『増やす文化』の裏側で密かに進む・亡国の惨状とは?抵抗の歴史をヒモ解いてみる! | 医者ギライ・クスリギライのための1日10分!医食同源・自然食実践ブログ

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「増やす文化」

これが現在の岸田政権。その目玉政策のひとつなのだそうです。

"貯蓄から投資へ!"

こんな言葉をスローガンに、資産運用立国、資産倍増計画、インフレに負けない資産形成を!

日本人の2000兆円を超えるといわれる個人金融資産。この莫大な資金を株式市場に移行させようと懸命に働きかけている。
 
こうした目的で、新型NISAなどが頻りに騒がれているのです。

※参考:『岸田首相の本気、「資産運用立国」・「資産運用の新時代」へ

興味がないので詳しいことは知りませんが、東証一部などはバブル崩壊後の最高値を更新している模様です。

それどころか、"バブル期越え!”。こうしたことまでいわれ始めているのです。

 

バブル期に狂じて、我が世の春を謳歌して高級ベンツに乗っていた人々。

 

そんな人々が瞬く間に公園のベンチに乗り換えざるを得なかった過去のアノ忌まわしき出来事。
 

原発事故も同じなのでしょうが、どうやら私たちはスグに忘れてしまう国民性の模様です。
 

そうなると、我も我もと次から次へと勝ち馬に乗ろうとする人々が名乗りを挙げ始める。

お腹が空いた状態で、鼻先にぶら下げられた人参を食べるな!

そういうことにはなりにくいのかもしれませんが、正直、相場感覚があまりにズレているように思えてしまうのです。


概して株式などは、皆が買い始めている時に売りを敢行し、皆が売り始めている時を狙って買い注文を出す。

"逆張り!"

なんて言ったりもするのですが、大多数の人々の逆を行く。そんなごく少数の人だけが儲かるようにできているはずのもの。

売る人がいることの裏には買う人がいる、買う人がいることの裏には売る人がいる。

おててつないで、皆で仲良くゴールイン!こういうことには決してならないものだといえてしまうのです。

そして投資した資金がピンチ!こうしたネガティブ情報が流され始めると、不安に駆られた人々が今度は一斉に売り注文を出すことになる。

それを待ちに待って張り続けている人たち、逆張りを行う少数の輩たちばかりがボロ儲けを手にすることになる。

 

現在の状況は、このことを狙ったものであろうと私自身は思っているのです。

「今が買い時!最高値を更新!将来不安解消への切り札!」

 

こうした体の良い言葉には重々注意が必要になると思うのですが、いかがでしょう?

円安ドル高、高利回り・高配当、日本株は100株単位での購入だけど、米国株なら1株単位での投資が可能。

米国株なら少額の資金から始められる!こうした甘い言葉で、ド素人に過ぎない人々を株式市場に放り出そうと画策している。

 

それにより、私たちの大切な資産を奪い取ろうとしている。それどころか、日本全体の大切な資産までをも外国人に根こそぎ提供してしまおうと企んでいる・・・。

 

今の状況は、まさに売国政策。それそのものであろうと思っているのです。

米国株を買うには、手持ちの日本円をドルに換える。いわゆる「ドル転」が必要になります。

問題なのはドルに換えられた「円」の行方。この円を誰が買うのか?といえば、もちろん外国人投資家になります。

彼らが円を買い、買ったその円を使って日本国内の山林や水源や土地、水道などをドンドン買い漁っているのが現在の状況。

円安に歯止めがかからぬ状況の中、日本の国土や資源が

"出血、大バーゲンセール!"

とでもいうべき状況下に陥ってしまっている。

こんな国を売る、まさに売国政策を前のめりになって推進しているのが岸田政権が掲げる『資産運用立国』の正体。

あなたがこの国を愛し、この国の行く末を大切に思う"国士"であるのなら、少なくとも新型NISAなどの言葉に惑わされないように。

そんなモノには参加しない!こうした態度を決め込むことも、いま私たちにできる、ささやかな

「抵抗!」

の1つではないかと私自身は思っているのです。

 


■抵抗手段として
「百姓は生かさぬように殺さぬように」

これが江戸期を通じた徳川幕府の方針です。

幕府の直轄領である天領においては、「五公五民」。収穫高の半分を幕府が年貢として取り上げ、残り半分は農民の取り分となる。

各藩においても概ねこの比率であったことがいわれているのです。

でも幕府財政がひっ迫するにつれ、この割合が六公四民になったり、七公三民になったり・・・。

七公三民は農民を収奪する限界値であるといわれ、餓死するか否かの瀬戸際の比率。

 

これを超えての収奪は不可能であったことがいわれているのです。

農民の側もタダ漫然と収奪されているわけではありませんでした。厳しい年貢の取り立てに悩まされ続けた農民たちは、

「品種改良」

という手段で、自己防衛する術を編み出していきました。

この面積の田んぼなら年貢は、このくらい。太閤検地でも、徳川幕藩体制でも、年貢米は面積ベースで徴収されていく。

そうであるならと農民たちはこの点に着目し、打開策を見出していく。1本の稲になるべく多くの粒が実るようにと、品種改良の努力を怠らない。

穂数の多い稲の品種を育て、一粒でも多くの米を自分の手元に残そうとする。このような努力をしていたことが分かっているのです。

実際に、室町幕府後期、戦国時代に書かれた『親民鑑月集』には、当時すでに

"96種類"

もの稲の品種があったことが書かれています。飢饉に強い品種、デンプンの多い品種、穂数の多い品種・・・。

このように稲の品種を使い分けることで、あらゆる事態を想定し、栽培していた、そんな工夫が垣間見えるのです。

稲のみならず、麦24種、豆32種と記されていて、

「高地用・低地用」

などといった具合に、品種のバラエティーを巧みに使い分けていた。その様子を窺い知れるのです。

またコンニャクや栃餅などは実に手間ひまがかかるもので、完成までにたくさんの手数や労力がかかることで知られています。

どうしてこんな面倒なモノを長年にわたり手がけて来たのか?それは、徴税逃れの1つの手段ではなかったかと個人的には思っているのです。

以前に紹介した「彼岸花」なども、厳しい年貢取り立てに対する農民の抵抗手段、最後の奥の手のひとつ。

飢饉の際などに食べられるものなら何でも食べ、そしてそれを食べ尽くした後の最終手段がアルカロイド系の毒を持つ彼岸花。
※参考:『庭から聞こえる先祖の息づかい!?食と命を守る・ナチュラル食材推進考!

農民たちは油の如く、搾りに搾られてはいたものの、それでも生き残ることができた理由は、搾っている武士よりも搾られている農民たちの方が賢かったから。

 

一揆や逃散などもあるにはありましたが、それはあくまで最後の最後。止むに止まれぬ最終の手段として行ったものであることが指摘されているのです。

過酷な取り立てに苦しみながらも、常に余剰を持つようにと知恵を働かせ続けて来た経緯がある。

逆境を跳ね飛ばすだけの逞しい生きチカラこそが日本の伝統的な農民精神。

このようにいえるのではないかと思っているのです。

 

 

■時を隔てて・・・

農民は武士から搾りに搾られてはいたものの、生き残るための逞しい知恵を発揮し続けてきました。

 

それでも享栄・天保・天明間に起こった江戸の「三大飢饉」の際には、あまりに悲惨な状況に追い込まれてしまったのです。

 

特に前例がないといわれるほどの大冷害が原因で起こった「天明の大飢饉」においては、地獄絵図さながらの大惨事になったことが伝えられているのです。

 

食べられるものが何もない状況下に追い込まれた南部藩においては、

 

"人肉の市"

 

が立ったことが記録に残されています。

 

餓死していく者は数知れず、道に転がる死体の肉を切り取ってはそれを食べる。子供の頭蓋骨を割り、そこから脳髄を引き出して食べる。

 

こうした光景が随所に見られたそうなのです。

 

こうした惨状の中でも最低限の秩序はあったそうで、他家で死んだ人の遺体を譲り受けていたとのこと。

 

いくら極限状態といえども、自分の亡くなった家族の人肉を食べるようなことはしなかった。

 

隣の家の婆さんが亡くなると、それを貰い受けて食べる。自家で誰かが亡くなった場合は隣家に遺体を引き渡す。

 

まさか自分の家族の肉を食べるわけにはいかないから、隣近所で交換していたことが伝えられているのです。

 

人肉として食べるのはあくまで亡くなった方のそれのみ。生きた人間を殺してまで食うようなマネは通常はなかった。

 

でもモノには例外があるもので、生きた子供に大の男がかぶりつく。

 

こうしたケースもあったことが「寛政の三奇人」のひとりとして有名な高山彦九郎の『北行日記』には綴られているのです。

 

彦九郎はこうした惨状を目の当たりにして、これは幕府の悪政によってもたらされた

 

「人災だ!」

 

こうした思いを強く持つに至りました。

 

母親思いで直情径行型の彦九郎は江戸に上り、幕府に建白書を叩きつけましたが、一向に取り上げられることはありませんでした。

 

業を煮やした彦九郎は江戸を諦め京都に上り、そこで討幕を実現させるべく立ち上がったと伝えられているのです。

 

この高山彦九郎こそが日本最初の討幕運動家であるといわれています。それは天明の大飢饉によって生み出された勤王の志士である。

 

このように説明されるのです。

 

当然ながら彦九郎は幕府の追及を受け、46歳で自刃してしまいましたが、それから約70年の時を隔て、大量の勤王の志士たちが世に生み出されることになりました。

 

その結果、徳川幕府はついに滅び、明治の「ご一新」を迎えたのが歴史の経緯になるのでしょう。

 

時代を急激に変えることはできないのでしょうが、それでも為政者たちが行うことに目を光らせ続ける必要はあるのでしょう。

 

高山彦九郎の人生からも、そのことを強く思います。

 

■参考文献

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