【検証8-5】消えた腰痛(”やり捨て男マインド。”編) | **私が私と両想い**

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人生のパートナーは、誰でもない“私自身”です。どんな時も付かず離れず、寄り添い見守ってくれるのは“私自身”です。どんな私も大丈夫。自分の事をもっと知ろう。自分自身ともっと仲良くなろう!そして、私のために、軽く楽しく生きよう♪



右腰痛が悪化するのと併せて、両足の脛の皮膚もかっさかさになってました…。


痛みやカサカサになって初めて意識を向けるけど、日頃から労るって事をしてない…。私は、自分の体を軽く扱っている事に気付きました。



それをサロン にコメントしたところ由利子さんから、

>痛みやカサカサになって初めて意識を向けるけど、日頃から労るって事をしてない…。
これって、前にもどこかに書いた気がするけど、

「やり捨て男マインド」

よね。 

症状が出てるときは、それを治そうとちやほやしてくれるけど、症状が収まったら見向きもしない。みたいな。


がーーーーーんガーン


そうだよ。そうだよ。そうですよ!!

我慢が生活のベースになってる私は、慣れるまでは仕方がないとか、丸く治まるなら仕方がないとか、私の心と体は後回し…。少々の痛みは無視。

いつもは無関心なのに、痛みが出てきたら、あーでもない、こーでもないと手をかけ始める。そして、一旦、関心を向け始めると解決するまで、問い詰めるくらいの勢い。

“私、あなたの事を大切に思ってますよ”とアピールしたり、“今まで放置してた償いをせねば~と”完璧主義をもち出したりする。



3月から、腰を擦ったりタッピングしたりしてたけど、なかなか答えてくれなかったのも、なぜか分かった気がしました。

日頃、かまってないのに、こうゆう時だけ必死にかまってもらっても、虫がよすぎるわよって話です。体も拗ねるよね。体にしたら失礼な話ですよ。

そして、私は、痛みを取り除く事、体に答えてもらう事に重きを置いている。これって、コントロールだよね。それに、“答えてほしい=答えてもらえない”だよね。
 



別の視点から、“やり捨て男マインド”を望まないなら、私は男性にどう接してもらうと心地よいかを考えてみた。

私はあれこれと手を尽くしたり、言葉をかけたりされるよりも、傍にいてもらう事や寄り添ってもらう方がうれしい。ただただ、私を分かってくれたらいい。



これ、腰痛に置き換えられるよね。

腰を擦ったりタッピングしたり、体に謝ったり声を聞いたりする事を体は望んでいない。ただただ、痛い事を分かってくれたらいい。手を当ててくれたらそれでいい。





そんな事に気付いてから、腰を擦ったりタッピングしたりするのを止めました!

その代わり、ただただ、腰に手を当ててじーっと感じるようにしています。

手のひらは温かいなぁ…照れ
じんわり伝わってくるなぁ…照れ
鼻の通りがよくなってきたなぁ…照れ

とか…。




そして、先週月曜日から、徐々に痛みが落ち着いてきたのです!!

自分でもびっくりです爆笑

14、5年、整体通いをしながら、取り除いていた痛みが、自然に和らいでるんですよ。



体の声を聞く事や痛みをとる事に向いていた意識を、ただただ体に手を当てる事、痛みがある事を理解する事に意識を向けただけで変わるんですね。意識の力は大きいです。その後も、時々、腰が張ったり鈍痛が出たりしますが、長引いたり悪化するようなことはありません。



14、5年付き合ってきた痛みだし、我慢が生活のベースに至っては幼少期からだから、ひょっこり顔を出す事もあるでし、馴染むまではくり返す事もあるでしょう。そうゆう時は、“分かってほしいんだなぁ~”とじーっと手を当てて修正していこう。



高橋由利子さん の“やり捨て男マインド”の記事はこちら↓

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これからは、痛くない時もケアしよう。