。

研究チームは報告において、このように指摘しているのです。


コロナ憎し!に終始するあまり、私たちはあまりに安易に薬剤を使っていますが、それは本当に
リスクの高い行為といわねばなりません。

抗生物質も、殺菌剤も、消毒剤も、合成界面活性剤も、そしてワクチンも可能な限り、人体から遠ざける必要があると思うのですが、いかがでしょうか。

化学薬剤などのキケンな物質は人体にとっては異物以外の何者でもありません。

それを頻繁に使うことは、私たちの体という自然の生態系を破壊する。こうした環境破壊に他ならないものではないかと思うのです。

最後に、敬愛するナイチンゲールの言葉を紹介終わりにしたいと思います。

「看護の目的の第一は患者が呼吸する空気を外気と同じく清浄に保つことにある」

 

「空気を浄化するために燻蒸剤や消毒薬などの類に頼るようなことは絶対にやめよう」


「患者の身体から出る熱と湿気で腐敗しかかった空気を、繰り返し患者に呼吸させるという犠牲をはらって病室を保温する方法は、間違いなく、患者の回復を遅らせ、果ては生命を奪う」
(フロオレンス・ナイチンゲール著 『看護覚え書』より)

 

 

■参考文献