どうもどうも、けいです。
「高校では何をしていましたか?」という問いに対して、
「地域の魅力を発信する活動をしていました」と答える私。
…ウソじゃないんですが、事実ではあるんですが。
なんかウソを言ってる気分。
そんなことから始まったブログシリーズ第8弾。
本日は二本木駅です。
ではでは、どうぞよろしくお願いします。
8-1.二本木駅 概要
二本木駅は、新潟県上越市中郷区にあるえちごトキめき鉄道の駅です。
妙高はねうまラインのみが乗り入れる単独駅となっています。
駅構造は1面2線で、1番線が上り妙高高原方面、
2番線が下り新井、上越妙高、高田方面です。
また、平日の朝に限って当駅で直江津方面へ折り返していく普通列車が1本あります
(土休日は別の列車にスジを上書きされるので運休です…413系快速なんですが)。
二本木駅はなんと言ってもスイッチバックで有名で、
ほぼすべての列車がスイッチバックを行います
(定期では全列車が対象、
「雪月花」含む臨時列車などが当駅を通過する際に限りスイッチバックなし)。
また、駅構内には側線の跡が何本かありますが、
これは二本木駅がかつて貨物輸送で栄えた名残となっています。
駅の西にある日本曹達の工場へ専用線もありました。
駅ホームはゆるくカーブしており、車両とホームの間に隙間ができやすいため、
駅到着時には自動放送で注意が促されます。
今のところこのような放送がかかる駅は妙高はねうまライン内で他にはなく、
二本木駅独特のものとなっています。
そして413系のステップがこういう駅に対しいかに安全だったか痛感するのである…
8-2.二本木駅 駅設備
二本木駅は地上駅ですが、島式ホームなので駅舎に面しているホームはありません。
ホームの直江津方から地下道が続いており、これで駅舎と連絡しています。
駅はNPO法人「中郷区まちづくり振興会」の業務委託駅ですが、
その業務は構内清掃などに限られており、出札は2019年をもって終了しました。
このことから二本木駅は営業形態上は無人駅と等しく、
ワンマン列車は後ろ乗り前降り方式による乗降が発生します。
スイッチバックのせいでどっちが前でどっちが後ろか分かるまい
運転士が乗っている車両が後ろ乗り前降りの対象です
券売機は簡易のものが置かれています。
トイレですが、駅改札内と改札外に1ヶ所ずつあります。
改札内のものは駅舎とホームの連絡通路の途中に、
改札外のものは駅を出て左手に、それぞれ設置しています。
駅ホーム上にも待合室があり、この中には二本木駅のジオラマが設置されています。
フィーダーの線が出ているところを見ると、
コントローラーさえ接続すれば動かせるということだろうか…
さらに、ホームの妙高高原方先端部分は撮影デッキとなっており、
冬季を除いて柵の内側で撮影ができます。
冬季ですか?1mの雪の下にデッキが埋まります
知らない人からは普通に立ち入り禁止エリアに降りているように見えるために、
トラブルの種になってしまうこともありますが…立ち入りは可能です。
二本木駅はその配線上、上りと下りの同時入線が可能なので、
時間と運があれば列車が並んでホームに向かってくるという、
壮絶な光景をシャッターに収めることが可能です。
もちろん乗客目線から見ても同じことが言えますので、
複々線でもないのに列車が並走するという珍しい体験も可能です。
駅構内にはコンビニなどはありませんが、
駅舎内には飲食店と物販店を兼ねた「さとまる~む」が併設されており、
営業時間内はそこで食事をとることも可能です。
営業時間は10:00~16:00で、定休日はありません。
開設当初は開いている日の方が少なかったのですが、
のちに定休日なしへ変更されました。
さて、肝心のスイッチバックの紹介を忘れてはなりません。
二本木駅は全国でも有数のスイッチバック駅で、
停車列車は必ずスイッチバックを行います
(そして通過列車が定期ではいないので、
定期ダイヤ上ではスイッチバックを行わない列車がありません…
臨時ではこの限りでないのは前述したとおりです)。
これが二本木駅の簡単な配線図です。
本当はもっと複雑ですが、
使っていない線路ばかりなので余分な場所は省略しました。
右上の四角いのが二本木駅ホームです。
さて、スイッチバックの手順ですが、
ここでは上り妙高高原方面行きを例に取り上げてみます。
図の赤線が列車の進行線です。
まず、新井方面から列車が構内に進入し、
本線とは別の引込線に入って停車します(現実では雪除けの屋根がついています)。
引込線に入ると列車の進行方向が反転し、
そのまま真っ直ぐ二本木駅1番線に進入します。
列車の進行方向が反転するのは一時的なものなので、
箱根登山鉄道のような乗務員の運転台移動は行われず、
運転台にあるレバーサー(前後進切替スイッチ)による方向反転のみとなります。
このため、列車の進行方向先頭の車両を
所定の停目に合わせるという芸当が難しいため、
推進用の停目が設置されています。
二本木駅に停車した列車は客扱いを行い、進行方向をもとに戻して駅を発車。
渡り線を通過して本線へ戻り、妙高高原方面へ上っていきます。
これが二本木駅のスイッチバック手順です。
下り列車はこの逆になり、入線ホームも2番線に変わります。
また、定期列車ではありませんが、「雪月花」やその他臨時列車、
かつて設定されていた快速「妙高」2号やそれ以前の通過列車などはすべて
二本木駅ホームへスイッチバックすることなく通過が可能です。
時代の流れとともにスイッチバックは消えていきましたが、
二本木駅は日本曹達専用線の存在から配線変更に手間がかかり、
結局スイッチバック駅のまま残ったとされています。
えちごトキめき鉄道や中郷区はこのスイッチバックを観光資源としており、
「雪月花」や看板、のぼりなどでのPRはもちろん、
普通列車の車内でも二本木駅接近時には自動放送にて案内を行うなど、
精力的な広報活動が行われています。
が、4、6両の車掌乗務列車では案内が基本行われないうえ、
自動放送がかかるワンマン列車でも運転士の気分次第で放送を強制中断させられます
余談ですが、2022年現在でもホーム上には
「189系」の文字がある停止位置が残存しています。
お暇なときに探してみるのはいかがでしょうか。
8-3.二本木駅 周辺と駅の歴史
二本木駅の周辺は「中郷(なかごう)」といい、
特に駅周囲は新井と同様北国街道の宿場町として栄えました。
二本木駅前を通る県道344号線が旧北国街道で、
この県道344号線をまっすぐ北上すると前回紹介した経塚山の付近を通り、
そのまま新井の市街地に出ます。
明治維新後、1886年に中郷村を鉄道が縦貫することとなりますが、
この当時は駅がありませんでした(1000分の25の途上ですから当然ですが)。
つまり、決して勾配に強くない黎明期の蒸気機関車が
新井~関山間無停車で登坂していたということになります。ひえ~
駅ができたのはそれから25年後の1911年で、地元中郷の請願駅だそうです。
「二本木」というのは、江戸時代の宿場町「二本木宿」が由来です。
当初は小さな駅だったのでしょうが、
1920年に駅の西に日本曹達の工場ができると駅の価値が一転、急上昇します。
日本曹達、通称「日曹」は現在でこそ東京都に本社を置く企業ですが、
創業の地はここ中郷でした。
重化学工業で会社は一気に成長し、1940年には「日曹コンツェルン」と呼ばれる
一大財閥へと成長していたのでした。
太平洋戦争後、日本を統治したGHQは15の財閥を指定して解体しましたが、
このうちの一つが日曹だったのです。
このことからも、当時の日本における日曹の影響力が分かります。
ちなみに、私はこういう数字を見ると残りがどこだか知りたくなる性分です。
15大財閥というからには15あるのですが、すべて挙げると以下の通りです。
住友、三井、三菱、鮎川、浅野、古河、安田、大倉、中島、野村(以上10大財閥)、
渋沢、神戸川崎、理研、日窒、日曹(以上15大財閥)
今でも聞く名前がありますね。昔から大企業だったようです。参考程度に。
ところで、なぜ日本曹達はここ中郷に工場を置いたのでしょう?
なんでも、関川水系の発電所が多く電力が豊富だったこと、
賃金が安かったこと、そして製品の製造過程で急勾配の地形が都合がよかったこと、
以上の理由からここ中郷が工場の立地として最適だとされたのだそうです。
日曹とともに二本木駅も発展し、当駅から製品の発送を多数行っていました。
利用旅客は1961年に2,675人を数え(学生でごった返す高田駅で2,000人前後)、
貨物量も1971年には38万2,833トンに達します。
そのほとんどが日曹関連の貨物でした。
が、時代の流れとともに鉄道貨物は次第に見限られるようになります。
日曹とて例外ではありませんでした。
ついに2007年、当駅を発着する貨物列車の設定がなくなり、
駅から日曹の工場へ伸びていた専用線も廃線に。
レールは撤去され、残った場所も荒れ放題となっています。
信号機は今でも稼働するものがありますが、
そんな信号機を見ているとなんとも言えない気持ちになります。
二本木駅の利用者自体も2021年には100人を切っており、
なかなか厳しい状況が続いています。
しかしながら、近年になって駅設備が再評価されるようになりました。
二本木駅の駅舎は開業当初からのものが修繕を受けつつそのまま使用されており、
2018年には開業時の姿へ復元が行われました(費用は上越市負担)。
駅舎とホームを連絡する地下道は1941年から42年にかけて造られたもので、
コンクリート造であり、戦前に地方で造られたものとしては珍しいようです。
戦「前」…?
妙高高原方にある引込線には雪除けのシェッドがありますが、
これも明治時代のレールを骨組みにして構築されており、
やはり鉄道遺産としての価値は高いようです。
2019年には国の登録有形文化財に当駅の設備7点が登録され、
国からも評価を得たことが分かります。
やはりと言うべきか、
一度にこれほどの点数が登録される例も極めて珍しいとのこと。
※7点…二本木駅駅舎、ホーム上屋、ホーム待合室、連絡地下道及び上屋、
倉庫、ランプ小屋、線路雪囲い
ちなみにランプ小屋はレンガ造りで、全国的に見ても貴重な建物ですが、
えちごトキめき鉄道線内には2ヶ所も現存しています。
二本木駅と市振駅です。
※ランプ小屋…照明用の燃料を保管していた小屋。昔は電気照明じゃなかったので…
さて、歴史の章ではもう一つ。
二本木駅に隣接する新井駅と関山駅は妙高市ですが、
二本木駅は妙高市の所在ではなく、上越市になります。
直江津方面から見れば、二本木駅前後でまた上越市に戻っていることになります。
これは平成の大合併時に、
中郷村が妙高市ではなく上越市へ編入されることを選んだためで、
このせいで上越市と妙高市の境は複雑に入り組んでいます。
平成12年度国勢調査では、中郷村から新井市(現:妙高市北部)、上越市への通勤率は
それぞれ22.7%、11.0%となっており、
中郷村は元来新井市と繋がりが強かったことが分かります。
ここからがややこしい話なのですが、まず市町村合併前は、
北から上越市、新井市、中郷村、妙高村、妙高高原町がありました
(駅にすると直江津~脇野田、北新井~新井、二本木、関山、妙高高原で分かれる)。
本来であれば新井市、中郷村、妙高村、妙高高原町で1つになった方が
社会構造でも地図上でもきれいに収まるはずだったのですが…
当時の中郷村の村長が上越市に編入されることを望み、
住民投票をしても7割が新井市ではなく上越市へ合流することを望んだのです。
邪推ですが、新井市より栄えている上越市の方に合併しておけば
いろいろ得だと思ったのでしょう。
一方で南の妙高村と妙高高原町は新井市へ合併することを選びます。
当時の上越市長が、新井、妙高、妙高高原の3市町村もろとも
上越市に編入するという提案もしたのですが、当然これは却下
(無茶苦茶だとは思いますが、この合併で上越市は周辺13町村を併合したので、
勢いから考えればわりとあり得る話ではあります)。
新井市は頸南、現在の妙高一帯の自然といのちを守るという理念を打ち出し、
妙高村、妙高高原町はこれに賛同しました。
新井市は同時に市名を「妙高市」へと変更する計画だったこともあり、
「妙高」の名が残るという利点も妙高2町村にはあったのでしょう。
結局、中郷村は最後まで上越市へ併合される道を望み、
妙高村、妙高高原町は新井市への統合を希望。
2005年4月1日、この案のまま合併が行われ、
現在の市域が確定することとなりました。
しかしながら、旧中郷村民は現在では
新井市への合併を選択しておけばよかったと後悔しているとの噂も。
事実、上越市は13町村を併合して急激に市域が拡大したため、
いろいろと手が回っていない面があるので…
妙高市は子育て支援策とかあって親子に嬉しい市らしいし、こりゃもう分からん
余談ですが、頸南市町村合併に関わる枠組みには当初5市町村が参加していました。
のちに妙高市となる新井市、妙高村、妙高高原町のほか、
話に出た中郷村と、新井市の北東方向に隣接する板倉町のメンツでした。
板倉町も新井市への通勤率が20.7%ありましたが、
上越市への通勤率はわずかに上回って24.2%(平成12年国勢調査)。
そして同じように、新井市より栄えている上越市へ合併したいという
町民の思惑があったのでしょう。
真っ先に枠組みから外れ、上越市側へ合流しました。
中郷村が離脱したのはこの後の話になります。
ということがありましたので、二本木駅だけ上越市です。
8-4.二本木駅周辺の施設・名所
・さとまる~む
周辺か…?
駅設備の章でも書きましたが、二本木駅の駅舎内にあるスペースです。
もとは待合室でしたが、2015年の経営分離時に一度閉鎖。
しかし、市の事業の一環として中郷観光協会を中心に2015年8月に改修が行われ、
11月に再び供用を開始しました。
2019年からは業務委託化に伴い「さとまる~む」となります。
現在は10:00~16:00までの営業時間で、年中無休で営業しています。
列車待ちの際にはいかがでしょうか。
・日本曹達二本木工場
1920年に設立され、操業を開始した工場で、
戦前は「日曹コンツェルン」の中核企業でもありました。
二本木駅を支えてきた工場ですが、近年は列車での製品輸送はありません。
以前JR貨物の方に聞いた話によると、
日本曹達が列車輸送を再開する可能性が否定できないことから、
二本木駅はいまだに手放していないのだそうです(駅コード3002)。
トラック輸送も限界が見え始める中、
日本曹達が貨物列車の輸送を再開する日は来るのでしょうか。興味深いです。
また、えちごトキめき鉄道には日本曹達のフルラッピングトレインも走っており、
それがET127系V5編成です。
2020年に会社設立100周年を迎えることを記念したものですが、
2023年現在も元気に走っています。
日曹の社章にはウサギが描かれていますが、
これは二本木工場での会議中に突然白い野ウサギが乱入し、
これがもとになって社章がウサギ(雪ウサギ)になったとされています。
なお、「にほんそうたつ」と書いて読みは「にほんそーだ」です。
筆者も動画投稿活動を初めてしばらくは誤った読みのまま進めていました…
日曹関係者の皆様、大変申し訳ございません
略称の読みは「にっそう」で合っています。
二本木駅からは徒歩7分ですが、基本立ち入り禁止なので用はないでしょう…
かつては二本木駅の下を通る地下道で工場敷地と駅舎を連絡していたようです
(連絡地下道自体は今も残っていますが、当然立ち入り禁止です)。
・精肉焼肉 とよおか
二本木駅南西にある飲食店で、
筆者はもちろん、えちごトキめき鉄道社長もお気に入りらしい焼肉屋です。
こぢんまりとしたお店ですが、品ぞろえや味もよく、
大人数で行っても問題ないお店でしょう。
ステマじゃないですよ?
そういえばコンロにかける網の隙間から
野菜をシュゥーッ!超!エキサイティン!した知り合いがいましてですね…
二本木駅から徒歩10分です。
・「片貝」
二本木駅南にある地域ですが、
鉄道ファンの中では撮影地を指す用語として使われます。
決して某小千谷市の花火を打ち上げている場所ではございません
視界を遮るものがほとんどなく、小高い丘の上から妙高連山を背景に
綺麗な写真が撮影できるとして、人気のスポットです。
特に413系快速は時間帯が時間帯なので順光となり、都合がいいとして、
これを目当てに片貝へカメラとともにやってくる人もいます。
天候がいいと片貝の丘には何十人もの「鉄」が並ぶ様子が見られます。
二本木駅から徒歩65分と遠く、関山駅の方が近い(徒歩38分)のですが、
所在地は二本木駅と同じ中郷区なのでこちらに入れました。
が、大抵は皆さん車でいらっしゃるようです
一時期はここを少し整備して撮影デッキを置く計画もあったようですが、
不都合があったのか取りやめになり、計画は谷浜駅付近へ移っています。
というわけで二本木駅の紹介でした。
次回は関山駅です。