無投薬無医療での30年の病気治療・濡れ続け、震え続けた我が闘病の全記録➂ | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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~ 前回は私が初めて体験した、無投薬無医療の闘病の模様をお伝えしました。

 

今回は、その後の顛末について述べさせて頂きます。

 

体の自然な姿についてさらなる理解を深めていく。そのことへの材料の1つに、もし私の体験がなるのなら嬉しい限りです。 ~

 

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夏に始まった無投薬・無医療での初めての闘病生活。季節は、秋へと移り変わっていきました。


10月も終わり気温が一段と下がってくると、体の内側から間断なく襲い続ける

 

「寒さ」

 

この恐ろしいほどの寒さに、とても耐えられない。そんな状態に陥ってしまいました。

もはや台所に立つことが不可能になってしまったのです。1人での闘病が限界に達したことを認めざるを得なくなったのです。

どうしようかと散々に悩んだのですが、思い切って母に電話をし、この3ヶ月半のことを伝えることにしたのです。

母は涙声でしたが、治療に関しては一切口を出さない。このことを固く約束してくれました。一方の父はといえば、複雑な思いがあったようですが、不承不承、同じように約束してくれました。

 

こうして私は横浜の実家、両親のもとへと戻ることになったのです。

私が来るなり、床に皮膚の残骸が散乱しました。それはあたかも砂を撒いたかのような状態・・・。残骸が床に散らばってしまうのです。

 

母は日に何度となく掃除をしてくれました。また嗚咽しながら苦しむ私に対して、何も言わずに身体をさすってくれました。母がある時、

「自分の命を賭けてやると決めたこと。このことであなたがどうにかなったとしても、それはしょうがないことだわ」

こんな風に話してくれたのです。 

実家ではつらい家事から解放されたこともあってか、心がすごく安定していきました。いつも両親がそばにいて、いろんな話しができることはありがたく、よく眠れるようにもなりました。

 

愛犬の存在も私を癒す、大きな材料になったのです。


11月、12月と両親に見守られながら症状は終息へと向かい始めました。やがて軽い散歩ができるようまでに回復していきました。

 

お風呂から15分で出られた時の感激。今でも忘れることができません。

こうして2004年1月の始業の日から、私は仕事に戻ることができたのです。

 

そして自然栽培の個人宅配事業を立ち上げ、試行錯誤の末、どうにか軌道に乗せることができたのです。

 

 


■予言的中?
そうこうするうちに、またその時が訪れてしまいました。

無事離陸できた喜びも束の間、再び試練の時を迎えることになったのです。4月に入ると再び、ものすごい悪寒に襲われ、以前のあの反応が再び始まってしまったのです。

この間、環境臨床医の三好基晴先生から、

「必ず第二波が来るよ」

こう予言されていました。仮に1回の排毒ですべて出し切ってしまえば体力が持たずに、死に至ってしまうそうなのです。

こうしたことを身体は知っていて、自然にきちんと調節してくれている。

“一波、二波、三波・・・”

 

こうした具合に、間隔を置いて訪れるそうなのです。それぞれに間隔があり、その間に体力の回復を待ち、次の波が訪れる。

 

むやみやたらに症状を起こすのではなく、今の心身のコンデイションをしっかり把握した上で、異物や不要物を排出していく。

 

体力に合わせて解毒を行う。そんなすごい仕組みが私たちの体には備わっていると三好先生は解説してくれました。

こうして2度目の闘病が始りました。桜が咲き乱れる中での闘病生活。

 

頭では分かっていてもどうすることもできないイラ立ちと無念さ・・・・。

「何で自分ばかりがこんな目に遭うのだろう」

自然と浮かぶこの思い。この世の春、そんな風に浮かれて見える季節とは裏腹に、どこまでも沈んでいく自分の心。

そして再び訪れた身体の苦痛。しばらくは両親にも言うことができず、会社近くのアパートで一人耐え続けていました。

 

でも前回同様、次第に身体の自由を失っていきました。こうして再び横浜の実家へと戻ることになったのです。
 
前回はまったく初めてのことで、まさに無我夢中。今回は二度目、すでに経験済みのことである程度の

“耐性”

が自分に備わっていることを感じていました。厄介なのは無力感。

新しく立ち上げた自然栽培の宅配事業はうまく続いているのだろうか?会社のみんなには迷惑をかけていないだろうか・・・。
 

どうにもならないことをひたすら思い続ける。2度目の排毒はこうした自分の心のあり方に向けた試練なのだと感じていました。

それでも2ヵ月半くらいで症状が収まり、6月半ばくらいには仕事に戻ることができたのです。


■二度あることは・・・
嬉しい気分もつかの間、復帰して1週間も経たないうちに、また再びあの恐ろしい寒さと身体の症状が始まったのです。

そしてまたしても仕事を離れざるを得なくなりました。

自分はこの繰り返しの中で生き続けなければならないのだろうか?責任を持って仕事に取り組むことは

「できないのだろうか?」

こうした思いに心が覆われてしまうのです。でも、体は自分が犯した過ちを元の状態に戻そうと必死になってくれている。

それなのに心の方が折れてしまってどうするのか?そう自分の心に向けて叱咤激励し繰り返していたのです。

そして時間の経過とともに症状は、次第に良くなっていきました。こうして275日に及んだ、初めての無投薬無医療での闘病が終わりとなりました。

3度目の復帰を果たししてから、しばらくは不安定な状態が続きました。

 

時折、モノ凄い寒さに襲われたり、軽い発疹が出たりという状態だったのです。転機は、40℃以上の度以上の熱が10日以上も続いたこと。

 

これを契機に、不安定な体の状態は

 

「長期安定」

 

へと向かっていったのです。

ものすごい量の鼻水と痰が続き、高熱にウナされ続けました。それは苦しいことだったのですが、よくよく思い返してみれば、42℃までの熱が出るなんてことは、ほとんど記憶がないのです。

 

特にクスリを使い続けていた12年間は熱が出たとしても、いつも微熱。すごく熱を出しにくい、そんな体質だったと振り返るのです。

 

高熱が続いている状態の中、環境臨床医の三好基晴先生は、君の体は高熱が出るくらいにまで

 

「元気になったんだなぁ」

 

こんなことを言ってくださいました。熱が出るから元気になる。熱を出すことで、体内の不純物を正常ルートで排除してくれている。

 

皮膚から出すのではなく、肝臓腎臓の解毒機関を経由しての排出。先生は私の高熱を知り、ひどく安心された様子で言葉をかけてくださったのです。

 

また快方に向かう中、当時付き合っていた彼女が心身をリラックスさせて欲しい。こうしたう気持ちからなのでしょうが、

 

“ヨモギ風呂用”

 

のグッズを買って、届けてくれました。お疲れ様ということだったのでしょうが、一抹の不安もあったので、三好先生に連絡を入れてみることにしたのです。

 

すると先生の声色が突如として変わり、もしその風呂に入ったら、

 

「腎不全」

 

を起こして、最悪の事態を招きかねない。絶対に入らないように!と厳しく強く、注意をしてくれました。

 

先生曰く・・・、体は腎臓・肝臓で処理しきれない薬剤などの異物を皮膚を通して出そうとしている。皮膚に1兆匹存在し、私たちと共栄共存の関係を築き続ける、

 

“皮膚常在菌”

 

の力を借りて排出しようとしている。それなのに殺菌力の強いヨモギなどに浸かってしまったら、常在菌たちの活動は弱まり、死滅しかねない。

 

そうなれば、毒が一気に腎臓に回り、即死する事態だって起こりかねない・・・。こんな風に説明してくださったのです。

 

危ない場面を何度も何度も、三好基晴先生には救って頂きました。心から感謝をしております。

 

 

 

■命のチカラを!

初めての無投薬での闘病はつらくて厳しい毎日でしたが、振り返ればわずか270日程度のこと。

終わることなく訪れる痒くて辛い症状、一生手放すことができないと思っていたクスリ。そして誰に対しても、深い部分で心を閉ざし、常に余裕のなかった自分の心。

これらと別れることができた喜びは、命をもう一つ

「もらった!」

これ以外に、表現のしようがありません。それまでの12年間の苦悩、クスリ漬けの日々から卒業するための命の洗濯。

 

それがこの270日間であったと振り返るのです。

私がこの苦しい闘病で学んだことは、生命とは本来的に

“完全である”

このことになります。問題は生命に本来的に備わっている、その力を高めていく方向に向かうのか?それとも自らの手で低めてしまうのか?

 

この選択に過ぎないのではないかと思っているのです。

身体には本来、元の健康で快活な状態に戻そうとする力が備わっている。病気の症状とはそのために必要な過程で、辛いからといってクスリで抑え込むことは問題の先送りに過ぎないのではなかろうか?

 

このことを痛感しております。

たとえ時間がかかったとしても、根本的な解決は身体の防衛力を高めること以外にあり得ない。そして異物や不純物を極力体内から遠ざけていく。

 

現代においては、完全排除は難しいのでしょうが、今できることから始めていく。私の薬歴、そして最初の闘病はまさにそのことであったのです。

 

この長い手記を読んでくださったあなたが毎日の暮らしや実際に病気に直面した時に、少しでもこのことを思い出して頂ければと願うのです。

 

医者やクスリに頼らない生き方、病気や症状と今までとは違った角度で向き合うことができるのではないかと思うのです。

肥料も農薬も使わない野菜やお米、そして本物の発酵食品を食べることは、完全である身体の能力を高め、本来の力を発揮させていくことに他なりません。

それらを少しずつでも身体に入れることの意味、自分の体験を通じて多くの方に伝えていきたいと思っています。

これまでとは違った食や医療のあり方、さらには家族が元気に生きるための一助になればと心から願います。

今回で最初の闘病、2003年夏から2004年6月までの模様は終了になります。でもこれだけで、私の闘病は終わりを迎えることはありませんでした。

 

その後、症状は全く別の形で私に訪れることになります。その模様については、次回からお伝えしていこうと思っております。

(次回に続きます)


■参考文献

 

 

 

無肥料無農薬米・自然栽培と天然菌の味噌・発酵食品の通販&店舗リスト

 

 

自然食業界キャリア15年のOBが綴る

無投薬・無医療の生き方マガジン!

 

 

 

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