20世紀の後半は、英語の実態に合わないルールが広まった、いわば学習英文法の劣化期でした。その象徴がsomeを否定するとanyに変身するというルールです。

 聞いたことがない人からすると、なんとも奇妙なルールですが、未だに信じている人がいるのです。それどころか、21世紀に入った今日でも全国模試を実施する会社のホームページや海外の外国語学習者向けの英文法学習書や辞書にさえ残っています。今回は、未だに尾を引くsome、any問題を、英語の否定の論理をもとに徹底的に検証していきます。

 

 和製の英和辞典の説明を引用します。

「一般にsomeとanyは肯定文で用いられるが、否定文・疑問文・条件節ではsomeの代わりにanyが用いられる」(1906頁) 井上永幸、赤野一郎『ウィズダム英和辞典』2003 

 

 肯定のanyの一般使用は認めているものの「someの代わりにanyが用いられる」としています。

 まず、この辞書の記述から、いったんsomeを切り離して、anyだけに注目します。そうするとanyは肯定文、否定文、疑問文に用いられることが分かります。肯定文のanyを否定したらnot anyという否定文になるのはごく自然なことです。

 また、この辞書の記述ではsomeは肯定文に用いられる語で、否定文・疑問文・条件節では用いられないような書き方になっています。実際にはsomeはいずれの文でもちいることができます。

 anyもsomeも文の種類を問わず用いることができます。「someの代わりにanyが用いられる」は全くの事実誤認で、そのようなことはありません。

 

 many、much、few、little、any、someなどの語はどれも不定の数量を表す語です。not manyはmanyの否定、not muchはmuchの否定、not fewはfewの否定、not littleはlitteの否定です。not anyだけがsomeの否定なんて奇妙なことがあるでしょうか?英語はそんな不合理な言語なのでしょうか?

 では、用例をもとに論理的に検討していきましょう。

 

 まずanyとsomeは表す数量の異なる別の語であることを確認しておきます。

 

 anyは語源的に「1つ」を意味することから、「どれ1つ(とっても)」というコアをもちます。肯定文では「どれ1つとってもあてはまる」ことから「どれでも、すべて」という数量を表します。否定文not anyは「どれ1つとってもあてはまらない」ということになるので「1つもない」「全く無い」つまりnoと同じ意味になります。

 

 これに対してsomeは「多くも少なくもない」数量を示します。仮にこれを否定すると「多くも少なくもなくもない」数量になるはずです。これってどんな数量かイメージできますか?ことばはイメージできないものをわざわざ使うことはありません。だから数量を表すときのsomeは、それ自体を否定されないのです。

 ただし、someは否定文で使われることがあります。その場合でも数量を表すsome自体は否定されません。つまり、数量を表すときのsomeは否定文で使われていても、肯定文の時と同じ「多くも少なくもない」一定の数量を表すということです。

 否定文で使われるsomeの用例で確認しましょう。

 

1)Some toys are not safe for little babies.        

                                                 ――Max and Ruby and The New Baby

  「小さな赤ちゃんとって、安全ではない玩具もある。」

 

  この用例のnotは、直後のsafeを否定していて、not safeで「安全ではない」という意味になっています。英語の否定語は、否定する語の直近に置くというのが鉄則です。この用例では、someはnotより前にあるので否定されていません。安全ではない玩具も「一定数はある」ということです。つまりsomeは肯定のときと変わらず「多くも少なくもない数量」を表しています。

 

 次の用例では、someは条件節中の否定・疑問文で使われています。

 

2)What if some of your friends don’t like orange juice? 

      ――The Berenstain Bears: Papa’s Pizza/The Female Fullback

  「あなたの友達の中に、オレンジジュースが好きではない人がいたら、

   どうしましょう?」   

 

 この用例で分かるように、条件を表すif節中でも否定文・疑問文でもsomeを使うことはあります。この場合のsomeは漠然とした数をイメージしています。もしここでanyを使うと「1人でもいたら」というに意味になります。『ウィズダム英和辞典』2003にある「条件節ではsomeの代わりにanyを使う」なんていうことはありません。

 この用例2でも、notは直後のlikeを否定していて、some自体は否定されていません。やはりsomeは肯定文のときと変わらず「いくらかはいる」という意味で使われています。

 もちろん、条件節でanyを使うことはあります。その場合は「1つでもあれば」「少しでもあれば」という別の意味になります。

 つまり、if節中の特別なルールがあるわけではなく、anyは「1つでも」、someは「いくらか]という表す数量に応じて使います。

 

 数量を表す場合のanyとsomeの否定は次のように言えます。

anyは、notによって否定されると「1つもない」ことを意味する。

someは、notによって否定されず肯定文と同じ「一定数ある」ことを意味する。

 

 先ほど、英語の否定は、後の語を否定するといいました。そのときできるだけ否定する語の近くに置くことが原則です。一般的には直後の語を否定するということになります。しかし、直後ではなくても、離れて後ろにある語を否定する場合もあります。用例で確認しましょう。

 

3)We hardly have any time left to play.  

                    ――Cailliou and Rosie’s injury

  「ほとんど遊ぶ時間が残ってないよ。」

                    

 この用例にあるhardlyは、「ほとんどない」という否定語です。このとき、 hardly ~any timeと呼応して「ほとんど残り時間がない」ととらえることができます。時計の針を見る感覚と同じで、時間を数量でとらえると、イメージがより具体的になります。だから、直後の語ではないanyを否定するのです。

 

 ことばは事実や想いを伝えるものですから、事実が正確に伝わるように合理的にできているものです。できるだけ具体的にイメージができる表現を選ぶことになります。

 anyを否定した数量は「1つもない」「ほとんどない」など明確なイメージをもつから、any自体が否定されます。一方、someを否定した数量はイメージにし難いから、some自体は否定されないのです。その結果としてanyの否定文が多くなることはあるでしょう。しかし、それは肯定のsomeを否定したものではありません。

 

 類似の例文でanyとsomeの否定について、さらに掘り下げます。

 

(a) I can’t find some of those books. 

 

(b) I can’t find any of those books.  

 

 この2つの例文は、一見すると似ていますが、(a)と(b)では、否定の仕方が違います。

 (a)のnotは直後のfindを否定して、not find「見つけられない」を意味します。someは否定されず「一定数量ある」というコアのままの意味です。よって、(a)の文は「見つけられない本が一定数ある。」という意味になります。

 (b)のnotはanyを否定し、「1冊もない」ことを意味します。だから、(b)の文は「本は1冊も見つけられない。」という意味になります。

 2語の表す数量の違いによって、(a)と(b)の文は、全く別の意味になるわけです。

 

 (a)の文は、someを主語にして、元の意味が変わらないように書き換えることができます。

(a)改 Some of those books can’t be find. 

   「中には見つからない本もある。」

 

 (a)と(a)改は、表現は変わっても「見つかる本も一定数あれば、見つからない本も一定数ある」という同じ事実を別の言い方をしただけなのです。このようにsomeを主語にした文では、肯定文も否定文も意味が変わりません。

 あと、このように常に「一定数ある」ということから、Some~, some…という型が「~するものもあれば、…しない(する)ものもある」という文脈で使われることが分かります。anyには「いくらかある」というような意味はありませんから、このような使い方はしないのです。

 

 一方(b)の文は、anyを主語にして書き換えることができません。もし書き換えようとするとany~notの語順になりますが、これではanyが否定語notの前に出てしまい、否定の鉄則に反します。このことから、英語にはanyを主語にした否定文はない理由も分かります。

 

 (b)の文は主語をanyにせず、主語を否定した形にすれば、否定の鉄則に反しないように表現することができます。

(b)改 None of those books can be find. 

         「本は1冊も見つからない。」 

 

 もう1つの否定語の原則にとして、英語の否定語は出来るだけ前の方に持ってくるというのがあります。だから、No~を主語にする表現は、英語ではよくある言い回しになります。Noneのように否定語noなどから始まる表現があるから、否定の原則に反するanyを主語にした否定文を使う必要はないということです。

 このanyと英語の否定文の特徴がわかる用例で確認します。

 

4)Peppa: “When I closed my eyes, I couldn’t see anything.”

  Mommy:“But no one can see anything with their eyes closed.”

     ――Peppa Pig Goes Shopping for Mother’s Day | The eye test

  「わたしが両目を閉じたら、何にも見えなくなったんだよ。」

  「でもね、両目を閉じたままでものが見える人はいないのよ。」

     

 この用例では、ペッパの方は、not~anyという呼応した否定文を使っています。

一方、お母さんの方はno oneを主語にして一般論に言い換えています。noは直後のoneを否定して、「一人もいない」、「だれもいない」と具体的に数量でイメージできます。だから、離れたanyと呼応する必要がありません。

 このように、anyは、必ずしも否定語と呼応するわけではないのです。それはイメージしやすい方を選ぶという言語の原則に従っているのです。

 

 以上、見てきたように、言葉は事実や想いを伝えるために合理的にできています。any、someはmanyやfewなど他の数量を表す語と同じく、具体的な数量は不定ですが、それぞれの表す範囲(分布)は異なります。これら不定数量を表す語は、その表す範囲によって使い分けるのであって、文の種類は使い分けには関係ありません。

 

 数量を示すany、someの否定と、英語の否定の原則は次のようになります。

 

 anyは、数量としてイメージしやすいので、しばしば否定語と呼応します。

 一方数量を表すsomeは、notで否定した数量がイメージしづらいので、否定されない。だから、否定文の中で使われていてもsomeの意味は肯定の時と変わらない。 
 英語の否定語は否定する対象の語より前に置く(前から後ろの語を否定する)。できる限り直後の語を否定するが、意味が明確になるように呼応関係になる場合もある。否定語はできるだけ文の前の方に置くという傾向がある。

 これらはすべて意味を正確に伝えるための英語の原則です。

 

 このように単に否定文というのではなく、英語の否定の原理とany、someの関係は一貫した体系として説明をすることができます。従来のように、この2語の数量をどちらも漠然とした同じような数量を表すととらえていると、言葉は正確に伝えるために表現を選ぶという一番大事なことが抜け落ちてしまいます。

 

 さらに、否定の原理を極性という観点から確認していきます。

「多い」や「少ない」という数量は極性を持ちます。一般に極性を持つ語は否定されると反対の極に意味が触れます。「多い」の否定は反対の極に振れ「多くはない」という意味をもちます。anyは「1つはある」が原義でa>0と極性を持つので否定すると、反対の極に振れて「1つも無い」という意味になるわけです。

「中くらいの数量」というのは「多い」側の極と「少ない」側の極との真ん中です。どちらの極にもない中立な表現なので極性を持ちません。「数量を示すsomeは否定されない」というのは中くらいの数量は極性(偏り)が無いから、どちらの極に振れるか判断しにくいのです。

 

 否定の原理から言えば、数量から派生して極性をもったsomeは否定されるということになります。

 例えば、日本語で「てきとう」という言葉は「適当なものを選べ」というような場合は「適する」という良い意味になります。「あいつほんとてきとうだなあ」という場合は「いいかげんな」という悪い意味にもなります。中くらいの数量は「中途半端」とも「なかなかもの」ともとれます。

 someも数量から派生して「なかなかたいしたもの」という意味や「たいしたことはない」というような意味に使われることがあります。「良い」と「悪い」は極性を持つので、そのような価値観を帯びて主観化したsomeは否定されることがあります。

 

 "He is somebody." という文は、一般的に「彼は重要な人物である」「彼は注目すべき人物である」という意味です。このようなsomeは極性を持つので否定されて反対の極に振れた意味になります。

 

He's not somebody you should trust. (彼は信頼すべき人物ではない)

 

He's not somebody I would hire.  (彼は私が雇うような人物ではない)

 

 数量を示すsomeは極性を持たないので否定されませんが、派生した意味で使われ極性を持ったsomeは否定される場合があるということです。

 someは「1つ」を含まないと言いましたが、somebodyは一人を指しています。つまり数量としてのsomeではなく、そこから派生した意味であることが分かります。同様にsomeoneやsomethingなど単数で使われる語として使うsomeは数量から派生した意味です。someはもともと「数が不定」であることから「数」の概念が取れ、「不定」「不明」の方が残って「だれか」「何か」などの意味になると考えられます。

 このようにもとは「数量」という客観的事実を意味していた語が、人の価値観という主観的な感じ方を意味する変化は言語一般にみられる傾向です。この現象を言語学では主観化と言います。someは「中くらいの量」がコアだから主観化すると「なかなか」などの意味が派生するわけです。一方でanyが同様の意味には派生しないことも、この2語が表す数量が異なることを示唆します。

 

  somethingを「なかなかのもの」というような価値観を帯びた意味に使うこともあります。その場合はsome事態の意味を否定する場合があります。

 

That movie wasn't something special.(その映画はたいしたものではなかった)

 

  このように否定の原理をもとにすると「否定文ではsomeの代わりにanyが用いられる」というのは明白な誤りであることが分かります。肯定のanyが示す数量は極性を持つので否定されて反対の極としてnot anyが意味を持つのです。そもそもsomeは「中くらいの数量」を示すから極性を持たないので否定されません。

 not muchが極性を持ったmuchの否定であることと同じく、not anyは極性を持った肯定のanyを否定したものです。not muchがmuchではない他の語を否定した代わりの表現ではないのと同じく、not anyがsomeを否定したものでanyが代わりをするわけではありません。


 次の2文は、どちらも否定文です。同じような意味であってもsomethingとanythingは表すそれぞれイメージが異なることを確認してください。 

 

 I don’t think something is wrong.  (何かが間違っているとは思わない)

 

 I don’t think anything is wrong. (何1つ間違っていないと思います)

 

 ニュアンスが違っても同じような場面で使われることはあるでしょう。だからと言って、どちらかの語が一方の語の代わりをしていると言えません。

 

 さらに言えば、言語は変化するものなので文法化が進んで意味が漂泊化すれば代わりになることもあり得ます。しかし、あくまでも多くの場面で実際に使われているところを観察して得た語感ですが、any、someに関して言えばanyの意味は比較的コアに近いところに留まっていているのではないかと感じています。

 次のような場合はnaythingがしっくりきます。

 

 I don’t know anything about her. (彼女について何1つ知りません)

 

 語感は人それぞれなので、生きた用例にあたって自分でつかむのが良いと思います。その際、学習文法の文法説明の効用は、出会った表現によって語感を育てていく種になっていることです。「anyとsomeは文の種類で云々」は全くの事実誤認にもとづくもので、正しい英文を誤りではないかとの疑念を抱かせるため、語感を育てることを妨げます。この違いの見極めはとても大切で、それができない文法事項は学習しない方がいいでしょう。

 

 anyやsomeは頻出する基本語です。英語のネイティブは基本語を当たり前のように使いこなします。従来の規範文法は英語話者に正しい言葉使いを教えるものなので、基本語の詳しい説明は必要ありません。そこから、英文法には‘基本語=簡単な語’という認識があるような気がします。

 過度な単純化や的外れな基準をもとにした使い分けや文法説明がよく見られるのは、英語のネイティブにとって当たり前の基本語です。しかし、外国語として学ぶ日本人にとって、基本語ほど掴みにくいものです。

 

 今回は否定に絞ってanyとsomeの違いを示しましたが、この違いを理解すると疑問文での使い方も理解できます。例えば、下のような文では「疑問文ではいくらかあると予期する時にsomeを使う」と説明されることがあります。

 Would you like some tea?

 「疑問文では」という説明は全く意味がなく余計です。someはそもそも「適当な量」を示すので「適当な量がある」と思って使うのは当たり前です。肯定で使おうが否定で使おうが、「適当な量がある」と思った時に使います。

 

 このような余計な説明をするのは、someが「適当な量」であり、それをコアとして使うという根本的なとらえかたができていない証拠です。もっと言えば、数量を示す語はその数量をコアとして文脈に応じて使うという当たり前のことから外れています。

 anyとsomeに関する説明がことごとく的外れなのは、この2語の表す数量が違うこことが判らず、混同して対と誤認してまったからです。そこからボタンをかけ始めるとこの2語を適切な使い分けができなくなり、語感を育てる邪魔になります。

 

 今回取り上げた「否定文ではsomeの代わりにanyが用いられる」という規則は、モノづくりで言えば欠陥品です。自動車産業ならリコールの対象になるような不具合と言えます。不具合は回収すれば終わりではなく、原因を調べて適切な対策をとって改良を重ねていくことに意味があります。

 従来の英文法には多くの不具合があるのは確かです。しかし見方を変えれば、欠陥の原因はより良い製品を開発するための好材料です。現行文法の不具合は今後の学習文法にとっての宝の山になり得ます。

 頻出する基本語を根拠を持った説明にするよう改良を重ねることは国産英文法の存在意義です。英語のネイティブがうまくできないような基本語の文法説明を、的確に説明するのは日本人英語講師の存在価値であり腕の見せ所と言えます。それは当然学習者の益になります。

 文法学習書にある「例外のある文法説明」を放置しておく手はありません。宝の山を掘ってくことに躊躇は要らないでしょう。

 

 

 

※このブログでは、より良い学習文法を構築するため、広くいろいろな方のご意見をいただきたいと考えています。コメント、リブログは歓迎いたします。

 

 

『Frosen2』より  ♪Some things never change. ……♪