来たるべきシノノワールのために

来たるべきシノノワールのために

己の言葉を研ぎ澄ますことを目指して

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あなたの隣にゆきたいのでした。

そうすれば、今の私の心が言葉として理解できそうだから。

それは、あなたを知るということではないのだけれど。

あなたに伝えたい言葉を深く知るということ。

でもね、

それはただの言葉。

言葉だから結局は虚しいのさ。

隣にゆけば言葉は要らないから、

目を見れば伝わるから。

単純明快 それだけのこと。
傍観者

自分の中に在るものは必ず外に出ようと疼くものである。
そこで問題なのが、奴らを中でどうやって育ててゆくのか。
もうひとつは、どの時期に奴らを外へと解放してやるのか。その2点が私と奴らとって重要な問題である。

ボクはその辺りをふわりと漂えれば、幸せだよ。
僕の恋心が戻ってきたよ。
あの人が優しく返してくれたんだ。
優しく、そっと。
僕は恋心を抱きしめる、抱きしめ寝るよ。
この身体が凍えてしまわぬよう。
次の春の朝日が訪れるまで、抱きしめて寝るよ。
恋心が再び空を羽ばたいてゆく、春の日まで。
穏やかな日々

過不足なく、満ち足りた気分さ

ずーっと続くはずはないと分っているさ

でもね

それが一瞬でも

わたしとあなたの前に現れたのならば

嬉しいよ

ただ、ただ嬉しいのさ
言葉とは。

それを発した人そのものである。

その言葉には偽りなど入り込む余地などない。

人間は言葉を発する者。

人間の表層は言葉で覆われている。

人間とは言葉を重ね合わせ、そこに世界をつくる住人の事を指す。

人間が居る限り世界は無限の広がりを続ける。
気がつけば、また

宇宙の部屋の隅っこの辺りで独りぼっち。

独りぼっちで石ころコロコロ転がしていた。

呟いてた。

そんな時は恋しい時、人恋しい時。

淋しいんだ。

君を呼ぶ、君を呼ぶよ。

優しい君を呼ぶ。

温かくて、柔らかい君を呼ぶよ。

今、逢えるの

逢えるのだろうか、出逢えるのだろうか。

今、この宇宙の部屋の隅っこの辺り。。
人も恋も想いも、もう眠る時間。

闇に還る時間だ。

そしてまた逢えるといいね。

明日という時が来て、また逢えるならば。

あの子猫も眠る時間だ。


この瞬間に目の前で起こる無数の事柄。

その全てから学んいるんだよ。

いいえ、学ぶというよりも感じているということ。

何を感じているの。

言葉を借りるとすれば、愛。

それが、私が求めていた愛なんだと、今、気がついた。

この世界というの闇の中を照らす光が愛なのだ。

わたしの感覚を呼び起こす光が愛なのだよ。

記憶を綴ってきたということは、愛を綴ってきたということ。

己に降り掛かる、全ての事柄とは、己に降り掛かる愛なのだよ。

目に見える全てのものたち。

耳に聞こえる全てのものたち。

鼻に香る全てのものたち。

口に味わう全てのものたち。

皮膚に触る全てのものたち。

心に浮かび上がる全てのものたち。

それが愛なのだよ。

そう、愛ゆえに人は苦しみ、悲しみ、傷つかねばならない。

そう、愛ゆえに人は喜び、愉しみ、人を想うのだ。

その全ては一点からやって来るのだ。

愛という光になり。

私たちはその一点からやって来て、そしてその一点に還ってゆく。

理由などない。

ただ、愛ゆえに。

地震に伴う災害の被災地へ今の私に何ができるのか。。

思うのは、為すべき事をするその時まで、何が出来るのかという問いを持ち続けていくことじゃないか。

それがこの先に何時の事で、どういう形なのかは。。

自己欺瞞とかなんだかんだという感情もきちんと整理をして。

今は唯一、鎮魂を願うこと。

それだけ。ただそれだけです。


今後災害に関して最低限見ず、聞かず、言わずに。
問いを持ち続けて行きたいと。

そう思い一人、誰も読まないブログに記録します。
以上