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大毘古命ーおおびこのみことー
『日本書紀』では、大彦命と表記。
父 第八代 孝元天皇
母 内色許売命ーうつしこめのみことー
御子 第一皇子 建沼河別命ーたけぬなかわわけのみことー
阿部臣ーあべのおみー ( 後の安倍氏 ) の祖。
東方十二ヶ国を守護する、四道将軍の一人。
第二皇子 比古伊那許志別命ーひこいなしわけのみことー
膳臣ーかしわでおみー ( 料理方を司る職 ) の祖。
皇女 御真津比売命ーみまつひめのみことー
崇神天皇の皇后
第三皇子 波多武日子命ーはたたけひこのみことー
第四皇子 比毛由比命ーひもゆいのみことー
皇后や、妃の記述はありません。
流行り病も終息し、流民達も戻り、大和の地が落ち着いてくると、
崇神天皇は、朝廷にまつろわぬ民が、全国に沢山いる事を憂いました。
そこで、選出した四人に将軍の地位を与え、印綬を授け、
朝廷に従うようにと、使いに出す事にしました。
無論、従わなかった場合には、武力行使もやむを得ないとしました。
そこで選ばれた一人が、崇神天皇の伯父であり、義父でもある大毘古命でした。
北陸へ派遣された大毘古命は、越国ーこしのくにー
( 現代の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部 )
に向かう途中、現代の奈良北部から京都南部の境付近で、
不思議な歌を歌う少女と出会いました。
その歌は、崇神天皇に命の危機が迫っている事を暗示する歌でした。
それが、どういう意味なのか問い質そうとすると、
一瞬で、少女の姿は消えてしまいました。
不思議な事があるものだ。と思いつつも、
自分一人では、現実に何が起こるのか判断出来なかった大毘古命は、
そのまま、宮へと取って返し、崇神天皇に報告する事にしました。
すると、夜麻登登母母曽比売の占いによって、
山城国にいる、建波邇夜須毘古命ーたけはにやすひこのみことー
( 大毘古命の異母兄弟 ) と、その妻の吾田媛ーあがたひめーが、
反乱を起こそうとしている事が発覚しました。
占いによると、建波邇夜須毘古命は、山城から、
吾田媛は、大坂から大和へ攻め込もうとしているとの事だったので、
戦いの準備をして、吉備津日子命が大坂へ、
大毘古命と、日子国夫玖命ーひこくにふくのみことー
( 和珥氏ーわにうじーの祖 ) が、山城国へ向かうと、
建波邇夜須毘古命が、木津川に軍を配置して
戦いを挑んできました。
無事に反乱を治め、再び北陸へ向かった大毘古命は、
東海へと向かった建沼河別命と出会いました。
その地が「相津」 ( 現代の福島県会津 ) と名付けられました。
( この頃、長寿であった夜麻登登母母曽比売が亡くなっています )
北陸でも、戦功を立てた大毘古命は、第十一代垂仁天皇の御代に、
大夫ーまえつぎみーの官位を授かりました。
ご神徳 国家鎮護
開拓発展
延命長寿
方除け など
夜麻登登母母曽比売
孝霊天皇の皇女で、大毘古命の叔母。
崇神天皇からすれば、伯父さんの叔母さん。
吉備津日子命は、大毘古命の叔父なので、
崇神天皇からは、伯父さんの叔父さん。
崇神天皇って、即位したのが51歳だから、
現代の感覚では、そんな関係の人と、
この年齢で顔を合わせているのって、
すごく不思議ですね。
そして、皆、精力的に活躍していることにも驚きです。
ちなみに、日子国夫玖命は、第五代孝昭天皇の第一皇子、
天押帯日子命ーあめおしたらしひこのみことーの子孫なので、
大毘古命とは、・・・ひいひいお祖父ちゃんが一緒。
・・・・・・もう、何が何だか (;´▽`A``
ここからは亜紀がお送りします。
混乱するわっっ。
と、言うくらい、
伯父の叔母だの、
伯父の叔父だの、
ひいひいおじいちゃんが一緒だの。
早くに子供を成したり、
妻が沢山いると、
家族間の関係性が、
年齢だけでは推し量れないんだよね。
きっと。
さて、大毘古命。
コンタクトを取ってみましょう。
結構な老将軍ってイメージでお出ましです。
お年を召してからの時代が自分にとって、
一番輝いていた時代なんだろうか。
しっかりした髭を蓄えて、
身体はがっしりというよりは細身。
パワー押しというよりは、
知力で戦況を切り抜けていくタイプかな。
剣豪とかのイメージと重なるな。
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