11月3日 (金曜日 文化の日) 晴れ

出張から(福島・青森)から帰ってきました。(1日夜遅く)

 

2日は神社界の仕事。今日は地鎮祭・・・。

やっと、ブログを書いてます。

 

あれも、これも、お話ししたいのですが・・・。

 

今日は福島、宮城で「震災遺構」を見てきましたので、

東日本大震災の爪痕のお話をしたいと思います。

【伝承館にて 津波で変形した消防車】

 

2011年3月11日14時46分

東日本大震災が発生し、震度6の地震が東北地方を襲いました。

沿岸部では15.5mの津波が家々を飲み込んだのです。

 

福島県浪江町請戸(うけど)小学校の児童・教職員は的確な判断と速やかな行動によっ難を逃れたのです。(全員無事)

 

しかし

宮城県石巻市立大川小学校は悲しい事態になってしまったのです。

津波により児童108名中74名・教員10名の方が亡くなったのです。

海からは3.7km内陸に位置しており、津波は到達しないと思われていたのです。

 

大津波は川を遡上(そじょう)し、大川小学校を襲ったのです。


町から警報が発令され、避難を呼びかける中、50分間校庭にとどまり続けたのです。

 

グランドの横には裏山があり、そこに走って避難した子供たちも校庭に帰って来なさいと降ろされたそうです。

 

亡くなった親御さんは「寒い校庭で50分も議論しますか・・・。」(怒涛の悔し涙)

 

避難先が想定しておらず、その場で議論を行ったことで結果的に裏山ではなく「橋のたもとの小高い場所」へ避難をし、津波にのみこまれ亡くなったのです。

 

私も登りました。ほんとうに裏山です。子ども達の遊び場です。

ここまで登っいれば助かったのに・・・。

 

案内してくれた語り部の方も娘さんを無くされもう12年になるそうですが、

土の中から娘さんの遺体にあわれた時のお話には目頭が熱くなりました。

 

[※大川小学校、ネットで検索してください]

「震災遺構」と言うことで、残されています。

 

ぜひ、震災遺構を見に行ってください。

 

まだまだ、福島原発の問題は私たちの時代に終わりそうではないですね。

(4~50年はかかるとの話)

 

当たり前のように生活している私たちです。

災害は必ずおこる。

そのためにも日頃から防災について考える事が必要なんですね。

 

次回が定期的にブログ書きます。