20世紀の英文法史は二度大きく流れが変わりました。一度目の変化は1960年代で、英語使用国では公教育で英文法の授業を行うことを止めます。標準化がほぼ成ったこととそれまでの規範文法がラテン語の影響を受けすぎていると批判されたことが主な原因とされています。カークらが大規模な英語の使用実態調査を開始したのも1960年頃です。その成果として1985年には20世紀の記述文法の金字塔ともいうべきCGEL1985が出版され、1990年ごろの英文法の見直しへとつながっていきます。

 1960年代に公教育という市場を失った英文法は、EFL,ESL向けに転換し民間へと市場を移します。この時期に新たな言語の指南役が登場し競うようにして新たな

文法規則が広まります。「someとanyは文の種類で使い分ける」「状態動詞stative verbは進行形にしない」「可算名詞countable nounにはaを付ける」などは皆この時期に広まり始めた規則です。

 

 Ngramで文法用語の盛衰を見ることができます。

 グラフから状態動詞stative verbや可算名詞countable nounという用語が広まりはじめたのは1960年頃だということが分かります。20世紀の前半には使われなくなっていた肯定文positive sentenceも同時期に使用されるようになります。部分否定partial denialはそれよりも前からありますが近年では廃れてきています。

 

【someは肯定文、anyは否定文・疑問文で用いる】という規則は1960年ごろに広まります。20世紀前半には肯定文positive sentenceという言葉自体が使われていないことからそのことがわかります。

 数量詞はその表す数量で使い分けるというのは当たり前のことです。

manyは「たくさん」、fewは「ほとんどない」、someは「いくらか適量ある」という数を示します。これらはどれも肯定・否定・疑問文に使います。特定の数量だけ使えないという不合理なことなどありません。

 anyとsomeとはそもそも表す数量が異なる別の語です。anyはその語源が「1つ」です。そこから肯定文では「どれ1つとっても」、否定文は「1つも無い」、疑問文は「(1つでも)有るか無いか」を表します。anyは肯定のときの意味が「1つ」にあるというところが肝心なのです。だからFowlar'sの初版やWebsterはその語義にoneを入れています。肯定文のanyが相対的に頻度が低かったとしても、このoneという概念を除くとanyの表す数量の根本的な理解にはなりません。肯定のanyは例外ではなく、核になる概念なのです。

 

  Does anyone try some? 「だれか食べてみる?」

 

 このような表現はごくふつうに使われます。文の種類はanyとsomeの使わけとは根本的に関係ないので同じ疑問文にどちらも使うこともあるわけです。この文は疑問文という形式を使い、yesという答えを期待して人に勧めています。「(一人でも)いるか」を聞くからanyoneを使い、適量あるもの示すからsomeを使います。

 表す数量に基づいて使う以外の理由はありません。yesを期待するとか、勧めるという意図が表す数量に関係ないのは常識の範囲で誰にでもわかることです。

  下に引用した近年の科学的な英文法書では、someとanyを文の種類で使い分けるという規則についてa fairly useless ruleと断じています。また、yesという答えを予期したり勧めたりするときにsomeを使うということについて、still far from the scientific ruleとしています。

 子の文法書ではsomeとanyのは意味が違うのであって、文法の違いではないと述べています。全くその通りでsomeは「いくつか(適量)ある」ことを意味し、anyは「どの1つとっても」という意味なので、全く意味が異なります。someが肯定文でよく使われ、anyが否定文や疑問文で使われるとしてもそれは個々の語の頻度の問題で、この2語を混同して対にするのは全く無意味で、それこそuseless ruleです。

 

 問題は、なぜ「anyとsomeの表す数量が同じ」で「文の種類とか勧める意図があるときにはsomeを使う」という全く的外れな規則が、突然1960年頃に突然広まったかです。しかもこの規則は、科学的文法では不合理であるとして否定されているのに、いまだに英米の学習文法書の一部にも残っています。それには理由があります。

 下の記述はFowlar'sとして知られる語法辞典の第2版です。

 

 Fowler'sは他の英語のスタイルガイドの基準となるほど、影響力のある辞書です。百年近く出版され続けていて、初版1926年、改訂第2版1965年、改訂第3版2004年でそれぞれ編集者が違います。編集者が変わって改訂された第2版では、上にあるようにany=someとし、Have you any bananas? No we haven't any bananas. But yes we have some bananas.という記述を加えます。これは1926年の初版には無く、後に編集者が変わった2004年には削除されています。

 

 このFowler'sの説明は決定的でその後の文法記述に影響したことは間違いないでしょう。言葉の正誤は社会的コードによって決まります。情報化が進んでいなかった20世紀には、ふつうに考えれば誰にでもわかる不合理な規則でも、権威に従い検証もされずに伝播していったのです。

 anyとsomeの混同は、表す数量の違いを無視した事実誤認にはじまり、単なる頻度の違いを使い分けにすり替えたものに過ぎません。このようなことが何十年にも渡り英語ネイティブの間でも広まっていたことを教訓にしましょう。言語を操る能力と、事実と論理によって科学的に本質を探ることとは全く別のことなのです。

 (詳しくは下にリンクした記事にあります)

Do you have any/some money? ―スッキリしない文法説明の真相― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

【状態動詞は進行形にしない】という規範的規則が広まったのは1960年以降のことです。それ以前は状態動詞stative verbという用語自体が無かったのですから規則も無かったと分かります。20世紀の前半以前の文法書ではloveは進行形を正用として扱っています。

 

 

 

 18世紀のWebsterも19世紀のNesfieldもloveの進行形を禁止するどころか、進行形の用法説明に模範例として使用しています。

 また、かつては禁止していたPEUなどの規範的な学習文法書でも、今では容認するように記述が変わっています。「状態動詞は進行形にしない」という規範的規則は英語使用国ではなし崩し的に廃止へ向かっています。グラフでstative verbという用語の使用頻度が下がっているのはそのことを反映しています。

 

 2021年の米国ネイティブを対象とした容認率の調査があります。

 この調査では、若年層のほとんどが「状態動詞の進行形の禁止」をほとんどの動詞について容認しています。believeの進行形についてみると、30-50歳の90%が容認していないのに対して18-24歳では全員が容認しています。禁止ルールが流行っていた世代と比較すると一気に容認率が高くなっていることが分かります。

 この調査後も若年層が容認したbelieveやrememberの進行形の使用率は上昇しています。

 「状態動詞の進行形禁止ルール」は20世紀の一時期は流行しただけなのです。英語使用国のテキストでは、状態動詞と一括りにして禁止するという発想は廃れ、個々の動詞ごとに適切な用法を解説する方向に転じています。

(詳しくは下の記事にあります)

進行形の進化と多様性②American English | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

【not … bothは部分否定partial danial】は英語使用国の主な辞書では正用とは認めていません。

  Collins Cobuild English Usage1992では、both…not、not…bothは使用避けるように忠告しています。以下に引用します。

 

You do not usually use both in negative sentences, for example, you do not say, “Both his students were not there.”You say,“Neither of his students was there.”Similarly, you do not say,“I didn't see both of them.”You say,“I didn't see either of them.”

――Collins Cobuild English Usage 1992p.42

 

  CCEU1992ではboth…not、not…bothは使用を避ける要注意し、これらの型はneitherあるいはnot eitherで言い換えることを推奨しています。全否定と解釈する可能性が高いことを示唆していますが、避けべき理由は部分否定/全否定のどちらか曖昧 だからです。

 英語使用国の主な辞書、文法書のうちにnot … bothを正用とする記述はわずかですが存在します。ただし、それは受験英語が言うところの部分否定ではなく、両方同時の是非を問う場合だけです。

 

1) I failed my driving test because I did not keep both hands on the

  wheel.

――the Cambridge International Dictionary of English 1995

 

 この用例では運転免許の試験で、両手でハンドルを掴んでいなかったために落ちたといっています。両手でつかんでいたかどうかが問題であり、片手を放した(部分否定)か、両手を放した(全否定)かは関係ないのです。部分否定か全否定かは問わず、「both(両方)かnot both(両方)ではないか」に焦点を当てるときに使うことは正用とされているのです。

 

2) “I don't know which to buy.”

“Why not buy both(of them)?”

“I can afford one, but not both.”

――ロングマン現代英語辞典

「どちらを買えばいいかわからないな」

「両方とも買えばいいじゃないか。」

「1つしか買う余裕がない。両方は無理。」

 

 why not both、but not bothは「両方同時でいいじゃないか」、「両方同時は無理」というように、やはり「both(両方)かnot both(両方)ではないか」に焦点があてた表現です。明確に示したい場合、一方だけ可(一方不可)ならeither、両方不可ならneitherを使えばいいわけで、一方不可なのか両方不可なのかを問わない曖昧なnot bothという表現をわざわざ使う必要はありません。だからCCEU1992では使用を避けるように忠告しているのです。

 

 bothは2つ可、eitherは1つ可、neitherは2つとも不可なので、可なのはそれぞれ2、1、0です。論理的に考えると、not bothは「2つ可」を否定しているだけで、1か0かは言及していないわけです。

 もっとも論理的には言及していなくても英語話者が社会的にコードし慣用がに認められることはあり得ます。しかし、現状では英語話者はnot … bothを1と言う意味に限定して使っているという事実ありません。bothを使った否定文の解釈についての実地調査では、CCEU1992の忠告の通り、部分否定にも全否定にもとるという報告があります。

     

  Both are not coming.を「どちらも来ない」(全否定)と解釈した人が77.7%で部分否定と解釈した人を上回っています。他にもいくつかの英文について調査した結果からも部分否定と全否定で解釈が分かれることが報告されています。「bothを否定すると部分否定になる」という実態に合わないとらえ方をしているとコミュニケーションギャップを生む元にしかなりません。

 

 非公式には実用としてnot … bothは特に口語で使われることがあります。その場合も部分否定を意味するか全否定を意味するかは文脈依存です。「not … bothは部分否定partial danial」なる規則?は受験英語に化石のように残っていますが、英語使用国の文法説明ではそもそも部分否定なる用語は使いません。グラフからも分かるようにpartial danialという用語自体廃れているのです。

(詳しくは下の記事にあります)

not … bothは部分否定?―規則から根源的理解へ― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

【可算名詞countable nounにはaを付ける】という文法説明も1960年ごろからのものです。「名詞があってそこにaを付ける」と言う説明法について、ピーターセンは「英語の現実からかけ離れた無意味な物」と断じています。

 無限ともいえるこの世の神羅万象を有限の言葉を使って表現するのですから、1つ1つに固有名を付けるわけにはいきません。だから一般名は抽象的な概念です。日本語の「犬」は一般名なので抽象的で不可算です。a piece of furnitureと同様に「1匹の犬」と補助単位を数え「1犬」とは言いいません。このように一般名は基本的には不可算です。

 ゼロ冠詞の(φ)dogは抽象的なものを意味するので「犬の肉」というよな意味になります。同じく無標のφappleは抽象的で数えられないものをイメージするので果肉とか果汁などを意味します。機能語aは無標の抽象的な概念であるdogやappleに可算性を付与する機能があるとかんがえられます。このように捉えればピーターセンターが言うように「可算名詞だからaが付く」というのは止めることができます。無標の英単語apppleが可算名詞countable nounなのではなく、aや-sという文法性を付与する標識によって可算用法に使えると考えておく方が合理的です。

(詳しくは下の記事にあります)

冠詞a再考―状態動詞、不可算名詞という分類の陳腐化ー | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)

 

 学校文法が採用する文法規則は、英文法という商品が公教育から民間へと市場を移した20世紀の中ごろに数多く広まっています。その規則は1990年ごろまでは実証的な研究の外にあり、たいした検証も受けていませんでした。

 一方で実際に使われる英語の表現を1つ1つ採取して実証的な文法記述を目指す動きも1960年ごろにはじまります。そこから今日コーパスと言われる言語データベースが生まれたのです。前世紀の終わりごろから今世紀にかけて野放図にされてきた「文法規則」を含めて従来の伝統的な英文法はコーパス等の実証データによる科学的な検証をうけて変化しています。

 英文法説明は1つの情報が伝言ゲームのように広まる傾向があります。日本で広く信じれているからというのは正当な根拠にはなりません。できるだけ多くの複数の情報ソースから事実を集めて分析し有用性を判断することは情報化社会の常識でしょう。英文法もその例外ではないのです。