小倉競馬場、北九州市小倉南区北方 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小倉競馬場(現在の三萩野の小倉競輪場を含む場所)

明治四三年七月、小倉競馬倶楽部が設立され、同年一一月、三萩野に競馬場が設置された。大正八年に至り、新装を加えた。この写真がそれで、正面スタンドである。この競馬場は、昭和六年六月、北方に新競馬場が出現するまで続いた。なお後に、小倉競輪場として再び脚光を浴びた。

小倉競馬場(現在の北方の場所)

昭和六年開場した北方の小倉競馬場。関西以西の唯一の公認競馬場である。戦時中は中止されたが、昭和二三年一一月、再び開場の運びとなった。これは昭和10年撮影のスタンド光景。


小倉競馬場

競馬場內の勝馬投票所の光景。馬券売場といった方が判り易い。カンカン帽子の人が多いのも戦前の特徴ある風俗。昭和一〇年の写真。


(明治大正昭和「小倉」より)(彦島のけしきより)


参考

① 現在の小倉競馬場

小倉競馬場、小倉南区北方


② 小倉競馬場の今昔

最近

1975年

1963年

1947年

1930年 三萩野の現在の競輪場を含む場所から移転してきた。既に小倉電気軌道線(旧西鉄北方線)の北方車庫があったことが、場所選定の根拠であろう。

1920年
 

③ 旧西鉄北方線の車庫が1920年に出来た(wikiより)

北方車庫前停留場、小倉電気軌道線の電化に伴い、1920年(大正9年)9月に開設。車庫は北方線の軌道が敷設されている香春街道の東側に設けられていた。その後車両増備に伴い拡張が行われたが、車庫のある東側の敷地に増設余地がなくなったため、香春街道西側にも敷地を確保し、2線分の留置線が設けられた。