まんがでわかる サピエンス全史の読み方 | 空想俳人日記

まんがでわかる サピエンス全史の読み方

 あのホモ・サピエンスの人類史を描いた、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』が文庫になった。買おうか、思ったが、その前に、『漫画サピエンス全史 人類の誕生編』を読んでいるのよ。その後の『漫画サピエンス全史 文明の正体編 』も読んでる。ならば「文庫版、読むのかあ、まあ、ええんでないの~」思ってたら、こんな本に出会ったよ。

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 あんまし期待してなかったけど、きちんと「サピエンス全史」が語られてる。しかも、この漫画どうなの、思ったけど。ちゃんと落としどころが出来ている。
 ユヴァル・ノア・ハラリ氏は、人類史を的確に表現しているのであって、それが「どうのこうの」ではない。ただ、人間は、ホモ・サピエンスとして素晴らしい進化を遂げながらも、ホモ・サピエンスだからこその、驕り高ぶる生涯があることも語られているのだ。
 簡単に言えば、この世界は虚構で出来ている。遡れば、農業が始まった時代からだ。農業革命、産業革命、科学革命。これらの革命は、虚構の建設だ。狩猟から農耕は移動から定住。定住は土地の拡大、領土の拡大へ。そして、生まれた虚構の中でも、最大虚構と言われているのが、貨幣と帝国と宗教。
 つまり、ボクたちは、生物の中でも、想像力とそれによる創造で、虚構の世界を築き上げてきたホモ・サピエンスとして、生きていかざるを得ないということだ。

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 ここでは、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『サピエンス全史』のポイントと、別仕立ての物語(マンガ)が並行して進んでいく。その二本のレールは、必ずしも内容的に合致しているとは限らないが、マンガの主人公・杏果は、この虚構の世の中で、どう生きていけばいいのかを物語っているし、その根拠が、もう一つのレールで明かされる。
 彼女は、資本主義社会で「うまく生きる」ことができないニート。ふとしたきっかけから始めたボルダリング。そして、人とのかかわりの中で、気づいていく、この世界に蔓延する価値観が虚構で成り立っていることを。それを疑いながらもバランスを取ることが大切だということを実感し、社会の中で働く意欲が湧き上がっていく。
 ニートでしかない主人公は、大学時代の連中との飲み会に誘われるが一度は断る。ボルダリングを始めたことで、少しずつ社会との関りになれながら、2度目のお誘いに参加する。その時の場面を見てほしい。
「どーせ掃除とかだろ?」「水仕事っぽいしキツそー」「それにバイトじゃなあ」「何の実績にもならないし もっとこう産業に貢献する仕事っていうかさ そういう仕事をする気はないの?」……こんなこと言う連中に「ヴィム・ベンダース監督の映画『PERFECT DAYS』を観ろ」って言いたくなったよ。
 同じページに、もう一つのレール(サピエンス全史から)がポスタリゼーションで語られる。
《かつて人々は家族やコミュニティの互助関係の中に生きていたが、やがて「国民」というフィクションを受け入れ、想像上のコミュニティを形成した》《「国のために」画一的な教育を受け、労力やお金を差し出すことを当たり前(義務)として受け入れるようになった》
 主人公は言う、「通じ方っていうか学生のときとは違うなーって」と。彼女は、大学時代の仲間たちの会話に、ナショナリズムとそれがもたらす差別に気づくのだ。いかにこの虚構社会の中で生き延びていくために、大学時代とは違う考え方や価値観に様変わりしているか。虚構の海の中で、波に乗るためには、いかに自らの価値観ではなく、国家や権力社会に迎合し、それを自らの価値観と勘違いすることで、同調して生きていこうとしているのか。
 主人公は、そこで反論せず、人は人、自分は自分、つまり、自分自身の価値観を見出していこうとする。彼女のボルダリングは、その原動力でもある。多くは語らないが、ある意味、ホモ・サピエンスの虚構社会で生きていくためには、企業や会社で仕事をしなければならない。しかし、そうした集団に所属するためには、階級のトップを目指すのか、隷属者として雇われ者に甘んじるしかない。そういう世の中になっていることに気づく。だから、主人公は、ならば、自分は自分、それをボルダリングという、仕事とは関係ないところに見つける。ここが、ポイントだと思う。

 巻末に、堀江氏と監修者の対談があり、一部、頷ける部分もあるが、新たなフィクションの創造という部分で、堀江氏の考え方は、全ての人に適合するものではない。彼は、IT社会、ネット社会で、自らの意志で勝ち進んでいけるタイプだが、多くの人は、今や陥っているSNSの病魔にさらに侵されていくだけだと思う。自らの存在理由や承認欲求を、そういった動物園の檻のようなSNSの見世物小屋で、「いいね」欲しさに労力を浪費するばかりになる。
 だからだ、ひとつの例として、マンガでは、その自分らしく生きることをボルダリングというステージで表現しているのだ。

 対談よりも、さらに巻末の監修者さんのあとがき「幸せは虚構の先にある」の方が、よほど参考になる。ちょっと長くなるが、引用したい。
《農業がなくて、文明がなかったら、たぶんぼくもあなたも生まれることさえなかっただろう。このぼくたち自身もまた、人類の育んできた虚構とフィクションの産物だ。そしてまた、その虚構やフィクションを信じる心の根底にあるのは、他人をとりあえず信じてみる、という心の働きでもある。/ 他人を信じるーそれは人間にとってあらゆる苦労と不幸の元でもある一方、あらゆる幸せと楽しさの元でもある。社会を作る虚構を、虚構だからとむやみに否定することは、必ずしも幸福への道ではない(最初の杏果のように)。虚構と知りつつそれに敢えて乗っかり、自分が動く契機とすること、そしてそれを通じて他人への信頼を再確認することーそこにこそ、幸せの答えがあるのかもしれない。いずれ機械や人工知能が発達すれば、たぶんそこらの面倒は機会が見てくれるはずだ(小麦が人間を操って自分たちを増殖させたように)。/ でもそれまでは、ぼくたち自身が自分を取り巻く虚構を受け入れつつも、妄信はせず、ときには自らの古い虚構を否定し、新しい虚構の構築と拡大を担うことこそが、幸せへの一つの道でもあるのかもしれない。》
 そう、とりあえず、国家や社会、会社や宗教(狭義の宗教じゃなく、自由主義や民主主義や資本主義も広い意味での宗教)というフィクションに乗っかりながら、自分が信頼できる自分ならではのフィクションを創造し、押しつけのフィクションに囚われないようにしていく。ボクは、そのフィクションこそ、芸術だと思ってはいるのだが。
 マンガの中で、主人公が癒される場所、そして、キーマンと出会う場所、水族館が出てくる。「クラゲってプランクトンなんだよ」という件がある。「水の流れに逆らって自由に泳げる水生生物をネクトンというの それができない水生生物がプランクトン」と。ボクたちは、時にプランクトンのように漂いながらも、ネクトンとして自由に泳ぐことができるようになることが大切だ、と思う。

 実は、この本と同時に、もう一冊、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の『人類の物語 Unstoppable Us ヒトはこうして地球の支配者になった』という本も手に入れた。副題に「小学生からの人類史」とあるように、『サピエンス全史』の子供向け教科書、みたいなものだ。
 ほぼ同時進行で読んだので、その子供の未来を考えてか、鋭い人類史批判は、少々鳴りを潜め、子どもたちに、多くの選択が自由にできるのがホモ・サピエンスみたいな訴求だ、ま、それはそれでいいけど。そして、そこでは、農業革命も産業革命も出てこない、もっと前の話。オーストラリアやアメリカの動物たちを絶滅させたお話まで。ヒトが地球の支配者になるところまで。


まんがでわかる サピエンス全史の読み方 posted by (C)shisyun


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