自分は一生、
「クスリ漬けだ!」
これが青年期の私を支配していた思いになります。
21歳で発病して以来、それからの12年間はあらゆる治療を繰り返してきました。
“良い!”
といわれるものがあれば、スグに飛びつき、その後に訪れる後悔と諦め。そして膨大な額に及ぶ散財・・・。
自らの運命を嘆き呪うばかり。私はそんな毎日を送り続けてきたのです。
西洋医学、東洋医学、各種整体、気功や呼吸法、さまざまな食事療法などなど。これらを繰り返した結果、毎回突きつけられる事実は何をやってもすべて
「ダメ!」
症状はより一層、強く激しくなるばかり・・・。結局は西洋医学の医者が出すクスリ。これに完全に依存し続ける。
私はこんな毎日を12年にもわたって送り続けてきたのです。
そんな私に転機が訪れたのは2003年の夏のこと。当時32歳だった私は、肥料も農薬も一切使わない。
“自然栽培流の生き方”
これを実践し、これにすべてを賭け、このやり方と心中する。こうした揺るぎない決意を固めるに至りました。
それまでのクスリ漬けによる治療方法を改め、自らの内に備わる生命力。ここに全てを賭けてみる。
今から18年前に、この決断をするに至ったのです。
今回は、一番最初の闘病の模様、2003年夏から2004年春までの275日間の記録を綴った手記のパート1になります。
内容が内容だけに、実際に起きた、あるがままの事実をお伝えしていく所存です。
これを公開するにあたって大前提として述べておきたいことは、私が体験し実践したことだけが唯一正しい。それだけが普遍的な真理である。
そんなことを申し上げるつもりは毛頭ないこと。
いつの時代も目的達成までの道のりは、いく通りだってあるはずのもの。このように考えることが理由になります。
このことを前提に強調しておきたいのは、私の体験は真理ではないのかもしれませんが、
「事実であること!」
このことだけはハッキリと冒頭に申し上げておきたい。体験したものが事実を伝える、このことはひとつの義務ではないかと思うからです。
私の手記の公開が、病気の症状をさまざまな角度から考える。そのための材料の1つになればと思い、頁を進めて参ります。
病気と体の関係、食べることの意味、そして医者やクスリに頼らない暮らしのあり方。
こうした生き方を模索するあなたの参考に少しでもなれば、嬉しい限りです。
では本編の手記へ・・・。
■命の力を!
私は21歳で
「アトピー性皮膚炎」
を発病しました。色々やってはみたものの、最終的にはステロイド剤。
アトピー治療で一般的に使われる副腎皮質ホルモン、このクスリを常用し続けてきたのです。強力な薬剤を全身に塗り続けることで問題の先送りを続けていく。
一番多い時には、町の皮膚科を4カ所くらい掛け持ちして、ステロイド剤の絶対量を確保していたのです。
大量のクスリ、ステロイドが手元にないと症状を抑え切ることができない。それは止むに止まれぬことだったと振り返っているのです。
それがどれだけ危険なことかは百も承知。それでも大量のクスリがなければ仕事をすることも、プライベートを過ごすこともできなくなってしまう。
クスリは私と社会とを繋ぐ、唯一無二の
“架け橋・・・”
この方法で社会と繋がり続け以外に方法がない。当時の私はこのように日々を送っていたのです。
幸か不幸か、どの医院も三分診療。だから、私が複数の医院を掛け持ちして大量のクスリを使っていることなどは知られようがない。
医者の方も、毎日さばき切れないほどの患者を抱え、とても患者とじっくり話をする。そんな余裕など医療側にも全くない。
それを良いことに私は過ごしていたのです。
「自分は一生薬漬けだ、こんなことをしていたらいずれ重大な事態が訪れる。自分は長く生きられないかもしれない・・・、でもこんな毎日ならそれで良いのかもしれない・・・」
当時、私の心を支配していた思いです。だから動ける間に何でもやろう。自分が生きた証をこの世に残すために。
そんなクスリ漬けの日々を送っていましたが、2003年から私はほぼ寝たきりの状態になりました。理由はすべてのクスリをきっぱりと
“断った!”
このことが理由になります。炎症を抑えるステロイド剤と12年間付き合ってきたのですが、ココですべてをやめる。
そして自分自身の備わった治癒力、私の中にある生命力、ここにすべてを賭けてみる。こうした選択をするに至ったのです。
その間は辛い毎日でしたが、私を支え続けたのは必ず自分の力で
「治してみせる!」
といった強い信念になります。クスリ漬けの毎日から、一切のクスリやサプリメント、医療機関やさまざま民間療法。はたまた宗教など。
これらを一切拒否し、無肥料無農薬の自然栽培農産物ととともに、無投薬・無医療で症状と向き合った日々。
その第一弾は、275日間に及ぶことになったのです。
■キスマーク?
私のアトピー歴は幼少期にまでさかのぼります。
とはいっても、その時はあまりに幼かったので、かすかにしか記憶にありません。2才で発症したと親から聞きましたが、何となく覚えている程度です。
でも、親としては心配。病院という病院を駆け回り、そのときは2,3の医院を回る程度で済んだそうです。
頭にも発疹が出たようですが、クスリを塗ればそれでおしまい。いま思えば、ステロイド剤だったのでしょうが、それでカタが付いたというわけです。
その後は、約20年間、全くそうした症状はありませんでした。私は野球少年だったし、高校から空手を始め全国大会で三位に入賞するくらい無我夢中になりました。
そんな毎日を送っていた私に異変が起きたのが21歳の時。始まりは左の首のあたりに、オデキのようなモノができたことによります。
当時は放っておけば治るだろう、その程度にしか思っていませんでした。ただ時間の経過とともに、オデキが大きくなっていく。大学の友人からは、
“キスマークか?”
なんてからかわれたことを記憶しています。幼少期を除きそれまでの私は健康そのもので、医者に行く習慣など全くありませんでした。
だからオデキが大きくなっても、さほど気にすることはなかったのです。
でも、母としては見るに見かねたようで、強く医者にいくことを薦められ、近所の皮膚科に渋々と出かけた。そこでもらったクスリは中強度のステロイド剤。これが最初の処方になりました。
実際にそれを塗ってみると、驚くくらいのスピードで症状が治まる。クスリの力って、
「スゴイものだな」
そう感心したのを記憶しているのです。
それから半年くらいの間は、いつも通りの元気な状態のまま。何の症状も出ることなく、大学生活をエンジョイ。勉学に、ライフワークの空手に、そしてアルバイトにいそしむ日々だったのです。
でも半年すると、また同じ箇所にオデキのような症状が出た。それでも半年前の経験があるから、クスリを塗ればスグに
“良くなる”
何の疑いもなしに塗ってみる。するとまた劇的にキレイになる。
でも、3日もすると、再びまた症状に見舞われる。そうこうする内に今度は首だけでなく、炎症は全身へとおびただしく広がっていきました。
燎原の火の如く・・・、全身に惨たらしい炎症が瞬く間に広がっていったのです。
■麻薬か?クスリか?
今度ばかりは、クスリを塗ってそれで終わり。そういうワケにはいかない。
塗ってもしばらくすると、またあちこちに炎症が出てくる。それに対してまたクスリを塗る。こうして、クスリの使用が常習化していきました。
その様は基本的には、覚醒剤と同じ。使えば使うほど、手離せなくなっていく。量が増え、使うまでの間隔が段々と
「短くなっていく」
それまでは弱いクスリで抑えらていれたのに、それではどうにもならなくなる。
こうして次第に使うクスリも強くなり、最後は最強の強度のステロイド剤を塗る。それより他に方法がなくなっていったのです。
でもそれですら効かなくなってしまうのです。こうなるさすがに、心配になってくる。
ステロイド剤を塗れば確かに症状は劇的に改善していく。でもそれはあくまで一時的なもので完治には決して
“至らない”
この偽らざる現実がリアルに分かってしまう。あらゆるクスリにいえることなのでしょうが、クスリは症状を「治す」ためのものではなく、「抑える」だけに過ぎないもの。
抑え続けていくためには、使い続けなくてはならない。そしてクスリを使い続ける限りは決して治らない。焦りと不安、切実な思いに駆られ、さまざまな情報を集める努力を始めました。
ステロイド剤は別名、『副腎皮質ホルモン』といわれていますが、それは本来、人の体から分泌されているもの。激しい炎症を抑制し、緩和してくれる、私たちの体に備わったとてもありがたい物質。
医学では副腎皮質ホルモンはこのように説明されているのです。
でも、炎症や発疹が全身に回れば、体から分泌される量ではとても間に合わない。そこでステロイド剤を使って、副腎皮質ホルモンを外部から注入する。いわば
「外」
の力で炎症を抑え込む。でも、これには当然リスクだってある。
外から絶えず供給していれば、本来備わった自分の内なる力は退化していく。使わない脳や筋肉が衰えていくように、副腎皮質ホルモンだって自分で分泌することができなくなっていくのです。
そうなれば体は衰弱化し、常にクスリなどの外部の力に依存せざるを得なくなる。それ以外に方法がなくなってしまう。こうした悪循環にハマり続けることになるのです。
また、ステロイド剤に使われているさまざまな物質、化学合成添加物にだって当然リスクがつきまとう。こうした問題も同時に抱え込むことになるのです。
通常、私たちはクスリというと、一錠丸ごとが症状を抑えるための有効成分。100%それであるかのように思っています。
でも実際はそうではない。有効成分はごく一部であって、残りはすべて
“化学合成添加物”
防腐剤や着色料などといった人工の化学物質も含めてあの一錠は構成されている。それはステロイド剤も同じで、副腎皮質ホルモンだけではなく、さまざまな人工の化学合成物質が使われているのです。
塗れば塗るほど、これらも一緒に体に入っていく。こういうことになるのです。
■入口と出口
人工の化学物質は、脂と馴染みやすく、水に馴染みにくい。
体内に入ると、皮下脂肪に蓄積されるため排出が困難。人工の化学物質が
「入り口あって出口なし」
そういわれる理由は、こうした点にあるのです。
実際に、このステロイド剤を使えば、どんなに体中に症状が吹き出しても、それこそ“あっ”という間に収まっていく。
引っかき、ただれた皮膚でさえも、ものすごいスピードでキレイになっていく。ステロイド剤が、
“魔法のクスリ”
“奇跡のクスリ”
といわれる由縁は、こうしたところにあるのです。
それを実感する中でさすがに怖くなりました。そこで漢方を始めとした、良いといわれるものを片っ端から試してみました。
漢方も2年くらいやりました。また入浴剤や温泉治療、骨の歪みを整えることも随分やりました。また最近は聞かなくなりましたが、レーザー治療もやってみた。気功や各種呼吸法といったものなどもやってみました。
さらには1日1個キャベツを食べるとか、ウーロン茶を毎日2L飲むとか、黒豆や昆布、ひじきといった黒いものをたくさん食べれば良くなるとか、そうした情報を得れば即座にやってみる。
自分の尿を塗れば良くなると聞けばやってみる。それでもどれもが難しい。症状は改善しないし、第一、キャベツ1個やウーロン茶2Lを毎日飲み食いするなんて継続できるはずもない。
ましてや尿を塗ると悪臭に襲われ続けてしまうため、継続はほぼ困難・・・。こうして色々と手を染めてはみるものの長続きしない。
結局はステロイド剤を常用することに落ち着いてしまうのです。
大学にだって通わなければ卒業できないし、学校生活を味わうこともできなくなってしまう。社会人になったら働く、そうでない限り生活することが難しくなってしまう。
そのために即効性があり、使えば症状はウソのようにおさまっていくステロイド剤を常用する。
こうして12年にわたって、ステロイド剤を使い続けていたのです。
■出会いと別れ
私はこうした経験から
「自然食関係」
の団体を就職先に選びました。生活協同組合、そして大手有機野菜宅配団体に勤める中、そして無肥料無農薬の自然栽培と出会うに至った次第です。
自然栽培の理念や原理原則通りに、症状と向き合っていく。
肥料も農薬も一切使わずに、元気なお米や野菜を作ることができる。むしろ、肥料をあげればあげるほど、作物は弱くなっていく。生きものの原則は
“過剰に弱く不足に強い”
栄養の塊である肥料の投入は虫や病気にたかられてしまい、農薬が必要になる。
自然の野山に肥料や農薬は一切使われていない。それでも植物は繁茂し、色づき、やがて枯れていく。そして次なる生命を絶えることなく繋いでいく。
でも田畑となると突如肥料が投入される。有機肥料であれ化学肥料であれ、肥料を使えば農薬が必要になる。このことは人の体においても、
「同じではないだろうか?」
「私の症状もまさにこれではなかろうか?」
そのように直感し無肥料・自然栽培の世界にのめり込んだわけです。それへの思いが募るにつけ、有機宅配団体を辞め、自然栽培のお米や野菜を取り扱う会社に入社しました。
しかしその時の私のカバンやポケットの中には常に、ステロイド剤が入っていました。そして転職して1週間を経った頃から、体中におびただしい水泡が発生し、どうにもならない状態へと陥っていったのです。
2003年8月に入ってすぐ体調不良を理由に、早退した日から275日間に及ぶ闘病が始まりました。
炎症を抑えるためのステロイド剤を12年間使い続けてきたのですが、2003年7月にきっぱりクスリをやめる決意をし、そこから寝たきりの生活を余儀なくされるに至ったのです。
(次回に続きます)
■自然食業界キャリア15年のOBが綴る