コブクロ「ここにしか咲かない花」。合唱曲「変わらないもの」。北山たけし「かたくりの花」。芹洋子「カタクリの詩」。カタクリの花はまるで戦国武将。ロマンあふれる「カタクリ」の名。カタクリ武将の真田幸村。

 

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各コラムで紹介した曲目リストは、「目次」で…

  

あの曲や動画はどこ… 音楽家別作品

 

*今後の予定曲

 

音路(23)変わらない【前編】
カタクリの花のように



◇変わらないもの

今回と次回のコラムでは、「変わらない」ことを歌う楽曲をご紹介します。

世の中には、変わらない…、変えられない…、変えたくない…、変えてはいけない…、変えることができない…、変わっていく…、変えたい…、変わってしまう…、変えなければいけない…、など多くの「変化」の楽曲がありますね。

ものごとの「変化」を歌う楽曲には、強い意志、強い願い、強い使命、強い失望などの「強い意思」が込められることが多くあります。

私たちの周囲の多くのものが、たとえ思いに反して変わってしまったとしても…、誰かが変えようとしても…、何があっても変わることのないものが、世の中には存在するのだと、多くの人は気づいていますね。

* * *

前々回の「音路シリーズ」のコラム「音路(21)幸せは踊り場にある ~ ゆっくり登っておいで」では、卒園や卒業の楽曲について書きました。
その中では書きませんでしたが、近年、卒業シーズンによく歌われるようになった ある合唱曲があります。
「変わらないもの」(作詞作曲:山崎朋子さん)という楽曲です。
学校合唱コンクールでも、よく歌われるようです。

♪変わらないもの(歌詞付き)

 

この春に学校を卒業する方…、これまでの仕事から新しい道に向かう方…、多くの苦難と戦い始めた方…。
今、自分自身に、何かの変化が起きた方は少なくないと思います。

ですが、人は、未知への挑戦、困難や病気、挫折の中にあっても、本来の自分自身の中にある「変わらないもの」を持ち続けていくのだろうと感じます。
「変わったものごと」は、もともと「変えられるもの」、「変わるもの」、「変わってしまうもの」だったのかもしれません。

あなたの中にある…、あなたの周囲にある…、美しい「変わらないもの」を、これからもずっと大切に…。


◇カタクリの花

音楽のお話しの前に、ある花のお話しを、少しだけ書きたいと思います。
私は植物学者ではありませんので、正確さに欠く部分もあるかもしれませんが、歴史研究愛好家の視点で書きます。

ちょうど春の今頃である3~4月は、カタクリの花が咲く時期で、それを求めて写真撮影に足を運ぶ人が増えます。
SNS上にも、かなりの数のカタクリの花の写真がアップされていますね。

数々のカタクリの花の写真を見ると、それは桜の花の写真とは大きく異なる気がします。
撮影者自身の中にある何かが、そうさせているのかもしれません。

まず、この花を被写体に選ぶこと自体が、何かを意味しているようにも感じます。
多くの人たちが、カタクリの花の写真の中に、自分自身ならではの視点や思いを投影させているのだろうという気がしています。

実は、私自身の中でも、このカタクリの花は、何か他の花とは違う気がしてなりません。

* * *

カタクリの花は、自然環境が長期間守られていないと群生地ができません。
かなり貴重な存在ですので、私も実際に目にする機会はほとんどなく、たいていはネット上にある写真を眺めて満足しています。

カタクリの南限は千葉県あたりの緯度だそうですので、南国の方々には、この花はなじみがないかもしれません。
この花は、基本的に寒冷地に育つ花で、「氷河期の忘れもの」という呼び方もあるようです。
今の地球温暖化は、間違いなく、カタクリたちに大きな試練を与えているのだろうと思います。

* * *

私のような歴史ファン、戦国武将ファンから見ると、健気な花の雰囲気、春を知らせるその時期だけが、この花を好きになる理由ではありません。

長い年月の苦節を耐え、見えないところに英気やチカラを蓄え、ある時に一気にその姿をあらわし、その姿はまるで子孫を守るような風体…、この花はまるで、数々の苦難に耐え、壁を乗り越え、家族や子孫のために身を捧げるような武将の姿のようにも感じてしまいます。

明智光秀が水色の桔梗(ききょう)の花にたとえられるのは、その源氏の血の由来や、そこに込められた源氏武士の魂が大きく影響していますが、カタクリの花には、桔梗のような華やかな武家の歴史イメージを思い起こさせません。
むしろ、桔梗とは逆に、頭をぐったりと下げたカタクリの花の姿は、武将の覚悟の自刃の姿を思い起こさせます。

私は、孤高の武士の最期の悲哀をも想像させる、このカタクリの花に、何か心を揺さぶられてしまいます。
この何か寂しさ漂うカタクリの花の中に、強い信念や願いを感じてしまうのです。

それに、この「カタクリ」という、ロマンのある名称の響き…。
名称のお話しは、後で書きますが、この地球温暖化、植生環境の変化に耐えて、生き延びてほしいと願っています。


◇頭を下げるカタクリの花

背丈の低い植物の花は、一般的に、太陽が輝く上や横の方向を向いているのに対し、このカタクリは地面である下を向いています。
それも、ぐったりと頭を下げているように感じてしまいます。

ですが、風雪や風雨、強い陽ざし、寒さから、雄花と雌花をがっちりと守っています。
6枚の花弁が、中心の雄花と雌花を、がっちりと覆い隠し、防御しているのです。
冒頭写真の左隅の写真がそれです。

このカタクリは、2枚の大きな葉しか持たず、太陽の光だけからの栄養に身を任せるようなことはしません。
寒冷地では太陽の恵みはたいへんに貴重ですが、それだけでは生き延びられません。
どのような状況でも耐えられるように、長い年月をかけて、地面の下の自身の中に栄養を蓄えて、それを少しずつ使うのです。
地中に「球根(きゅうこん)」を育て、それがチカラの根源になります。

大昔から、寒冷地に暮らす人々も、それと変わりありません。
氷室(ひむろ)などをつくったり、あるいは雪の下の地中に、食糧を保存し、困難な季節を乗りきってきましたね。

カタクリは、およそ7~8年の年月をかけ、地中の球根にチカラを蓄えていきます。
球根とはいっても、大きめの「らっきょう」のような姿です。

8年後、一気に、地表に花を咲かせ、短い生涯を終えます。
まるで、昆虫のセミのような人生(花の一生)ですね。

カタクリの一生

カタクリとアリ


◇まるで戦国武将

戦国武将の真田昌幸・幸村の親子は、「関ヶ原の戦い」が起きた1600年から、敵対した徳川家の監視下のもと、九度山(くどやま / 和歌山県 九度山町)で隠棲(いんせい)生活に入ります。
昌幸53歳、幸村33歳の出来事です。
甲斐(かい / 山梨県)の武田家の中で、名門武家と呼ばれた面影はまったくありません。
幸村の兄の信行(信幸)だけは、真田家本家として、徳川家の家臣として重用されました。

昌幸は10年後に亡くなり、14年後の1614年、幸村は九度山から大坂城に向かうことになります。
幸村は、全身が赤色に見える「赤備え(あかぞなえ)」の姿となって、再び歴史の表舞台に颯爽と戻ってきます。

1年後の1615年、彼は壮絶な最期を遂げます。
まるで「カタクリ」のような生涯ですね。

私にとって、カタクリは、ある意味、可憐でかわいい花というよりも、長い試練の時期を耐え、周到な準備をし、チカラを温存し、それを隠し、ある時にそれを爆発させ、外の者の助けを借り、その子孫を徹底的に守り、その血脈と名を残すという、まさに、戦国武将の姿を思い起こさせるのです。

* * *

カタクリの6枚の花弁は、雄花と雌花をがっちりと包み込んで、風雨から守ります。
それらが止むと、その花弁たちは、一斉に反り返り、花は子孫づくりに入ります。
花弁のこの見事なまでの反り返りは、まさに潔さを感じます。

私は、「松ぼっくり」が閉じたり、開いたりして、風雨を避け、その子孫を外の世界に放つのは見たことがありますが、カタクリの花弁が閉じたり、開いたりする様子は見たことがありません。
生涯に一度は見てみたいと思っています。

* * *

花が下を向いているのは、地面を歩くアリたちに、後に大きな役割を果たさせるため…。
アリたちよ、この後は頼む…。
6人の「花弁神将」に守られた殿と姫は、お家存続のための子孫を残すことを目指します。
6人の「花弁神将」は、その役目を華々しく終え、次に来る外の者たちにその役割を引き継いだようにも感じてしまいます。

アリなどの昆虫たちの働きで、その花は、実となり種子となります。

この6枚の花弁の反り返りは、地上をはうアリたちだけでなく、空中を飛ぶ虫たちにも、強くアピールしているのだろうという気もします。
どうして、そこまで見事に反るのか…。
まるで、九度山を旅立った幸村のよう…。

* * *

実(み)がなった後、アリたちには、次の大きな出番がやって来ます。
そのアリたちは、その甘い実を食糧として、自分たちの巣に運びますが、持ち込みすぎた食糧を、巣の外に廃棄します。
これが廃棄なのか、アリたちによる、植物の栽培なのかは、彼らに聞かないとわかりません。
その種子が、次に実をつけるのは、8年後です。

このカタクリとアリたちの遠大な企てを、カタクリがつくり出したのか、アリたちがつくり出したのか、よくわかりません。
自然界に存在する、見事な共存システムを見る気がします。

自然界で、花が上を向いているのか、下を向いているのかで、その植物の優位性は相当に違うのだろうと感じます。
ライバルの武将が、空中を飛ぶ虫たちと同盟を結ぶのなら、こちらは地上をはう虫たちと同盟を結ぶ…、植物たちはどこでその様子を見ているのか、不思議でなりません。


◇寂しさに耐える

カタクリの、この下を向く花の姿からなのかどうかわかりませんが、カタクリの花言葉のひとつに「初恋」があります。
初恋をした、恥じらう乙女の姿を表現したのかもしれません。

さらに、もうひとつの花言葉は、「寂しさに耐える」です。

カタクリは、7~8年も、地中の中の球根に、じっとチカラを蓄え続け、その時を待つのです。
この長い年月こそが、彼らの最大の苦難と試練の時代となります。
この期間に、命を落とす「カタクリ武将」たちも少なくありません。

* * *

私は、まさに、試練に耐えて耐えて、耐えしのぶ…、孤高の戦国武将を、カタクリの花の中に想像してしまうのです。
大きな2枚しかない葉は、まさに大刀と脇差(わきざし)…。

絶滅危惧種の花だそうですが、これからも耐えてくれるでしょうか…。
寂しさに耐えてくれるでしょうか…。

今の時代は、ある程度、人間が手を貸してあげないと生きていけない花でもあるようです。

* * *

昔、昭和の時代の街には、「かたくり荘」という名称の四畳半の下宿(げしゅく / 大きな建物の中で、部屋を間借りする施設)を、時おり 見かけたものです。
まさに、いつか来る日のためにチカラを蓄えていく大勢の若者たちが、寂しさに耐え、安い賃料の下宿で暮らしている光景を想像します。
アパートとは、似ていても、まったく非なる施設です。
今は、「〇〇荘」を見かけることは、まずありませんね。

ちなみに私は、「橘荘(たちばなそう)」という、やはり別の植物名称の下宿でした。
後に社会人となって、人は、「下宿経験」があるのか、ないのかで、大きく違うのだと感じました。

昭和の時代は、カタクリのように、その下宿に一定年数 しっかり守られ、いずれ強くたくましく育った「カタクリ武将」の若者たちが大勢、世に出ていったのかもしれませんね。

今でも彼らは、「寂しさ」に強いでしょうか…。


◇強力なライバル武将あらわる

さて、今、私たちの食生活の中で、「かたくり粉(片栗粉)」は欠かせない存在ですね。
特別に派手な食品ではありませんが、これほど重要な存在はありません。
唐揚げ、揚げもの、麺類…、「かたくり粉」がなかったら存在しません。

この粉は、今は「じゃがいも」から作られるのが一般的だとは思いますが、じゃがいもが普及する前は、このカタクリの球根から作られました。
自然環境に敏感なカタクリでは、安定的な量の「かたくり粉」を維持できません。

「カタクリ」は、いつからか、強力なライバル武将の「おいもさん」に、その「不滅の粉の座」を譲ったのです。

でも、名称の「カタクリ」だけは、そのまま引き継がれていきました。
「じゃがいも武将」からしたら、「じゃが粉」じゃないのかよ…。

そこはそれ…、これまでのカタクリたちの苦労と誠実さを、よく知っている人間たちでしたね。
「かたくり粉」の名と、その不屈の精神を忘れてはいけません…。


◇肩からさげたユリの花

この「カタクリ」という名称の成り立ちは、その反り返った6枚の花弁の姿が、まるで肩からさげる「籠(かご)」のように見えることから「カタカゴ」や「カタコ」と呼ばれたことから始まったという説があります。

「ちえこ」さんという名を「ちこ」ちゃんと呼ぶようなものです。
「カタカゴ」の「カタコ」ちゃんです。

若い世代には、片方の肩からさげる「肩籠(かたかご)」がイメージできないかもしれませんが、テレビの時代劇ドラマには、片方の肩に肩籠(かたかご)をさげたお百姓さんが、よく登場します。

* * *

そして、この花は、もともとユリ科の植物でもありますので、その花の姿がユリの花にも、何となく似ています。
「肩籠のようなユリの花」…、つまり「カタコのユリ」、それが「カタクリ」という呼び名に変化したようです。

これが一般的な説ですが、一方、栗(くり)に関わる説もあります。

* * *

このカタクリの球根は、ようするに、玉ねぎのように、皮が何枚も重なり、相当な栄養分をその中に蓄えます。
球根は、当然、地中にいる害虫や菌、ウイルスに対抗する能力を備えています。

玉ねぎのように、球根の一片をむくと、まるでお椀のような形状の一片があらわれますね。
栗の実を半分に割って食べる時も、同じように、その栗の皮の半分が、お椀のような一片の半円形になります。
そうです…片方の栗の皮の一片。
「片栗」です。
「カタクリ」は、その球根の構造から、この「片栗」の言葉をあてはめたという説もあります。

* * *

歴史ある名称の多くは、さまざまな内容が組み合わされながら、歴史の変遷を経て形成されていきますが、これもその中のひとつなのでしょう。
夢とロマンのある「カタクリ」という名称ですね。
歴史のどこかに、すごい作家や演出家、コピーライターがいたのかもしれませんね。

美しいユリの花の入った籠(かご)を肩からさげている人を想像しても…、栗を食べながら 栗の皮の半片を見て笑っている人を想像しても…、どちらもロマンあふれる「カタクリ」の光景を想像しますね。

カタクリ…、誰というわけでもなく、日本人がつくりあげた見事な名称だと感じます。
いってみれば、今現代の「スマホ」や「ガラケー」、「カラオケ」という呼び名も、似たような成り立ちなのかもしれませんね。


◇かたくり粉

今、世の中には、「かたくり粉」と「片栗粉」の両方の商品表示がありますが、その中味はたいてい同じで、「じゃがいも」の粉です。
かたくり粉は、自宅でも、じゃがいもから作れるそうです。
小学生は、挑戦してみる…?

「じゃがいも」の花も、きれいで可憐なものですが、私は、その花から戦国武将を想像することはまずありません。
まずは、ポテチ(ポテトチップス)しか、頭に浮かんできません。
次は、コロッケ、肉じゃが、ポテサラ(ポテトサラダ)、北海道…。

やはり、歴史ファン、武将ファンが、ロマンに浸れるのは、「じゃがいも」よりも「カタクリ」のほうですね。

* * *

とはいえ、「カタクリ」でも、「「じゃがいも」でも、人間にとって欠かせない重要な「でんぷん」である「かたくり粉」です。

同じでんぷん仲間に、トウモロコシ由来の「コンスターチ」もいますね。
お前はどこのでんぷんじゃ…、オレたち「コンスたち」…。

* * *

でんぷんは、いわゆる「ブドウ糖」の一種ですね。
血液の中に入って、人間の体内を循環し、蓄積され、人間のエネルギーの源になります。

植物、二酸化炭素、水、太陽から生まれてくる、奇跡の「でんぷん」たちです。

「そうとも知らず…ラーメンだの、唐揚げだのと…」と、チコちゃんに言われてしまいそうです…。

小学校の「でんぷん」のお勉強


◇かたくなに、「かたくり粉」は「かたくり粉」

時代が変わったとしても…、原料になる植物が変わったとしても…、「かたくり粉」は、かたくなに「かたくり粉」のままです。
重要性も、役割も、呼び名も、変わることはありません。
表面的な食事メニューが変わっただけで、「でんぷん」も、「かたくり粉」も、昔から何も変わっていません。

今日も、ラーメンに唐揚げ付きで、まるで人は「かたくり人間」。

ラーメンの鉢を前にして頭を下げているのは、「でんぷん」や「かたくり粉」に、感謝しているわけではありません。
カタクリの花のように、実直に、誠実に、信念を持って、頭を下げているわけではありません。

本当は、身体の表面ではなく、内面こそが「カタクリ人間」でありたい気もしてきますね。
信念や本質が変わることのない「かたくり粉人生」も、悪くないかもしれません…。


◇春の妖精

カタクリの花は、、春の到来を告げてくれる「春の妖精」とも呼ばれています。

ここで、あくまで日本の「カタクリ」の歌を…。

永久(とわ)に伝えん…カタクリを…
♪カタクリの詩(芹 洋子 さん)

 


時代が時代であったなら、下記の歌謡曲は、時代劇ドラマ「必殺シリーズ」で使用されたのかも…、喜多条忠(きたじょう まこと)さん作詞、平尾昌晃(ひらお まさあき)さん作曲の名曲。
必殺かたくり人…?

夢をかなえる あなたより…
♪かたくりの花(北山たけし さん)

 


◇「ここ」は変わらない…

今回のコラムは、日本の、この一曲で締めたいと思います。
コブクロが歌った「ここにしか咲かない花」です。

永遠に変わらない「ここ」を歌う名曲ですね。

* * *

日本各地で咲くカタクリの花たちも…、多くの「かたくり人(びと)」たちも…
それぞれに咲く場所が、しっかりありますね。

その場所を離れ、寂しさに耐えられなくなったカタクリの花たちのもとに、遠くの本来の場所にいるカタクリたちの「ささやくほどの声」が聞こえているでしょうか…。

あの優しかった「その場所のカタクリたち」は、今でも変わらずに、あなたを待ってくれているでしょうか…。

あなたの心の中に、あのカタクリの花たちは、今でも、咲いていますか…。

ここにしか咲かない花
ここにしか吹かない風
ここでしか聴けない歌
ここでした見えないもの

カタクリの花たちは、その「生きた証し」をしっかり残し、虹を渡って、星に変わる…。
「ここ」には、思い出があり、願いがあり、永遠がある…。
「ここ」は、決して変わらない…。

「ここ」にしかない、変わらないもの…。

今年の春もきっと、どこかの山奥で、「春の妖精」カタクリの花たちが、ひっそりと咲いているはず…。
遠方の地から、そんな花たちに想いをはせて…。

♪ここにしか咲かない花 【公式】
(注:この歌の本来の歌詞は、カタクリを歌ったものではありません。)

 

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今回のコラムは、ここまでにして、次回コラムは「後編」として、「変わらないもの」、「変わらない音楽」について書きたいと思います。
次回は、洋楽中心になります。

 

コラム「音路(24)変わらない【後編】 No Change」につづく

 

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