X(旧twiter)にこのようなpostをする人をよくみかけます。

 

 

 

She doesn’t knowは標準語としての正しい言葉使いです。

She don’t knowは地方語として立派に通用している表現です。標準化される以前の英国では広範に使われていました。「間違いを気にせずどんどん話せばいい」との趣旨は大賛成ですが、「アメリカ人でも文法が怪しい」というのは認識不足です。

 

He don'tやWe wasのように、人称や数の区別が無くなるのは、一見、指南役の批判が当たっているように思えるかもしれないが、これは標準英語で数百年続いてきた傾向でもある。動詞の二人称単数形(sayest等)がなくなったことを、とやかくいう人はいない。――Pinker1995

 

「三人称単数現在形に“does, doesn’t”の代わりに“do, don’t”が用いられることがある。この用法はOEDによれば,“The form he do is now south west dialect.” であるとのことである。OEDには,1547年からの引用例が多数挙げられている。 EDDもイングランド南東部 の州 Surrey では三人称単数形に“do”を用いていたことが記されている。

 一方アメリカではDARE(Dictionary of American Regional English)によれば,三人称 単数に“do, don’t”,一人称単数及び三人称複数に“does”を用いるのは主として南部や 南部南域方言であると記述している。

  後藤 弘樹『現代アメリカ口語英語の文法と言語思想史的歴史的背景』2016

 

 もっとも、アメリカ人の中には「She don't knowは教養がない人が使う」と言う人はいます。20世紀の前半頃までは標準化を進めるために、公教育で「She don't ~」を文法的誤りと教えていたからです。当時使われていた教科書ではfalseとしています。

 逆の立場で考えてみましょう。例えば関西の人が「~やねん」というのを聞いた外国人が、「日本人の友人に文法が怪しい人がいる」と言っていたら。くだけた会話では地方語を使い、公の場では標準語を使うなんてことはふつうにあるでしょう。She don't know.と話すアメリカ人は地方語を使っているだけのことです。

 

 公の場に相応しい言葉使いと、言葉が伝わるための本来の文法的仕組みは別です。文法以前に言葉としての常識を知ることが大切です。

 

 英語のネイティブが次ように言うのは十分理解できます。

 

 

 現在の学参などの文法書には英米の規範どころか日本人が勝手に創った規則が数多く紛れ込んでいます。大正時代に日本で作られた「not…bothは部分否定」などという和製訓読法はその典型です。

 

 

 

 今日の専門家の間では、「bothの否定は部分否定」という和式独特の解釈は否定されています。もちろん、番記者は英文法を誤ってはいません。

 

「Both of us are not angry.は通例部分否定(「私は両法が怒っているわけではない」)であるが、《話》ではnotに強勢が置かれて全体否定(「私たちは両方とも怒っていない)として解釈されることがある」

   ――『ウィズダム英和辞典』2003

 

 日本の学校文法には数十年前の廃れた旧規則や和製の文法規則が多く含まれています。日本の受験英語程度の浅い文法知識を詰め込んで点数をとれたからと、英文法を分かった気になってしまう。その程度の知識で、他国の言語母語話者の言葉使いを文法的誤りとい言い切る。感覚としておかしいと思います。

 

 下のpostにあるようなことはよく聞きます。

 

 

 

 知らないのは学習者の方です。英語にも日本語とおなじく標準語と地方語があることを思い至らないのでしょうか。くだけた口語として使う表現を、公の場で使う言葉使いを基準にして正誤判定するのはそれ自体がおかしなことです。標準語を守る立場の英語話者が言うのならわからなくはありませんが、英語を外国語として学ぶ立場の人が英語話者が使う表現を誤りと指摘するのは慎重にすべきでしょう。

 会話ができないとかいう以前に、言葉を学ぶ上で肝心なことが抜けています。言葉は本来、実際に使っている表現を見聞きして真似て覚えていくものです。実際に使っている表現を「誤り」と疑ってかかることは決して好ましい事とはおもえません。しかし、このような現状になっている元をただせば、英語にも標準語と地方語があるという基本的ことすら教えない教育の欠陥と言えます。

 

 一般の学校では、英語話者が正当な理由があって使う表現でも、旧い規則をテストの採点基準にして不可とすることがあります。だから、こどもたちには文法を気にするなと、簡単には言えない現実もあります。

 実際に、文科省は20世紀には、関係代名詞whomを教えるべき事項から外しています。しかし2022年の入試問題では、国立大学では出題されなくても10%以上の私立大学で出題されているという報告があります。入試の作問・出題者が批判されにくい過去問を参考にし情報更新しなければ、教師や塾講師は教えざるを得ず、学参の著者は文法項目から外せません。

 

 学習の目的や方法は基本的に本人の自由だと思います。和製の文法書を何周もする人はいてもいいでしょう。ただし、実用を唄っている文法書でも実際にはもっとも市場規模が大きい入試に対応していることがほとんどです。その限られた知識だけを正当と思い込むリスクを知っておくべきでしょう。

 試験によって能力を示すことが求めけらる人は仕方ないとしても、そうではない人は、まず、その言語話者が使っている表現を受け入れる方がいいと思います。その言語の話者が使っている言葉をいちいち疑っていては学ぶことにいい影響を与えません。たとえその表現が一般的ではなくても、社会的にどう位置付けられる表現なのかを調べることは、それ自体が学びになります。

 

 このブログでは、実際に英語話者が使っている表現を見聞きして、「今のは現行英文法とは違う表現では」とセンサーに引っかかったものを納得いくまで調べて、意味があると感じたものだけを記事にしています。はじめからその文法事項に詳しいというより、調べるうちに実際はこうだったのか、とそれまでの認識を改めることはよくあります。

 人はだれしも誤りをおかすものです。きっと私自身も誤ったことやおかしなことを書いているでしょう。謙虚に学ぶ姿勢を忘れないようにしたいと思っています。

 その上で、事実を知り思い込みにとらわれずに考えてみることには意味があるはずです。そうして新たな知見を得ることは外国語学習の楽しみ方の1つと考えています。