プーチン大統領の経歴、逸話、人物像②【時事所感131】
前回からの続きになります。
ロシア・プーチン大統領の経歴、逸話、人物像の話です。
※(前回からの私的補足)
ロシア第2の大都市・サンクトペテルブルクの停滞した経済の活性化、立て直しにサプチェク市長は着手、プーチン(当時副市長)は手腕を発揮します。
ロシア国内のロシアと外国企業の合弁会社の約半分近くがサンクトペテルブルクに集まる程でした。
経済の活性化と立て直しに成果を上げます。
サプチェク市長は全てプーチンによるものと賞賛しています。
しかしながら1996年の市長選挙でサプチェク氏は落選、
プーチンは失職します。
この時、大統領選挙に再選したばかりのエリツィン政権は1ヶ月後の1996年8月にプーチンへ白羽の矢を立てます。
エリツィン大統領の金庫番と呼ばれるボロジン大統領府総務局長がプーチンをモスクワ大統領府総務局へ呼んだのです。
ボロジン大統領総務局長)
「プーチンは仕事が出来るだけではない。物分かり良い理解力がある人物」
「彼プーチンの総務局勤務以前、総務局の管理する海外資産は僅か5カ国だけでした。彼はこれをたった9ヶ月で55カ国に増やしたのです。」
※大統領府総務局・・・当時のロシア国内外の資産管理のほか、大統領府内の人事を担当する大統領直轄部局。
サンクトペテルブルク副市長時代の行政手腕と実績、
これだけではなく併せ備えたK.G.B.時代に培った情報収集能力、分析能力が高く評価されていました。
異例の早さで昇進して、2年後にはF.S.B.「ロシア連邦保安局」(旧K.G.B.)長官に抜擢されます。
伊藤貫氏)
「サンクトペテルブルクにプーチンあり」という程に事務処理能力、行政手腕を発揮して、
周囲からの評価も極めて高いプーチンの名前が広がります。
プーチン曰く、K.G.B.時代の職務にやり甲斐を感じていたけれども、
行政の仕事に就いてみて、更に仕事にやり甲斐を感じていて、自分には向いていると思ったそうです。
その業績と行政手腕は高く評価された有能なプーチンの名前がモスクワにまで届くようになり、
モスクワ・エリツィン政権から声が掛かります。
(伊藤貫氏)
「当時のエリツィン政権は有能な人材が不足していて、各地から有能な人材を集めようとしていたら、
サンクトペテルブルクに有能なプーチンの名前が挙がって、モスクワに呼んだら有能で極めて優秀で、事務処理能力、行政能力が凄かったんです。
それから2年後にはF.S.B.長官に抜擢昇進して、
それから約半年後には大統領代行、
モスクワに呼ばれてからトータル約3年程でロシア大統領に選ばれたという、まるでお伽噺みたいな信じがたい話なんです。」
「彼プーチンの先輩や同僚等周囲からの話からすると、
元々は学者肌な人間で、仕事については極めて真面目で朝早くオフィスに来て黙々と仕事をしていて、休憩とか食事も然程とらないで、物静かに黙々と仕事しているそうなんです。
仕事で議論したり課題や問題に関して話をしていても、
プーチンは冷静沈着で決して感情的な言動をとらないんだそうです。」
※(私的補足)
サンクトペテルブルクからモスクワ・クレムリン、エリツィン政権のボロジン総務局長に呼ばれ、モスクワへ移動する際の若いプーチンにインタビューしていて、
エリツィン政権に入って誰の派閥に入るのか?と質問されたプーチンは、
「私にいるのは父親と母親だけです。」
「モスクワのこと(クレムリン)についてはよく知らない。けれども、派閥で分けて考えるのは間違っている。」
「私がモスクワに行くのは、大統領府のボロジン総務局長に呼ばれたから行く、それだけです。」
とテレビカメラとインタビュアーに述べています。
エリツィン大統領の回想録のなかでプーチンの抜擢と人物像について誌していて、
エリツィン大統領)
「プーチンの前任だったコアリョフ(F.S.B.長官)は資本家に反感を抱いていた。その点、プーチンは経済について知識理解があり優秀であった。」
「しかも国家への忠誠心の強い人間だった」
「プーチンは決して私(エリツィン大統領)に擦り寄ってこようとはしなかった。
だからこそ私はプーチンという人間と話をしてみたいと思った。」
伊藤貫氏)
「以前から話している優秀な指導者や政治家に必要な要素についてお話しします。
必要な要素は3点あります。3つの段階、レベルに分かれていて、これらを其れ其れに分けて考える必要があること、この必要性を認識しているだけでもかなり優秀なんです。
この3段階を其れ其れにおいて広範囲にしかも深く知識を習得したうえで事物事象を熟考出来る人は更に極めて優秀なんです。
このことを認識しているだけでもかなり優秀なんです。
日本の政治家、与党自民党も野党各党見渡しても、
まあ日本の政治家にそんな人はいません。
欧米諸国の政治家でも殆どいないくらい珍しい。
これをプーチンはやっているんです。
この3段階を認識しているだけでなく、其れ其れを分けて熟考出来るかなり珍しい極めて優秀な人間なんです。
それら3段階とは、
①ポリシーレベル(policy)
②パラダイムレベル(paradigm)
③フィロソフィーレベル(philosophy)
次回、この優秀な指導者や政治家に必要な3段階レベルの思考についてお話しします。
(続)
プーチン大統領の経歴、逸話、人物像①【時事所感130】
米国ワシントンD.C.在住の国際政治が専門のアナリスト伊藤貫氏のお話、
前回に続いてロシア・プーチン大統領の経歴や逸話、人物像についての話です。
これに私個人の知りうるなかから話を少し補足して御紹介します。
伊藤貫氏)
「プーチンという人の経歴や人物評、逸話をよくみてみると、
イデオロギーを振りかざしたり、イデオロギーに振り回される人物とはいえない」
ロシア・プーチン大統領と沢山会談した経験がある人物、米国の現在C.I.A.長官で元駐ロシア大使だったウィリアム・バーンズ氏はプーチン大統領について、
バーンズ氏)
「プーチンと話をすると、世間で言われているイメージ、人物像とは異なる。
彼はとても慎重な人間であり、冷静沈着である。
彼と議論し話をすると、たいへん知識が豊富で理性的であることが判る。非常に用心深くて慎重、冷静な人間である。」
伊藤氏)
「用心深く慎重であり、知性ある理性的な人間、
常に慎重で思慮深い、つまり国家元首としてリスクについて深く思考する彼プーチン大統領がファイトバックせざるを得ない状況までに追い詰めたのが米国とNATO西側諸国」
「この米国とNATO西側諸国のマスメディアの報道姿勢が奇妙なんです。
ロシア国内でプーチン大統領の支持率が高くて8割以上。ロシア国内にも今回の軍事行動に十数パーセントのロシアの人々は反対している。
そのロシア国内の反対、反戦派の行動や声については、欧米西側諸国や日本のマスメディアは十数パーセントの少数反対派については大々的に報道していて、
ロシア国内の八割以上の支持派については少し、殆どという程報じない、あまり詳しく伝えていない。
本当とか嘘とか議論するレベルとは全くかけ離れた、日本や欧米西側諸国マスメディアのそういう報道姿勢があるわけです。」
「こうした報道内容からすれば、欧米西側諸国や日本の人々は、今回のロシア・ウクライナ紛争は理解し難い訳です。」
「メディアで伝えているプーチンという人物、
柔道、乗馬、バイクを乗り回すワイルドでマッチョなイメージを作って演じてみせるプーチン大統領。
怖い感じ、怒らせたら怖いぞ!みたいな印象に。」
「ところが、彼プーチンの履歴を詳しく調べてみると、
凄い努力家、大変忍耐強い人物ということが判ります。」
「彼プーチンは貧しい家庭の農家に生まれ育っていて、
お父さんは中学校、お母さんは小学校までの学歴しかない。
プーチンは地元公立高校をほぼトップ成績で卒業。
地元の当時のレーニングラード大学、現在のサンクトペテルブルク大学、ロシアNo.2の難関名門大学を選びます。公立高校のトップ成績者の家庭には、全国各地の大学から授業料免除の優遇でお誘いが沢山くるそうです。
けれどもプーチン青年は地元のレーニングラード(サンクトペテルブルク)大学がいいと希望したそうです。この入試倍率が約40倍という難関名門大学に合格します。
」
「大学入学後、柔道を始めたんです。柔道の時間以外は朝から晩まで勉学に没頭していたそうです。
当時のプーチン青年は絵に描いたような勤勉優等生で、柔道と勉学ばかり、たいへん物静かで無口な学生だったんです。」
「大学でも成績優秀でK.G.B.からお声がかかり就職します。」
※(私的補足)
「私が知るのは、彼プーチンは小説や映画に影響を受けて、祖国ロシアのために貢献できる仕事としてK.G.B.を志望し始めています。
どうすればK.G.B.に入ることが出来るかを信頼出来る先輩に相談したら、
「自らK.G.B.志望を口にしたら入る可能性がほぼ無くなってしまう。自らK.G.B.に赴く、接触するのは以ての外。K.G.B.向こうから声がかかる程に優秀な成績を収める努力をしなさい」
と助言されて、K.G.B.志望は固く口外せずに、勉学と柔道に没頭して、優秀な成績を収めて、念願のK.G.B.からスカウトされるんです。」
伊藤貫氏
「K.G.B.にリクルートして東ドイツ勤務になって、
ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結からK.G.B.解体になって、
彼は地元レーニングラード、現在のサンクトペテルブルク大学に戻って法学部教授になることを希望し始めたんです。
法学部に入って博士論文を一本書き上げたら法学部教授に招き入れるとサンクトペテルブルク大学側も快諾します。
大学法学部に入り博士論文の作成途中、大学の先輩で著名な教授サプチェク氏がサンクトペテルブルクの市長選挙に立候補したら当選、市長に就任したんです。
市長に就任したソプチャク氏は市長初仕事だったので、有能で信頼できる人材が必要で、一緒に働いて欲しいと若いプーチンに声をかけます。論文作成途中のものを一旦中断、法学部教授の道はお預けにして、市長サプチェク氏の下で仕事をすることにしたんです。」
「プーチンはK.G.B.の諜報員活動だけでなく、事務処理能力、行政手腕も極めて優秀なんです。
この行政勤務の頃のプーチンの周囲からの評価が非常に高くて、『サンクトペテルブルクにプーチンあり』という程で、難解な行政問題や困難な仕事もプーチンに任せると見事に熟していくんです。」
「プーチンの経歴をよくみてみると、
志望していたK.G.B.入りが叶ったものの、
たまたまタンミングが運悪く約3年程で東西冷戦終結とソビエト連邦崩壊、K.G.B.解体になってしまう。
次の仕事に何を選択するかで大学法学部の学者の道を選んだら、その大学法学部教授・恩師がたまたま市長選挙で当選して、たまたまお呼びが掛かって、行政仕事を熟していくうちに市長補佐から副市長となっていくんです。」
(続)





