来たるべきシノノワールのために -10ページ目

来たるべきシノノワールのために

己の言葉を研ぎ澄ますことを目指して


言葉を殺せない
私のこの中で生きている言葉

勝手に死んでゆくもの 気付かないうちに

自分では殺せない
もしかしたら、殺したくないのかもしれないな

一体なんの為に。
聞けば知ってるけどね。
言葉という鱗を
一枚ずつ剥ぎ取ってゆくと
最後に顕になる姿はどんなものか

言葉で思考している時点で
辿り着くことの出来ない場所だろう。

そうしている間に
夏の季節は僕から離れつつある

イチゴかき氷を食べて
別れの花向けにしよう
魂の置き処を求めて彷徨い歩く。何者かで有り続ける。
私は私ではなく、貴方は私だ。
人は誰しもが求道者である。
闇の果てには何があるのか。
僕はそれを知っているのだろうか。
闇の果てには光があり、その光の先にも果てがあり、
またそこには闇が生まれる。

今日の終着。明日の始発。
そしてまた果てを目指す。
闇を目指して。
何故かと時々思うことがあり、考えていた素朴な疑問「夜は何故あるのか」
解せました。
人は闇を味わうことをしないと生きられない。
この世を全て包み込み闇。この世を全て飲み込む闇。
そして、全てを作り出す闇。
その闇の揺り篭の中でまどろむことができるから
僕は発狂せずに、生きていると示すことができうるのだ。
 以前、養老猛氏が人工物とは自分の意識だけだというような意味の文章を書いていたのを読んだ記憶がある。あの時は、なんだかしっくりこない感覚であったが、現在はすんなりと飲み込んでいる感覚である。彼の指摘してものとそのまま同じ感覚ではないのかもしれないが。自分が手を加えなくても勝手に出来上がってくるもの。知らないうちに勝手にそこにあるもの。目の前に広がってくるもの。そういうものを全て自然だと今は感じている。一般的に自然というのは、人間が手を加えていない状態のことをいうのだろう。人が手を加えて作り出したものは、人工物としてまったく違うものとして一線が引かれる。以前の認識だとそういう感覚であり、今現在でも理解できる。しかし、そう定義すると矛盾がおきる。自分の身体は人間が手を加えなくても勝手に出来上がるものである。種付けは人間の意志で行っているというかもしれないが、それで絶対に肉体が生まれくると言い切れない。できるかできないかは、神のみぞ知るという奴である。それが自然というものとどう違うか。違う方向になるが、現在社会はモノで溢れかえっている。人工物で窒息しそうである。しかし、そのモノを作ったのは自分でない。自分とは関係ないところで勝手に生まれて、気づいた時に目の前にある。これは自然と同じではないか。ただそこに、分かり易く役に立つかどうかと定義ができるから、役割の限界(機能)を定義できる。その役割が終わればゴミと処理できるもの。そういう違い。たしかに、大きな自然の役割を定義することは想像しにくい。そしてゴミとしてかたずけることは。
続く
自分にしかできないこと。自分の役割とはなんぞや。
個性的であるとか、人から賞賛されるとか。強気を挫き、弱きを助けるとか。
そういう言葉でしか表せることではない。自分にしかできないこと。自分の役割ということは。
自分にしかできないことの、本質は自分であること。
それは特に自覚を持ちえなくとも、常にあるのもであるからこそ、忘れてしまいがちである。
そしてそれが特になんの役にたっているのかなどということを、実感することはない。
自分の行った行為があってこそ、何かしらの実感を後追いで得る。それが現実という世界だろう。
そしてその行為が、他人の言葉を衣として纏わなければ、他人と共感できるものとしては扱われない。
そして役に立つレベルに到達するためには、その言葉をかなり限定される。
こういう思考で考えてみると、役に立つというのは随分めんどくさいものに感じる。
逆に害をなすのもというレベルの方が範囲は広いような気がするが、
しかし、どちらにしろ、他人の言葉を獲得する行為がとても難しいことだと思う。
言葉を変えれば、人の興味を惹きつけること。
気づかない。無関心。
善い行いをして、人々から注目されることと、悪行を働き、人々から注目されること。
目的が同じならば、手っ取りはやいのは後者であるね。

理不尽にも自分の役割は、この与えられた自分を生きること。
嗚呼、悲劇であり喜劇だ。
何を知っても忘れても、この役割は譲れない。


人生とは絵本。綴った日々をまとめて絵本として、読み直すものではなく。今、この時が絵本の一ページを読んでいるということ。自分がそれを読むという行為が、行動している、意識しているということなのだ。過去を悔やむという行為もまた、絵本の一ページを読む行為である。絵本の登場人物が自分であり、またそれを読むのも自分。単純に自分の記憶というものがその絵本ではない。絵本は既に書かれていて、先のページを読むことしかできない。読みたくなくても、読み続けなければいけない。ただ、そこには読みたくないという文章が書かれているだけのこと。
あなたに会いたくない
   にも会いたくない
どこにも行きたくない
  へも行きたくない
ない、ない
ない、ない、だけ、あるある

自分を信じるとか
そういうことでなんかなくて
意識の方向がそうあるだけのこと
そうは思わないかい 君 
どこまでの射程で物事を捉えて、考え、行動するのか。