桜、池田綾子、柴田淳、一青窈、森山直太朗、大谷翔平、ベーブ・ルース、野球、九州、ななつ星、ハナミズキ、ワシントンD.C.、ポトマック川、桜ソング、歌謡曲。

 

 

歴音28.桜の季節(桜うた.3)

 


桜のシーズン、真っ盛り!
今回は、連載「桜うた」コラムの第3回で、最終回です。

桜うた.1…「さくら咲く」
桜うた.2…「てりたま食べて…うふふ 天下布桜(てんかふぉ~)」
桜うた.3…「桜の季節」


◇あの人は、朝桜(あさざくら)

アメーバブログの「霞草(かすみそう)」さんから、第1回コラム「さくら咲く(桜うた.1)」の楽曲を聴きながら、懐かしい昭和を、人を、会話を、大切な瞬間を思い出されたというお便りを頂戴しました。

 

 

桜の花は、毎年、新しい花を咲かせるのに、なぜか懐かしい記憶を よみがえらせますね。
ひょっとしたら、毎年、生まれ変わっている、ずっと同じ桜の花なのかも…。

西行(さいぎょう)の句に、「願わくは 花の下にて 春 死なん。その如月(きさらぎ)の、望月(もちづき)の頃」があります。
如月とは、旧暦2月で、今の新暦の3月後半。
望月とは、この場合、満月のこと。
花とは、もちろん桜の花のこと。

西行は、鎌倉時代の1190年に、この句のとおりに亡くなりました。
桜の花のように、懐かしい思い出を抱いたまま、もう一度、春の始めに生まれ変わってくることを信じて…。

* * *

あのメジャーリーガーの大谷翔平選手… きっと、1948年(昭和23)に亡くなった あの米国選手ベーブ・ルースの生まれ変わりに違いない!
桜の花のような笑顔もそっくり!

ベーブ・ルースは、1934年(昭和9)に、メジャーリーグで本塁打王となり、その年の「メジャーリーグ選抜軍」の一員として来日し、日本の野球チームと多くの親善試合を行いました。
彼の引退の2年前で、39歳の出来事です。
ニューヨーク・ヤンキース時代の最終年で、53歳で亡くなる 14年前です。

* * *

彼が来日した1934年(昭和9)は、「大日本東京野球倶楽部(今の読売ジャイアンツ)」が設立された年で、1936年(昭和11)には、東京巨人、大阪タイガース、名古屋金鯱ら7球団で、日本初のプロ野球リーグ「日本職業野球連盟」が設立されています。
日本のプロ野球設立に、ベーブ・ルースが果たした役割は あまりにも大きなものでした。
今の大谷選手の影響力も、それに匹敵しますね。

ベーブが来日した1934年(昭和9)は、太平洋戦争が始まる7年前の出来事です。
この選抜軍の中には、米軍のスパイ兼務として来日した選手もいましたね。

大谷翔平選手が生まれた1994年(平成6)は、ベーブが来日してから。人生還暦の60年後のこと。

* * *

ベーブもショーヘイも、桜でいえば、まさに 世界の「朝桜(あさざくら)」!
その存在は、ただの野球選手ではありませんね。

少し薄暗い朝焼けの中の、みずみずしく清らかな桜の花を表現した季語…それが、朝桜(あさざくら)です。
「朝桜」…希望が込められた、なんと素敵な言葉でしょう。

米国でも、日本でも、「野球」は、まるで朝日のように、国を照らしてくれていますね。
ベーブもショーヘイも、朝日のような…、桜の花のような… 存在!
それは、まさに オンリー・ユー!

ザ・プラターズ
♪オンリー・ユー(1955・昭和30)

 

大本友子(おおもと ともこ)
♪桜待つ朝に(2006・平成18)

 

* * *

九州でお暮しの 霞草さん…この度は、誠にありがとうございます。
桜の思い出を、どうぞ大切に…。

九州では、7つの全県を走る「寝台列車(クルーズトレイン)」の「ななつ星」が走っています。
2013年(平成25)10月15日(鉄道記念日の翌日)に運行を開始しましたから、今年で11年。

霞草さんも乗られたでしょうか…。
ありがとう…桜色の霞花!ありがとうの星!

池田綾子
♪ありがとうの星(2021・令和3)

 

桜と列車…なんと素敵な風景でしょう!
ありがとう九州!
池田綾子
(2004年のJR九州CM曲)
♪僕たちのTomorrow(2004・平成16)

 

九州の7つの県をつなぐ「ななつ星」!
七つの星をつなぐ銀河鉄道!
そこには、とても素敵な音楽と、桜と、人がいる!
いつか、九州の「ななつ桜」を訪ねて旅してみたい!


◇米国のハワイ生まれの「さくら」

さて、2002年(平成14)のNHKの朝ドラに「さくら」がありました。
高野志穂さんが、主役の「松下さくら(エリザベス・さくら・松下)」を演じました。

ハワイ生まれの日系四世の女性「松下さくら」は、岐阜県・高山の中学校の英語教師となり、日本の風習や考え方に戸惑いながらも、苦難を乗り越えていくというドラマでした。
日本の文化や、日本人の人情に触れ、日本のすばらしさを発見していくという物語でした。

桜の花を思い起こさせてくれるような楽曲…
朝ドラ「さくら」主題曲。
須川展也(すがわ のぶや)
♪さくら(2002・平成14)

 


◇ワシントンD.C.にある「日本の桜」

桜の季節になると、テレビニュースなどで、米国の桜の映像が伝えられてきますね。

米国の首都ワシントンD.C.のポトマック川河畔の「ジェファーソン記念館」近くにある桜の木々が美しく咲き誇り、多くの人々が「お花見」をしている様子が、テレビに映し出されます。
コラム冒頭写真がその場所です。

その場所では、毎年、桜の季節に、「National Cherry Blossom Festival(全米桜祭)」が開催されています。
そして、その たくさんの桜の木々こそ、日本から贈られた桜なのです。

毎年、米国からのテレビ映像を見るたびに、日本と米国の特別な「縁(えにし)」「絆(きずな)」を感ぜられずにはおられません。

* * *

1885年(明治18)から1928年(昭和3)にかけて、作家・写真家であり、ナショナル・ジオグラフィック協会初の女性理事であった親日家の「エリザ・シドモア」は、兄である米国極東外交官のチカラを得て、何度も来日し、日本各地を旅行しました。

彼女は、1885年(明治18)に米国に帰国した際、米国陸軍の施設管理者に対して、埋め立てが行われたワシントンD.C.のポトマック川河畔沿いに、日本の たくさんの桜の木を植えることを提案します。

この時は、提案が受け入れられることはありませんでしたが、彼女によって、数本の日本の桜の木が、この時に、この地域に持ち込まれました。
シドモアは、自身が植えた桜の木の下で、桜のお花見をしながら、茶会を開いたそうです。
紅茶だったのか、日本茶だったのか、赤毛氈(あかもうせん)を敷いたのかは、私にはわかりません。

* * *

米国には、アメリカ大陸入植時からの名門一族「フェアチャイルド家」がありますが、その一族の中の植物学者「デビッド・フェアチャイルド」は、前述のシドモアとも交流がありました。

彼は、シドモアとは別に、1906年(明治39)、私費で、日本の横浜から、1000本の桜の木を輸入し、ワシントンD.C.近くの「チェビーチェイス」という地域に植樹しました。
彼は、1907年(明治40)、ワシントンD.C.地域の主要な道に、日本の桜を植えることを提唱します。

たしかに、海外の方々は、日本で多くの桜が一斉に開花する光景を見たら、その感動を忘れられないかもしれませんね。
今でも、東南アジアからの旅行客が、生まれて初めて、本ものの開花した桜の花を見て、相当に感動していますね。
「これが、本ものの桜の花…(涙)」
世界的には、桜の花を見ることは、当たり前ではないのです。

* * *

1908年(明治41)、フェアチャイルドは、桜の植樹を推進させるため、ワシントンD.C.のすべての学校に、桜の苗木を寄贈しました。
さすが大富豪の名門一族…やることが、でかい!
当時、名門フェアチャイルド家のすることに、異を唱える人がいたとは思えませんね。
まさに、大谷選手が、日本のすべての小学校にグローブを贈ったことにも似ています。

* * *

一方、もうひとりの桜の立役者「エリザ・シドモア」は、1909年(明治42)、桜を日本から買って、多くの地域に寄贈するため、米国内での資金調達を始めます。
桜のために、何という根性!
ともあれ、「日本から桜の苗木を買う」という方向性だったようです。

同年、彼女は、当時の第27代 米国大統領ウィリアム・タフトの夫人であるヘレン・ヘロン・タフトに、協力してほしい旨の手紙を書き、大統領夫人の賛同を得ます。
おそらくは、フェアチャイルド家の助力があったことでしょう。

第27代 米国大統領ウィリアム・タフトは、シンシナティの名門一族「タフト家」の人物で、第26代 米国大統領セオドア・ルーズベルトと、非常に近い関係にもあったようです。

こんな大きなチカラが援軍になってくれたのでした。
でも、米国政府に大金を出す気持ちはあったのかどうか…?

* * *

ワシントンD.C.での、この桜植樹の計画が、ワシントンにいた日本人科学者の高峰譲吉と、駐ニューヨーク日本総領事の水野幸吉に伝わります。
そして、その話が、当時の日本の東京市長(衆議院議員ですが、たまたま東京市長に就任していた)の尾崎行雄に伝わります。

実は、その4年ほど前に、日本がロシアに勝利した「日露戦争(1904~1905)」が終結し、ロシアとの講和の際に、日本は、米国に大きな助力を受けており、日本政府はその謝礼を考えていました。

1909年(明治42)、ワシントンD.C.にいた高峰や、駐ニューヨーク日本総領事の水野から、大統領夫人ヘレン・ヘロン・タフトに、東京市長の尾崎から2000本の桜を米国に贈りたいという旨を伝えます。
あくまで、東京からワシントンD.C.への寄贈というかたちをとりました。

今の時代でもそうですが、戦争や問題の終結の助力への、国としての正式な御礼にはできないが、別のかたちや、経由で、御礼を示すのなら可能になるというようなことです。
今の時代も、表には出てこない「謝礼金」が、どこの国にもたくさんありますね。

日本の日露戦争での勝利は、アジアの小さな一国が、まさに西欧列強諸国に肩を並べた出来事で、これ以降、日本は世界の軍事態勢の中で重要な地位になりました。
軍事力だけでなく、世界の文明国の一員であることを、米国市民にも理解してもらうためには、多額の現金を相手国に渡したのでは実現できません。
桜の花であれば、米国市民にどれほどアピールできることか…。

いつの時代も、外交や、ビジネスの海外進出とは、このようなことですね。

* * *

さて、高峰と水野は、大統領ではなく、大統領夫人と面会し、承諾され、1910年(明治43)に、東京から2000本の桜の寄贈が実現しました。

米国側が、日本から無理やり奪ったり、強要したり、買ったりしたのではなく、日本からの善意の贈りものでした。

ですが、この2000本の桜は、入国時の検疫で害虫が発見され、焼却処分されました。
外来種による、米国の自然への影響を考えたものだとも いわれていますが、米国内の何かの政治情勢が影響したのかもしれません。
詳細は、よくわかりません。

* * *

再挑戦とばかりに、1912年(大正元)3月27日、ポトマック川河畔で大きな式典が開催され、ファーストレディであるヘレン・ハロン・タフトと、日本大使の夫人が、西ポトマック公園で最初の2本の桜の植樹を行いました。

大正時代の、1913年から1920年にかけて、さまざまな品種の約3000本の桜が贈られました。

その中で、1800本程の「ソメイヨシノ」が、ポトマック川河畔の「タイダルベイスン」に植えられることになります。

* * *

桜の「ソメイヨシノ」という品種の誕生や、その名称については、ここでは書きませんが、相当な紆余曲折がありました。

江戸時代末期から明治時代初期にかけて、江戸の染井村(今の東京都 豊島区駒込・巣鴨付近)の造園家などにより作られた新品種で、東京を代表する桜です。
東京から、日本中に広がっていった「ソメイヨシノ」でした。

* * *

1920年以後、太平洋戦争終結から20年後の1965年(昭和40)にも、約4000本のソメイヨシノが、ワシントンD.C.に贈られました。

前述の「National Cherry Blossom Festival(全米桜祭)」は、1935年(昭和10)に始まり、太平洋戦争(1941~1945)による中断を経て、1947年(昭和22)に再開され、今に続いています。

* * *

日本の東京の荒川堤の桜は、戦時中の空襲によりほぼ壊滅していましたが、1952年(昭和27)、東京都は、東京 足立区の荒川堤の桜の並木を復活させるため、荒川堤の桜が植樹された米国のワシントンD.C.に救援を求め、日本の品種のソメイヨシノが逆輸入されました。

1980年代にも、荒川堤の桜が相当に枯れてしまった際に、ワシントンD.C.より、東京に桜が寄贈されました。

米国は、1776年の独立宣言から、2026年に250周年をむかえます。
日本からは、祝意を込めて、ワシントンD.C.にあるポトマック川河畔に、桜の苗木を250本寄贈する予定になっています。

* * *

そんな長い日米の交流の歴史がある 米国のワシントンD.C.にある、ポトマック川河畔の桜を、下記動画で、どうぞご覧ください。

日本のお花見会場とそっくりの光景が見れますよ!
若者が、素晴らしいリポートをしてくれています。

 

実は今、ポトマック川河畔は、地球温暖化による海面上昇にともない、桜の樹木たちに、たいへんな「塩害」をもたらし、次々に枯れていっています。
このほど、大がかりな防潮堤を築く工事が始まると聞いています。

東京もそうですが、今のまま何も手をうたなければ、海沿いにある世界の大都市はいずれ危機に遭遇するかもしれません。

ワシントンD.C.の桜は、害虫、戦争、そして今度は、地球温暖化という大きな障壁と対峙することになります。
日本と米国の両国が協力して、大切な桜の木を…、桜で築いた「絆」を…、守り続けてほしいと願うばかりです。

 

 

 


◇桜の絆! 桜の友情!

それにしても、「太平洋戦争」であれほどの戦いを行った両国が、まさか戦後に、こんな良好な両国関係の「桜満開の時代」がやって来るとは…。

戦前に行われていた桜の交流は、決して無駄ではありませんでしたね。

戦争相手国という、たいへん苦い歴史を持つ両国ではありますが、なんという、桜の縁! 桜の絆! 桜の友情!

その後、日本は、米国だけでなく、英国、フランス、ドイツ、オランダ、中国など、いろいろな国に桜を贈っています。
まさに、パンダが中国の平和外交官であるように、桜は日本の平和外交官…。

「友情」や「絆」をつくっておくことは、いつか大切なものとなって戻ってきますね。

信頼、友情、絆…この桜たちには、未来がかかっています。
若者たちは、その歴史を、どうか知っていて! どうか守っていって!

* * *

今現代の、世界の桜は、品種改良などを経て、多種多様な姿をしています。
大元の原産はアジア大陸の奥地のほうだともいわれています。

植物の、原産がどこの国…、品種が何… というのは、平和外交においては、大した問題ではありませんね。
植物の世界に、国境など関係ありませんね。

植物を何に活かすのか…、生活の中でどのように活かすのか…、人類の平和のためにどのように活かすのか…、地球のためにどのように活かすのか…、未来のためにどのように活かすのか… それはみな 人間次第ということなのでしょう。

* * *

ここで、友情と絆の音楽曲を…。

1982年(昭和57)に作られた楽曲ですが、1985年(昭和60)に、ディオンヌ・ワーウィック、スティービー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトの4人が歌い、世界中で大ヒットした曲です。

楽曲タイトルは「That's What Friends Are For(邦題:愛のハーモニー)」。
英語を直訳すれば、「それが、友達というものだよね」。
この邦題「愛のハーモニー」… ありきたりではない、もう少し考えたものにしてほしかった…。

歌詞の一部です。
♪In good times, in bad times
♪I'll be on your side forever more
♪That's what friends are for

♪いい時も、悪い時も(うまくいっている時も、うまくいっていない時も)
♪ずっと あなたのそばにいるよ
♪それが 友だちというものだよね(私たちは そのためにいるんだよ)

今でも、さまざまな4人の歌手の組み合わせで歌われることの多い、世界の名曲になっています。

ここは、1987年(昭和62)の、この4人の歌唱の映像で…。
ディオンヌ・ワーウィック
スティービー・ワンダー
ホイットニー・ヒューストン
ルーサー・バンドロス

それぞれの、ゾクゾクするような 歌唱の必殺技の披露合戦ですね。
すごすぎて、笑っちゃう!
プロ歌手は、誰もマネできないような必殺技を持っていないとね!

♪That's What Friends Are For

 


◇「さくら」と「ハナミズキ」

先ほど、東京がワシントンD.C.に桜を贈った話を書きましたが、実は、1915年(大正4)、米国政府は、返礼として「ハナミズキ」の樹木を日本に大量に贈りました。
大国の面子(めんつ)だけを示したものではないと思います。

「ハナミズキ」という植物は、米国のバージニア州と、ノースカロライナ州の「州花」になっていますが、アメリカ人が非常に親しみを持つ植物だそうです。

実は、「ハナミズキ」の花言葉のひとつに「返礼」というものがあります。

贈られた花には、返礼の意味の花で返す… なかなかの「はからい」ですね。

* * *

さて、日本には、「ハナミズキ」という有名な歌謡曲がありますね。
歌手の一青窈(ひとと よう)さんが2004年(平成16)に歌い、大ヒットしました。

彼女の芸名「一青」は、先ごろの地震で被災した石川県の中能登町にある「一青」という地域とつながりがあります。

歴史コラムでもある「歴音fun」としては、「一青(ひとと)」という、たいへんに長い歴史を持つ名称について、またあらためてご紹介したいと思っています。

日本では、3月から4月に桜の花が咲いた後に、4月中旬から5月にかけて、ハナミズキの花が咲きます。
能登半島の地震の被災地に、今年は特に美しく咲いてほしい…。

一青窈
♪ハナミズキ(2004・平成16)

 

* * *

米国から日本に、桜の返礼として贈られた「ハナミズキ」にちなみ、この楽曲「ハナミズキ」が、自衛隊の音楽隊でも、米軍の音楽隊でも、しっかり歌い継がれています。

楽曲「ハナミズキ」の歌詞の中に、「♪君と好きな人が、百年続きますように」とあります。

日本の「桜」と、米国の「ハナミズキ」は、ひょっとして姉妹なのかもしれませんね。
「桜」と「ハナミズキ」のいい関係が、百年、千年続きますように…。
そして、日本と米国の良好な関係も、百年、千年続きますように…。

「日米交流音楽会 in 瑞穂 2017」より
♪ハナミズキ

 


◇桜ソング

さて、ここからは、連載の「第1回」「第2回」に引き続き、「桜ソング」を…。

レミオロメン
♪Sakura(2009・平成21)

 

北乃きい
♪サクラサク(2010・平成22)

 

河口恭吾
♪桜(2003・平成15)

 

ナオト・インティライミ
♪愛してた(2012・平成24)

 

エブリ・リトル・シング
♪サクラビト(2008・平成20)

 

中島美嘉
♪桜色舞うころ(2005・平成17)

 

岡村孝子
♪春色のメロディー(2005・平成17)

 

平原綾香
♪ソメイヨシノ(2015・平成27)

 

森山直太朗
♪さくら(二〇一九)

 


◇お別れの桜が舞う

コラム冒頭で書きました「JR九州」が運行する寝台列車「ななつ星 in 九州」のために2017年に作られた音楽アルバムに収録された楽曲。
池田綾子
♪桜色(2017・平成29)

 

愛犬とのお別れの際に作られた楽曲とのこと…。
柴田 淳
♪桜日和(さくらびより)(2011・平成23)

 

* * *

桜の花は、一本の木であっても、一斉に咲くわけではなく、段階的に順番に咲いていきますね。
ただ、ひとつの花は、開花してから おおよそ三日ほどで散っていきます。
最初に開花した花が散り始めても、その同じ木には、まだ開花中の花もあれば、まったく開花していない「つぼみ」もあります。
一本の木で、おおよそ1~2週間ほどの間に、すべての桜の花が咲くそうです。

さらに、木によっても、日の当たり方によっても、土地の質によっても、それぞれの開花時期にズレがあります。
とはいえ、その地域で、たいていは10日から2週間ほどの間に、すべての花が咲いて、散っていきます。

* * *

桜の満開時には、「花吹雪(はなふぶき)」をあまり見ませんが、終盤の時期になってくると、桜の花びらが大量に舞う「花吹雪」を見るようになってきますね。

最終盤は、緑の葉がたくさん見える中で、「しんがり」をつとめた桜の花たちが、「桜の宴」の終わりを告げるように、ハラハラと散っていきます。
その花びらは、美しいままで…。

「これで、桜の宴は終わりだよ…また来年の春にやって来るよ」と言わんばかりの、潔さと、さみしさが漂いますね。

 

 

日本人の中には、 コラム冒頭の僧侶の西行(さいぎょう)のように、「私も、最期は桜の花のように…」と思う方も多くいますね。
日本人は、「散り際の美しさ」が、とても好き…。

桜の花たちは、美しさ、潔さ、清らかさ、そして希望を、私たちの中に残しながら、その生涯を終えていきます。

花びらたちは、本体の樹木の根元にある「土」の栄養分となって、次の世代に命を…、希望を…たくしていくのです。

* * *

桜の満開時の「お花見」もいいものですが、散り際の「お別れ」もしっかり目にとどめていただきたいと思います。

今年も、ありがとう。おつかれさま。
そして、さようなら。
また 来年… 新しい世代を、この場所で、待っています…。

柴田 淳
♪花吹雪(2006・平成18)

 


◇桜の季節

連載コラム「桜うた」は今回で終わります。
最後は、この楽曲にしました。

下記の楽曲の歌詞の一部です。

♪桜 花びらになり
♪いつか逢いにゆく
♪桜 花びらが舞う
♪一緒に見てた夢を
♪ふわり 空にのぼった…
♪あなたに 贈りたい

地上の桜の樹木の下からでも、天の空からでも、桜の花は 同じように美しいはず…。
離れていても、見知らぬ人でも、みな同じ時期に、それぞれの桜の花をながめています。

お花見をしたとしても、しなかっとしても…、
桜を感じる「桜の季節」は、みんなに やって来ますね。

あなたにも、きっと
あの桜の花びらは届く…、あの花びらが舞う…。

半崎美子
♪サクラ~卒業できなかった君へ(2017・平成29)

 

また来年の春、この桜コラム(ブログ)は…。
そして、生まれかわった桜の花も…。

2024.4.7 天乃みそ汁

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