小倉競輪場、北九州市小倉北区 | 日本の歴史と日本人のルーツ

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小倉競輪場

昭和二三年五月、三萩野の市営グラウンド計画地に建設された。工事費予算は二三〇〇万円であった。広さは四二九○平方米、その年の第三回国民体育大会の自転車競技場として使用され、その後同年一一月、国内最初のプロ競輪場として発足した。


小倉競輪

昭和二六年一一月二一日から六日間、三萩野競輪場において、第一回全国競輪祭が華々しく開会された。 これはこの時の入場行進の姿である。


小倉競輪

第一回全国競輪祭の入場者の記念写真。この時の入場人員六○九七九名、車券の売り上げは一億六八五九万四四○○円という当時最高の収入であった。小倉市の財政にとって起死回生の妙薬であった。

(明治大正昭和「小倉」より)(彦島のけしきより)


参考

① 現在の小倉競輪場

三萩野市営グラウンドの施設群

小倉競馬場、北九州市小倉北区三萩野3丁目1−1


② 小倉競輪場あたりの今昔

最近    1998年(平成10年)に現在地の小倉メディアドームに並行移動した。

1975年

1963年

1947年 翌年1948年11月20日に小倉競輪場が開場、競輪発祥の地である。

1930年

1920年 三萩野市営グラウンドは元々、広大な競馬場であった。現在の競馬場は北方にある。