Henry Sweetは言語は伝わる文法手段5つのうち2つにアクセントとイントネーションをあげています。近年の研究では英語母語話者は句の構造や品詞の並びをアクセント、リズムなどと結びつけて掴んでいることが報告されています。

 

Soderstrom et al. (2003)は、生後6ヶ月から9ヶ月の乳児でも名詞句や動詞句を成す構造と句を成さない構造を音韻的に識別していることを明らかにした。6ヶ月から9ヶ月の乳児“Today, people by the hole seem scary.” という詞句や

“Inventive people design telephones at home.” という動詞句を、それぞれ “In fact, some people # buy the whole supply of them.”と“The director of design # telephones her boss.” という句を為さない発話と区別し、前者を記憶したのである(#は句の切れ目を表す)。このことから、母語話者は単語や定型表現などの具体的な語彙項目のみならず、句や節といった構造がどのような韻律を持つかを知っていると考えられる。

 更に、Valian & Levitt (1996)の研究では、英語母語話者に内容語と機能語の組み合わせから成る人工語を学ばせたところ、強弱アクセントによるプロソディ情報を与えて学ばせたグループの方が、プロソディ情報無しで学ばせたグループよりも、人工語の語順や単語の組み合わせのパターンをより良く習得した。つまり、英語母語話者は強弱アクセントのプロソディ情報と共に語の並びや組み合わせを覚えていると考えられる。

 以上の先行研究から、プロソディ情報は統語解析や意味理解や統語構造の獲得の手助けとなり、母語話者(および一部の学習者)は、句や節を形成する品詞の並びがどのような韻律パターンを持っているか知っている可能性が示唆される。句や節がどのような韻律パターンを持っているか知っているということは、リスニングのみならず、リーディングにおいても統語構造を理解するのに役立つと考えられる(Dowhower, 1991)」

  村尾 玲美『英語の高頻度品詞連鎖における韻律パターン認識』2014

 

 「プロソディ情報」とは、音声言語におけるリズム、イントネーション、アクセント、音声の長さや強弱など、音声の韻律的な要素に関する情報のことです。印欧語の中でも屈折語尾が豊富なラテン系の単語の多くは多音節ですが、英語本来語は歴史的に音節を失いその多くは単音節です。これは他の言語に比べて単語の1語の情報量が少ないことを意味します。言い換えると、現代英語は多くの語数を使って情報を伝える言語だということになります。口語では多くの語数を効率よく伝えるために、話し方を工夫する必要があるのです。

 

 次の論文の記述は、英語のネイティブスピーカーが効率よく言いたいことを伝えるための発音の仕方について述べたものです。

 

「コミュニケーションというのは単語を一つ一つ正確に発音していくだけではだめなのです。そんなことをすると、せっかくの文章が一つ一つの単語にバラバラに分解されてしまいます。やはり、意味を伝えるための発音とは、単語を文法によってアレンジして文章をつくるのと同じく、単語を声の調子によってアレンジして、文章を文章として発音しなければなりません。

 この論文では単語確認のための「音」「音声」ではなく、言いたいことを相手に伝えるときにネイティブ・スピーカーなら文章をどう発音するのかを考え、その重要なポイントの一つを紹介したいと思います。

 

 少し前の話ですが、東京でJRの電車を乗っていると、駅に入る直前に、

   The doors on the right side will open.

   The doors on the left side will open.

と、女性の声で案内が車内に流れました。この女性は英語の「音」をかなり勉強しています。それぞれの単語をきれいに発音しているし、伝えようとしている意味もよくわかります。しかし、長時間乗っていて、駅に入るたびにこの声が流れてくると、ネイティブ・スピーカーなら次第にイライラしてきます。音がきれいなのに、彼女の発音には何か気に障るものがあります。それは何なのか、日本語の例で説明しましょう。

 

 たとえば、あなたが外国の大都市を訪れて、電車か地下鉄に乗っているとしましょう。その都市に日本人の観光客が多いので、車内放送は日本語でもやっています。すると、駅に入るたびに、

  「右側の扉は開きます」

  「左側の扉は開きます」

と流暢な日本語が流れてきます。最初は何ともないかも知れませんが、繰り返し同じことを聞かされているうちに、だんだんイライラしてくるでしょう。発音は上手で、言おうとしていることもよくわかりますが、せっかくそこまでやるなら、せめて正しく言ってほしいところです。ちょっとした文法上のミス、外国人が苦手の「は」と「が」の違いですが、

  「右側の扉が開きます」

  「左側の扉が開きます」

と言ってくれればいいのにね。この小さな違いだけでも、文章の意味にこれだけの違いがでてくるわけです。

 英語には「は」と「が」がありませんが、少し前までの彼女のThe doors on the right side will open.の発音だと、「右側の扉は開きます」という意味の英語になっていました。どういうことか説明しましょう。

 

 文章というものはいくつかの単語から構成されますが、言いたいことを伝えるためにはすべての語が同じ程度に必要、というわけではありません。文章の中ではやはり重要なところもあれば、そうでもないところもあります。話すとき英語のネイティブ・スピーカーは言いたいことをうまく相手に伝えるために、文章の重要なところを目立つように発音し、話の中ですでに言っていることや、状況などで当然相手にわかること、また形だけの文法など、そう重要でないところを目立たないように発音します。

 すごく単純なことですが、英語を英語らしく話すためには最も肝心なことなのです。「ここが重要だよ」と目立つように発音することによって声の調子に変化があって、つまらない、意味をつかみにくい棒読みがなくなり、たとえ周りがうるさくても、話を聞いている相手は話の大事なところをちゃんと聞き取れるし、記憶にも残ります。何と合理的な話し方でしょう。

 ただし、話すときは相手に何を伝えたいかを常に考えていなければなりません。重要ではないのに「ここが重要だよ」と目立つように発音すると、JRの車内放送のように全く違う意味を伝えることになってしまいます。

 

 彼女はきれいな音の生き生きした声で案内してくれますが、伝えたい重要なところを目立つように、という根本的な話し方は習っていません。したがって、いちばん目立つところを囲って書くと、彼女のアナウンスは次のようになります。

   The doors on the right side WILL OPEN.

   The doors on the left side WILL OPEN.

「右側の扉が開きます」「左側の扉が開きます」の意味で言っているのに、実際に言っている文章は、左右いずれかの扉について、「開きます」、つまり「右側の扉は開きます」「左側の扉は開きます」というのでした。これを何回も聞かされた英語のネイティブ・スピーカーがイライラするわけをおわかりになるでしょう。

 電車がフォームに入ると扉が開くのは当然。「開きます」なんて、何の役に立たない情報ですよね。乗客の知りたいのは、右か左かどっち側ということなのですから、

    The doors on the RIGHT side will open.

  The doors on the LEFT side will open.

と、車内が込み合っておりうるさくても聞き取りやすく、間違えのないように言ってあげることです。重要な情報を目立つように発音するというのは、どこに行っても英語圏共通の話し方なのです。同時に、コミュニケーション上の相手に対する「思いやり」とも言えるでしょう。」

  テルキ デイブ『意味を伝えるための英語発音「ここが重要」』2015

 

 この論文の中に「「ここが重要だよ」と目立つように発音することによって声の調子に変化があって、つまらない、意味をつかみにくい棒読みがなくなり、たとえ周りがうるさくても、話を聞いている相手は話の大事なところをちゃんと聞き取れる」とあります。

 村尾2014では、実際に音声にノイズをかけて、音素(母音や子音)を聞き取れないようにして、ストレスなどのプロソディ情報だけに加工したときに、違いを聞き分けられるかをテストしたことを報告しています。論文では、パターンを4分類していますが、ポイントになるところだけに要約して紹介します。

 

「実験参加者は英語母語話者8名、上級英語学習者10名(TOEIC 平均 933 点)、初級英語学習者14名(TOEIC 平均 418 点)音素情報を劣化させることで、表現のプロソディのみが手がかりとなるようにした。

 

 実験では音素情報を劣化させた刺激(例:as a way of life)を音声提示した後、2種類の5単語連鎖を選択肢として視覚提示し、刺激と同じ品詞連鎖から成る表現(例:in a court of law)か異なる品詞連鎖から成る表現(例:a great deal of time)のいずれに近い音声だったかを判断させた。

 英語母語話者コーパス(NICE 2.0: NS)と日本人英語学習者コーパス(NICE 2.0: NNS)から5品詞の連鎖を抽出した。

 

  ①NNS・NSともに高頻度の品詞連鎖

   例)[前+冠+名+前+名]as a way of time / in a court of law

     [冠+形+名+前+名]a great deal of time

 

  ②NNS・NSともに低頻度の品詞連鎖

   例)[冠+名+接+代名+動] 例:the paper, and they look

 

 ②NNS・NSともに低頻度の品詞連鎖については実験グループ間に有意な差が見られなかったのに対し、その他の条件については母語話者と学習者の間に有意な差が見られた。

  結果①: 母語話者>上級者=初級者

    ②: 母語話者=上級者=初級者

 

 学習者は正解率は全体的に低かった。TOEIC900点を超える上級者でも高頻度品詞連鎖が持つプロソディを区別できなかった。上級者と初級者に差が見られなかったことから、この能力はTOEICが測定するリーディング力やリスニング力に直接影響する能力ではないと考えられる。しかしながらまた、母語話者とは点数の差が見られ、交互作用も見られたため、TOEICで測られていない能力となんらかの関係がある可能性は否めない。」

  村尾 玲美『英語の高頻度品詞連鎖における韻律パターン認識』2014

 

 この論文の分析では、母語話者は高頻度のパターンであればノイズがあってもプロソディを認識できることを示しています。また学習者は頻度に関わらず、プロソディ情報を認識できず、TOEICの上級者と初級者に差が無いという結果です。

 

 また、日本人学習者のリスニングに関する他の論文では次のような報告があります。

「1.理解(言語処理)の段階において、語彙、文法、語と語の意味関係、文脈、常識的知識や専門知識などが影響を与える

2.英語の音声要素の中で、特に音素、音節、音変化がリスニングにより大きな影響を与えるが、ストレス、リズムのプロソディ情報は影響が少ない。」

  江藤 颯『日本人英語学習者のリスニングプロセス』2023

 

 これらの結果で分かることは、学習者のリスニング能力は、語彙、文法、意味などの知識と、音素、音節、音変化への対応力で差が出るということを示しています。TOEIC高得点者も含めて学習者はごく一部を除いて、英語母語話者のようにストレス、リズム等のプロソディ情報を活かせていないことを示しています。

 デイブ2015が指摘するように「重要な情報を目立つように発音するというのは、どこに行っても英語圏共通の話し方。同時に、コミュニケーション上の相手に対する「思いやり」」が英語ネイティブのもつ感覚で、これが学習者との違いであることを示しています。

 学習者は肯定のcanと言おうとして否定のcan'tにとられてしまうということがよくあります。肯定のcanは通例は弱音で、否定can'tはしっかり伝えるためにストレスをおきます。これはネイティブがときに音素としての発音よりも強弱に意味を持たせるという感覚を示す好例です。

 

 デイブ2015は伝えるための重要なポイントを述べています。

 

「意味を伝えるために重要なところを目立たせるように発音するならば、それほど重要でないところを逆に目立たせないように発音する、というのが英語の話し方です。

 

 重要なところは、目立つように、音を強く、高め、長く、ゆっくり、はっきりと発音する。

 重要でないところは、目立たないように、音を弱く、低め、短く、はっきりしないように、ときに音を崩して発音する。

 

 意味を伝えるために文章中の重要なところを強く、高めに、ゆっくり、はっきりと発音することはよくわかります。重要でないところを弱く、低めに、短く発音することもわかりますが、せっかくの単語だから、わざとはっきりしないような発音をするとか、音を崩すなど、“本当にありうる?”、と納得できない方がおられるかもしれません。しかし、よくよく考えると、音の崩し方は学校の英語ですでに習っているはずです。

 I am、I have、I willなどは普通の会話で音を落として発音することが多いので、書く場合もI'm、I've、I'll、と落とされた音を〔’〕で表すようになっています。I'm going to go see a movie tomorrow. など、短縮形で書くのがあまりにも一般的になっており、I am going to go see a movie tomorrow. などと書くのが恥ずかしいくらいになってしまいました。学校では原形と短縮形の二つの形を習い、「短縮形を使うことが多い」と説明されますが、短縮形を使うのは伝えたい意味として重要でないときのみ。I amなどが意味として重要なこともあり、このときは短縮しない、つまり音を崩さないのです。

 

 英語の学習者は「強」の発音と「弱」の発音を形として習いますが、どの形をどんな時に用いるのかということについては、あまり説明されていません。一方、ネイティブ・スピーカーにとっては、形よりも過程なのです。つまり、言いたいことを伝えるため重要なときには、はっきりした発音「強」をしますが、意味として重要でないときは、発音にあまり気を使う必要がありませんので、より楽な発音「弱」へと音を崩してしまいます。

  ain't(am not, are not, is not)、goin’ (going)、gonna (going to)、wanna (want to)、coulda (could have)、shoulda (should have)、woulda (would have)など、いわゆる「非標準」の語もあります。会話などを文章にするとき確かに「程度が低い」「無教育」「下品」という印象を与えるためにこれらの語を使うことがあります。しかし、これらの語の表す発音はネイティブ・スピーカーにとって現実の普通の発音にすぎないのです。つまり、こうした語は、「弱」の発音と短縮形とともに、音を崩す過程の一段階なのです。」

   テルキ デイブ『意味を伝えるための英語発音「ここが重要」』2015

   

 現行の和製の英文法書には、「話すための」とか「コミュニケーション重視」など口語に対応したという旨の売り文句が踊っています。その内容はと言うと、口語で使う用例を以前より多めに取り入れたものです。本当に会話に対応する文法書なら、アクセントやリズムに少なくとも1章は咲くべきだと思います。Sweetはストレスは文法書段であることを100年以上まえに明言し、その著書でも発音と文法について示しています。

 もっとも口語軽視は、わが国の問題だけではありません。それはgonna (going to)、wanna (want to)などがスペルチェックにかかります。これらの表現がリエゾンするのは「形だけの文法など、そう重要でないところを目立たないように発音」(デイブ2015)するという現象で、機能語の縮約という英語一般に見られる言葉を伝えるための重要な仕組みなのです。言いたいことを効率よく正確に伝えるための合理的な文法的仕組みが長年スラング扱いされてきたことが口語文法軽視の現れの1つです。

 

 機能語の縮約は英文法の核の1つです。それは単なる発音の問題ではなく、言葉を伝えるための重要な文法手段です。下の表は動詞・助動詞が強形と弱形で発音が変わることを示しています。

 

    

 

  例えば、beは学校文法では「動詞」と教えます。実際にはbeが内容語として使われるのは「存在する」という元の意味を示すごく限られた場合に過ぎません。ルネ・デカルトの有名な言葉I think, therefore I am「われ思う、ゆえにわれあり」などです。このときamは「存在」を表すので強形で発音します。しかし、I'm Ken.と名乗るとき、I'mは言わなくても伝わります。このI'mは英文の構成上形式的に置かれる機能語で、ほとんどの場合ほとんどの場合短縮されるか、I amであっても弱形になります。もし、あえてストレスを置くと「私こそが」という違う意味に伝わります。

 デイブ2015には、駅でのアナウンスの強弱に対する違和感を日本語の「は」と「が」の例えていましたが、I'm Ken.はストレスの置き方によって「私はKenです」の意味にも「私がKenです」の意味にもあります。ストレスは文法手段そのものなのです。

 

 いわゆる基本文型について考えてみましょう。I am in Tokyo.は学校文法では、この英文はIがSでamがVでSVと分析し、前置詞句in Tokyoは修飾語とされます。しかし、特殊な文脈でなければ、一般に重要な情報はin Tokyoです。

 例えば"Where are you right now?"のような文の答えであれば、情報として価値のない I amは省略しても問題ありません。文型では、場合によっては省略される形式的な語句を、もっと伝えたい重要な語句が「修飾」すると説明するのです。この説明に違和感を持つ人がいても不思議はないでしょう。学習のための英文法をOから創り出した100年前ならともかく、現代ではいくら文法用語とはいえ言葉のセンスがなさ過ぎでしょう。

 現代英語の文法的仕組みをあえてざっくりと言うなら、機能語が骨格となって文の枠組みを構成し、その枠組みの中に内容語を入れ込んで文を成します。文型とか構文とか言われているのはこの骨格にあたるといえます。英文は文法機能を担う語と意味内容を示す語が役割を分け、機能語が文の骨格を形成しますが、叙述する内容の中心は内容語になるのです。

 I'm in Tokyo.では、I'mは形式的に置かれるだけで、前置詞句のin Tokyoは叙述そのものです。前置詞と言う機能語は後置する名詞の格を表示すると見ることができます。

 

 文法の特徴は他言語と対比することでよくわかるものです。文法的仕組みが異なる膠着言語の日本語、孤立言語の中国語、屈折言語のラテン語と現代英語を比較してみます。

1) a. 私はその犬に飼い主を見つけた。

 

   b. 我 为那只狗 找到了 主人

 

   c. Cani dominum novum inveni

 

   d. I found the dog an owner.

   e. I found an owner for the dog.

 

  (1a)の日本語では、内容語の後に機能語の「は」「に」「を」を膠着させてその内容語の格を表示する仕組みになっています。「人は」は主格。「犬に」は与格(モノを与える相手)、「飼い主を」は対格(与えるモノ)に相当します。「Sは…に~を(見つけた)」という機能語で構成された枠組みに内容語を入れるとみなすこともできます。

 

 (1b)の中国語では、語の配置と「为」という前置詞にあたる語によって格を表示する仕組みになっています。文頭に位置する「我」は主格、「为那只狗(その犬のために)」は为「〜のために」を意味する機能語句で与格に相当、「主人」は動詞「找到了(見つけた)」に後置された対格(直接目的語)に相当します。

 

 (1c)のラテンごでは、それぞれ名詞は数・性・格を屈折(語形変化)で示し、動詞は人称・数・法・時制を示す屈折によって示します。「cani(犬のために)」は名詞「canis(犬)」の与格、「dominum(主人を)」は名詞「dominus(主人)」の対格です。「novum(新しい)」は形容詞で修飾する名詞dominumに合わせて性・数・格が一致させた語形です。「inveni(見つけた)」は動詞「invenio(見つける)」の1人称単数完了形です。ラテン語は動詞の屈折で主語分かるので、ふつうは人称代名詞は使いません。

 

 現代英語では、(1d)は、 [S+found+A+B] 型の語順で、Sの位置に配置すれば主格、Aの位置に配置すれば与格に相当し、Bの位置に配置すれば体格に相当するという仕組みです。(1e)のように、[S+found+B+forA]という別の型では「for the dog」のように機能語forによってよかくにあたることを表示することもあります。

 

 これらの言語と比較すると、現代英語の格表示の仕組みは中国語に近いことが分かります。どちらも I 、「我」という人称詞を主語に立てるのがふつうです。動詞形で人称・数が分かるラテン語ではふつう主語を立てないことと対照的です。また日本語では、しばしば「わたしは」という主語は省きます。「わたしが」と表現すると「見つけてあげたのはこの私」と主張しているようなニュアンスになることがあります。このニュアンスを英語でだすなら、ふつうは弱形の I にストレスを置くという手段を使うことができます。

 

 この(1a~e)の各語を人の間交わす会話だとします。そのとき(1a)「その犬に飼い主を見つけたよ」のように主語は置かないことがふつうでしょう。その場で自明の主語は情報としては不要なです。ラテン語でも特に主語の内容を示したいときは一人称代 名詞を置きますが、ふつうは代名詞を置きません。

 中国語と英語で、主語を省略することが少ないのは、形式上主語置いて語順という型を言支持する孤立言語の特徴なのです。よく、英語は主語を明示する言語だと勘違いしている人がいます。孤立言語は語順が文法性を示す主な手段なので、自明で情報として内容には価値のない代名詞を形式上置いて語順の型を維持するのです。意味に価値が無い形式的な語だから I はほとんどの場合、弱形で発音するのです。特に内容表示したいときにだけ強形 I としてストレスを置きます。

 

 このように本来の言葉が伝わる仕組みに基づけば、英語の代名詞には機能語として形式的に置く用法と、内容語として人称・数を表示する用法があることが分かります。とくに口語で使われる代名詞は弱形であり形式的に使う用法です。ところが、現行英文法は人称代名詞を内容表示する語としてだけ説明します。つまり現行英文法は英語が伝わる仕組みの基本が欠落しているのです。

 英語ネイティブが生成する文章では、形式的な代名詞は避け無生物主語など意味のある主語を立てる傾向があります。これに対して日本人学習者が生成する英文では、英語ネイティブの数倍 I という主語立てるということはよく知られた事実です。「英語は主語を置いて明示する」という英語本来の文法的仕組みに反した勘違いが広まっている原因として、現行英文法の不備が無いとは言えないでしょう。

 

 ラテン語の動詞の屈折をもとにした人称・数・格のによって代名詞を区分した内容表示の表を文法書に掲げて、いったい英語の伝わる仕組みの何を伝えたいのでしょう。欧米の文法書があの表を挙げているのはラテン語になじみがあるから分かります。ラテン語の仕組みを知らないどころかあの表がラテン語の動詞の屈折を英語に代名詞にあてはめて創作されたことすら知らない無知な学習者に示せば、英語の代名詞が内容表示に使うのが基本だという全く勘違いを植え付けるだけでしょう。

 日本人学習者が各論文は I を過剰使用すると言われるのは、学習者だけのせいとするのは理不尽です。仮にこの過剰使用が学習の習熟の不足だったとしても、英語本来の言葉が伝わる仕組みを描いて示すのが学習文法のすべきことのはずです。代名詞を内容表示としてしか見れない文法説明など害になるだけで要らないと思います。

 口語で使う表現の用例なら人工的に創られたテキストの単文を学ぶより英語話者向けに作られたコンテンツで実際にどうのように使うか実感した方が身に付きます。willとbe goning toを「その場で決めたかどうかで使い分ける」などでいことは、数百回出会った用例から断言できます。

 

Simon:"Dad, I can't sleep."

Dad:"All right. I’m gonna tell you my secret technique for falling asleep."

         ――Simon | I can't get to sleep

「お父さん、眠れないよ。」

「わかった。寝るための秘訣を教えてあげるね。」

 お父さんが未来を予知する能力があって、Simonが来ることが分かっていて前もって決めていたのでしょうか。このように明らかにその場で起きた事態に対応する行動にbe going toを使う用例は、YouTubeで配信されているアニメでも頻繁に出くわします。

 よく引き合いに出される I'll get it、のwillはam going toに置き換わらないという説明は筋違いです。I'll get it.基本的にその場で起きた複数の人が対処し得る事態に、それ「私が対処する」という文脈でよく使う表現です。つまり「だれが」と言うところに焦点があります。それに対して I'm going toをその場で起きた事態に使う時は、「じゃ~しよう」「~しなくちゃ」という感覚で使います。「何をするか」に焦点があることが多い表現です。

 どちらもその場で起きた事態に対処しますが、置き換わらないのは焦点が異なるからです。しかし、これを単純規則にしてもらっても困りますが。

 

 他によくある根拠がgoing toは「実際に事態が動いている」からというものです。この発想は言葉としての当たりまえの視点が欠落しています。言葉は変化するものです。はじめはそのように文字通りに使っていたのでしょう。

 仮に元々「あらかじめ決まっている場合に使う表現」だったとしても、その制限が未来永劫守られるという保証などありません。I'm gonnaは典型的な機能語の縮約で文法化によって用法が広がった見本のような表現です。willとの違いが論じられるのは助動詞相当語句だからです。法助動詞は歴史上意味を変化させて、汎用化へ向かうのは一般的に知られた現象です。法助動詞willはもともと意思を表す語でしたが、今では無意志の未来標識に使います。

 一方、be going toはもともと事態が動くという無意志の意味から意思を示す用法へと広がったのです。新興表現が文字通りの意味から一歩も出ないと考えるのは、言葉の常識に反しています。

 

 試しにYouTubeで配信されるアニメからbe going to使う場面を数十例採取して、どのような場面で使っているかを分析すれば事実はだれにでも分かります。言葉は本来、人が使っている場面から使い方を学び、実際に使いながら身に着けていくものです。英語ネイティブが普通に使っている表現が誤りではないかと疑わせる文法書があるとすれば、その著者の情報更新が遅いか語感が鈍いだけでしょう。文法書の記述より数百回あたってその体験から検証を重ねて得た自分の語感の方がはるかに役に立ちます。

 辞書や文法書は地図に過ぎません。もちろん正確な地図に越したことはありません。しかし人が作ったものに絶対正しいなんてことはありません。しかも言葉は変化します。作った時は正確だったとしてもその後現地の様子が変わることもあるわけです。現地現物に対して地図と違うからおかしいという感覚は、言葉を学ぶものとして決していいものではないと思います。

 

 残念ながら、口語に対応した和製の英文法書は、現状では見当たりません。ほんとうに生きた英語の伝わる仕組みを説明するなら、アクセントによって機能語と内容語の用法を切り替えて使い分ける文法的仕組みを詳述することは必須です。これがない文法書の口語対応はお題目に過ぎないと判断します。

 アクセントによって文法的な意味を表現する英語ネイティブが幼少期に身に着ける文法感覚に準じた、本来の言葉が伝わる仕組みを描いた学習英文法の出現が待たれます。

 

   Grammar being taught should not be a return to the older,   dysfunctional, error-focused, Latin-based school grammar, 

  but a grammar deeply informed by a disciplined study of language.

   ――Hudson and Walmsley