旧阿弥陀寺町魚市場、下関市 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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基本的に山口県下関市を視座にして、正しい歴史を探求します。

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阿弥陀寺町魚市場

唐戸に魚市場が出来るまでは、魚市の中心は阿弥陀寺町の魚市場で行われていた。したがって、この町には魚屋が多く集っていた。魚市場は現在の極楽寺と鎮守八幡宮との中ほどにあり、木造瓦葺で、表の方は二階建てで市場の請負者が住居していた。

市場の裏は石段を下ると海につづき、市場には一段と高い競り台があり、そのうしろで威勢のよい声が符丁をもって叫んでいた。競り台の回りには筒袖の仲買人達が幾重にもこれを取り囲み、喧々喜々、殷賑をきわめたもので、魚市は夜の暗いうちに始まり市場附近の路傍には魚屋が店をならべて、朝のうちはごったがえしていた。

ここに集る魚は舟で運んでくるものが多く近郷の沿岸漁村をはじめ遠く豊後の姫島あたりよりも盛んにやって来た。市場の裏は、いつもこれらの漁船でひしめきあっていた。

五十年前の阿弥陀寺の町は、魚市から夜の明けた町で活気にあふれた町であった。(山形)

(馬関図絵 亀山八幡宮社務所)(彦島のけしきより)


赤間神宮の門前、現在は駐車場、料亭とマンション群


参考

① 空襲で焼ける前の赤間神宮の門前(参考)

② 戦前の赤間神宮(参考)


③ 唐戸市場(参考)