世界で類を見ない「総合農協」が誕生

ヨーロッパやアメリカの農協は、酪農、青果等の作物ごと、生産資材購入、農産物販売等の事業・機能ごとに、自発的組織として設立された専門農協である。これに対し、農業会を引き継いだJA農協は、作物を問わず、全農家が参加し、かつ農業から信用(銀行)・共済(保険)まで多様な事業を行う“総合農協”となった。欧米では、日本の農協のように、金融事業等なんでもできる農協はない。

農協法の前身の産業組合法も、当初は信用事業を兼務する組合を認めなかった。戦後、農協法を作る際も、GHQが意図したのは、欧米型の作物ごとに作られた専門農協だったし、GHQは、信用事業を農協に兼務させると、信用事業の独立性や健全性が損なわれるばかりか、農協が独占的な事業体になるとして、反対していた。アメリカの協同組合に、信用事業を兼務しているものはない。アメリカから日本のGHQ本部を訪問した人たちは、信用事業を兼務する協同組合が日本にあることに、みな驚いたといわれる。

しかし、農林官僚が日本の特殊性を強調し、総合農協性を維持した。信用事業を兼務できる協同組合はJA農協(と漁協)だけであるし、信用事業と他の業務を兼務することは、農協以外には、日本のどの法人にも認められていない。
 

農協だけに認められた准組合員

農協の正組合員は、農業者である。農業者のための協同組合だから、当然である。しかし、農協には、地域の住民であれば誰でもなれる准組合員という独自の制度がある。

准組合員は、正組合員と異なり農協の意思決定には参加できないが、農協の信用事業や共済事業などを利用することができる。JA農協の前身だった産業組合は、農業に従事しない地主を含め地域の住民を組合員にしていた。しかし、農協法を作る際、GHQは地主を排除するため、組合員資格を“農民”とすることにこだわった。

このため、元の産業組合のように、地域の住民であれば誰でも農協を利用できるようにするため、他の協同組合にない准組合員という制度を作ったのである。利用者がコントロールするという協同組合原則からは完全に逸脱するものだが、歴史的な経緯から、やむを得ず、例外的に認められた制度だった。

政府資金を運用して大儲け

戦後JAバンクは、食糧管理制度の政府買い入れ制度の下、政府から受け取ったコメ代金をコール市場で運用して大きな利益を得た。

さらに、肥料メーカーには、独占禁止法の適用除外を認めた「肥料価格安定臨時措置法」によって1954年から1986年までカルテル価格が認められた。本来の趣旨は、国際市場で価格競争をするため安くなる輸出向け肥料の損失を、国内向け価格を上げて補てんすることがないようにするというものだった。

しかし、制度の運用結果は、正反対のものとなった。1954年当初は輸出向け価格と同水準であった硫安の国内向け価格は、1986年には輸出向け価格の3倍にまでなった。この法律は5年間の時限立法であったが、制度の継続・延長を繰り返し要望したのは、肥料産業というより、肥料販売の大きなシェアを持つ農協だった。

 

3に続く

…農林中金「1兆5000億円の巨大赤字」報道が示す
"JAと農業"の歪んだ関係

:農協マネーを外国債投資で溶かした根本原

キヤノングローバル戦略研究所(CIGS)メルマガ7/18より
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なぜ簡単に資本増強できるのか

JAバンクの中央機関、農林中金は、5月22日の記者会見で、米金利高止まりによる外債価格下落で、2025年3月の赤字が5000億円となる見込みとなり、傘下のJA農協から1兆2000億円の資本増強を受けると公表した。ところが、6月18日、報道各社がその最終赤字は1兆5000億円規模に拡大する可能性があると相次いで報じた。08年のリーマンショックの際にもサブプライムローン問題で5700億円の赤字を計上し1兆9000億円の資本増強を行っている。

JA農協の金融機関である農林中金が、なぜ多額の資金を外債で運用して損失を被ったのか、なぜ簡単にJA農協から巨額の金を集められるのか、不思議に思われる人が多いのではないか。本稿では、その理由や背景と今回の赤字が農業に与える影響について述べたい。

 

JA農協が持つ「政治力」と「資金力」のルーツ

戦前、農業には「農会」と「産業組合」という2つの組織があった。

「農会」は、農業技術の普及、農政の地方レベルでの実施を担うとともに、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行っていた。農会の政治活動の最たるものは、米価引き上げのための関税導入だった。

農会の流れは、現在農協の営農指導・政治活動(JA全中の系統)につながっている。地主階級が米価引き上げや保護貿易を推進したのと同様、農会を引き継いだJA農協は、高度成長期に激しい米価闘争を主導したし、ガット・ウルグアイ・ラウンド交渉、TPP等の貿易自由化交渉においては、農産物の貿易自由化反対運動を展開した。

「産業組合」は、組合員のために、肥料、生活資材などを購入する購買事業、農産物を販売する販売事業、農家に対する融資など、現在農協が行っている経済事業(JA全農の系統)と信用事業(JAバンク、農林中金の系統)を行うものだった。

JA共済事業は、職員に過酷なノルマを課すことで、勧誘がうまくできないと自分で保険に加入したり他人の保険料を負担したりする自爆営業を行わせていることが問題となっている。これは、戦後追加されたもので、本来農業と関連するよう考えられたものだが、今の事業は、生命保険や損害保険と変わらない。

2 に続く。

 

昭和恐慌を機に全農家が加入

当初産業組合は、地主・上層農主体の信用組合にすぎず、1930年の段階でも、零細な貧農を中心に4割の農家は未加入だった。

しかし、農産物価格の暴落によって、娘を身売りする農家も出た昭和恐慌を乗り切るために、1932年農林省は、有名な「農山漁村経済更生運動」を展開する。産業組合は、全町村で、全農家を加入させ、かつ経済・信用事業全てを兼務する組織に拡充された。これを農林省は全面的にバックアップした。

特に支援したのはコメの集荷と肥料の販売だった。これに圧迫されたコメ商人や肥料商人から激しい“反産(産業組合)運動”が起こされた。

 

政府系金融機関として誕生した農林中金

農山漁村経済更生運動の大きな目標は、農民の負債整理だった。この手段として、産業組合が活用された。産業組合中央金庫は、その全国団体として設立された。半分が政府の出資によるものだった。したがって、政府系金融機関としての性格が強く、理事長以下の幹部はほとんど役人だった。これが、今の農林中金である。

産業組合中央金庫は、政府の出資金を利用して農業に低利で融資するものだったため、高橋是清蔵相は金融体系を乱すものとして設立に反対した。それを、農山漁村経済更生運動を推進した小平権一(後に農林次官)が、「あんなもの、頼母子講(タノモシコウ)に毛が生えたようなものですよ」と煙に巻いて認めさせた。大きな頼母子講になったものである。

 

GHQが完全解体を目指した農協が生き残った理由

この二つの組織が、第2次大戦中、統制団体“農業会”として統一される。農業会は、農業の指導・奨励、農産物の一元集荷、農業資材の一元配給、貯金の受け入れによる国債の消化、農業資金の貸付けなど、農業・農村の全てに関係する事業を行う国策代行機関だった。

終戦直後の食糧難の時代、農家は高い値段がつくヤミ市場に、コメを流してしまう。そうなると、貧しい人にもコメが届くように配給制度を運用している政府にコメが集まらない。このため、政府は農業会を農協に衣替えし、この組織を活用して、農家からコメを集荷させ、政府へ供出させようとしたのである。これがJA農協の起こりである。

GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の意向は、戦時統制団体である農業会は完全に解体するとともに、農協は加入・脱退が自由な農民の自主的組織として設立すべきだというものだった。農林省の中にも、そうした正論はあった。しかし、戦後の食料事情は、そのための時間的な余裕を与えなかった。こうして農協は農業会の「看板の塗り替え」に終わった。

 

2に続く・・・

スマート・テロワール協会とNPO法人信州まちづくり研究会の顧問を務めて頂いて

いる 獨協大学教授北野収(しゅう)先生が2024年1月に出版された

エッセイ集
「私の中の少年を探しに―ある「農学者」が回想する昭和平成」


から、これが纏めであろうと感じた最終章「私について」から、

「農学士でよかった」を、ご本人のご了解を頂戴して掲載致しました。

 

「農学者とは何者か。それは、自然環境、農業生産という次元だけでなく、社会的、

政治経済的、思想信条的にも「エコロジーの視点」をもち、人と自然との関係性を

忘れない者である。」

 

当NPOでは、2022年度から「高校生に農学を勧める」という活動を

進めていますが、その活動の一環として東信地域の高等学校に

この著書を、寄贈させていただきました。

 

ご意見を頂戴できれば嬉しいです。   
 

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農学士でよかった


 会社員になりたてのころ、大学のことを尋ねられるのがたならなく苦痛だった。特に「何を勉強していたか」について。その理由は自分が農学士だったからである。

 一九九一年以前は、経済学士、文学士、家政学士など、大学学部名がほぼそのまま学士称号の名称になっていた。現在では、「学士(〇〇〇)」というような表記になり、「〇〇学士」(あるいは「〇〇博士」)という名称は使わない。学士の次にくるカッコの中に入る言葉も細分化され、その数は数百にものぼるという。「〇〇学士」という古い名称の場合、とくに自然科学=理系の人間にとっては、学士称号がその人のアイデンティティの一部になる。たとえば、同じ土木工学でも工学士(土木工学)と農学士(農業土木)との違い、同じく植物や動物や昆虫を扱うにも理学士(生物学一般)と農学士(作物学、畜産学など)との違い、さらには、経済学士と農学士(農業経済)との違いである。実際に学ぶ内容にそれほど決定的な違いはないが、アイデンティティと社会的認知と受容が決定的に異なった。
 

 現在でも農学系学部を有する大学はそれほど多くはないが、あの当時、どの大学でも農学部は一番入りやすい底辺学部だった。難関で知られる旧帝大においてですら、入学後に学部振り分けをする東大や北大を除き、農学部は当該大学では一番入りやすいとされていた。まして、中堅以下の私大農学系に行くということは、当の本人にとってはとても肩身の狭いことだった。当時の受験業界では、農学部(農業経済を含む)は理工学部(工学部、理学部)や経済学部に落ちた人が行くところだと思われていた。偏差値的には農学系の中の別格であった獣医学部・学科ですら、医学部・歯学部のすべり止めのように思われていた時代だった。


 農学という分野は不思議な世界である。動植物や土壌や水資源や生態系や食料に関する諸分野(作物学、土壌学、畜産学、水文学、農業機械学、農業土木工学、林学、林産学、食品科学など)のみならず、建築学(農村計画論)、経営学(農業経営学)、経済学(農業経済学)、教育学(普及教育論)、社会学(農村社会学)、法学(農業法)、衛生学(獣医、畜産)など、あらゆる学問が同居する小宇宙の様相を呈している。近年は、それらに加えて、バイオテクノロジー、アグリツーリズム、テロワール研究など、最新の研究ニーズも加わった。自分の専門が何であれ、農学士であることを自覚することは、この小宇宙の惑星のどれかの住人であり、宇宙が「小さい」だけに他の惑星とのかかわりが理解しやすくなる。つまり、世界や人々の営みに関する知の体系を俯瞰的に捉えるには、実は好都合なのだ。私がこのことを自覚したのは、実は「外国語学部」に職を得た後のことだ。ムラの外に出てみて初めて、農学という小宇宙の素晴らしさに気づいた。

時代は変わり、「農学士」いや「学士(農学)」は絶滅危惧種とはいわずとも、マイナーな存在になってきた。カッコの中の表記は、生物資源(科)学、生命環境学、環境科学など多様化してきている。時代の要請を反映させたといえば、そうかもしれない。そして今では、これらの学部は人気学部になった。そのことは嬉しいが、心配な部分もある。「農」という言葉は、それ自体に「人」と「自然」の概念を一体的に包摂する。しかし、「生命」「環境」「資源」などの言葉には、人からみた客体としての「何か」、つまり、人と自然を分けたようなニュアンスがある。私は「農」という言葉を安易に別の何かに置き換えてはいけないと思う。この懸念を高校生がどれだけ理解できるかは、心もとない。


 大学進学以来四〇数年間、私は自分が何者かを模索してきた。役人時代は、農業経済職だったからエコノミストだと思うようにした。研究者に転じてからは、社会学をかじったり、政治経済学(ポリティカルエコノミー)に傾倒した。比較的最近では思想哲学に興味がでてきたりして、その都度アイデンティティが揺らいだ。常に「農」を遠ざけてきた。しかし今では、自分は広い意味での農学者なのだという確信をもつに至った。農学者とは何者か。それは、自然環境、農業生産という次元だけでなく、社会的、政治経済的、思想信条的にも「エコロジーの視点」をもち、人と自然との関係性を忘れない者である。


 今では自信をもってこう宣言できる。「僕は農学士」。最高にクールだ。

 

                              北野収

            

           (参考)北野教授の経歴・業績    本のご紹介

                        

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スマート・テロワール協会とNPO法人信州まちづくり研究会の顧問を務めて頂いて

いる 獨協大学教授北野収(しゅう)先生が2024年1月に出版された

エッセイ集
「私の中の少年を探しに―ある「農学者」が回想する昭和平成」


から、これが纏めであろうと感じた最終章「私について」から、

「霞が関大学中退」を、ご本人のご了解を頂戴して掲載致しました。

 

日本のエリート社会の内実は私達庶民には想像が着きません。

その理解が深まると思うからです。

 

当NPOでは、2022年度から「高校生に農学を勧める」という活動を

進めていますが、その活動の一環として東信地域の高等学校に

この著書を、寄贈させていただきました。

 

ご意見を頂戴できればありがたいです。

 

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霞が関大学中退


 私にとっての役人時代は「霞が関大学」という学校だった。それが学校としてよいところだったかどうかは分からない。ただ、学んだことは計り知れない。政府や官僚機構の悪い部分だけでなく、封建的ともいえるカースト制度・身分制度、のなかで、それぞれの立場で悩み努力する生身の人間の尊さについても学んだような気がする。

 

 私は三年遅れて入省したから、この文章を書いている時点では、同期入省の仲間たちはまだ還暦には達していない。私同様に途中で辞めていった者も多い(相当数が大学教授になっている)。私たちのような技術系キャリアの(事実上の)最高ポストである地方農政局長に就いた人もいれば、国の地方組織の各所で管理職として奮闘している人もいる。「特権さん」と呼ばれるキャリア事務官の多くは、既に「勇退」という形で役所を去り、残った人は本省局長、地方農政局長として奮闘している。本省に残った人のうちの誰かが、まもなく事務次官になるはずだ。私は課長補佐級の専門官で役所を辞めてしまったから、その先の本当の管理職の仕事の実際は知らない。ただ、予算、法令改正、国会対応、審議会など、役人のイロハは経験させてもらった。

 

 霞が関の新人の仕事は「キョーレツ」の一言である。私が奉職した省では、各局の筆頭課の総括部門に配属される新人を「廊下トンビ」と呼んでいた。一応自分の座席はあったが、ほとんど席に座る暇がないほどこき使われる。インターネットが普及した現在では、ありえない話だが、一九八〇~九〇年代のお役所は紙に書かれた情報をもって省内のいろいろなフロアを飛び回り、幹部の人に見せて赤字訂正を受けたり、大臣官房各課に行って国会その他から送られてきた紙情報や外電を大量にコピーして、部局内の各課室や上司である係長、班長、総括、課長、部長・審議官、局長に配り歩いた。当時、管理職の大半は手書きで仕事をしていたから、手書きのメモをワープロで清書するような仕事も大量にあった。キャリア組の新人は、最初の二年間このような雑用のすべてを引き受けることになる。今から思えば、人間が「電子メール」をしているようなものだった。そこで想定されていることには、いくつかの次元がある。第一に、一般に難易度が高いとされている公務員試験とそれへの準備=勉強が当該コミュニティへの加入儀礼だとすれば、新人に課される膨大な労務はその先に進むための通過儀礼の意味をもつ。第二は、より実用的な次元での意味である。単なる「子どもの使い」的な配達業務をするのではなく、こうした雑用は幹部間、部局内外、他省庁間の間でやりとりされる情報をすべて把握するための勉強あるいは修行であった。

 

 このような局レベルの総括業務を一~二年やれば、自分の部局のみならず、予算、国会対応、審議会対応、議員対応、さらには霞が関のメカニズム、永田町との関係に関するメカニズムが、ある程度見えるようになる。そして三年目以降は、別の部局の業務課室(原課)に異動し、その課室が所管する法令を運用したり、改正に携わったり、政策の立案に関わったりする。その後は、海外勤務、地方への出向、海外留学、他省庁出向などいくつかのパターンを経て、本省の係長、課長補佐になる。実際の政策は、課長補佐レベルで企画立案されることが多かった。本省の課長はもはや一国一城の主であり、課長補佐や係長が準備した資料に基づいた政治家や省庁の大幹部とのやりとりが主な仕事になる。

 

 以上は読者への「基礎情報」だ。私の初任部署の上司であった総括(筆頭課長補佐)のKさんから受けた訓示は次のようなものであった。役人の仕事はバランス感覚が重要。大局的な見地から、政治家、業界、国民を捉え、落としどころを考える。役人の仕事は上手くいっても誰からも褒められない。上手くいかなければ批判される。そういうものだ、と。

 

 国会答弁書は数えきれないほど書いた。答弁書の後ろに添付する参考資料、お付きの幹部が持参する資料集の準備もした。当時、既にワープロからウィンドウズPCへの移行の過渡期に入っていたから、多くの最終文書はプリンタで印字されていた。だが、手書きの方が安心するという大臣もいて、大臣が変わるごとに手書きになったり、ワープロに戻ったりした。政治家には漢字が読めない人がいるから、必ずルビをふるようにと言われた。当時の答弁書はB5縦書きだった。黒のフェルトペンで、幼児向け絵本にある文字よりもさらに大きな文字で、答弁を手書きした。文の途中でページが変わると読む人(大臣)の答弁が止まってしまうばかりか、どこを読んでいるかわからなくなってしまった大臣が過去にいたそうで、ページ跨ぎの改行はしてはならないという掟があった。慣れないころは、何度も手書きで書き直した。自分の部局に問いがあたる(答弁を作成する)ことは、終電で帰宅することができないことと同意であった。眠い目をこすりながら、翌日いつもより早く出勤し、国会議事堂で、自分が書いた答弁が使われるのを傍聴しにいったこともある。結局、その質問が出ずに、自分が書いた答弁がスルーされたことも幾度もあった。

 

 官庁の中の官庁である大蔵省(現財務省)の主計局への予算案の説明は年末の大仕事であった。主計官以下係長、係員に至るまで精鋭中の精鋭であるこの集団は、各省庁の各部局の次年度予算案を審査し査定する。各省庁は説明方々にお願いに上がるわけだが、その説明資料や説明の仕方については、最大限の注意を払う。説明に上がるための呼び込みは、大概、深夜あるいは明け方になる。一~二日待たされることもざらにある。主計局の職員は自分が担当する省庁部局の政策や事業内容について、徹底的に勉強している。おまけに弁が立つ人が多い。次々に鋭い指摘をするが、こちらも必死になって説明する。そして最後は、深くお辞儀をして「よろしくお願いします」ということになる。私は課長や総括のお供だったが、深夜の薄暗い大蔵省の廊下と、説明に入った時のあの緊張感は忘れられない。ある意味、彼らはとても傲慢な組織である。ただ、エリート中のエリートといわれる人の迫力と頭脳の切れ味に間近で接することができたことは、お金では買えない経験だった。

 

 公共事業を所管しそれを地方に配分する権限をもつ部署に配属されたことがあった。実際の配分の権限のほとんどはキャリア土木技官が握っている。彼らと一緒に、北は網走から南は沖縄の離島まで、現地視察やら新規政策の説明会やらで頻繁に地方に出向いた。その時にあらためて思ったのは、国の権限の強大さだった。私のような係長でも、本省から来た人間に対して、県や市町村のカウンターパートの人たちはとても気を遣っていた。現在とは違い、バブル経済の時代は官官接待にも大らかだったから、やましいことはしていないが、美味しい食事をご馳走になったことは認める。行き過ぎたいただき物をお断りし、お返しするような場面もあった。年末の地方からの陳情合戦も凄まじかった。今ではそのようなやりとりはなくなり、コーヒー一杯でも自腹で払っていると聞く。言いたいことは陳情や接待についてではなく、地方における公共事業の存在の大きさと、その査定(箇所付け)の権限を持つ役人の権限の大きさだ。特権事務官のみならず、このような大きな権限を持つキャリア技官たちは、人に頭を下げられることがまるで空気のようになってしまう。議員先生と審議会の先生と上司には自分が頭を下げるが、それ以外の人間、ひいては国民は自分たちに頭を下げるものと錯覚してしまう者もいる。何を隠そう私自身、そのような感覚に陥りかけたことがあることを認めざるを得ない。しかし、人が役人に頭を下げるのは、その役人の人格や能力に対してではない。ポストとその権限に頭を下げているのだ。役人を辞めて、一介の大学院生に戻った時、私はその当たり前のことに気づかされた。

 

 「霞が関大学」での一〇年弱の学びについては書きたいことはまだまだある。中央官庁の役人(いわゆる「官僚」)の具体的な仕事の最低限のイメージをお伝えするなら、以上の話で事足りるということにしよう。今、振り返って自分の役人時代を「総括」すれば、完全なる負けいくさ、負け試合だったといわざるを得ない。ただし、一方的にノックアウトされたわけではなかったと思う。何かを掴んた意味のある敗北だったと信じている。自虐的な物言いかもしれないが、私は「みにくいアヒルの子は白鳥にはなれない」と思った。それは、同じキャリア組でも、特権事務官と技術系(技官および技官相当の事務官)の間にある越えられない格差問題についてではない。もっと手前にあるプリミティブで幼稚な感覚だ。高校、大学とエリートとは正反対の「落ちこぼれ」を地で来た私が紛れ込んでしまった霞が関の官僚機構は、事務官、技官を問わず、私から見ればスーパーエリートたちの世界だった。自分の頭の出来や学歴を言い訳にするのはフェアではないが、彼らは私がそれまで接してきた人たちとは、良い意味でも、悪い意味でも、出来が全然違ったと思う。わかり易い例として、英語ひとつにしても、帰国生でもなければ、外国語学部卒でなくても、毎朝、英字新聞や在外公館や国際機関から来る公電を普通に読むことができる。少し集中して英語を勉強すれば、ハーバードやオックスフォードに留学できるくらいのスコアをクリアしてしまう。官僚に対する批判はたくさんある。官僚機構の硬直化した仕組みが時代に合わないともいわれている。人を人とも思わないような特権事務官もいなくはない。ただ、私が毎日間近でみた多くの国家エリートたちの仕事ぶりは、なかなか立派だった。少なくとも、一人一人の能力はとてつもなく高い。

役人の仕事は私には向いていなかった。国家エリートたちと競争できる実力もなかった。もし続けていたとしても、間違いなくパッとしない役人人生だったと思う。かくして、三五歳の時、私は「霞が関大学」を中退した。

 

 様々な問題を抱えつつも、戦後の復興と高度経済成長を支え、古きよき昭和の香りをほのかに漂わせた「霞が関大学」は、官邸主導を是とする事実上のポスト五五年体制としての「二〇一二年体制」(中野晃一氏)の登場とその貫徹の中で、かつての役割と存在感を喪失した。


北野収

                      
              (参考)北野教授の経歴・業績    本の説明
                           

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ひとつの地域論です。

4年前、当NPO顧問を務めていただいている獨協大学教授北野収先生から

ご紹介を頂いた下記の本の説明が私はとても良いと思っています。

 

「地域をまわって考えたこと」(小熊英二著東京書籍

 

この論旨を掲載致します。

 

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 「地域社会とは、「ヒト・モノ・カネ」という川の流れのなかにできた、渦巻や水溜りのようなものだ。「なぜここに渦巻が無くなったのか」「どうしたらここに渦巻が作れるのか」といった問題は、全体の流れの変化を踏まえずに考えることはできない。

 地域社会とは、そこにいる人々の活動や社会関係の総体のことであって、そこに山や川があることではない。

・・・市区町村は行政や政治の単位であって、地域社会の単位ではない。地域社会と市区町村が一致しているいる地域の方が好循環を作りやすい。逆に、地域としての自信を喪失し、住民が一体感を失っていると、その地域は他の地域の広域経済圏の周辺(一)部に変化していく。

・・・そして、川の流れが変わってしまった以上、復興はありえない。創造しかない。」

 

(編者)とてもすばらしい定義だと思います。

 

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これらのキーワードが理解できれば、本の内容も理解できます。
 

「シビック・アグリカルチャー・食と農を地域にとりもどす

(トーマス・ライソン著北野収訳)から、


訳者のご了解を頂いてコピー致しました。

 

「シビック・アグリカルチャー」文明国の地方社会モデルだと思います。

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「フードシステム」(food systems)

本来、食べることと農業は密接不可分なものである。しかし、従来の学問分野では、生産、加工、流通、消費、さらには、マーケティングあるいは遺伝資源の問題などがそれぞれ別個の分野として研究がなされていた。フードシステムとは、食をめぐるこうした一連の人間活動、経済行為をひとつの「システム」として把握する概念である。今日、私たちの食は、遺伝資源のレベルから消費者の食卓(究極的には摂取、排泄に至るまで)、ごく一握りの人々によってコントロールされるグローバル・フードシステムへの依存を余儀なくされている。シビック・アグリカルチャー論が提案するローカル・フードシステムとは、物流、さらには、安全性や環境の面のみならず、持続可能な社会と健全な市民社会の基礎条件として位置づけられるものである。

 

「埋め込み」(embeddedness)

自由経済主義、経済原理主義の帰結としてのグローバル化経済の矛盾が顕在化しつつある現在、主著『大転換』で知られるハンガリー出身の経済史・経済人類学者カール・ポランニー(1868年~1964年)の社会経済論の現代的意義が再び大きな注目を集めている。元々、経済が社会に埋め込まれていたというこの「埋め込み」概念は、シビック・アグリカルチャー論の基底概念である。本来、人間の経済は経済的制度のみならず、地域社会における非経済的制度によって規定されている。互酬、再分配、交換が人間の経済における相互依存の統合形態だとされる。すなわち、経済が社会から離床(dis-embedded)し、市場の自己調整的機能を万能の神として自明視するようになった19世紀(以降)の市場決定論・経済決定論こそが特殊なものであり、実現不可能なユートピア的なものである。

 

「社会関係資本」(social capital)

ソーシャル・キャピタル。社会関係資本の定義には諸説あるが、ライソンが依拠するのはこの概念が広く普及する契機となったパットナムの定義である。すなわち、地域の社会発展の基盤となる信頼、規範、ネットワークという三つの要素である。これらは、地域社会・集団が市民的共同体たりえるための要件であると考えられる。社会関係資本が豊かな地域は、住民間あるいは住民と地域内外の組織・機関との協調行動が活性化・効率化し、ある種の「地域力」が高まる。シビック・アグリカルチャー論において、小規模な家族経営農家、食品加工業者、商店などは、市民的共同体を構成する不可欠な要素とされる。パットナムに依拠するライソンは、非西欧圏等にみられる上下関係を含んだ伝統的な社会的紐帯よりも、水平的で平等的な社会的紐帯に着目している。

 

「持続可能性」(sustainability)

一般に「将来世代のニーズを損なうことなく現在の世代のニーズを満たすこと」(国連ブルントラント委員会、1987年)という持続可能な発展という観点から説明されるこの言葉は21世紀の人間社会のキーワードの一つである。しかし「持続可能性」の意味は、使われる文脈によって大いに異なる。端的な差異は、経済成長を持続化させることを前提とした人間の諸活動の改変を想定する立場(成長の持続化論)と、社会と環境を持続可能なものにするために既存の政治経済の仕組みを改変することを想定する立場(持続可能な社会論)の間にみられる。後者に関連して、経済成長そのものを「社会発展」の与件としない脱成長論や定常経済論を唱える論者もいる。ライソンは脱成長にまで踏み込んだ言及はしていないが、少なくとも、社会・コミュニティの持続可能性がシビック・アグリカルチャー論の要諦であると考えている。そして、農と食の観点から「持続可能な社会」の存立を支えるのは、大規模な工業的農業ではなく、小規模な家族経営農家だとする。

 

「引き離し」(distancing)

生産地と消費地、生産者と消費者の物理的な距離が遠隔化するのみならず、かつて両者の間に存在した「顔の見える関係」が消滅し、ひいては、精神的・心理的距離も拡大されてしまうことをさす。生産者は、低コスト化、大量生産に腐心するあまり、農薬や化学薬品に盲目的に依拠するようになる。大企業の契約栽培という垂直的統合の傘下に入ることにより、消費者ではなく企業の要求に忠実であることを余儀なくされる。一方、消費者は、往々にして、ただひたすら「安さ」を求め、仮にそれに安全性、品質、味に対する要求が加わったとしても、一般に、遠く隔てられた生産者がおかれた状況(経済、環境、文化など)を理解しようとする態度は希薄である。今日ではこうしたことは常態化しているが、歴史的にみればきわめて異常なことであるというのがライソンの理解である。

 

「ローカル化、再ローカル化」(localization/relocalization)

ローカリゼーション、地元化、地域化ともいう。グローバリゼーションに疑義を唱える人々によって、対抗的言説あるいはキーワードとして語られるようになった概念。ローカル化すべき人間活動、経済活動はすべての領域にわたるが、とりわけ、重要なのは食料・農業に関するものである。その意味するところは、食の安全性、輸送コストの削減を通じた低酸素社会の実現といった技術論としての「エコロジー」にとどまらない。産業化された社会・文化と開発途上の社会・文化、進んだ都市と遅れた農村、人間と自然の関係など、人間の認識や価値観に潜む目に見えないバイアスや思い込みから人々を解放するという政治的挑戦も意味する。ローカル化は「すべての食料を地域内自給すること」という誤解があるが、ライソンやヘレナ・ノーバーグ=ホッジが明快に否定するように、「生産者と消費者の距離を可能な限り短縮する」というのがその要諦である(H・ノーバーグ=ホッジ(北野収訳)「社会的・エコロジー的再興としてのローカリゼーション」『農村計画学会誌』30巻1号)。本書で詳しく分析されているように、食料・農業生産の国民経済への統合、すなわち、ナショナリゼーションは、地域に埋め込まれたローカル・フードシステムの崩壊の端緒であった。しかし、脱グローバル化のための「第一のステップ」としての国産品購買運動は意味のあることである(H・ノーバーグ=ホッジ、辻信一『いよいよローカルの時代』大月書店、2009年、164ページ)。ここに、国益云々という排外ナショナリズムとは異質な「開かれた地域主義」ともいうべきメンタリティ(多様性の受容)があることを忘れてはならない。

 

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文藝春秋 電子版 ニュースレター4/30 より

ジム・ロジャーズの記事の一部をコピーさせてもらいました。


もう、2年も前の記事ですが、今もそのままだと思います。

読んでいて、怒りがこみ上げてきます。

(文字の着色は編者です。)

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「最後のチャンスを逃すな」このままでは日本経済は破綻する(2022年10月号)  ジム・ロジャーズ  
 
「最後のチャンスを逃すな」このままでは日本経済は破綻する(2022年10月号) ジム・ロジャーズ

 

日本が抱える長期債務残高

 私の愛する日本は、一体どうなってしまうのでしょうか。このままでは日本経済は崩壊してしまう。その元凶は、少子高齢化、多額の財政赤字……日本の多くの方がすでに認識している問題です。30年、50年後の日本を想像するや暗澹たる気持ちになります。

 10年以上前から私は日本経済の問題点をずっと指摘してきました。ところが、政治家や官僚はこれらの問題を解決するどころか、先送りし悪化させてきたのです。


 1969年、ジョージ・ソロス氏と共に、クォンタム・ファンドを設立したジム・ロジャーズ氏(79)は、10年で4200%という驚異的なリターンをたたき出した、伝説の投資家として知られる。37歳で引退すると、コロンビア大学で教鞭をとる傍ら、コメンテーターとして活発に持論を発信。来日経験が豊富で親日家であるロジャーズ氏は、これまでも日本経済について警鐘を鳴らしてきた。


 これまで日本の政治家は、無駄な公共事業を続けて財政赤字を膨らませてきました。こうした公共工事は、地元有権者のご機嫌をとる以外、何のメリットもないばかりか、日本の状況を悪化させてきた。

 日本が抱える長期債務残高は2021年度末の予算によると、国だけでも1000兆円を超える。その後も年々、恐ろしいペースで借金を増やし、プライマリーバランスの黒字化もできず、日本は借金を返すために公債を発行する悪循環から抜け出せないでいます。

その場しのぎの金融緩和

 その悪循環をさらに悪化させたのが、アベノミクスの金融緩和です。

 日本政府は好きなだけ国債を発行し、日銀が国債や投資信託を買い続けてきました。やがて日本の財政破綻の可能性が高まり国債が買われなくなれば、日本政府は金利を引き上げざるを得ない。そうすると、日本は高金利によってさらに膨らんだ莫大な借金を抱えることになる。その場しのぎの弥縫策が、日本経済を破滅に追いやろうとしているのです。

 さらに2016年、日銀は、「金融緩和強化のための新しい枠組み」として指定した利回りで国債を無制限で買い入れることを決めました。これは事実上、紙幣を無制限に刷るということです。

 現在の為替レートは、1ドル140円にも迫る勢いですが、今後さらに円安は進むはずです。私からしてみれば、むしろよくぞ今まで、円安にならずに来たと思うくらいです。

 歴史的にみて、財政に問題を抱えた国の自国通貨はすべて値下がりしてきました。20年前のイギリスは、1ドル=0.6ポンドのレートでしたが、今は1ドル=0.8ポンドまでポンド安が進行しています。

 また自国通貨の価値を下げて、中長期的に経済成長を遂げた国は存在しません。第二次大戦後、日本が高度経済成長を遂げられたのは、高品質な商品を輸出し、巨額の貿易黒字とし、世界最大規模の外貨準備高を有したからです。

 たとえば自動車産業。日本は、1980年には生産量で米国を凌駕し、1986年には米国で販売される台数の約4分の1を供給するようになりました。

 日本が高品質を武器とする一方で、対する米国は金融緩和政策を実行していました。ドルの価値を下げることによって、車が売れるに違いないと考えたわけです。ところが米国車が売れるどころか、円高によって日本のメーカーが海外から原材料を輸入しやすくなるなど、日本メーカーの成長を後押しすることになった。

 たとえば同じタイプの車が日本とアメリカのメーカーから1万ドルで販売されているとします。そこで1ドルが100円から70円に3割下がれば、日本車は1万4000ドルに強制的に値上げさせられる。ところが、通貨の価値が下がれば、米国のメーカーにとっても原材料などの輸入コストは上がる。となると、米国メーカーも国内で1万ドルでは販売できず、値上げを余儀なくされます。

 そして何が起きたのか。政府に甘やかされた米国のメーカーは日本の品質に太刀打ちできない企業体質となり、その結果、自動車競争に敗れてしまいました。
(註:今これが日本で起きているんですね)

 この当時のアメリカのように、いまの日本政府と日銀はアベノミクスで紙幣を刷り続けることによって、日本経済を救済しようとしています。とんでもない過ちです。

若者がツケを払わされる

「アベノミクスによって株価が上がったじゃないか」と反論する人がいるかもしれません。

 もちろん金融緩和をすれば短期的に株価が上がることは明白です。私も日本株に投資しましたよ。日銀が紙幣を刷りまくって、そのお金で日本株や日本国債を買いまくれば、株価が上がる。

 2018年、私は日本株を全て手放すと、今度はETF(上場投資信託)を買いました。ETFとは日経平均株価やTOPIX(東証株価指数)などの指数に連動する投資信託です。私よりもお金持ちである日銀が「もっとお金を刷ってETFを買う」と宣言するのですから、一緒に買わない理由がありません。ただETFを手放すべき時期も近づいてきたように思えます。

 そもそも経済の状況は、株価と切り離して考えるべきなのです。

 アベノミクスによる株価の上昇によって日本の人々の生活は豊かになったでしょうか。

 株価の上昇と引き換えに、日本円の価値は下がり続けてきました。資源が乏しい日本はあらゆる原材料を輸入に頼っています。コスト上昇から物価は上がり始めていますが、今後、高齢者や若者は深刻な苦しみを味わうことになります。アベノミクスの金融緩和から恩恵を享受したのはほんの一握りのトレーダーや大企業だけなのです。

 アベノミクスの第二の矢と呼ばれる財政出動も正気の沙汰ではありません。「日本経済を破綻させる」と宣言したに等しい政策です。先進国で最悪レベルの財政赤字を抱え、国の借金が増え続ける中で、さらに無駄な公共事業に公費を費やすというのですから。

 深刻な財政赤字を見てみないふりをする政治家たち。彼らは日本が借金を返す局面で自分はこの世にいないと逃げ切るつもりなのでしょう。そのツケを払うのは日本の若者にほかなりません。

 岸田政権になっても、こうした大枠の方針は変わっていないようです。いや、ここにきて防衛費を増加させようと、議論が始まっているらしいじゃないですか。私からすれば、借金まみれの状態から国を守る方が先ではないかと思いますが……。このままでは将来ある若者がどんどん海外に出てしまい、日本に留まりたいと思う理由はなくなるでしょう。

・・・後略。

 

(私)ジム・ロジャーズが言ってることを一口で表現するなら、実体経済が大事だということではないかと私は思います。

 人間の生活の基盤である食・住で、膨大なムダを浪費し続けていて良い筈がありません。私は衣のことは研究していないので触れないでおきます。食だけで毎年1兆円のムダを垂れ流しています。住宅は投資額と評価額の差が500兆円を越しています。これで良い筈がありません。

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2024.3.27
すべては農場の進化のために

月刊『農業経営者』メールマガジン
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■特集
EUの農民デモと日本農業

なにかと比較されることが多い日本の「みどり戦略」と「欧州グリーン
ディール」。ともに環境負荷の低減をめざしているが、欧州では農民
デモが頻発し、日本ではまだまだ様子見感が強い。早くから施策が実施
されているEU、まだ目標を掲げただけにとどまる日本。補助金と環境
規制のリンク強度が異なるからだろうか。農民デモの背景を探りながら、
日本農業における環境意識を考える。

 

ここから全てが見られます。

     ⇊

 

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題の言葉は、大勢の先生方が仰っていることです。

下記YouTubeを2つ、とても素晴らしいので、ご紹介します。

幸福論、コミュニティろんですが、

松尾雅彦さん、北野収教授に通じていると思います。

 

日本の夫婦は愛よりも金で結びつく?先進国最低クラスの幸福度:

日本のジレンマ【宮台真司×堀江貴文】(自動的に下に移ります)

https://www.youtube.com/watch?v=_LNlCDfBres


もはや先進国ではない?「残念な国」となりつつある日本が

生き残る道とは【宮台真司×堀江貴文】

https://www.youtube.com/watch?v=iGZUJLjtGWo

 

記事は、上記2つのYouTubeの抜粋記事です。

 

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幸福とは何か?

 

 まず日本の幸福度は低いのかということで、こちらのスライドを見ていきたいと思います。これ世界の幸福度ランキングですね、国連が出しております。上位に北欧の国ヨーロッパの国がございまして日本は56位ということでG7では最下位という状況ですね。

 ユニセフが公開したデータだと、やはり子供の幸福度は、OECD加盟国の中とか40数カ国の中の下から2番目。大人から子供まで幸福度が低い。幸福度っていうのは社会指標、ソーシャルインデックスって言われるものの代表的なものでね、なぜ幸福度が低いのかってことは他の社会指標と合わせて考える必要があるんです。例えばね、高校生の社会指標だと、「自分には価値がある」って答える割合がね、日本だけが10%を切る。同じようなことだけど親の権威に関わる指標というのがあってね、日本は親に権威は認めないっていうことがはっきりしているんですね。

 

 つまりまず日本では家族が空洞化していて、しかも、自尊心、自己評価の値が非常に低いんですね。他のデータからいっても日本の夫婦は愛よりも金で結びつくんですよね。これは上昇婚

 

 

 

 

(じょうしょうこん)データっていうのでわかります。

(参考:上昇婚(英:hypergamy)は、自分又は自分の両親・家柄よりも高い階級・社会的地位・高学歴、あるいは高収入の異性の者と結婚・結婚希望する行為や傾向を示す言葉である。)

 

 僕がとった2000年のデータだと親が愛し合っているかどうかについて、大学生って大体半々なんだけど、親が愛し合ってると答える大学生は、恋人がいる割合が多くて、性体験の人数が少ない。親の愛し合っていないと思うと答える大学生の場合には全く逆で恋人はいなくて、性体験の人数だけやたら多いというデータも出る。基本、家族も駄目、自尊心も駄目。この状態で幸福であることができないってことです。

 

司会)それが積み重なってきてるということですね。

 

宮台)ずっとそうですね。結局この社会指標がなぜ問題なのかっていうとね、経済事情の低さが話題ですよね。2015年に韓国に平均賃金で抜かれて、2018年に1人当たりGDPが抜かれて、アメリカやヨーロッパだと大体最低賃金って、今15ドル、簡単に言うと、1700円ぐらいなんですよね。日本最低賃金は地方にいくと810円いくらとかですから、やっぱり半分あるいはそれ以下ということなんですよね。

 なんでこんなに経済が駄目なのか、単純ですよね、既得権益を動かせないからです。なぜ既得権益動かせないかっていうと、誰でもが沈みかけた船の座席争い、つまり所属集団にへばりついて、いるからですよね。例えばさっき先ごろ、総選挙があったでしょ。野党がなぜ駄目なのかっていう問題と同じだよね。僕の年代の主張ですけど、正社員っていう制度をやめなければ実は駄目なんですね。

 だって正社員。結局労働組合を組織していて、この人たちがさ、その正社員の雇用を守るっていうふうに既得権益にへばりつく、そしたら絶対に産業構造改革はできない。正社員を全て廃止してしまえばね、ジョブマーケットは流動的になって産業構造改革ができて、生産性の低い会社企業は、淘汰されて、生産性の高いところが残る。そしたらGAFAとか、サムソンとか、中国でいえば政策っていうか政治体制は違うけれども、ファーウェイみたいなところが残れる。日本それに相当する会社って1個もないですよね。だから与党も野党も含めて、あの既得権益にへばりつき続けるわけです。そして解雇規制は岩盤規制ですよね。

 これもね、実は日本人の自信のなさと密接に関係しているというふうに僕は考えているんですね。僕が昔とった統計データだど自尊心のレベルが低い人は公的な関心がないんですよ。はい、だからこれもすごく面白いデータでしょ。つまり自分に価値がないと思ってる人間が自己防衛に汲々とするでしょ。余裕がない。だから政治的な関心なんか持ちようがない。そうすると、なぜ例えば投票率が低いのかっていうことも基本それでほぼ完全に説明できるってことですよね。

 

堀江)でもそういうのがジレンマに陥ってるというか、みんながそれで、牽制し合ってますみたいな状態なわけじゃないですか。それをだから打破するのは、時代が変わってるんだけど、時代って技術革新で変わっていったわけですよ。そのイノベーションが起こって変わっていってるわけで、意外とそこに気づいてない人たちがほとんどで、スマホってやっぱすごい発明だったと思うし、インターネットはもっと前からあるんだけど、インターネットに繋いでる人なんてまだまだマイノリティだったわけですよ。だけどスマホで完全に変わって、あれスマホってみんな電話だと思ってるけど、あれは実はパソコンなんで、中身はパソコンで、単に使いやすくなっただけって言って手の平に置けるようになって、ネットと繋がって、それが出てきたから、SNSが出てきたわけで、SNSに使われてる技術って、ずっと昔からある技術なんですよね。

 スマホでみんな使い出したら、これは良いわってなってみんなが繋がるようになって、そういうことが世界で同時多発的に起こってるんで、イノベーションのスピードが飛躍的に上がって、それに対抗するというかそれに、アジャストさせる体制って、強固なリーダーシップが非常にワークするというか、ただ意思決定のスピード遅いじゃないですか、民主主義って。なんだけど、今典型的な民主主義国家になってる日本は、社会民主主義みたいな、一番遅そうなシステムの中で動いてる。だけど、他の国って、例えば大統領制、韓国もそうだし、アメリカもそうだし、中国は共産党の一党独裁で習近平が支配してるわけだし強いっすよね。これをだからどうするのかってのもすごい問題だと思うんですよ。

 

宮台)民主主義はね、昔から言われてるように、民度に依存するんですよね。スピードも民度に依存するし、決定の内容のレベルも民度に依存するんですよね。例えば知的なレベルや感情のレベルが低ければ、民主的な決定ってデタラメなものになるんですよね。それは例えばイギリスのブレグジットとかアメリカのトランプ当選ということで我々は経験的に知っているけど、それ以前に我々は日本を見ることでそれがわかるわけです。

 なぜ、与党も野党も既得権益にへばりつく政党しか基本的にないのか、それは我々のレベルが低いからだよね。自分たちの首を絞めているということになる。堀江さんもかつてフジテレビ問題でね、要するにマスコミ・マスメディアに関する既得権益を変えようとしてとんでもない国策捜査でね、苦しんだ経験もありますし、僕はね、ドコモの研究所の人たちと話したときに、iPhoneが出たとき彼らはね、「要素技術は全て日本が持っている」と言ってたんですよ。こいつら馬鹿だなと思ったんですよ、当たり前だよパソコンなんだから。でもそのパソコンを携帯電話に実装するというアイディアをお前ら考えてねえじゃんってことですよね。だからそういうところで、実は技術っていうのは単なる要素技術のレベルではなくて、我々がね、その環境にアクセスするときの、そのインターフェースのあり方とか環境のどのレベルにアクセスしてるのかっていうね。もっと人間学的なレベルでのイノベーティブなんですよね。人間的想像力を欠いた人間たちが、日本のいわゆるエンジニアリングのイノベーションになっている。つまり、絶望的。

 

堀江)だからリーダーシップですよ。だからがスティーブ・ジョブズがアメリカにおいても変人じゃなかったかっていうともう大いに変人よ。でもおかしな奴だからこそ、あんなものができたと思いますよ。

 

宮台)僕は日本人の頭の悪さの典型っていうのはスペックにこだわることだと思うんですよね。そのスティーブ・ジョブズで言えばね、開発の当初、日本のスマホとか携帯に比べてスペックがないと、これ何とかしなきゃいけないんじゃないですかっていうのに対して、そのスペックは全て落とそうっていう決断するんですよね。イーロン・マスク、テスラのね、あるいはスペースXのイーロン・マスクですけど、彼も非常によく似ていて、その部品をどうするか、ていう話をしているときに、その部品いるのかっていうんですよね。うん。そうやってどんどん落としていくんですよね。スペックの話をしてるんじゃなくて、我々との、つまりヒューマンとその物の間のインターフェースの話。そこにつまりどういうアイディアが出てくるのかっていうところだよね。そこに本人の洞察は全くない。

 

堀江)すごいなと思ったのは、僕Apple製品を使い出したのって、27,8年前なんですけどそのときにそういうのを扱ってる会社にいたのでバイトしてたんでそこで、本と思い本こんな分厚い本を渡されて、「ヒューマンインターフェースガイドライン」って書いてある本があるんで、こんな分厚いんすよ。マッキントッシュ用のアプリを作るときのインターフェースのガイドラインやUIのガイドラインがすげえ事細かに書かれて、当時から例えばアクセスビリティって考え方多分日本の家電メーカーなかったと思うんですけど、色覚異常者とか、目が弱視の人とか、聴覚がない人とかいろんな人がいるわけですけどそういった人たちにも配慮したUIにしなければいけないみたいなこととかもすげえ細かく書かれていて、こんなのいるのって思ってたけど、今はそれがスタンダードですからね。

 

宮台)そういうリーダーシップを発揮する人間が上に立てるのはどういう条件かって考えてみるとわかると思う。日本の場合はね学問の世界でもそうだけど、要するに学会で認められている研究領域以外のことって絶対やらないんだよね。なぜかっていうと、予想不可能だから。認められる研究をやると、どの程度論文を書いてどういう学会活動するとどこまで出世、プロモーションできるのが予想できるでしょう。でもあのイノベーションというのは基本トライしても、実りがあるかどうかはわからないからチャレンジングなんですね。チャレンジングってのは、つまり、困難てことだよ。でも日本人はヘタレで浅ましいのでそれで引っ込むわけだよ。そういう人間からリーダーシップを発揮できるやつで出てくると思う?ってことですよね。

 

司会)今のリーダーシップの話ありましたけれども岸田政権が、新しい資本主義を提言しておりますけれども、まず、これ人々を幸せにするのでしょうか、という大きな質問なんですが、いかがですかね。

 

宮台)新しい資本主義ってずいぶんで風呂敷が大きいけどはい、ただ再配分しましょうと、分配と成長の好循環とかっていう単に当たり前の事を言ってるだけなので、あまりにも古くて腰が抜けました。はい日本の経済が回らない理由は、既得権益を動かせないので産業構造改革ができないから、以上で終わりなんですよ。

 産業構造改革をするために何をすればいいかっていうとさっき申し上げたようにね、労働市場の流動性を上げるんですよ。典型的にはね国際標準で正社員という注意を許さない。その解雇を自由自在にさせるということです。いやそしたら解雇された人達困るじゃないか、といわれますが、そんなことはなくて、欧米の基本政策っていうのはね、大体2年間ないし1年間の雇用保障っていうのがあって、その雇用保障してる間に、やはり公的な税金で訓練と教育の機会を提供するんですよね。そういうふうにするから産業構造改革が成功して、あとエネルギーシフトもどんどん進んでいて、このエネルギーシフト問題と大変でね、各国の統計があるけど、今、再生可能エネルギーの基本って太陽光と風力だけど、その発電コストって化石燃料と原発のちょうど今半分なんですよね。再生可能エネルギーは技術的学習効果でこれからも下がってるけど、化石燃料はハードオイル化って言ってね、これから採掘コストが上がっていくのでどんどんコストが上がるでしょ。原発は皆さんの安全意識が高まっていくので、ますます安心親切どころかね、メンテナンスにおいても、コストが上がっていくんですよね。そうすると、今日本が置かれてる状況ってね、経済が相当落ちているんだけど将来にわたってもね、エネルギーを使うために各国に比べると高い年貢を納めるような感じになるんだよね。それを何とかするっていうのが、新しい資本主義じゃなくて駄目な日本を何とかするんですよ。はい、だからそういう問題意識がない点で全く無駄ですね。

 

・・・うん単純なことで、日本て既得権益にすがるっていう意味でね非常に特殊な国なんですよ。既得権益が残ってる限りはね、既得権益にみんなへばりついてる醜い争いを始めるわけです。僕のゼミからね、町おこし協力隊で全国に散ってる奴らもいるんだけど、日本はね実は田舎に行くほど地方に行くほどを地獄、それは残されたちょびっとの既得権益を巡ってみんなへばりつくので、一切の制度的なイノベーションもできない状況になる。しかし他方でね、例えば沖ノ島の海士町とかね、瀬戸内海兵庫県の家島のように既得権益が完全になくなるぐらい限界集落化すると、そこに旅芸人的にコミュニティデザイナーが入っていて、基本その何をベースに外貨を稼ぐのかっていうことで共同体受注を行うことで、空洞化していた人間関係共同体も戻るっていうね、

 実はヨーロッパでは、最初からエネルギー問題っていうのはエネルギーシフトだけの問題じゃなくて、元々例えば87年から始まったね、スローフード運動っていうのは、経済と社会、さっきの話、経済指標と社会指標を完全に結びつけるという試みだし、この20年のエネルギーシフト、エネルギーの共同体自治の動きも全くそういうものなんですよね。だからそこは解りやすいことを言うと、売れるから有機野菜を使ってブランディングするとか、法律が規制するから有害なものを使わないとかじゃなくて、いや仲間のために作ってるからいいものを作るしそういう努力してるからちょっと高くても買えますっていう、ある種の感情の働きと資本主義を結びつけるっていう動きで、エネルギーシフトに関わる共同体自治も全部そういうことでね、僕あるいは誰でも堀江さんのようなエリートがこれが一番いいんだと説得して、その何かをそのインプリメンテーションしたとして、実行したとして、それがうまくいかなかったら、堀江さんのせいになるじゃん。僕のせいになるじゃん、そうじゃなくて今の新しいリーダーシップっていうのは、ファシリテーションの能力で、基本それによって同じ風力発電と風力タービンを建てるにしてもね。俺たちがいろいろ考えて作っただから問題があればそれを俺たちの問題だから、つまり他責化できないっていうことで、自分たちで引き受けていろんな修正をしていくっていうね。そうするとそのプロセスでまた共同体自治ってみんな仲良くなっていくっていうね。これ仲良くするかどうかなれるかどうかっていうのをコントロールするのがファシリテーターの役割っていうね、それが今ヨーロッパでは標準で日本にはそういう人はいないしほとんどいない。

 

司会)ですね。大きな既得権益じゃなくても小さな共同体でそれに共感していくところからっていうことですね。

 

宮台)そうです。僕はね、気候変動問題が鍵になると思っていましてね。もうすぐチョムスキーとポーリーの「気候変動とグリーンニューディール」っていう本が出るので、これものすごい統計が満載の本でね、すごく参考になるんだと思うんだけど、まず気候変動懐疑論がデータで完全に反駁できる。しかしデータで反駁できるのはそれだけじゃなくてね、例えば、炭素税主義ってのは経済学者のほとんどの声なんですよ。政治的な規制じゃなくて炭素税でやろう。更に、炭素税をどんなにやってもCO2の削減には全く焼け石に水だってこともデータで証明される。

 

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「読書人WEB」よりコピーさせてもらいました。下段にURL。

森山和道 / サイエンスライター  

週刊読書人2020年7月3日号(3346号)掲載

 

ガイア理論提唱者ラブロック博士の最後の著作と言われる

「超人工知能と人類が共存する時代へ」の紹介です。

ガイア理論の拡張版、一気通貫に未来語る

 

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著者ラヴロックは、地球はあたかも一つの生命のようなシステムとして振舞っており環境を安定化させていると見なす「ガイア理論」の提唱者だ。ガイア理論の特徴は、生命圏と無生物圏、すなわち大気や岩石とが互いに相互作用しながら自己調節するフィードバックループを為していると考えた点にある。
 
たとえば地球ができた頃の太陽は暗く、その後徐々に明るくなってきた。当然、地球はより高温になっているはずだが、生命の存在が地球全体の太陽光反射率と二酸化炭素量を調整し、結果的に恒常性を維持している。この自己調整システムを彼は「ガイア」と呼んだ。しばしば誤解されているが、ラヴロックは地球がいわゆる生命と全く同じ意味で「生きている」と言っているわけではない。
 
ラヴロックは一九一九年生まれなので、本書はおそらくは最後の著書だ。タイトルの「ノヴァセン」とは、やがて生まれるだろう人類を超える知性を持つ電子的生命体と人類を含めた有機体とが、地球に共存する時代のことを指す造語だ。現在のことを人類の時代という意味で「アントロポセン(人新世:下段に註)」と呼ぶことがあるが、それに継ぐ時代のことである。
 
電子的生命体とは、いわゆる超人工知能のことだ。最初は人類が作ったシステムとして誕生し、やがては自らを設計し改良しつつ製造していくだろう機械のことである。このような超知能も人類同様、自然選択の中から生まれるという意味をこめて、ラヴロックはサイボーグと呼んでいる。
 
そのサイボーグはSF映画のように人を駆逐する存在になってしまうのか。ラヴロックはそうではないという。非有機的存在も有機体と同様、少なくともしばらくは現在と同じような環境の地球を活動基盤として必要とする。そのため、いま地球を冷涼な環境に保っている有機的世界全体を必要とするので、人間と機械は互いに共生関係を維持するだろうという。
 
ここが彼の思想の面白いところである。つまりガイア理論の延長として超人工知能を捉えて語っているのだ。海面温度が四〇度になってしまえば生物だろうが機械だろうが惑星全体が徐々に破滅的な環境へと遷移してしまう。だから、人類をやがて引き継ぐ超人工知能がどんなものであれ、気温を安定的な状態に維持する必要があるし、おそらくは人類を含むこれまでの有機体世界と共存の道を選ぶはずだというわけだ。
 
機械が地球全体の自己調整システムに加わることにより、惑星工学レベルでの環境保護・修正プログラムは、より積極的なものへと変化する可能性がある。従来の有機体システムによる自己調整よりも、うまくやるようになるかもしれない。
 
将来のマシンは、いまの人間が植物を見るような感覚で人間の生活を観察することになるだろうという。そして猛烈な速度で自らを改善して進化していく。人類は地球でもっとも知的な生命体という地位を失う。
 
人類と電子生命体は初期段階では共存しているが、進化の次のステージのためにシーンを用意すること、それが人類の最後の役割となる。ガイア全体はやがて無機システムに覆い尽くされる。最終的には宇宙を情報へと転換していく。それこそが知的生命が宇宙に生まれた意味だという。これが彼の描く未来だ。ラヴロックは地球化学者として人類と地球、マシンの未来を一気通貫に語っている。
 
つまり、エネルギーフローを重視して固体地球と生物を一体として見たガイア理論の拡張版が、本書だ。
 
ディープラーニングの成功で訪れた第三次人工知能ブームに伴い、超人工知能の登場で人類はやがて地球の主役ではなくなるだろうと語る本は多い。しかし、その超人工知能が地球を冷やすために人類と共存するという視点はユニークだ。
 
気になるところもある。人類がやがて自らの子孫として生み出すだろう人工知能も「ガイア」の一部となる。ここまではいい。しかし、人工知能はどんな目的を持って自らを拡張していくのだろうか。その視点は本書には欠けている。また、ラヴロックがいうところのサイボーグがどんなものなのか、彼がいう知性とはどんなものなのかという点についてはぼんやりしている。おそらく興味がなかったからなのだろうが、そちらについては別の本と合わせて読むといいだろう。(藤原朝子監訳・松島倫明訳)(もりやま・かずみち=サイエンスライター)
 
★ジェームズ・ラヴロック=イギリスの科学者・英国王立協会フェロー。「ガイア理論」の提唱者として高く評価される。著書に『ガイアの時代 地球生命圏の進化』など。一九一九年生。

 

註:Wikipediaより

人新世(じんしんせい[1]、ひとしんせい[1]、英: Anthropocene[1])とは、人類が地球の地質や生態系に与えた影響に注目して提案されている地質時代における現代を含む区分である[2]。人新世の特徴は、地球温暖化などの気候変動(気候危機)、大量絶滅による生物多様性の喪失、人工物質の増大[3]、化石燃料の燃焼や核実験による堆積物の変化などがあり、人類の活動が原因とされる[4]。

オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェンらが2000年に提唱し、2009年に国際地質科学連合で人新世作業部会が設置された[2](語源・語義は後述)。日本語での名称は人新世のほかに新人世(しんじんせい)[注釈 1]や人類新世[7]がある。人新世という用語は、科学的な文脈で非公式に使用されており、正式な地質年代とするかについて議論が続いている[8]。人新世の開始年代について様々な提案があり、12,000年前の農耕革命を始まりとするものから、1900年頃、1960年代以降という遅い時期を始まりとする意見まで幅がある[9][10]。人新世の最も若い年代、特に第二次世界大戦後は社会経済や地球環境の変動が劇的に増加しており、この時期はグレート・アクセラレーション(大加速)と呼ばれる[注釈 2][12]。

 

「超人工知能と人類が共存する時代へ」

https://dokushojin.com/review.html?id=7302

 

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