Do you have any/some money?の使い分けが難しいのは学習者の理解の仕方ではありません。原因は主に2つあります。1つは、20世紀に流布したのany、someの文法説明に致命的な欠陥があり、この2語の根本的な違いが分からなくなっていること。2つ目は日常的に使用されるときには、結果としてどちらも同じような文脈で使われることが多いことです。
まずは前者の理由を明らかにし、anyとsomeの使い分けの本質を明確にします。その後、日常で使用される自然な文脈の中で、any/some moneyの使い分けについてみていきます。
本質から外れた文法説明が拡散したのは20世紀後半です。その主因とみられるファウラー語法辞典についてWikipediaから内容を抜粋して翻訳したものを紹介します。
「A Dictionary of Modern English Usage(1926年)」は、ヘンリー・ワトソン・ファウラー(1858年-1933年)による、イギリス英語の使用法、発音、文章に関するスタイルガイドである。この辞書は、他の英語のスタイルガイドの基準となった。そのため、1926年の初版は現在でも刊行されており、1965年の第2版(Ernest Gowers編集)も1983年と1987年に再版された。2004年にはロバート・W・バーチフィールドによってほぼ全面的に書き直され、コーパス言語学のデータを取り入れた使用法の辞書となった。非公式には、読者はこのスタイルガイドや辞書を「Fowler's Modern English Usage」「Fowler」「Fowler's」と呼んでいる。
『Wikipedia』(しんじ訳)
重要なのは「Fowler's」は他の英語のスタイルガイドの基準となるほど、影響力のある辞書だという点です。 この記述にあるように初版1926年、第2版1965年、改訂第3版2004年でそれぞれ編集者が違います。問題は1965年の第2版の改定時、初版にはなかったsome、anyを文の種類で使い分けるかのような記述が付け加えられたことです。2004年の改訂ではsomeとanyの混同は削除されています。その間の1965年から2004年の間に、問題の記述が他の辞書や英文法書学習書などに拡散していったのです。
初版の編集者Fowlar兄弟の辞書の記述と、編集者が異なるFowlar’s第2版で付け加えられたanyの説明を原書を比較してみます。
第2版の記述が問題なのは、「any(=some)の使用は、肯定文ではなく、否定文や疑問文(明示的または暗黙的)に限定される。」と説明した上で、3つの用例を示した箇所です。
Have you any bananas?
No we haven’t any bananas.
But yes we have some bananas.
初版のanyの語義は1.2.だけで、この3.は第2版で加えられたものです。
初版を編集したFowler H, W.とその弟が1919年に共同で編集・出版した辞書にあるanyの説明と比較します。
(疑問文で)one, some(どんなものでも) Have you any wool?
(否定を表すまたは示唆する語の後で) cannot see any difference
(肯定文で)which(of all) is chosen, every Any chemist will tell you.
(しんじ訳)
Fowler H, W.(1858-1933)Fowler F. G.(1870-1918)『The concise Oxford dictionary of current English』1919
まず注目すべきは、Fowler兄弟が編集した辞書では、anyの表す数量をone, someとしていることです。anyの語義にはone「1つ」という概念が含まれ、一方someは「1つ」という概念は含みません。anyとsomeの使い分けの根本はこの表す数量の違いにあるのです。
Gowers編集の第2版ではany(=some)と記述され、oneを含むか含まないかというこの2語の使い分けに最も重要な点が抜け落ちています。この事実誤認によって、この2語の本質的な違いから外れ、文の種類という見当違いな基準で使い分けを説明しようとしたわけです。
Fowler兄弟が編集した辞書では、疑問文、否定文、肯定文でany使った用例を載せています。anyは1語で完結し、どの文の種類にも使うことを端的に示しています。
それに対してGowers編集の第2版では疑問文、否定文でanyを使った用例を載せ、肯定文でsomeを使った用例を載せています。この第2版の記述を真似て世界中に拡散していくうちに、伝言ゲームのように「someは疑問文や否定文ではanyに置きかえます」(ベネッセホームページ2023)という不合理な説明が出来上がってしまったのです。
「2004年にロバート・W・バーチフィールドによってほぼ全面的に書き直され、コーパス言語学のデータを取り入れた」最新のFowler'sでは、この記述は削除されているのは妥当な判断と言えます。
anyは分解するとan+yです。anは語源的にもone「1つ」を意味し、そこに語尾yが付いた語です。肯定のanyには「どれ1つとっても」という感覚が息づいています。だからanyからoneを切り離し、肯定文を例外扱いしたの明らかに悪手です。
anyとsomeの使い分けにとって重要な、肯定文anyの用法と、someとは違いanyの表す範囲にoneが入ることが抜け落ちたのは致命的なのです。逆に言うと、Fowler兄弟のオリジナルにある、肯定のanyを起点とし、その語義にoneが入ることに基づいてsomeと比較すれば、その違いは明らかになり使い分けが分かり易くなります。
第2版が出版された1960年代は、英文法史にとって大きな出来事が起きた時期です。その出来事とは世界の英語使用国で公教育での英文法の授業が廃止されたことです。“英文法の死”と呼ぶ専門家もいるくらいです。本来は英語ネイティブを対象に標準語を教育するための英文法は、公教育市場を失い、ESL,EFLをターゲットへと市場を転換します。このころに、公教育で教えられる規範的規則には無かった、非ネイティブ向けに単純化した新たな規則が創作されます。
それまでには無かった状態動詞stative verbという用語を使い「進行形使用禁止規則」が広まります。Fowlar'sの改悪によって、肯定文positive sentenceという用語を使いsomeの使用を限定し、他の種類の文での使用を実質禁止することになったのも同時期です。Ngramのグラフで分かるように20世紀前半には用語自体がほとんど使われていないのでそのような規則は存在しなかったことは明白でしょう。20世紀後半は英文法の劣化期で、実態に合わない多くの規則が広まったのです。
一方で1960年には、カークらは実際に使われる表現を収集・分析し科学的な手法で英文法の再生を目指します。これが今日のコーパス言語学へと発展します。その結果、今世紀に入り「状態動詞を進行形では使わない」、「some、anyを文の種類で使い分け」などは実態に合わないということが明白になったのです。これらの20世紀の中ごろに創作された過度な単純化規則は一時期流行しただけで今は廃れてきています。
近年の科学的文法の見方を紹介します。
この文法書では、someとanyを文の種類で使い分けるという規則を、a fairy useless rule(全く役に立たない規則)と記しています。また、yesという答えを予期するときにsomeを使うという規則についてfar from the scientific (科学的であることからかけ離れている)と述べています。この2語の区別は意味の違いによるのであって、文法として扱う事項ではないと明言しています。
「yesという答えを予期する疑問文ではsomeを使う」という説明は100年以上前からあります。これをsomeとanyの違いとして一般化すると学習者をミスリーディングすることになります。語法書の記載を例に検証しておきます。
We use some in questions if we expect people to answer‘Yes’, or encourage them to say‘Yes’―for example in offers and requests.
Have you brought some paper and a pen?
Swan『Practical English Usage 4th Ed.』2016
この用例か紙とペンを同時に使っていますが、別々にしてみましょう。
Have you brought some paper?
Have you brought a pen?
この2文はもともと同じくもexpectしている文脈です。このときの数量詞someとaの使い分けに「expect云々」は無関係なのは明らかです。紙は「適当な数」、ペンは「1本」あれば十分だから、それぞれ希望する数量を示していると考えるのふつうでしょう。数量詞は、基本的に数量を示すために使うのです。
もちろん派生用法もありますが、基本的な説明で十分なときに、それを置いといて筋違いの説明をする意味はありません。「疑問文ではanyを使う」という事実誤認に基づく説明を通そうとするから、その反例になる「疑問文に使うsome」を何とか正当化する余計な説明を生むのかもしれません。
far from the scientificとされる文法説明は、文法書にはよく見られます。それは特殊な例を持ち出してそれを一般化しようとするときによくおきます。特殊な用例に特殊は説明をするのなら、何とでも言いようがあるのです。その特殊な例をもとに一般的なルールにすり替えると科学的な説明ではなくなるのです。
もちろん、言語には社会科学的な側面があるので、自然科学と全く同じではありません。しかし科学的な態度で研究することはできます。それは、事実に基づき出来るだけ多くの現象を1つの原理で体系的に説明するということです。例外がある規則を科学的に検証するとは、例外を正当化する前に、例外を取り込んで一貫した原理で説明できる体系を求めること言います。
たとえば、日本語では「ちょっとお酒でもどう?」という言い方があります。この言い方を一般化して、「人を誘うときには“ちょっと”を使う」と言っていいでしょうか?「一杯やっていかない?」でもいいかわけです。「ちょっと」という言葉と人を誘う行為がいつも共起するかのような説明は、ちょっと勘弁してほしいものです。
「expectを含意する時にsomeを使う」ことはもちろんありますが、それをanyとの使い分けとして一般化できるかは全く別の話です。
次の用例は、go fishというカードゲームをやっている場面です。
Yoko: Do you have any fives?
Charles: Go fish!
Yoko: Oh, no!
Charles: Do you have any eights?
Yoko: Yes. You win again, Charles.
『Timothy Goes to School | The Treefort and the Sandcastle』
Yoko「5のカードを持ってる?」
Charles「見当違いだよ。」
Yoko「ああ、残念」
Charles「8のカードを持ってる?」
Yoko「持ってる。また、あなたの勝ちね、チャールズ。」
go fishはよく知られたカードゲームで、そのルールは、ババ抜きと少し似ています。同じ数字のカードが4枚揃ったら、場に捨てることができます。先に手札がなくなった人が勝ち。相手に、欲しい数字のカードを持っているかを聞いて、持っていればその数字のカードを全部もらえます。持っていなければ、go fishと言われ、山札からカードを1枚引かなければいけません。
答えが、Noであれば、go fishと言われるので、ふつうは持ってないことを期待する人はいません。それはババ抜きで、相手の手札からカードを引くときと同じです。カードが揃えば、場に捨てることができるので、any fivesも any eightsも、相手が残りのカードを持っていること、つまりYesという答えを期待しています。
expectなどの意図や、疑問や否定といったと文の種類は、some、anyの本質的な使い分けではありません。someやanyのような幼児でも使う基本語の説明でも、辞書や語法書や文法書には本質を欠いたその場限りの説明もあるのです。それは数十年あるいは週百年前からたいして検証されずに伝承されているからです。
Fowler'sのように英米で絶大な信頼があるのものでも人が書いたものです。いかなる権威であっても検証の対象として扱い、実際に使われている言語事実に基づく論理的に説明することが科学的であるということだと思います。
someとanyは数量詞なので、その使い分けは表す数量の違いによると考えるがふつうでしょう。人は、多いと感じていればmanyを使い、少ないと感じていればa fewを使い、いくらか適量あると念頭にあればsomeを使います。manyを文の種類によって使ったり使わなかったりすることが無いのと同様に、someもどの種類の文でも、いくらか適量あると念頭にある場合に使います。使う文の種類の頻度が違うのは、使い分けの規則ではあません。そもそもanyとsomeは念頭にある数量が違うのです。
anyは、多量、少量、適量という数量が念頭にあるというより、「どれ1つとっても」という性質が異なることばです。不定数量といっても数量詞は、念頭にある数量に応じて使うのが基本です。文の種類や意図は数量を表す語の使用とは無関係です。
語源的に別の語が文法化によって意味内容が希薄化して、結果として似たような意味になることはあります。しかしanyという語のコアには、現在でもoneという概念が依然として残っています。anyは肯定、否定、疑問を一貫した原理で説明できる1語で完結した語です。someとは数量としての概念が異なる全く別の語なのです。
anyとsomeの違いをまとめると次のようになります。
anyは語源的にも「1つ」を意味し、「どれ1つとっても」がコアになります。そこから肯定では「どれでも(みんな)」という意味にもなるわけです。その否定not anyは「1つもない」という意味になります。YesかNoかを問う疑問文でanyを使うと「(1つでも)有るか(1つも)無いか]を尋ねる表現になります。
「1つ」を「少し」に置き換えると量を表すときの意味になります。肯定「(少しでも)有る」、否定「(少しも)無い」疑問「(少しでも)有るか無いか」です。
要は、anyは多量、少量、適量という数量の大小を問わないのです。
これに対してsomeは「多くも少なくもない数量」を表します。anyとは異なり、肯定、否定、疑問という文の種類に関係なく常に同じ範囲の数量を表します。そこから「適する数量」「一定数の量」、さらに「(特定できない)何か」や「(知っているが特定しない)何か」を表します。YesかNoかを問う疑問文の中でsomeが使われていても「一定数量」または「特定しない(されない)何か]を表すだけです。
この2語が表す量の範囲の違いを不等式を使って次のように表すこともできます。
肯定any>0 (有る) 否定0 (無い) 疑問any or0 (有るか無いか)
much>some>little (適当な量が有る) 肯定、否定、疑問の各文とも同じ
anyを使う場合は、有無を問うという明快な疑問文です。これに対して、someを使うのは、形式的には疑問文ですがものの有無を尋ねるというよりも、他の意図で使われることが多くなります。someを使った疑問文を用例で確認しておきます。
1)Did someone call me?
――Berenstain Bears
「だれか呼んだ?」
この用例は自分の名前が呼ばれたけど誰かはわからないという文脈です。名前を呼んだ人がだれか特定できないのでsomeoneという表現を使っています。自分を呼んだ人がいるかいないか、その有無を尋ねているわけではないのです。
仮にDid anyone call me?にすると名前を呼んだ人がいるのかいないの問う表現になります。このように同じような状況で、someもanyの使えるので、混同されやすいといえます。基本的には「実際にいると思っている」場合にはsomeを使い、anyは「実際にいると思っているかどうかに関わらず」有無を問う場合に広く使えるととらえるといいでしょう。
2)Aren’t you forfetting something?
――Berenstain Bears
「何か忘れものしてるんじゃなぁい?」
この用例は、忘れ物が何かを実際には知っていて、あえてsomethingを使っているという文脈です。例えば、目の前にもっていくはずのお弁当が残っていて、忘れて出かけようとする人に、「お弁当」とは言わずにあえて「何か」と表現することはあるでしょう。実際に忘れ物の有無を尋ねているわけではないのです。
someには、具体的には知らない場合と、実際には具体的に知っているけれどあえて特定しない場合があるのです。この辺りのニュアンスがanyとの違いになります。
以上の検討を基に、下の例文(a)と(b)について違いを読み解いていきます。
(b) Do you have some money?
例文(a)はanyを使って所持金が(少しでも)有るのか(少しも)無いのかを尋ねているのです。答えはYes.(有る)か、No.(無い)のどちらかということになります。使う状況や意図が変わっても、この基本は変わりません。
今手元に所持金が有るのか(無いのか)、とか金庫の中にお金が有るのか(無いのか)など、どんな状況で使うかは、文脈次第です。また、金庫の中にお金が有るのか聞く場合でも、お金を盗ることを意図して金銭の有無を聞くのか、予算が無くなったかどうか心配で聞くのかなど、どういう意図で聞くのかは、人それぞれです。
例文(b)は疑問文ですが、肯定文のときと意味は変わりません。改めて、文脈の中で使われる生きた用例で確認します。
3)Mr.Elf “You haven’t paid us any money for ages.”
Nanny “All right, how much do we owe you? ”
Mr.Elf “492 gold coins”
Ben “Gosh, that’s a lot.”
Holly “Don’t worry, Ben. We’ll get some money, won’t we, Nanny?”
――Ben and Holly’s Little King Kingdom | Ducksplosion
「何年も代金を全く支払ってもらってないよ。」
「わかった。つけはいくらあるの?」
「金貨492枚」
「えー、大金だ。」
「ベン、心配らないよ。そのくらいのお金なら手に入れられるよね、ナニー?」
この用例では、最後のホリーのセリフでsome moneyが使われています。その前に、借金の額は金貨492枚と聞いているので、はっきり分かっています。つまり、このsomeは借金の額、金貨492枚に足るだけのお金を指しています。
よくsomeは「漠然としているものを指す」と説明されることがありますが、それではこのような文脈をとらえきれません。そのうえ、文脈が想定しにくい単文の中で使われた語を説明されたら、微妙なニュアンスが分かりずらいでしょう。
ことばは、実際の会話では文脈の中で使ってこそ生きて伝わります。文脈の中でみると、この用例3のように、具体的には金額を知っているけれどあえてsomeを使うこともあると分かるでしょう。
もう1例、実際に使われた用例を見てみましょう。
4)“Mommy, Daddy, I need some money to buy a game.”
――Caillou and Cheating
「母さん、父さん、ぼくゲームを買うお金が要るんだ。」
この用例では、some moneyとは具体的に「ゲームを買うのに足るだけの金額」を指しています。親子の間の会話なので、正確な金額は分からなくても大体の金額は分かっていると考えられます。someはただ漠然として分からないだけではなく、お互いに適する額が見当ついているときにも使うということです。
このように文脈の中で見ていくと、some moneyは「用を足せる金額」を表す場合に使うことがあると分かります。someのコア「多くも少なくもない数量」から、「適当な数量」、「適する額」のように派生しているのです。
用例4では、この後、両親の提案でカイユはお手伝いをしてゲーム代を稼ぐことになります。1週間後に稼いだお金がいくら貯まったか集計してもらうとき、カイユは‘Is it enough?Is it?’「十分ある?どう?」と聞きます。ゲームを買いたくて、some「用が足たせる額」に達したかどうか気になってしょうがないのです。
この様子が、someの意味をよく表しています。不定数量とはいっても、実際にはゲーム代を念頭においていて、それに対して十分enoughなのかを気にしているのです。
someは疑問文で使われていても肯定の時と意味が変わりません。以上みてきた肯定のsome moneyの例から、(b) Do you have some money?の使い方が分かると思います。このsome moneyは実際にはある程度の額が分かっている前提で使う場合に相応しい表現なのです。
その問いに対する答えは「用に足りる額」を念頭に置くことになります。だから、YesかNoというだけではなく、enough、maybe、not enoughもありえるわけです。ここが、有るか無いか、YesかNoかを問うanyとの違いです。
anyは「1つ」を含む概念なので、そのコアは「1つでも」「少しでも」です。だから、否定は「1つもない」で、YesかNoかを問う疑問文では「有るか無いか」を問う表現になります。any moneyは具体的な金額が念頭にあってもなくてもどちらにも使えるということになります。
someは文の種類に関係なく、そのコア「多くも少なくもない数量」「適当な数量」です。だからsome moneyは、文の種類に関わらず文脈からお互いが了解している「用が足せる金額」を表します。some moneyを使う疑問文は用途に対してお金が十分にあるかを問うことになります。金額自体の関心よりも有無に関心があるanyとは違い、some金額自体に関心があると言えます。
例えば、ネイティブにどんな時にsome moneyを使うか尋ねると、「借金したいとき」などと答えることがあります。これは、実際には借金に限らず、入用の額が念頭になるときと考えれば理解できるでしょう。ただし、どういう意図で使うかは結果であって、some moneyを使う理由ではないことには注意が必要です。
例えば、自分が必要ではなくても、お金がなくて困っている相手に対して、用が足せる持ち合わせが有るか心配して尋ねる場合もあるでしょう。注意をしなければいけないのは、同じような状況でany moneyを使うこともできるということです。
視野を広くして見ると、any、someは、a、few、manyなどと同じく数量を表す言葉です。単純に考えれば、数量詞は表す数量をもとに使います。適する数量だからsomeを使うとは限りません。
例えば、何らかの記入しなければいけないことがあってペンを持っていなかったとします。そのときペンは1本あれば十分なら、Do you have a pen?と尋ねるのが自然でしょう。ペンは何本も要らないのにDo you have some pens?は不自然です。
「車があるか」を尋ねるとき次の2つの場合では数量詞はかわるでしょう。
(a) 友人と話をしていて2人で出かけようということになった。自分の車は家族が使っているので、友人が車を持っているか尋ねる場合
(b)自分が所有する車が複数あって、経費が掛かるので整理することを考えている。この話題を切り出そうと考えている相手に、車を所有しているか尋ねる場合
(a)の場合、車は1台あれば十分なのでDo you have a car?と尋ねるでしょう。(b)の場合、有無を含め何台所有するか不明なのでDo you have any cars?と尋ねるのが普通でしょう。
そう考えると、お金を借りたいという意図があるからsomeという数量詞を選ぶというのは不自然です。車を借りたいときに、一台で用が足せればa carというのが自然でsome carsとは言わないではずです。some moneyとかsome teaと表現するのは、意図が問題なのではなく、適する数量を表すからsomeを使うということです。
ふつうは、a moneyと言わないのはmoneyは慣用的に数えるものではないと意識されているからです。一方でteaは容器に入れて形をきめると数える対象になり得ます。近年ではa teaという言い方も誤りとは言い切れません。 
British Councilでは次の2文をwe use both.とし、some、anyの違いをそれぞれの表す数量として説明しています。
(a)Would you like some more coffee? (a limited amount)
(b)Would you like any more to eat? (an unlimited amount)
――British Council
coffeeを勧める場合は、カップ一杯の適する量を念頭に置くsomeを使うのがふつうです。someは多くも少なくもない適量(little<some<much)だからa limited amountということになります。
もっと食べるように勧める場合は、「いくらでもいいから」という制限しないのがふつうだからanyを選ぶのです。
人に勧めるという意図とsome、anyの選択とは関係ありません。
(a) Do you have some money?
(b) Do you have any money?
「some」は特定の数量や範囲のお金を持っているかどうかを尋ねているように聞こえる可能性があり、一般的なお金の有無を尋ねる意味合いが弱まります。「any」は不特定の数量や範囲を指すことができるため、お金の有無を確認する際にはより一般的な表現として使用されます。
簡単に言うと、用が足せる適当な額ならsome、持ち合わせの有無ならanyを選択します。
従来のany、someの説明は、冒頭で明らかにしたように、20世紀の後半に広がった事実誤認に基づくものです。それは未だに完全には是正されないでその名残は今世紀に引き継がれています。文の種類で使い分けることを基本にすると、実際に使うふつうの表現が例外のように見えてしまいます。そのうえ、そのおかしな基準で、文法問題に出題され〇✕を付けられると、本質からずれていき、健全な語感が育ちません。
ごくふうつに考えてみましょう。many、few、some、anyなどはみな不定数量を示す言葉です。「数量詞はその表す数量をもとに使う」のは当たり前のことでしょう。manyは「多い」、fewは「ほとんどない」、some「いくらかある」とそれぞれの数量を念頭に使います。anyは語源的に「1つ」で、肯定は「どれ1つとっても」、否定では「1つもない」、疑問ではany or not anyで「(1つでも)あるか、(1つも)ないか」に使います。それが数量詞の根本的な使い分けでシンプルな原理です。
ことばは、正しく伝えるために適する表現を選択して使うものです。文法・語法はそのために参照するものです。その根本になるコアは、その語を正しく反映したので有るべきです。一方で、ネイティブであっても語感は人それぞれなので、絶対的な基準を設けない方がいいこともあるのです。
適正なコアに基づいた文法説明で基本をつかみ、実践で多くの用例にあたりながら、自分なりの語感を育てていくことが大切なのだと思います。
anyとsomeの違いは、疑問文よりも否定文ではより際立ちます。下の記事にまとめていますので、あわせてご覧いただくと理解が進むように思います。
not anyはsomeの否定?―英語の否定の原理― | しんじさんの【英文法を科学する】脱ラテン化した本来の英文法はシンプルで美しい! (ameblo.jp)
※(注)このブログは、従来の文法説明では腑に落ちないものを主に取り上げて記事にしています。取材するときには事実を徹底的に調べ上げて書いています。権威ある辞書や文法書の見解は、批判的検証の対象だと考えています。基本的には一般的な説明とは異なり、言語事実と言語の論理に基いて妥当であると判断したものであることをご承知ください。
ご感想があれば、気軽にコメントください。最後までお読みくださりありがとうございます。


