プーチン大統領の経歴、逸話、人物像①【時事所感130】
米国ワシントンD.C.在住の国際政治が専門のアナリスト伊藤貫氏のお話、
前回に続いてロシア・プーチン大統領の経歴や逸話、人物像についての話です。
これに私個人の知りうるなかから話を少し補足して御紹介します。
伊藤貫氏)
「プーチンという人の経歴や人物評、逸話をよくみてみると、
イデオロギーを振りかざしたり、イデオロギーに振り回される人物とはいえない」
ロシア・プーチン大統領と沢山会談した経験がある人物、米国の現在C.I.A.長官で元駐ロシア大使だったウィリアム・バーンズ氏はプーチン大統領について、
バーンズ氏)
「プーチンと話をすると、世間で言われているイメージ、人物像とは異なる。
彼はとても慎重な人間であり、冷静沈着である。
彼と議論し話をすると、たいへん知識が豊富で理性的であることが判る。非常に用心深くて慎重、冷静な人間である。」
伊藤氏)
「用心深く慎重であり、知性ある理性的な人間、
常に慎重で思慮深い、つまり国家元首としてリスクについて深く思考する彼プーチン大統領がファイトバックせざるを得ない状況までに追い詰めたのが米国とNATO西側諸国」
「この米国とNATO西側諸国のマスメディアの報道姿勢が奇妙なんです。
ロシア国内でプーチン大統領の支持率が高くて8割以上。ロシア国内にも今回の軍事行動に十数パーセントのロシアの人々は反対している。
そのロシア国内の反対、反戦派の行動や声については、欧米西側諸国や日本のマスメディアは十数パーセントの少数反対派については大々的に報道していて、
ロシア国内の八割以上の支持派については少し、殆どという程報じない、あまり詳しく伝えていない。
本当とか嘘とか議論するレベルとは全くかけ離れた、日本や欧米西側諸国マスメディアのそういう報道姿勢があるわけです。」
「こうした報道内容からすれば、欧米西側諸国や日本の人々は、今回のロシア・ウクライナ紛争は理解し難い訳です。」
「メディアで伝えているプーチンという人物、
柔道、乗馬、バイクを乗り回すワイルドでマッチョなイメージを作って演じてみせるプーチン大統領。
怖い感じ、怒らせたら怖いぞ!みたいな印象に。」
「ところが、彼プーチンの履歴を詳しく調べてみると、
凄い努力家、大変忍耐強い人物ということが判ります。」
「彼プーチンは貧しい家庭の農家に生まれ育っていて、
お父さんは中学校、お母さんは小学校までの学歴しかない。
プーチンは地元公立高校をほぼトップ成績で卒業。
地元の当時のレーニングラード大学、現在のサンクトペテルブルク大学、ロシアNo.2の難関名門大学を選びます。公立高校のトップ成績者の家庭には、全国各地の大学から授業料免除の優遇でお誘いが沢山くるそうです。
けれどもプーチン青年は地元のレーニングラード(サンクトペテルブルク)大学がいいと希望したそうです。この入試倍率が約40倍という難関名門大学に合格します。
」
「大学入学後、柔道を始めたんです。柔道の時間以外は朝から晩まで勉学に没頭していたそうです。
当時のプーチン青年は絵に描いたような勤勉優等生で、柔道と勉学ばかり、たいへん物静かで無口な学生だったんです。」
「大学でも成績優秀でK.G.B.からお声がかかり就職します。」
※(私的補足)
「私が知るのは、彼プーチンは小説や映画に影響を受けて、祖国ロシアのために貢献できる仕事としてK.G.B.を志望し始めています。
どうすればK.G.B.に入ることが出来るかを信頼出来る先輩に相談したら、
「自らK.G.B.志望を口にしたら入る可能性がほぼ無くなってしまう。自らK.G.B.に赴く、接触するのは以ての外。K.G.B.向こうから声がかかる程に優秀な成績を収める努力をしなさい」
と助言されて、K.G.B.志望は固く口外せずに、勉学と柔道に没頭して、優秀な成績を収めて、念願のK.G.B.からスカウトされるんです。」
伊藤貫氏
「K.G.B.にリクルートして東ドイツ勤務になって、
ベルリンの壁崩壊、東西冷戦終結からK.G.B.解体になって、
彼は地元レーニングラード、現在のサンクトペテルブルク大学に戻って法学部教授になることを希望し始めたんです。
法学部に入って博士論文を一本書き上げたら法学部教授に招き入れるとサンクトペテルブルク大学側も快諾します。
大学法学部に入り博士論文の作成途中、大学の先輩で著名な教授サプチェク氏がサンクトペテルブルクの市長選挙に立候補したら当選、市長に就任したんです。
市長に就任したソプチャク氏は市長初仕事だったので、有能で信頼できる人材が必要で、一緒に働いて欲しいと若いプーチンに声をかけます。論文作成途中のものを一旦中断、法学部教授の道はお預けにして、市長サプチェク氏の下で仕事をすることにしたんです。」
「プーチンはK.G.B.の諜報員活動だけでなく、事務処理能力、行政手腕も極めて優秀なんです。
この行政勤務の頃のプーチンの周囲からの評価が非常に高くて、『サンクトペテルブルクにプーチンあり』という程で、難解な行政問題や困難な仕事もプーチンに任せると見事に熟していくんです。」
「プーチンの経歴をよくみてみると、
志望していたK.G.B.入りが叶ったものの、
たまたまタンミングが運悪く約3年程で東西冷戦終結とソビエト連邦崩壊、K.G.B.解体になってしまう。
次の仕事に何を選択するかで大学法学部の学者の道を選んだら、その大学法学部教授・恩師がたまたま市長選挙で当選して、たまたまお呼びが掛かって、行政仕事を熟していくうちに市長補佐から副市長となっていくんです。」
(続)